2007年という年は、私にとっては何がなんだかワカラナイ中に、過ぎてしまった気がする。
一昨年9月の姉の「うつ病発症」がきっかけになって、私までこの歳で、自分のアイデンティティー?なるものを改めて考えさせられるハメになってしまった。人生ってほんとに、突然何が降ってくるかワカラナイものなんだということを、今シミジミ感じている。「これはこれでいい機会だから・・・」というのも、「今更なんでコンナコトに・・・」というのも、ちょっと違う気がする。今の私には、ただ「来るべきものが(やっぱり)来た。」といった感じがするだけだ。
そんな身辺の事情が、当然「映画を観る」ことにも影響した。
去年1年間にスクリーンで観た映画は、メモによると109本となっているけれど、このブログにも感想はほとんど書いていない。オフシアターで63本(外国35日本28)、映画館で46本(外国31日本15)、2006年と比べると10本くらい少ないだけなのだけれど、大半が頭を素通りしてしまったような印象がある。
ただ単に「すぐに忘れてしまうのが残念」というだけでなく、頭が何か(漠然として何がなんだかワカラナイような曖昧模糊としたモノ)で満杯になっている、その表面を「映画」が滑り落ちていくだけ・・・といった感じは、つくづく情けなく、ツマラナイ。毎年のことながら、観るつもりで楽しみにしていて、結局エネルギー不足で行けなかった映画も何本かある。
それでも、例によって「1ヶ月以上、抱えて暮らした」作品もあった。(『プルートで朝食を』、『カポーティ』、『善き人のためのソナタ』、『約束の旅路』、『今宵フィッツジェラルド劇場で』『マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して』などなど。)それらについては、少しでも自分なりの感想が書きたかったけれど、結局どれも書けなかった。時間はあるのに・・・と思うと、歯がゆいというか悔しいというか。『善き人』などは、自分の感想を書いてからでないと読みに行くわけにいかない(と過去の経験から思う)ある掲示板での談義のまとめもあったので、何のことは無い、そこへは未だに読みに行ってないままだ。
なんだか(映画に関しては)バカみたいな1年だったな~と、つい思いそうになるけれど、ここまで書いてみて実際はそうでもなかったのに、たった今気がついた。
考えてみると、去年は私にとっては「ドキュメンタリー」の年でもあった。美術館が「アート・ドキュメンタリー」作品の特集をしてくれたり、映画館でムーアさんやゴア氏に会ったり、ほとんど諦めていた『ヒロシマナガサキ』も観ることができた。テレビ画面ではなくスクリーンでドキュメンタリーを観ることの意味を、鮮やかに教えてくれた作品もある。不思議と言うか当然と言うか、それらは少数を除いて「シネコン」からは遠い、「オフシアター」だから観られた映画だったと改めて思う。
ここで言う「オフシアター」とは、「映画館以外で上映された」という意味だ。2007年高知では、オフシアターだけで、外国映画・日本映画合わせて150本くらい上映されている。
高知は以前から自主上映が盛んなところで、いろいろなグループが毎月どこかで上映会をしている。それ以外にも、市や県や或いは県立美術館その他の主催で、さまざまな映画を比較的安価に観ることができる。今では、街中の繁華街には私が行ける映画館がほとんど無く、シネコンと昔からの小さな映画館1館だけになってしまったけれど、所謂ミニシアター向けの作品も、私はこの「オフシアター」でずいぶん見せてもらった。
【オフシアターで観た外国映画から】
『プルートで朝食を』 チラシやポスターが非常に美しく、結局1年間身近に置いて眺めていた。(観に行ってみて、それが所謂「覗き部屋」での主人公の扮装と知った時の驚き!)この主人公キトゥンと所ジョージが、どこか共通のモノを感じさせるという話が出たのを思い出す。『ヘドヴィク・アンド・アングリー・インチ』の主人公が「怒りの真実」のようなものを感じさせるとしたら、このキトゥンからは「相手を責めたくない」という「平和(優しさ?)の強靱さ」のようなものを、私は感じたのだと思う。こういう、(「女装」というような)眼で見てはっきり判る形で、「女性として生きたい」という意思を表現しているかのような人々は、その人のアイデンティティーの土台そのものを外界に曝して生きているのだ・・・と、こういう映画を観る度に思う。私のような人間には、もっとも勇気の要る生き方を選んだ人々のひとりに見えて、そもそもその勇気に私は感動するのかもしれない。
『戦場のアリア』 第一次大戦時のヨーロッパでは、まだ本来の意味でのローカル色(故国と故郷が同義語に感じられるような)が強く残っていて、どの国の兵士もその国の出身と判るような(文化を感じさせる)軍服・顔立ち・雰囲気で登場する。また、映画だから当然といえば当然ながら、兵士も将校も全体の中の一粒ではなく、皆顔があり、背景があり、しかもそれを誰かと共有できるのだ。『ジャーヘッド』などとは違う、「敵味方の顔がはっきり意識できる戦争」であり、また同じキリスト教文化をなんらかの形で共有している者同士でもある・・・ヨーロッパがEUに至るまでに、どれほど互いに殺し合い、一方で「同じ基盤を持つもの同士の連帯感」を養ったかを、異邦人の私も美しいミサの歌声の中で考えさせられた。第一次大戦を背景にする映画はほとんどいつも、私に「ヨーロッパ」を考えさせる。
