眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

2007年に観た映画 (オフシアター外国映画編) の続き

2008-01-13 12:41:03 | 映画1年分の「ひとこと感想」2006~
 (以下の5本は美術館の「アーティストたちの視点と肖像」として上映された作品。すべてドキュメンタリー。)

『ロストロポーヴィチ 人生の祭典』  とんでもなくエネルギーに溢れた老チェリストと不思議な美しさを今もどこかに感じさせる78歳の元プリマドンナ(ソプラノ)夫婦の人生は、大物2人だけに「20世紀」の歴史と重なっている・・・ということらしい。私としては、音楽を楽しんだ作品。

『落穂拾い』  A・ヴァルダの作品を観たのは初めてだけれど、いかにもフランス的な美しい色彩の水彩画に、軽く上質のエッセイが添えられているみたい。中に登場するこの女性自身にも、その正直さとユーモア感覚に、何となく好感を持った。

『オランダの光』  なぜかオランダ絵画が若い頃から好きで、あの空間に満ちている不思議な光に魅せられてきた。本当に「オランダの光」などというものがあるのかどうか・・・ということから始まって最後は水中実験!までしてみせてくれた、そのどこまでも追求しようとする姿勢と、それとは逆に、開けた場所のある1点にカメラを据えて、1年を通じての光の変化を実際に見せて観る者自身に考えさせてくれた大らかさ(公平さ?)の組み合わさった構成が、私には面白かった。

『スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー』  極めてユニーク?な建物を作る建築家の肖像を、「長年の友人」であるシドニー・ポラックが撮ったもの。建築も確かに面白いのだけれど、私にはそれより、アメリカでユダヤ人であるということは過去どういうことを意味したのかを、作品のあちこちで取り上げざるを得ないということの方が、観た後も強く印象に残った。

『マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して』  今回のドキュメンタリー作品を集めた企画では、この映画が一番、私には心に残った。(「私の映画」になるかもしれない作品だと思う。)今回の企画のチラシの中に、この映画については1枚の小さな写真が載っている。私はその「水辺に立つ不思議な建物」と、「水を隔ててこちら側からそれを眺めている男の子の小さな後ろ姿」を撮した写真を見て、とにかくその建物が一体何なのかが知りたくなって、この映画を観に行った。そして、映画の終盤、それが「バングラディッシュの国会議事堂」と判ったときの驚き! その(完成までに23年を要したという)建物は、監督の父親で「マイ・アーキテクト」であるルイス・カーンが一体どういう人だったのか、つまりこの映画のテーマそのものを、私にも納得させる力があったのだ。(私は現代の日本の建築で、ああいう「国民が誇りを持って外国人に見せられる」ようなものが、どこにあるのかを知らない。)「世界で最も貧しい国に最も優れた建築(しかもそこは、民主主義を象徴するような場所だ)をもたらした人」で「彼は、世界中の人々を愛していたのだ」ということを理解してあげなさい(たとえ彼の家族に対する愛情に、あなたが疑問を感じているのだとしても)・・・と、カメラの前であることに明らかに当惑しながら、それでも真情のこもった言い方で語った、現地の建築家の瞳が忘れられない。「建築」は、そこに集まる、そこを通りかかる、そこを使う「人間」抜きにはあり得ないものである以上、その「人間」に対する愛情が無ければ、そもそも成り立ち得ないモノなのだということ。そういう「建築とは何か」に対する1つの答を、目の前に見せられた気がした。人は誰かに別れを告げるためには、一度はその人に出会わなければならない。この映画の作り手は、父親の残した建築物を訪ね歩いてはるばる旅をした結果、最後の地で漸く「彼」に出会う。そして、やっと出会えたからこそ、「さよなら」が言えるのだ・・・と。私自身の個人的な思いもあって、「私の映画」候補になった作品だった。


