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富士市今泉の昔話(160)根方街道(9)

2015年06月07日 19時21分21秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(160)根方街道(9)

根方街道慢歩の折、一時を得て天空の高野山に遊ぶ事が出来た。
家族挙げての介護を得ての贅沢旅行であった。四国88ケ所巡りの結願、56期生の戦死の兄の慰霊、卒寿の誕生祝いを兼ねての願いを果たす事が出来「有り難い」限りであった。
図らずも陸士56期生の慰霊祭が行われており、これも思はぬ多謝の内であった。
夢とも思はれる卒寿である。

    ただ多謝の卒寿高野の青嵐       壷天
    
    墓碑銘の指に涼しき高野山       稜子





高野山の多謝より再び根方街道に戻る。
記述の如く、根方街道は時代と共に南に移って居るのは図の通り。



赤線  戦国時代、善得寺城の頃推定の古道。日吉を出発点として鎌倉古道、甲州街道、根方    街道が共用されていた。
緑泉  家康が善得寺御殿を作り、今泉往還が形成された。
茶線  駿河大納言が権勢を得て、茶屋御殿を整備したと考える街道である。
    この頃より今泉往還を廃止し、吉原よりの根方街道となっている。
空線  大正に入り、藪下の道が整備され根方街道が形成された。
水線  藪下より比奈までの直線路が開設され、更に南に直線路が開設され、浜街道と合致し    ての国道1号線となった。

根方街道の変遷は、道祖神・庚申塔等の石造物を時代ごとに調査するとよいと思はれるが
後日に待ちたい。

庭に破れ傘の花が3本咲いた。しみじみ見ると面白い花である。




銀香梅、くちなしが芳香を流し始めた。



















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