『幸せのポートレート』 ヒロインの臆病さからくるトンガリ方に、なんとなく親近感?を持ってしまった。それにしても、「ニューヨークのキャリア・ウーマン」というと、こういう女性像をよく見かける気がする。(ほんとにこういう女性が珍しくないのかなあ・・・実際には「キャリア」を成功させにくい人だと思うんだけど。)
『愛しきベイルート/アラブの歌姫』『ラミアの白い凧』 県立美術館主催の「レバノン映画上映会」のプログラムの中から。私はレバノンという国名が一時期地図から消えかけているような印象を持ったことがある。なのに、それほどのことが起きていた時でさえ、レバノンという国のことは、たとえばベイルートといった都市名でしか知らないし、そのベイルートのことですら「日常」など全く知らない。こういう上映会に行くと、「映画でしか知ることのない」日常の風景を見るだけでも、私にとっては新鮮な体験になる・・・といつも思う。
『王子と踊り子』 商店街のアーケードで、 深々と冷え込んでくる中、それでもたくさんの人たちと一緒に、M・モンローのコメディエンヌとしての才能を堪能した。私はこの人を見ると、いつもカポーティーの短編(「うつくしい子供」)を思い出す。昔々から大好きな女優さんの一人。
『麦の穂をゆらす風』 家族4人が別々に観に行った作品。画面の色調が、アイルランドの霧と相俟って戦闘場面ですら非常に美しく、全体として上質の舞台劇を観たような印象が残った。後から主催者の掲示板に、「この頃までの戦争は、少なくとも『相手の顔が見えていた』のに、今世界の各地で起きている戦争は、もう相手が何者かも判らない、もっと殺伐として救いが無いもののような気がする。」などと書いた記憶もある。この映画では家族、友人、同胞といったものの描き方がとても暖かいせいもあって、「顔の見えていた時代」をいとおしくさえ思うような感慨を私に感じさせたのだ。(映画の作り手にとっては、不本意な受け取り方かもしれない。)しかし、それとは別に、私は終盤、ある人(司祭?)が演壇で、「我々は、今初めて、富を手に暮らせるようになったのだ!」と叫ぶのを聞いた時、突然涙が込み上げてきて、自分でも驚いた。『父親たちの星条旗』の中で、若い兵士たちが「英雄」として、セレモニー会場であるスタジアムに入場する際、沸きあがった大声援、拍手の渦を聞いた瞬間と、おそらく同じ「突然の涙」・・・。「この声、この思い、こういう人たちの(正直で素直で悪気など全く無い)善意と団結が、あの若い人たちを戦場で殺している・・・。」というあの時の実感と共通のものが、私を泣かせるのだと判った。私がその場に居たら、私の正直な本音は、きっとこの叫んでいる人と同じ側にあるだろう(そして、若い彼らに殺し合いを強いるだろう)という事を、それも「実感」として明るみに出す力があるため、こういった映画は私にとって、とても辛いものがあるのだと思う。(20代の友人は「この監督の映画は、まだ『近すぎ』て、エンタテインメントとして見られない。そう受け止めるだけの器量が、まだできていないんだ。」と言っていたけれど、50代になっても私なんかそれほど変わっていない気がする。)
『太陽』 色調が抑えられ、画面が暗いにもかかわらず、内容もおそらく関与しての、一種独特の「美しい」映画を観た印象が残った。特に、東京大空襲のシーンのあの美しさ。何と言っていいかわからない、複雑な(そのくせどこか陶然となるような)奇妙な感動は、この映画が外国の監督の作ったものだからなのだろう。そもそも冒頭から、私は昭和天皇という人を、映画(つまりドラマ)の主人公として観ることなど、予想もしていなかったのに気づき、愕然とした。歴史上の人物の誰がドラマになっても不思議とは思わないのに、私はこの人についてだけは、考えたこともなかったのだと。「一人の人間として見たなら、彼はこういう人だったのだろうか・・・」とでもいうような監督の優しい目線は、イーストウッド監督の「硫黄島」二部作同様、歳月(或いは「豊かになる」こと?)の意味を、私に考えさせたと思う。
『カポーティ』 これは去年1年間で、最も不可解な気持ちを私に残した映画の1本だった。映画自体は「書く(表現する)」人間の冷酷・狡猾さを、実在のカポーティという作家とその代表作とされている「冷血」を素材にして作られている。自分の創作のためには、自分以外の人間を犠牲にすることも厭わない・・・という、作家の性とか業とでもいうべき内容を、非常に静かな語り口で、時には美しい風景さえ伴って描いている作品だ。だから、これがカポーティ(と「冷血」)を扱っているのでなかったら、私はこの映画を普段どおりに観て、さまざまなことを考えただろう。困るのは、私が実在のあのカポーティという作家に、自分でもあまり意識したことの無い親近感のようなモノを感じているのに、映画を見ている途中から気づいたことだ。(おまけに、私は彼の小説の中で「冷血」だけは、どこがいいのか今でもワカラナイときている。)この映画のカポーティは、外見もおそらくは喋り方その他も実物に良く似ていて、しかもインタビューの仕方!もこうだったのだろう・・・と思わせるくらい、好演している。カポーティにあったであろう背筋の凍るようなモノを、恐ろしいほど上手く演じていると思う。それなのに、なぜか「私の中にいるカポーティー」のエッセンスとでもいうべきものが、すっぽりキレイに抜け落ちているのだ。まるで、ソンナモノは元々無いと断言されてでもいるかのように。『カメレオンのための音楽』などの短編集の中に見られる、おそらくは生来の「観察者」であり「インタビュアー」でもあったこの人の非常に柔らかいモノが、「精神的な未熟さ、身勝手さ」としか描かれていないように見えて、私は居心地が悪かった・・・などと20代の友人にボヤいていたら、あなたはその作家に本当に思い入れがあるんだとニッコリされた。そう、どこかで同類とでも感じているのかもしれない。映画の中でどんな風に扱われようと、文句を言う家族もいそうにないし、無理ないか・・・と思ったら、これはこれで、この人の面目躍如!本望なのかもしれないという気もしてきた。(映画自体とあまりに関係ない感想に、ボー然。)
