年末12月9日土曜日に投開票予定の台北・高雄市長・議員選挙で、与党民主進歩党公認候補として出馬している謝長廷氏の競選総部(選対本部)成立記念大会が4日午後6時から8時過ぎまで大同区の承徳路・錦西街にある成淵国民中学グラウンドで開かれた。
(ただし、選対本部は長距離バスターミナル近くの台北市承徳路1段50号)
謝長廷といえば、党外・民進党で随一の演説の名手として知られていたが、陳水扁政権成立後は、陳水扁総統に気兼ねしてか、演説に精彩を欠いていたように見えたが、今日は久しぶりにウイットに富んだ謝長廷節を聞くことができた。
謝氏は次のように指摘した(要旨)。
国民党馬英九の市政になってから8年間、台北市は陳水扁市長時代に築いた遺産を食い潰し、首都として精彩を欠いてきた。古くからある町並みは破壊され、川の汚染や治水もまったく手をつけていない。
また、最近はいわゆる赤シャツ部隊の運動を国民党が煽動し、懐疑文化(猜疑心の文化)を生んだ。台湾の本来の文化は「信任(信頼)の文化」だったのに、これをつぶしてしまった。ところが、懐疑の文化は、自らの信用も破壊する。だから赤シャツ部隊や国民党も人民からの信頼を失った。国民党の人生観は他人を疑い、諍いを好む。
国民党はアホだ。牛の糞とか、狗の糞とかを相手に投げつけて当てて満足している(比喩が汚いが、これが台湾語らしい庶民的なところ)。でも糞を投げつけていると、自分の手を嗅いだときには臭くてたまらない。相手を汚しているつもりでも、自分も穢れているのだ。それに国民党は気づいていないところが、アホなのだ。
それに対して、私は台湾と台北に信頼の文化を取り戻したい。そのために「愛・信任(愛と信頼)」をスローガンに掲げた。
都市の首長には目標が必要だ。今の台北市長には長期的な目標がない。10年後にどうしたいのか、そうした青写真がない。
そこで私は2020年のオリンピック開催を提案した。これに対して、国民党側は「不可能だ」などと冷笑するが、私は言いたい「あなたに将来のことがすべてわかるのか」と。14年も後には国際環境も変わっているかもしれない。今から「不可能だ」などと断定することは誰にもできない。国民党はそうした夢を市民に与えなかったから、足元の市政も満足にできなかった。
それから、オリンピック開催申請を提案するのは、スポーツ振興が台湾にとってプラスになるからだ。民進党はこれまで「独立」とかいってきたが、単に口だけ独立をいうのは抽象的すぎる。スポーツの国際交流や対戦を振興すれば自然に相手と自分の違いが意識され、それが台湾意識の強化につながる。4月に日本に行ったときも台湾の若者が、野球の国際対戦で台湾の応援に出かけていた。中国との対戦では「打倒共産党」「打倒中国」という掛け声が上がった。これこそが台湾のアイデンティティだ。
オリンピック開催という目標を掲げることで、スポーツ振興を図ることができる。そうして台湾のスポーツを強化すれば、結果的にオリンピックも不可能ではなくなる。
台北市がオリンピックを開催できないと思っている人は、都市の国際的評価を知っているのだろうか。北京は国際評価では70位に過ぎない。台北は48位で、北京よりはるかに高い。その北京が08年に五輪開催ができるのに台北ができないはずがない。
そういう点で、首長には、長期的な共通目標を掲げることは必要だ。
文字では持ち味や雰囲気は出てこないが、ところどころ台湾語らしいユーモアや語呂合わせなども交えて、非常に面白かった。謝氏は京大大学院に留学して法哲学を専攻して哲学的なことが好きで、話の内容も思想的には深いのだが、それを牛や狗の糞のくだりとか、一見すると汚い表現も交えて、庶民にもわかりやすく、噛み砕いて訴えることができる。
