富士市を中心の郷土史

昔話、城、寺、歴史。

富士市今泉の昔話(3)

2012年06月20日 15時55分09秒 | 昔話
3吹上周辺のその昔(3)
富士市今泉吹上のこの地は鎌倉古道を中心として尚思い出が多い。古道は三島製紙の北を通り、松原川(瀬古川)を渡り、飯森神社の東の呼び子坂を経て西進している。
大正時代に青年団の記念事業として、名勝の建碑する時呼び子坂については此処より人通りの多い清岩寺の南の場所が良いとの事にて現在の場所に建てられた。現在の呼び子坂の道は源平時代には無く、駿河大納言の別所を造る時の開設のようである。善得寺・源太坂・平家越えの碑は皆同時の物である。
飯森神社の東は整備され原田公園となっている。原田公園は松原川に沿い枝垂れ桜の名所であるが、今はオウチの花盛りである

  ほのぼのと命ありけり花オウチ(故今村波津先生の絶唱

呼び子坂は万葉の「手呼の呼び坂」であるとして建碑もあるが、根拠は無く、十王子神社付近に残る地名「呼坂」がそれと考えたい。
古道は西進して、義元に依る用水路に当たる。当時は此処に何か配水の工夫設備があったと考える。現在は使用は中止され、写真の様に廃墟となっているが、市の水道が出来るまでは立派な配水設備があり、吹上・御殿・寺市場・一の宮の生活を支えていた。
配水設備は、西に貯水タンク東に濾過設備でコンクリ製だった。寸法は正確ではないが、タンクは2m×3m深さ2m程で、波板で壁・天井を覆い雨風を防いでいた。濾過設備は同様の寸法で深さ30cmほどの水路を数条の堰板で曲折の間に、石・玉石・礫・砂・炭で逐次濾過しタンクへ流した。屋根は厚い木の板を並べていた。貯水タンクの底に御殿・吹上用と寺市場用の二本の導管が設けられ、入口部の溢流で水圧を維持していた。

  配水設備の跡地。現在も水が溢れている。遠景は「かまば」の檜山。
古道は西進して、義元に依る用水路に当たる。当時は此処に何か配水の工夫設備があったと考える。現在は使用は中止され、写真の様に廃墟となっているが、市の水道が出来るまでは立派な配水設備があり、吹上・御殿・寺市場・一の宮の生活を支えていた。
配水設備は、西に貯水タンク東に濾過設備でコンクリ製だった。寸法は正確ではないが、タンクは2m×3m深さ2m程で、波板で壁・天井を覆い雨風を防いでいた。濾過設備は同様の寸法で深さ30cmほどの水路を数条の堰板で曲折の間に、石・玉石・礫・砂・炭で逐次濾過しタンクへ流した。屋根は厚い木の板を並べていた。貯水タンクの底に御殿・吹上用と寺市場用の二本の導管が設けられ、入口部の溢流で水圧を維持していた。

  配水設備の跡地。現在も水が溢れている。遠景は「かまば」の檜山。








飯森神社の西の水路跡。すいろは土管で埋設され西側のみが野面積の石垣として残って
いる。


















最新の画像もっと見る

コメントを投稿