『みえない雲』 ハリウッドとは全く別物の「パニック」描写。ジャンルを尋ねられた監督が「災害描写とドラマから成る叙事詩」と答えたというのも分かる気がする。平和な日常があっという間に戦場になる、その速さと逃げようの無さに手加減が無いのと対照的に、10代の男の子と女の子(ドイツでは18歳で成人扱いになるらしいけど)の初めての恋の描き方が初々しくて新鮮。放射能の急性障害を強調しすぎている(慢性障害はより深刻かもしれない?)と思うけれど、それはドラマとは別の問題。私にとっては、久々の「ドイツ語の海」、久方ぶりのヨーロッパの(あの、長年にわたって人の手が掛けられてきた)風景だった。
『ヘンダーソン婦人の贈り物』 観た後のアンケートに「オトナの男と女の友情?が良かった。」と書いた記憶がある。自転車で川に落っこちたところをスカウトされた女性のヌードがとても美しく、いろいろな意味でいかにもイギリスと感じさせる映画。
『オーロラ』 王妃を演じた女優さんが魅力的。王女役の若いバレリーナの踊りを見ながら、「教則本と表現力とは全く別物」ということを再確認させられた作品。
『リトル・ミス・サンシャイン』 正に、本場アメリカ!のロード・ムービー。なんだか「とらや(男はつらいよ)」のみんなでロード・ムービーをやってるような感じなんだけど、違うのは、構成員が(少女以外)どの一人をとっても置かれた立場がバラバラというか、グループに分かれたり徒党?を組んだりが、まずあり得ないような設定になっていること。(私の考える「幸せな家族」の理想??を見てるような気も。)10代曰く、「ボクも、『負け組』がハッピーになる話は好きです(笑)。」
『サラバンド』 この映画の監督は、人の心理の本当に細かい部分まで、よくよく理解して、しかもそれを映像化できる人なのだと思う。ただ、普段はそういうことをあまり意識しない私が、珍しくも「これはあくまで、男性から見た風景だな・・・」と強く感じたのが、自分でも意外で印象に残っている。
『華麗なる恋の舞台で』 原題( Being Julia )が、まさにこの映画の内容を言い表していると思った。私はどこかで、この映画の女主人公のような「迷いのない」?人生を羨んでいるところがあるのかもしれない。自分の実人生における苦しみ、悲しみ、迷いその他、ありとあらゆることが「舞台の上に結晶して、初めて完成する」という生き方・・・。劇場の内も外も、偽りも真実も。「結晶」させることができなくなったら、それは文字通り「死」を意味するのかもしれなくても。
『クリムト』 「絵」としての美しさが不足しているのが残念だったけど、退屈せずに観た。どこかこぢんまりとして、ちょっとショボイ?感じの「職人」クリムトを、J・マルコビッチが好演。
『トランスアメリカ』 人間は、案外(想像以上に?)たくましい生き物なんだ・・・というのが、この映画を観た直後の正直な感想だった。(人間同士の間で、あれほどの裏切り方というのもめったにないことのような気がして、最後どういう形で終わるのかと。)主人公(トランスセクシュアル)を演じたフェリシティ・ハフマンと、その息子(ストリート・ボーイ)役のケヴィン・ゼガーズがどちらも名演・好演。とても魅力的。
『今宵、フィッツジェラルド劇場で』 観終わって、晩年のアルトマン監督がアカデミー賞の席でしたスピーチを思い出した。「・・・・・映画を作るのに飽きることはない。1本作る度に、世界に対する愛と理解が深まる。」その時の言葉通りの最後の作品になったと思う。ステージに立つ、或いはそれを観る(聴く)、それも「天使が見える年齢になった」オトナたちに対するエール!のような作品だった。
『善き人のためのソナタ』 これは、私にとっては「映画を観る醍醐味」のようなものを久々に感じさせてくれた、貴重な作品の1本。新鮮な題材、よく練り上げられた脚本、穏やかのな色調、静かな雰囲気、物語の進行を全く邪魔しない音楽の良さ、そして何よりキャストの良さ・・・などなど。(しかも、なぜか私自身と全く重なるところの無い物語なので、100パーセント「楽しむため」に観ていられる安心感。)冒頭、旧東独の国家保安省局員である主人公が、大学で尋問の仕方!を講義している場面からはじまるのだが、私はこの地味でいかにも真面目そうな局員の瞳の繊細さに、非常に驚いた。この瞳はこの人の仕事には合っていない・・・と、強く感じたのだ。実際、物語はその後、この「目の前の現実や現世での利害以外の、もっと広い世界に心惹かれるような資質を感じさせる」瞳に相応しい方向へと、この人が導かれていくことになる。まるで中学生(それも、もしかしたら旧制中学のような)くらいの男の子が、未知なる世界に出会った時、「知る」前にはもう戻れなくなってしまうように、主人公の人生は急激に変化していく・・・私はそういう方向から、この映画を観たのだと思う。でも、どの登場人物に惹かれるかによって、この作品の楽しみ方は本当に人様々になるんだろうな・・・という予感が、観た直後からしたくらい、他の登場人物たちもそれぞれ適役で、魅力的だと思った。物語は、山場を越えてからも、かなり続く。それが決して、無駄に長くは感じられないのは、エンディングがあまりに良いからだ。劇作家は元局員に声をかけずに去る。そして、元局員は最後の本屋のシーンで、英語で!最高のひと言を口にする。映画に抵抗の無い方になら、たぶん誰にでも勧められる(と、少なくとも私は思った)珍しい作品だった。
