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富士市今泉の昔話(136)善得寺に関する年譜(14)

2014年12月24日 08時54分13秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(136)善徳寺に関する当地の年譜(14)
年次   西暦    事項
享保16 1731  今泉村一村一組を四組に分割。(邑宝鑑)
            東組1259石、西組703石、元組405石、
           月組314石。
延亨 2 1745  善徳寺火災。(今泉村誌)
宝暦 7 1757  末寺善徳寺在住。(清見寺資料)
宝暦12 1762  清岩寺寺域一反四畝永代供養料として拡大。
           水神堂の原田・今泉の分水整備。(原田村村誌)
宝暦13 1763  今泉代官金田伴右衛門を最後に旗本知行地(巨勢大和守)とな
           る。
明和 元 1764  古峰参公座元没。
           今泉村2950石、依田橋800石、伝法1025石、
           中里1300石、厚原1261石、その他何れも1000石
           以下
明和 5 1768  12月21日、白隠、原松蔭寺にて遷化。
明和 7 1770  頑極癡頑首座禅師没。
安永 3 1774  末寺善徳寺在住。(清見寺資料)
天明 1 1781  天明大飢饉。(天明2~8年)
天明 2 1782  清岩寺山門の扁額「冨永山」、芝増上寺の大僧正正誉上人筆が
           なる。
天明 3 1783  浅間山大噴火。
天明 5 1785  今泉村の領主巨勢より水野出羽守になる。(原田と共に)
天明 8 1788  清岩寺の沿革を記した名号塔建立。6地蔵と共に整備。
文化10 1813  拙翁到公座元没。(善徳寺過去帳)
文化14 1817  善徳寺に9カ村名主集合(吉村文書)
           本堂は集会を行へる広さがあった。
文政 7 1824  善徳寺出訴。(清見寺資料)
文政 9 1826  檀家に掛け合い。善徳寺祥道他6名。(清見寺資料)


祝日、晴れての雪富士の基、富士山全国女子大学駅伝が盛大に行われた。沿道の大声援
と女子選手の力走が目に残る。勢子辻の富士の一景。



勢子辻のの中に「林の讃句」林相をととのへ冬日深許す(上田五千石)を立てた。武
者小路碑と明善碑と共に林業地の標となる事を願っている。