富士市を中心の郷土史

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富士市今泉の昔話(56)

2013年06月01日 21時49分25秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(56)外伝 善得寺考 霊場巡り(3)

観音信仰の広まりと共に、四国88所霊場巡りを願いつつ果たし得ぬ人々
に、身近に願を果たすために各地に霊場巡りの順路が設定され信仰を集め
た。
各地に願いを遂げた人々による{巡礼供養塔}が建てられている。この一
つである清岩寺の供養塔を祀りつつ、亡母も願を温めていたと思はれる。
滝川の観音様のお祭りに参じた折、御住職より駿豆横道33所霊場巡りの
話を戴き、家族の健康と家業の発展を願っての順拝を願った亡母を思い出
す。会社勤めの時間の制約より、
ボロ車ながら日曜の晴れを拾い、思えば満願に3年を要した妻・子との亡
母えの傅きの旅であった。妹等との再度に順拝の記に亡母を偲びつつ続け
て見たい。
満願の安堵の後に急逝した母に、父が満願を果たしたのにと嘆いていたと
の妹の語が身に沁みる。
(駿豆横道33所順拝)
会社を定年退職して時間の自由が得られる様に為ったため、母を偲びつつ
妹と共に再度の順拝を発心した。都合により、札所の順番にはより得な
かったが、場所を撰んでの旅程を組み、唯ただ健康の内に満願を迎える事
を願った。妹の熱意よりの記録・整理に寄っての此の度の文であり、妹の
日記の中に「父・母・兄よ旅を見守りたまへ」の記が在った。

昭和57(1982)6月27日
長谷寺   千本山長谷寺
 駿豆横道札所第13番、駿河一国札所第31番。
場所  沼津市千本
本尊  十一面観世音菩薩
宗派  時宗
由緒  天長2年(825)淳和天皇の御代に、弘法大師が勅を奉じて駿豆
    地方を巡錫中、鎮護国家の祈願道場として創建。
特記事項
     毎年4月に開帳の法要が営まれるが、其の折120反の帆布で
     作られた大観音曼荼羅の 開帳が在る。

発心の旅を沼津より始めた。千本松原の松籟に抱かれる如き御堂は厳しく、
母との順拝の折の古さを残し、新しい納経帳に願いを固めた。
御開帳の大観音曼荼羅の話に又の日を願った。

母との古い写真を思いつつ、2景を撮った。





常林寺
 駿豆横道札所第1番
 場所  三島市大中島
 本尊  聖観世音菩薩
 宗派  曹洞宗
 由緒  天正元年(1573)麒庵東麟大和尚の開山。
 特記事項
     現法堂は、昭和5年(1930)の北伊豆地震の直後に再建立
     され、山門と共に木造建築物として貴重である。
     駿豆横道の旅の起点は三島の白滝観音堂。現在の白滝公園の地
     である。明治時代に大中島(現在の広小路町)の常林寺に遷し、
     以後は此処が横道の第1番札所に為っている

三島の思い出に花火が在る。子供の頃三島の花火見物は楽しみであった。
花火は昔は三島水上の名物で、牧水の花火の短歌の碑が大社の境内にある。
 白滝公園の付近では子供の頃夏には蛍の乱舞が在った。思い出である。
 亡母は三島の生まれの為、三島の順拝の折には水上(白滝公園付近)や
広小路の思い出・名所の色々を話してくれた。母の喜びを見るのは自分の
喜びでもあった。





法華寺
 駿豆横道札所第2番
 場所  三島市東本町
 本尊  阿弥陀如来
 宗派  曹洞宗
 特記事項(てら旅美人 より)
  白鳳の時代に、此の地に大興寺と言ふ大寺が在った。此の寺は法相
宗で、智鳳法師を開祖として、五重塔2基を備えた所謂薬師寺式の7堂
伽藍が、現在地から三島大社の前あたりまで立ち並んでいた。ところが、
その後別の所に在った国分尼寺が焼失して再建できないので、此の寺を
代用国分尼寺と定めた。尼寺は別名を法華滅罪の寺とも言はれるので、
寺号が改められ法華寺と呼ばれるようになった。隣地に在った竹林寺が
廃寺に為った時、古い観音像と共に吸収し横道2番の札所と為っている。
 此の寺は元三島明神の別当を勤めた時代も有り、寺内に三島明神の
大山祇命像を奉安している。

墓地内に大きな地蔵尊が在るが、是は頼朝が旗揚げの成功を祈念して、
心経を写経して奉納した時の経塚である。又下にある石は頼朝の腰かけ
石と言はれている。


寺内には札所巡りの記念塔が何基かある。
同じ町内に生まれた母には、近くにある「言いなり地蔵」と共に思い出の
場所だった様である。






庭に大山蓮華、箱根山椒ばら が加わった。





































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