『サン・ジャックへの道』 とにかく「私もああいう風に、ずーっと歩きたい!」、つまり観た人が「ああいう巡礼」に出たくなるような映画。いかにもフランス、と思わせるような「一筋縄ではいかないような」ニュアンスも感じさせて、楽しかった。
『恋愛睡眠のすすめ』 私は同じ監督の『エターナル・サンシャイン』の方が、やっぱり好きかも。ただ、この映画のチラシには「切なくもハッピーなラスト」とあったけれど、私の眼にはちょっと苦味の勝ったエンディングに見えた。(勘違いなのかな~)
『約束の旅路』 私は、エチオピアにソロモン王とシバの女王の末裔というユダヤ教徒の人たちがいることも、まして80年代にその人たちをイスラエルに移送するという計画(その名も「モーセ作戦」!)が実行されたことも、全く知らなかった。この映画は、ユダヤ教徒ではない9歳のエチオピア人の男の子が、母親に命じられてそうと偽り、飢饉の中、命からがら辿りついたスーダンの難民キャンプから、他のエチオピア人ユダヤ教徒たちと共に、たった一人でイスラエルへと脱出する・・・というところから物語が始まっている。正直言って、私は子ども(や若い人)が、これほど激しい葛藤の中で育っていくのを、映画としては観た記憶が無いような気がする。自分の本当の名前はもちろん、実の母親や家族を口にすることは出来ず、教わったことも無い教義や生活習慣を当然知っているものと期待され、肌の色から始まって外見が周囲の人たちとは全く異なり、差別も受け、最初は言葉もよく解らない中、秘密を抱えて、突然付けられた名前で、全く知らない別の人間として生きていかなければならない・・・。しかもその後、彼は難民キャンプで、自分のせいで実の兄が殺されたと思い込んでいるのも明らかになる。この先、一体どうなるんだろう・・・と思いながらの2時間半は、全く長いと感じさせなかった。私がこの映画で一番強い印象を受けたのは、彼の3人の母親のことだ。厳しい表情で、彼を無理やりユダヤ教徒たちの列へと追いやった生母。しかも彼女は、「何者かになるまで、帰ってきてはいけない。」と、彼に言い渡す。(その後、彼は生母の方からの連絡を受け取ることは無かったように見えた。)一目で事情を察し、彼を亡くなった自分の息子と偽ってイスラエルに同行し、「別人になること」を教えた名目上の母親は、ユダヤ教徒として生きることが、彼の実母の望みでもあるのだと言い、間もなく病死する。そして、3番目に彼の前に現れたのが、その後彼を支えてくれた愛情深い養母だった。が、その養母は、成人し一旦家を離れる彼に、自分は彼を養子にする時、実は反対したのだと打ち明ける・・・。長々とこうして書いていて、改めて思うのだけれど、私はこの養母の真似だけは絶対自分には出来ないと思う。生母の「決断」(それは、ただ子どもに命永らえてほしいというのではなく、キャンプにいる難民たちを見て、このままでは人間としての誇りも尊厳も子どもに教えることが出来ないと考えた上でのことだ)も、義母の行動も、私は切羽詰ったああいう状況でなら、こんな自分にでももしかしたら出来るかもしれないと思う。が、養母のような聡明さ、本当の意味での愛情深さは、自分に最も欠けているもののひとつだと、映画を観ながら痛切に思った。この映画は、あまりに複雑で苛酷な現実の中で、しかし、だからこそ寧ろ人間同士は理解し合うことができて、人生には必ず解決への道が開けるのだとでもいうような、非常に前向きで暖かいものを感じさせる。奇跡のようなラストがあっても無くても、地縁も血縁も無い全くの他人がどれほど「優しい」ものかということを感じさせてくれて、生母の決断を「それで良かったのだ」と思わせる形で、映画が終わったのが本当に嬉しかった。
(ここまで書いて、このブログの記事の字数制限にそろそろ引っ掛かることが判った。あちこち調べてみても判らなかった制限字数が判って嬉しい(笑)。続きは次の記事で書くことにします。読みづらくてゴメンナサイ。)
一昨年9月の姉の「うつ病発症」がきっかけになって、私までこの歳で、自分のアイデンティティー?なるものを改めて考えさせられるハメになってしまった。人生ってほんとに、突然何が降ってくるかワカラナイものなんだということを、今シミジミ感じている。「これはこれでいい機会だから・・・」というのも、「今更なんでコンナコトに・・・」というのも、ちょっと違う気がする。今の私には、ただ「来るべきものが(やっぱり)来た。」といった感じがするだけだ。
そんな身辺の事情が、当然「映画を観る」ことにも影響した。
去年1年間にスクリーンで観た映画は、メモによると109本となっているけれど、このブログにも感想はほとんど書いていない。オフシアターで63本(外国35日本28)、映画館で46本(外国31日本15)、2006年と比べると10本くらい少ないだけなのだけれど、大半が頭を素通りしてしまったような印象がある。