 (以下の2本は、「オフシアター・パラダイス」という、各自主上映グループがそれぞれオススメの作品を持ち寄った特別プログラムとして、3日間にわたって上映されたもの。日本映画も何本かあった。)

『街のあかり』  A・カウリスマキ監督の作品を観たのは、初めてかもしれない。一種独特の雰囲気で、フィンランドに自殺が多い(日本もだけど)と言うことをなんだか実感させるような、でも結末はちょっと救いも感じさせる作品。(でも、あそこまで行かないと、ああいう男はああいう女の愛情には、気づこうとしないモノなのかなあ。)

『ブラックブック』  人間関係やストーリーの複雑さが、逆に部分部分でのリアルさに繋がっているようで、(当時はヨーロッパ各国で同じようなことが起きていたのだろうけれど)この時代のオランダの状況を生で感じるようなところがあって、しかも作品としては、やや過剰?なくらいのエンタテインメントになっている。主演の女優さんの、ある種雑駁?でしかも無表情??な美しさも独特。この人は、もしかしたら大変な演技派なのでは?と、後から思ったのは、この女主人公はそもそも、所謂「情感を感じさせる」、「表情豊か」なままでは、リアルに見えないかもしれないとチラシの美しい金髪を見ているうちに気づいたからだ。それでも、ナチの将校を愛するようになってからの彼女は、彼の前では(素性と自分の使命は隠したままでも)本来の自然な表情が現れる瞬間がある。そういうメリハリの付け方も含めて、ちょっとあり得ないような人生を、それでも生き抜くこういう女性像を演じることは、大変なことなのかもしれない・・・と、映画を観てから時間が経つほど、寧ろこの女優さんの印象は強くなっていった。

『ドレスデン、運命の日』  冒頭、原題の「DRESDEN」という文字をスクリーン上で目にした瞬間、この街の名の持つインパクトの大きさ!に、異邦人の私でさえギョッとした。(ヨーロッパの人たちにとっては文字通り、私たちにとっての「ヒロシマ」「ナガサキ」に相当する言葉だろう。)ヒロインが明るく、豊かな環境ですくすく育った、いかにも健康的な若い女性なのは、こういう映画では、背景の「戦争」(ほとんど「男」たちに塗りつぶされたような世界にも見える)の中に置いても負けないだけの「女性性」?を感じさせる人が必要だからなのだろうか・・・とか、第二次大戦当時の、都市への大規模な爆撃はこういうふうにしてするのか・・・などと思いながら観ていた。この爆撃で破壊された聖母教会の丸屋根が、60年ぶりに修復されたのを、ヒロインに似た女性(孫娘?)が多くの人々と共に見るラストまで来て、漸く、現実のそのニュースを以前どこかで読んだのを思い出した。「忘れない」ためにそのまま残してあった「傷痕」を、(現在および未来のために)修復することの是非を巡って、大論争になったのも当然だろう・・・と改めて思った。(それでも、ヨーロッパは前に進もうとしているんだな・・・とも。)

『魔笛』  序曲のシーンに呆気にとられ、あとはそのままK・ブラナー監督のペースに乗せられて・・・。この人の作る映画からいつも感じられる、明るさとサービス精神(古典を誰にでも楽しんでもらいたいという思い)を、シェークスピア作品の時以上に感じた。CGを多用していて、しかもそれが(判るべきでない時に)見るからにCGと判っても、全く問題にならない・・・というか、そもそもモーツァルトの音楽自体が、圧倒的な迫力でもって、こういう「オモチャ箱を引っくり返した」みたいな世界を作り上げてしまっているので、監督はそこで、初めて手にしたCGというオモチャに大喜び、一緒に遊ぼうと誘ってくれているような感じなのだ。本当にオペラが好きな人にとっては、「歌」の上手な人ばかりではないのが物足りないかもしれないけれど、私自身は、映画だからこそ可能なシーンを沢山見た気がした。戦車の上に立って登場する夜の女王、空からふんわり降りてくるミューズ(魔女?)、そして延々とつづく白い墓石に刻まれたさまざまな文字の名前と、その墓地に響く豊かなバスの声・・・。「第一次大戦前夜のヨーロッパ」に舞台を移して描かれたこの「魔笛」は、現在世界中で進行中の「戦争」を象徴するようで、作り手の「平和」を願う思いを強く感じた。

