富士市を中心の郷土史

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富士市今泉の昔話(89)

2014年01月24日 15時11分34秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(89)外伝 善得寺考 霊場巡り(28)

四国霊場第69番観音寺
 順拝日 20,3,16、
 由緒等 寺伝によれば、大師は神恵院を霊場に定めた時、神功皇
     后は観世音の生まれ変わりとして聖観世音菩薩の尊像を
     刻まれ、山の中腹に7宝山観音寺を創建して尊像を安
     置し、八幡宮の別当寺として69番の霊場に定めた。
     観音寺の伽藍配置は奈良興福寺の東西金堂、中本堂の
     制に習っており、中本堂には聖観世音、西金堂には薬
     師如来と12神将、東金堂には弥勒菩薩を安置し
     ていた。
     本坊書院の庭園は、枯山水の名園で躑躅の名所として
     知られている。

 御本尊 聖観世音菩薩
 御詠歌 かんのんの だいひのちから つよければ
     おもきつみをも ひきあげてたべ





四国霊場第70番本山寺
 順拝日 20,3,16、
 由緒等 大同4年に弘法大師が建立し、天暦2年(948)に
     修理したが、その後上の4層が破損した為下の1重の
     みを修理し塔堂として残っている。本堂は大同2年
    (807)平城天皇の勅願により、弘法大師が一夜の内
     に建立したと伝えられる。
     美しい仁王門(8脚門)は久安3年(1147)の建
     立で重文。
     5重の塔は31番竹林寺と75番善通寺とこの寺の3
     か所しかない。
 御本尊 馬頭観世音菩薩
 御詠歌 もとやまに たれかうえける はななれや
     はるこそたをれ たむけにぞなる






四国霊場第71弥谷寺
 順拝日 20,3,16、
 由緒等 縁起によれば、行基菩薩が諸国を順拝の折、此の山に
     登った時、四国を始めとする備前、備中、備後、安芸
     の8国が展望出来た。そこで東の峰には阿弥陀如来、
     西の峰には釈迦如来を安置し、蓮華山八国寺と名付け
     た。
 御本尊 千手観世音菩薩
 御詠歌 あくにんと ゆきつれなんも いやだにじ
     ただかりそめも よきともぞよき




四国霊場第72番曼荼羅寺
 順拝日 20,3,16、
 由緒等 寺は弘法大師の先祖である佐伯氏の氏寺として推古4
     年(596)創建され、世坂寺と称していたが、弘法
     大師が留学後、御本尊の大日如来を勧請し、大同2年、
     金胎曼荼羅を安置し、唐の青龍寺に模して堂塔を建立
     し、寺号も我拝師山曼荼羅寺と改めた。
      境内には西行法師の「笠掛け桜」「昼寝石」がある。
 御本尊 大日如来
 
 御詠歌 わづかにも まんだらおがむ ひとはただ
     ふたたびみたび かへらざらまし





四国霊場第73番出釈迦寺
 順拝日 20,3,16、
 由緒等 伝説によれば、弘法大師が7歳の時この山に登り、「仏
     門に入り多くの人を救いたい。此の願いがかなうなら釈
     迦如来現れたまえ、もし願いがかなわぬならば1命を捨
     ててこの身を諸仏に供養する」と言って、断崖絶壁から
     谷底へ身を投げた。此の時釈迦如来と天女が現れて雲上
     に抱きしめ「一生成仏」の旨を言われた。一命を救われ、
     その願いが成就することを示された大師は、感激して釈
     迦如来の像を刻み、堂宇を建てて出釈迦寺とし、倭斯濃
     山を我拝師山に改めた。
     寺名はお釈迦さまが苦行した後、山から出てきた姿を
    「山出の釈迦」と言はれるところからきている。
 御本尊 釈迦如来
 御詠歌 まよひぬる ろくどうしゅじょう すくはんと
     とうときやまに いづるしゃかでら





「春遠からじ」の思いに庭の蝋梅が咲き始めた。3本の内1本のみ
 が花盛りの様子は「あはれ」を感ずる。






































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