ただ単に「すぐに忘れてしまうのが残念」というだけでなく、頭が何か(漠然として何がなんだかワカラナイような曖昧模糊としたモノ)で満杯になっている、その表面を「映画」が滑り落ちていくだけ・・・といった感じは、つくづく情けなく、ツマラナイ。毎年のことながら、観るつもりで楽しみにしていて、結局エネルギー不足で行けなかった映画も何本かある。
それでも、例によって「1ヶ月以上、抱えて暮らした」作品もあった。(『プルートで朝食を』、『カポーティ』、『善き人のためのソナタ』、『約束の旅路』、『今宵フィッツジェラルド劇場で』『マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して』などなど。)それらについては、少しでも自分なりの感想が書きたかったけれど、結局どれも書けなかった。時間はあるのに・・・と思うと、歯がゆいというか悔しいというか。『善き人』などは、自分の感想を書いてからでないと読みに行くわけにいかない(と過去の経験から思う)ある掲示板での談義のまとめもあったので、何のことは無い、そこへは未だに読みに行ってないままだ。
なんだか(映画に関しては)バカみたいな1年だったな~と、つい思いそうになるけれど、ここまで書いてみて実際はそうでもなかったのに、たった今気がついた。
考えてみると、去年は私にとっては「ドキュメンタリー」の年でもあった。美術館が「アート・ドキュメンタリー」作品の特集をしてくれたり、映画館でムーアさんやゴア氏に会ったり、ほとんど諦めていた『ヒロシマナガサキ』も観ることができた。テレビ画面ではなくスクリーンでドキュメンタリーを観ることの意味を、鮮やかに教えてくれた作品もある。不思議と言うか当然と言うか、それらは少数を除いて「シネコン」からは遠い、「オフシアター」だから観られた映画だったと改めて思う。
ここで言う「オフシアター」とは、「映画館以外で上映された」という意味だ。2007年高知では、オフシアターだけで、外国映画・日本映画合わせて150本くらい上映されている。
高知は以前から自主上映が盛んなところで、いろいろなグループが毎月どこかで上映会をしている。それ以外にも、市や県や或いは県立美術館その他の主催で、さまざまな映画を比較的安価に観ることができる。今では、街中の繁華街には私が行ける映画館がほとんど無く、シネコンと昔からの小さな映画館1館だけになってしまったけれど、所謂ミニシアター向けの作品も、私はこの「オフシアター」でずいぶん見せてもらった。
【オフシアターで観た外国映画から】
『プルートで朝食を』 チラシやポスターが非常に美しく、結局1年間身近に置いて眺めていた。(観に行ってみて、それが所謂「覗き部屋」での主人公の扮装と知った時の驚き!)この主人公キトゥンと所ジョージが、どこか共通のモノを感じさせるという話が出たのを思い出す。『ヘドヴィク・アンド・アングリー・インチ』の主人公が「怒りの真実」のようなものを感じさせるとしたら、このキトゥンからは「相手を責めたくない」という「平和(優しさ?)の強靱さ」のようなものを、私は感じたのだと思う。こういう、(「女装」というような)眼で見てはっきり判る形で、「女性として生きたい」という意思を表現しているかのような人々は、その人のアイデンティティーの土台そのものを外界に曝して生きているのだ・・・と、こういう映画を観る度に思う。私のような人間には、もっとも勇気の要る生き方を選んだ人々のひとりに見えて、そもそもその勇気に私は感動するのかもしれない。
『戦場のアリア』 第一次大戦時のヨーロッパでは、まだ本来の意味でのローカル色(故国と故郷が同義語に感じられるような)が強く残っていて、どの国の兵士もその国の出身と判るような(文化を感じさせる)軍服・顔立ち・雰囲気で登場する。また、映画だから当然といえば当然ながら、兵士も将校も全体の中の一粒ではなく、皆顔があり、背景があり、しかもそれを誰かと共有できるのだ。『ジャーヘッド』などとは違う、「敵味方の顔がはっきり意識できる戦争」であり、また同じキリスト教文化をなんらかの形で共有している者同士でもある・・・ヨーロッパがEUに至るまでに、どれほど互いに殺し合い、一方で「同じ基盤を持つもの同士の連帯感」を養ったかを、異邦人の私も美しいミサの歌声の中で考えさせられた。第一次大戦を背景にする映画はほとんどいつも、私に「ヨーロッパ」を考えさせる。
『幸せのポートレート』 ヒロインの臆病さからくるトンガリ方に、なんとなく親近感?を持ってしまった。それにしても、「ニューヨークのキャリア・ウーマン」というと、こういう女性像をよく見かける気がする。(ほんとにこういう女性が珍しくないのかなあ・・・実際には「キャリア」を成功させにくい人だと思うんだけど。)
『愛しきベイルート/アラブの歌姫』『ラミアの白い凧』 県立美術館主催の「レバノン映画上映会」のプログラムの中から。私はレバノンという国名が一時期地図から消えかけているような印象を持ったことがある。なのに、それほどのことが起きていた時でさえ、レバノンという国のことは、たとえばベイルートといった都市名でしか知らないし、そのベイルートのことですら「日常」など全く知らない。こういう上映会に行くと、「映画でしか知ることのない」日常の風景を見るだけでも、私にとっては新鮮な体験になる・・・といつも思う。