『ブラインドサイト~小さな登山者たち~』  人権週間に(確か無料で)市主催で上映されたドキュメンタリーだけれど、実際観てみると、想像していたものとはずいぶん違った内容だった気がする。チベットでの「視力障害」が持つ意味(それは当人が前世で罪を犯したからだとされている)と、それゆえもあっての差別や偏見の強さ。(宗教はそれを救済するというよりは、支える側に見えてしまうくらいだ。)ヒマラヤの高い山を目指すことになった、視力障害のある子どもたちも、家庭環境はさまざまで、1人だけストリート出身の男の子(と言っても19歳)の苦労などは、ほとんど想像を絶するくらい、現在の日本ではまずあり得ないような種類のものだ。一方、彼らを学校で教える全盲のドイツ人女性や、やはり全盲で世界各地の山に登るアメリカ人の登山家は、高いコミュニケーション能力と自分の望むことを行動に移せるだけの人並み以上の実行力を感じさせる。しかも彼ら自身はそれを、自分の受けた教育によるところが大きいと語る。所謂「先進国」に生まれるのと「途上国」に生まれることの差異が、少なくとも「視力障害」についてはどれほど大きいか・・・を、見せつけられる気がした。登山の途中、スタッフたちはその時々の判断を巡って、徹底的に議論する。その時、スタッフ同士の間では、視力障害の有無は全く問題になっていないように見える。「子どもたちにとって、最も良い選択」をするために、最後に「頂を目指す」ことを(3人の元気な子どもたちには可能なのに)諦めることを女性教師は主張して譲らず、実際にそれが最終決定となる。彼女が必死で主張した理由が、私はスクリーンを見ていてよく判った。これがテレビ画面だったら、私はここまで感じなかったかもしれない。「見える」人たちは、ごく当然の事として歩く間も空や雲や変わりゆく風景を目にする。あの登山家は全盲でも、高山に登ることに慣れていて、彼なりの「見えない」登山を享受する体力的な余裕がある。けれど、初めての登山で、高山病に苦しむ子どもたちには、「視覚以外のすべての感覚を使った」登山と言う体験を、到底楽しむ余裕が無い。ヒマラヤの風景の美しさと、それが「見える」ということの当たり前さ。一方、女性教師の言うところの「荷物を運ぶヤクの首の鈴も、一つ一つ音色が違っていて、とても美しい。でも(今のような強行軍では)それを楽しむことも出来ない。」という感覚。それは、このスクリーンの大きさがあって、初めて「見える」私にも実感できるものだったのだ。ドキュメンタリーを「スクリーンで観る」ことの意味を納得させてくれたという意味で、『ルイス・カーン』同様、この映画は私にとって、記憶に残る作品になると思う。

『ヒロシマナガサキ』  観てみたいけれど、多分観る機会は無いだろうと思っていたので、上映されると聞いてとても嬉しかった作品。会場では、日系3世という監督からの手紙のコピーが渡され、高校生向きに書かれたらしい、分かり易く丁寧な説明からは、この映画の撮られた意図がよく解った。ただ、私は映画を観ていて、インタビューに答えている被爆者の方がたは、監督が日本人ではないからこそ、協力されたのではないか・・・と思う瞬間が何回もあった。アメリカ側の証言をされた方たちとの意見の違いも、はっきり判るような描き方で、観た後で珍しくも20代の友人と、ずいぶん深い話になったのも記憶に残る。人の「生」と「死」そのものの話で、しかも「核」という現在ただ今の問題でもあるので、当然のことだったのかもしれない。10代の方は「高校に行ってない17歳って言ったら、高校生扱いで無料になったけど、その代わりに感想書きなさいって言われて、観終わってからが大変やった。」とか。筆記具で文字を書くのに慣れていない彼としては、なんだか「居残り」気分だったのかもしれない。主催者の方たちがいろいろ話して下さったようで、名刺まで貰って帰ってきた。(正に、オフシアター的風景かも。)

