富士市を中心の郷土史

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富士市今泉の昔話(16)善得寺城(2)

2012年08月14日 08時00分54秒 | 昔話
16外伝 善得寺城(2)その形
善得寺城は一般的に静岡で発見された下記の
連郭式の山城図が言はれてきた。この図には
方位が在り、縮尺が在るため現地に当てはまるべく
工夫がされてきた。此の地の郷土史の先達鈴木氏が
愛鷹山へ向けて図を適合するべく努力したもので
あるが、大空壕の適合は如何しても出来なかった
様である。
発見された善得寺城といわれる山城図を示す。
囲僥する大きな空堀が目立ち、寸法の在る
数か所が在り縮尺が推定でき現場に適合させて見れる。








鈴木氏が現場に適合させるべく努力された図を示す。
図に愛鷹山の表記が在り、そのため主軸を愛鷹山に
向けている。この城の大きさより東泉院だけでは足りず、
上和田の城山一帯に適合させているが、大空壕の
適合は出来なかった。又城の中心を示すことも
出来なかった。確信できなかったと思はれる。






鈴木氏の図に問題が考えられるため、愛鷹山の記が
富士山のミスと考え、主軸を富士山に向けて同じ
縮尺で私見を書いてみた図である。これでは城の
中心に愛鷹神社の高みが当たるが、大空壕の適合の
現地は考えられなかった。





決論的には連郭式山城図は善得寺城に当たらず、
小田原・静岡の各氏の言われるように、興国寺城
の物と思はれる。下図の様に興国寺城の試掘の
写真の空壕が在り、私見も同感である。




以下更に連郭式山城を廃し、
梯郭式平城の私見を提案したい。






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