『王子と踊り子』 商店街のアーケードで、 深々と冷え込んでくる中、それでもたくさんの人たちと一緒に、M・モンローのコメディエンヌとしての才能を堪能した。私はこの人を見ると、いつもカポーティーの短編(「うつくしい子供」)を思い出す。昔々から大好きな女優さんの一人。
『麦の穂をゆらす風』 家族4人が別々に観に行った作品。画面の色調が、アイルランドの霧と相俟って戦闘場面ですら非常に美しく、全体として上質の舞台劇を観たような印象が残った。後から主催者の掲示板に、「この頃までの戦争は、少なくとも『相手の顔が見えていた』のに、今世界の各地で起きている戦争は、もう相手が何者かも判らない、もっと殺伐として救いが無いもののような気がする。」などと書いた記憶もある。この映画では家族、友人、同胞といったものの描き方がとても暖かいせいもあって、「顔の見えていた時代」をいとおしくさえ思うような感慨を私に感じさせたのだ。(映画の作り手にとっては、不本意な受け取り方かもしれない。)しかし、それとは別に、私は終盤、ある人(司祭?)が演壇で、「我々は、今初めて、富を手に暮らせるようになったのだ!」と叫ぶのを聞いた時、突然涙が込み上げてきて、自分でも驚いた。『父親たちの星条旗』の中で、若い兵士たちが「英雄」として、セレモニー会場であるスタジアムに入場する際、沸きあがった大声援、拍手の渦を聞いた瞬間と、おそらく同じ「突然の涙」・・・。「この声、この思い、こういう人たちの(正直で素直で悪気など全く無い)善意と団結が、あの若い人たちを戦場で殺している・・・。」というあの時の実感と共通のものが、私を泣かせるのだと判った。私がその場に居たら、私の正直な本音は、きっとこの叫んでいる人と同じ側にあるだろう(そして、若い彼らに殺し合いを強いるだろう)という事を、それも「実感」として明るみに出す力があるため、こういった映画は私にとって、とても辛いものがあるのだと思う。(20代の友人は「この監督の映画は、まだ『近すぎ』て、エンタテインメントとして見られない。そう受け止めるだけの器量が、まだできていないんだ。」と言っていたけれど、50代になっても私なんかそれほど変わっていない気がする。)
『太陽』 色調が抑えられ、画面が暗いにもかかわらず、内容もおそらく関与しての、一種独特の「美しい」映画を観た印象が残った。特に、東京大空襲のシーンのあの美しさ。何と言っていいかわからない、複雑な(そのくせどこか陶然となるような)奇妙な感動は、この映画が外国の監督の作ったものだからなのだろう。そもそも冒頭から、私は昭和天皇という人を、映画(つまりドラマ)の主人公として観ることなど、予想もしていなかったのに気づき、愕然とした。歴史上の人物の誰がドラマになっても不思議とは思わないのに、私はこの人についてだけは、考えたこともなかったのだと。「一人の人間として見たなら、彼はこういう人だったのだろうか・・・」とでもいうような監督の優しい目線は、イーストウッド監督の「硫黄島」二部作同様、歳月(或いは「豊かになる」こと?)の意味を、私に考えさせたと思う。
『カポーティ』 これは去年1年間で、最も不可解な気持ちを私に残した映画の1本だった。映画自体は「書く(表現する)」人間の冷酷・狡猾さを、実在のカポーティという作家とその代表作とされている「冷血」を素材にして作られている。自分の創作のためには、自分以外の人間を犠牲にすることも厭わない・・・という、作家の性とか業とでもいうべき内容を、非常に静かな語り口で、時には美しい風景さえ伴って描いている作品だ。だから、これがカポーティ(と「冷血」)を扱っているのでなかったら、私はこの映画を普段どおりに観て、さまざまなことを考えただろう。困るのは、私が実在のあのカポーティという作家に、自分でもあまり意識したことの無い親近感のようなモノを感じているのに、映画を見ている途中から気づいたことだ。(おまけに、私は彼の小説の中で「冷血」だけは、どこがいいのか今でもワカラナイときている。)この映画のカポーティは、外見もおそらくは喋り方その他も実物に良く似ていて、しかもインタビューの仕方!もこうだったのだろう・・・と思わせるくらい、好演している。カポーティにあったであろう背筋の凍るようなモノを、恐ろしいほど上手く演じていると思う。それなのに、なぜか「私の中にいるカポーティー」のエッセンスとでもいうべきものが、すっぽりキレイに抜け落ちているのだ。まるで、ソンナモノは元々無いと断言されてでもいるかのように。『カメレオンのための音楽』などの短編集の中に見られる、おそらくは生来の「観察者」であり「インタビュアー」でもあったこの人の非常に柔らかいモノが、「精神的な未熟さ、身勝手さ」としか描かれていないように見えて、私は居心地が悪かった・・・などと20代の友人にボヤいていたら、あなたはその作家に本当に思い入れがあるんだとニッコリされた。そう、どこかで同類とでも感じているのかもしれない。映画の中でどんな風に扱われようと、文句を言う家族もいそうにないし、無理ないか・・・と思ったら、これはこれで、この人の面目躍如!本望なのかもしれないという気もしてきた。(映画自体とあまりに関係ない感想に、ボー然。)
『みえない雲』 ハリウッドとは全く別物の「パニック」描写。ジャンルを尋ねられた監督が「災害描写とドラマから成る叙事詩」と答えたというのも分かる気がする。平和な日常があっという間に戦場になる、その速さと逃げようの無さに手加減が無いのと対照的に、10代の男の子と女の子(ドイツでは18歳で成人扱いになるらしいけど)の初めての恋の描き方が初々しくて新鮮。放射能の急性障害を強調しすぎている(慢性障害はより深刻かもしれない?)と思うけれど、それはドラマとは別の問題。私にとっては、久々の「ドイツ語の海」、久方ぶりのヨーロッパの(あの、長年にわたって人の手が掛けられてきた)風景だった。