『合唱が出来るまで』  2007年の自主上映としては、これが最後の作品になった。さまざまなドキュメンタリーを観ることが出来た年だったけれど、これも(クリスマスのミサのための)アマチュアの「合唱」が、殆ど「ゼロ」から出来上がっていく過程を、黙って?ただただ見せてくれるような作品。ただ、私はこの映画で、音楽の神サマが降りてくる瞬間というのを、目の当たりにしたと思う。最終段階での全体でのリハーサルの時だった。楽器の演奏が始まった当初から、それまでとは全く違っていて、続いての歌声もいかにも「神の御子の誕生」を思わせる美しさで、私が驚いて目を瞠っていると、指揮者(指導者でもある)の女性も同じような感動を口にして、彼らを褒めた。人間の作り出す音楽というものの不思議さと美しさ。しかも、私のようなド素人にも「その瞬間」は明らかに判るのだという驚き・・・と、二重の意味で感動した作品だった。







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4 コメント

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こっちで観落としてるのは。 (ヤマ)
2008-01-14 11:55:25
美術館の「アーティストたちの視点と肖像」として上映された作品5本と『ブラインドサイト~小さな登山者たち~』『合唱が出来るまで』
いやぁ、ムーマさん、今回の選考会では初のトップ3入りかもしれませんね~。
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そんなオソロシイこと仰らないで・・・(笑) (ムーマ)
2008-01-14 16:37:18
美術館主催の特別企画は、休日に休める人間しか行けないのが欠点?のような気がします。それにちょっと、1日の上映本数が多すぎるというか、私のような閑人でも、丸一日はシンドイというか・・・。(どっぷり浸れる幸せも感じるので、一概にはいえないんですけど。)

最初に選考会に参加させていただいた時、ヤマさんが「毎年決まって、三人のオバカサンがいるというか・・・」と仰ったのを覚えています。その言い方がとっても良かった!ので、トップ3は終身資格のような気がしています(笑)。
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観てないものばかりです(^_^; (chon)
2008-01-17 17:26:29
「街のあかり」だけは観たかったかも。。。
フィンランドってだけでだけど。

ムーマさんが映画を観るのは、私がメタルを聴くのと同じって言われて、すご~く納得しました。

私が映画を好きでないのは、映画を観ると刺激(影響?)をもろ被ってしまって潰されてしまうからかもしれません。
面白いものですね~。
私はメタルに一日中浸っているのが幸せです。
ムーマさんがそんな事をしたら潰れちゃいますね。

映画好きの娘も、美術館主催の特別企画は観たいものばかりなのに、多過ぎるからどれもちゃんと観れなくて辛いって言います。
あの子でも、一日に2本が限度だそうです。
家でも深夜にテレビで映画を観てるから・・・。

ごめんなさいね。長々と失礼しました。(^o^)
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メタルがちょっとウラヤマシイかも・・・ (ムーマ)
2008-01-18 10:24:29
>私が映画を好きでないのは、映画を観ると刺激(影響?)をもろ被ってしまって潰されてしまうからかもしれません。

chonさんでもそうなんですか。(私のエネルギー不足だけでもないんですね。)

>私はメタルに一日中浸っているのが幸せです。
>ムーマさんがそんな事をしたら潰れちゃいますね。

そうなんです。(そして出来もしないことして、しょっちゅうツブレてる気がする(笑)。)

お嬢さんでも1日2本が限度と聞いて、納得しました。私も「観過ぎに注意!」します。と言いつつ、今から『ミリキタニの猫』観に行きまーす(笑)。
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