内容の奥の深さは学者系でも何人も語ることができるし、逆にわかりやすいが薄っぺらな話ができる政治家は多い。しかし、奥行きのある話を卑近な表現も交えてわかりやすく語れる台湾の政治家は、謝氏を置いてないだろう。
(ただし、選対本部は長距離バスターミナル近くの台北市承徳路1段50号)
謝長廷といえば、党外・民進党で随一の演説の名手として知られていたが、陳水扁政権成立後は、陳水扁総統に気兼ねしてか、演説に精彩を欠いていたように見えたが、今日は久しぶりにウイットに富んだ謝長廷節を聞くことができた。
謝氏は次のように指摘した(要旨)。
国民党馬英九の市政になってから8年間、台北市は陳水扁市長時代に築いた遺産を食い潰し、首都として精彩を欠いてきた。古くからある町並みは破壊され、川の汚染や治水もまったく手をつけていない。
また、最近はいわゆる赤シャツ部隊の運動を国民党が煽動し、懐疑文化(猜疑心の文化)を生んだ。台湾の本来の文化は「信任(信頼)の文化」だったのに、これをつぶしてしまった。ところが、懐疑の文化は、自らの信用も破壊する。だから赤シャツ部隊や国民党も人民からの信頼を失った。国民党の人生観は他人を疑い、諍いを好む。
国民党はアホだ。牛の糞とか、狗の糞とかを相手に投げつけて当てて満足している(比喩が汚いが、これが台湾語らしい庶民的なところ)。でも糞を投げつけていると、自分の手を嗅いだときには臭くてたまらない。相手を汚しているつもりでも、自分も穢れているのだ。それに国民党は気づいていないところが、アホなのだ。
それに対して、私は台湾と台北に信頼の文化を取り戻したい。そのために「愛・信任(愛と信頼)」をスローガンに掲げた。
都市の首長には目標が必要だ。今の台北市長には長期的な目標がない。10年後にどうしたいのか、そうした青写真がない。
そこで私は2020年のオリンピック開催を提案した。これに対して、国民党側は「不可能だ」などと冷笑するが、私は言いたい「あなたに将来のことがすべてわかるのか」と。14年も後には国際環境も変わっているかもしれない。今から「不可能だ」などと断定することは誰にもできない。国民党はそうした夢を市民に与えなかったから、足元の市政も満足にできなかった。
それから、オリンピック開催申請を提案するのは、スポーツ振興が台湾にとってプラスになるからだ。民進党はこれまで「独立」とかいってきたが、単に口だけ独立をいうのは抽象的すぎる。スポーツの国際交流や対戦を振興すれば自然に相手と自分の違いが意識され、それが台湾意識の強化につながる。4月に日本に行ったときも台湾の若者が、野球の国際対戦で台湾の応援に出かけていた。中国との対戦では「打倒共産党」「打倒中国」という掛け声が上がった。これこそが台湾のアイデンティティだ。
オリンピック開催という目標を掲げることで、スポーツ振興を図ることができる。そうして台湾のスポーツを強化すれば、結果的にオリンピックも不可能ではなくなる。
台北市がオリンピックを開催できないと思っている人は、都市の国際的評価を知っているのだろうか。北京は国際評価では70位に過ぎない。台北は48位で、北京よりはるかに高い。その北京が08年に五輪開催ができるのに台北ができないはずがない。
そういう点で、首長には、長期的な共通目標を掲げることは必要だ。
文字では持ち味や雰囲気は出てこないが、ところどころ台湾語らしいユーモアや語呂合わせなども交えて、非常に面白かった。謝氏は京大大学院に留学して法哲学を専攻して哲学的なことが好きで、話の内容も思想的には深いのだが、それを牛や狗の糞のくだりとか、一見すると汚い表現も交えて、庶民にもわかりやすく、噛み砕いて訴えることができる。
内容の奥の深さは学者系でも何人も語ることができるし、逆にわかりやすいが薄っぺらな話ができる政治家は多い。しかし、奥行きのある話を卑近な表現も交えてわかりやすく語れる台湾の政治家は、謝氏を置いてないだろう。