『ヘンダーソン婦人の贈り物』 観た後のアンケートに「オトナの男と女の友情?が良かった。」と書いた記憶がある。自転車で川に落っこちたところをスカウトされた女性のヌードがとても美しく、いろいろな意味でいかにもイギリスと感じさせる映画。
『オーロラ』 王妃を演じた女優さんが魅力的。王女役の若いバレリーナの踊りを見ながら、「教則本と表現力とは全く別物」ということを再確認させられた作品。
『リトル・ミス・サンシャイン』 正に、本場アメリカ!のロード・ムービー。なんだか「とらや(男はつらいよ)」のみんなでロード・ムービーをやってるような感じなんだけど、違うのは、構成員が(少女以外)どの一人をとっても置かれた立場がバラバラというか、グループに分かれたり徒党?を組んだりが、まずあり得ないような設定になっていること。(私の考える「幸せな家族」の理想??を見てるような気も。)10代曰く、「ボクも、『負け組』がハッピーになる話は好きです(笑)。」
『サラバンド』 この映画の監督は、人の心理の本当に細かい部分まで、よくよく理解して、しかもそれを映像化できる人なのだと思う。ただ、普段はそういうことをあまり意識しない私が、珍しくも「これはあくまで、男性から見た風景だな・・・」と強く感じたのが、自分でも意外で印象に残っている。
『華麗なる恋の舞台で』 原題( Being Julia )が、まさにこの映画の内容を言い表していると思った。私はどこかで、この映画の女主人公のような「迷いのない」?人生を羨んでいるところがあるのかもしれない。自分の実人生における苦しみ、悲しみ、迷いその他、ありとあらゆることが「舞台の上に結晶して、初めて完成する」という生き方・・・。劇場の内も外も、偽りも真実も。「結晶」させることができなくなったら、それは文字通り「死」を意味するのかもしれなくても。
『クリムト』 「絵」としての美しさが不足しているのが残念だったけど、退屈せずに観た。どこかこぢんまりとして、ちょっとショボイ?感じの「職人」クリムトを、J・マルコビッチが好演。
『トランスアメリカ』 人間は、案外(想像以上に?)たくましい生き物なんだ・・・というのが、この映画を観た直後の正直な感想だった。(人間同士の間で、あれほどの裏切り方というのもめったにないことのような気がして、最後どういう形で終わるのかと。)主人公(トランスセクシュアル)を演じたフェリシティ・ハフマンと、その息子(ストリート・ボーイ)役のケヴィン・ゼガーズがどちらも名演・好演。とても魅力的。
『今宵、フィッツジェラルド劇場で』 観終わって、晩年のアルトマン監督がアカデミー賞の席でしたスピーチを思い出した。「・・・・・映画を作るのに飽きることはない。1本作る度に、世界に対する愛と理解が深まる。」その時の言葉通りの最後の作品になったと思う。ステージに立つ、或いはそれを観る(聴く)、それも「天使が見える年齢になった」オトナたちに対するエール!のような作品だった。
『善き人のためのソナタ』 これは、私にとっては「映画を観る醍醐味」のようなものを久々に感じさせてくれた、貴重な作品の1本。新鮮な題材、よく練り上げられた脚本、穏やかのな色調、静かな雰囲気、物語の進行を全く邪魔しない音楽の良さ、そして何よりキャストの良さ・・・などなど。(しかも、なぜか私自身と全く重なるところの無い物語なので、100パーセント「楽しむため」に観ていられる安心感。)冒頭、旧東独の国家保安省局員である主人公が、大学で尋問の仕方!を講義している場面からはじまるのだが、私はこの地味でいかにも真面目そうな局員の瞳の繊細さに、非常に驚いた。この瞳はこの人の仕事には合っていない・・・と、強く感じたのだ。実際、物語はその後、この「目の前の現実や現世での利害以外の、もっと広い世界に心惹かれるような資質を感じさせる」瞳に相応しい方向へと、この人が導かれていくことになる。まるで中学生(それも、もしかしたら旧制中学のような)くらいの男の子が、未知なる世界に出会った時、「知る」前にはもう戻れなくなってしまうように、主人公の人生は急激に変化していく・・・私はそういう方向から、この映画を観たのだと思う。でも、どの登場人物に惹かれるかによって、この作品の楽しみ方は本当に人様々になるんだろうな・・・という予感が、観た直後からしたくらい、他の登場人物たちもそれぞれ適役で、魅力的だと思った。物語は、山場を越えてからも、かなり続く。それが決して、無駄に長くは感じられないのは、エンディングがあまりに良いからだ。劇作家は元局員に声をかけずに去る。そして、元局員は最後の本屋のシーンで、英語で!最高のひと言を口にする。映画に抵抗の無い方になら、たぶん誰にでも勧められる(と、少なくとも私は思った)珍しい作品だった。
『サン・ジャックへの道』 とにかく「私もああいう風に、ずーっと歩きたい!」、つまり観た人が「ああいう巡礼」に出たくなるような映画。いかにもフランス、と思わせるような「一筋縄ではいかないような」ニュアンスも感じさせて、楽しかった。
『恋愛睡眠のすすめ』 私は同じ監督の『エターナル・サンシャイン』の方が、やっぱり好きかも。ただ、この映画のチラシには「切なくもハッピーなラスト」とあったけれど、私の眼にはちょっと苦味の勝ったエンディングに見えた。(勘違いなのかな~)
『約束の旅路』 私は、エチオピアにソロモン王とシバの女王の末裔というユダヤ教徒の人たちがいることも、まして80年代にその人たちをイスラエルに移送するという計画(その名も「モーセ作戦」!)が実行されたことも、全く知らなかった。この映画は、ユダヤ教徒ではない9歳のエチオピア人の男の子が、母親に命じられてそうと偽り、飢饉の中、命からがら辿りついたスーダンの難民キャンプから、他のエチオピア人ユダヤ教徒たちと共に、たった一人でイスラエルへと脱出する・・・というところから物語が始まっている。正直言って、私は子ども(や若い人)が、これほど激しい葛藤の中で育っていくのを、映画としては観た記憶が無いような気がする。自分の本当の名前はもちろん、実の母親や家族を口にすることは出来ず、教わったことも無い教義や生活習慣を当然知っているものと期待され、肌の色から始まって外見が周囲の人たちとは全く異なり、差別も受け、最初は言葉もよく解らない中、秘密を抱えて、突然付けられた名前で、全く知らない別の人間として生きていかなければならない・・・。しかもその後、彼は難民キャンプで、自分のせいで実の兄が殺されたと思い込んでいるのも明らかになる。この先、一体どうなるんだろう・・・と思いながらの2時間半は、全く長いと感じさせなかった。私がこの映画で一番強い印象を受けたのは、彼の3人の母親のことだ。厳しい表情で、彼を無理やりユダヤ教徒たちの列へと追いやった生母。しかも彼女は、「何者かになるまで、帰ってきてはいけない。」と、彼に言い渡す。(その後、彼は生母の方からの連絡を受け取ることは無かったように見えた。)一目で事情を察し、彼を亡くなった自分の息子と偽ってイスラエルに同行し、「別人になること」を教えた名目上の母親は、ユダヤ教徒として生きることが、彼の実母の望みでもあるのだと言い、間もなく病死する。そして、3番目に彼の前に現れたのが、その後彼を支えてくれた愛情深い養母だった。が、その養母は、成人し一旦家を離れる彼に、自分は彼を養子にする時、実は反対したのだと打ち明ける・・・。長々とこうして書いていて、改めて思うのだけれど、私はこの養母の真似だけは絶対自分には出来ないと思う。生母の「決断」(それは、ただ子どもに命永らえてほしいというのではなく、キャンプにいる難民たちを見て、このままでは人間としての誇りも尊厳も子どもに教えることが出来ないと考えた上でのことだ)も、義母の行動も、私は切羽詰ったああいう状況でなら、こんな自分にでももしかしたら出来るかもしれないと思う。が、養母のような聡明さ、本当の意味での愛情深さは、自分に最も欠けているもののひとつだと、映画を観ながら痛切に思った。この映画は、あまりに複雑で苛酷な現実の中で、しかし、だからこそ寧ろ人間同士は理解し合うことができて、人生には必ず解決への道が開けるのだとでもいうような、非常に前向きで暖かいものを感じさせる。奇跡のようなラストがあっても無くても、地縁も血縁も無い全くの他人がどれほど「優しい」ものかということを感じさせてくれて、生母の決断を「それで良かったのだ」と思わせる形で、映画が終わったのが本当に嬉しかった。
(ここまで書いて、このブログの記事の字数制限にそろそろ引っ掛かることが判った。あちこち調べてみても判らなかった制限字数が判って嬉しい(笑)。続きは次の記事で書くことにします。読みづらくてゴメンナサイ。)
拙サイトの『善き人のためのソナタ』談義の編集再録を忘れずに読みに来てくださり、ありがとうございました。
こちらで列挙しておいでの作品群をみて僕も随分と観逃していることに改めて気づきました。『プルートで朝食を』『愛しきベイルート/アラブの歌姫』『ラミアの白い凧』『王子と踊り子』『オーロラ』『リトル・ミス・サンシャイン』『恋愛睡眠のすすめ』 去年、170本観たのに、これほどオフシアター上映作を見落としていると、オフシアターベストテン選考会事務局長を降りなきゃな~(笑)。
ヤマさんは、「ヒマだけど頭の容量がネックになる」私とは、ちょうど反対の立場のような感じ(勝手な推測)。
それにしても、『善き人』談義は、本当に面白かった。ナイショの話ですが、あれを見に行きたくて一生懸命ここで書いてたような気も・・・(ヒソヒソ)。(『ゆれる』談義で、ハマったのかもしれません。)
来て下さって、本当にありがとう。とってもとっても嬉しい!!です。ベストテン選考会も、また10代と一緒にお世話になります。どうぞよろしくお願いします。
ここにある中で私が観たものと言えば「トランスアメリカ」だけです。
これだけの映画を観た人と観てない人とで、何かがやっぱり違ってくるんだろうな~、などと馬鹿な事を考えたりしてます。(^^)
ムーマさんや娘のおかげで、少~しだけ映画が好きになってきました。
「ミリキタニの猫」を娘と一緒に観に行くつもりです♪
>これだけの映画を観た人と観てない人とで、何かがやっぱり違ってくるんだろうな~
私はいつも、chonさんの「メタル」について、おんなじことを思います(笑)。お互い好きなものがあって、ほんとに良かったですね~
『ミリキタニの猫』は、お嬢さんが観に行かれるだろうな~って思ってました。(遠いのに、自主上映にもよく来てくださってるし・・・。)chonさんも一緒なんて嬉しいな。上映して下さるあたご劇場サンに感謝しつつ、私も観にいくつもりです。