むじな@金沢よろず批評ブログ

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台湾日報停刊は、自由時報に市場を取られた結果

2006-06-18 00:01:51 | 台湾政治
今回中東に行っていたため、5月21日から6月8日まで台湾を留守にしていたが、最もショックだったのは、台湾本土急進派でリベラル傾向が強い台湾日報が停刊したことだ。
後で読み返したところ、前日まで何事もなかったように発行して、6日付けで4ページだけだけで停刊した。「近いうちにまたお目にかかりたい」趣旨を一面社告で書いていて、11日には復刊するという情報もあったが、このまま廃刊になりそうな感じ。
陳水扁という本土政権の登場以降、皮肉なことに、伝統的な本土派の自立晩報が2001年に廃刊、今度は台湾日報も事実上廃刊という結果になった。日本の朝日新聞はこれを「急進的独立路線が支持を広げられなかった」旨書いていたが、それはちょっと違う。直接の原因は、同じ本土派日刊紙で大手の自由時報がここ1年で台湾独立でも急進化して、社会・国際の論調も右派からやや左寄りにシフトしたことで、台湾日報のお株が奪われたことにある。

台湾日報は60年代は省議会の党外の動きも報道して、自立晩報と並ぶ「党外」紙とされていたが、その後軍部が乗っ取った。しかし民主化以降の90年代半ばに台湾プラスチックが買い取り(ただし表に出ず、長億が買い取ったという話もあった)、それからはすでに本土派日刊紙として地盤を固めていた自由時報よりもさらに急進的台湾独立寄りの日刊紙として一定の地位を占めていた。ただし2000年総統選挙のときは、宋楚瑜にも媚を売ったこともあるが、陳水扁政権成立後は、台湾独立でも、社会政策の左右でも、台湾の主要紙の中では最も急進、左寄り(中道左派)の路線を取った。特に同じ本土派の自由時報は、李登輝との関係の深さもあって2002年ごろまでは原発に比較的賛成の姿勢を示していたり、イラク戦争の時には米軍を絶賛するなど、かなり右寄り路線をとっていたのに対して、台湾日報は反原発を明確に掲げ、草の根運動、人権を重視したり、米国も時々批判したりするなど、リベラル中道左派といったところで、私自身もかなり贔屓にしていた。

しかし、2001年ごろに、中国の圧力で台湾プラスチックが手を引くことを宣言(実際にはその後も細々と支援していたと見られるが)、それで一挙に経営難に直面。陳水扁政権寄りの銀行などが支援したりもしたが、台湾プラスチックが以前支援していたほどの金額規模ではなかったことから、財政的に逼迫、昨年からは給与の遅配も始まり、それに不服の記者を不当解雇するなどして、労使紛争が強まり、さらにジリ貧になった。
それに追い討ちをかけたのが、昨年夏ごろから、自由時報の姿勢が変化してきたことだった。そのころから、自由時報が、それまでの親米、右寄り一辺倒路線から、軌道修正して、米国や新自由主義への批判的な投稿や論調も載せたり、在野社会運動も以前よりも積極的に扱うようになった。台湾独立という意味でも、急進化した。それまで本土派新聞の中で親米右派=自由時報、米国に批判的で社会運動重視のリベラル派=台湾日報という棲み分けができていたのが、自由時報の左シフトで、台湾日報の生存空間がなくなった。とくに今年に入って、自由時報の投書面で、台湾語文を積極的に掲載するようになったことも、かなり台湾日報には打撃になったと思う。昨年秋ごろから台湾日報は論調や投書も最盛期?だった2000-2002年ごろにはあった精彩がなくなったように感じた。
ところで、私は2003年ごろまでは、自由時報はあまり好きではなかった。それほどニュースの量もあるわけではないし、論調も右寄りだし、はっきりいって「あまり読むところがない新聞」だったからだ。昨年春台連主席が靖国神社を参拝した際にも、自由時報は投書欄も含めて賛成一辺倒だったが、台湾日報には批判的な投書や論調も見られた、という違いもあった。自由時報は本土派ながら、かなり右派一辺倒という感じだった。ところが、昨年夏以降の変化で、左右のバランスも取れ、ニュースの質量も充実しはじめたことで、自由時報もかなり読み応えというか、読むに値する紙面になってきた。特に今年に入ってからは、台湾語の投書もよく掲載するようになったこともあって、自由時報をよく読むようになった。この変化は、台湾日報の労使紛争で記者たちが一部自由時報に移ったからかもしれない。
とにかく自由時報が名実ともに本土派のすべての需要を満たすものになっていた。そうすると台湾日報は苦しい。

ただ、自由時報を責めるわけにはいかないだろう。自由時報の思想傾向に変化が出てきたのは、おそらく二つの理由があるだろう。
一つは急進独立派もしくは在野リベラル勢力からあまりリベラルではない点が「自由」の名前に反するという批判が強まったこと。特に昨年春に行政院が新しい国民身分証と引き換えに指紋を押捺させるという方針を示したことに、民進党政府部内でもリベラルな法学者や台湾日報などで批判的な声が上がった際にも、指紋押捺を積極的に支持するキャンペーンを張ったりして、私の知人の憲法学者(深緑系)が「これでは自由時報ではなくて、公安・統制時報だ」と皮肉ったほど、ひどいスタンスを取ったことがある。その後軌道修正が行われたことから、指紋押捺賛成キャンペーンへの批判が多かったことがわかる。というか、そもそも台湾の民主化運動は民進党の出発点を見ればわかるように、中道左派リベラルなところから始まっているし、それが主流である。それもそのはず、台湾の民主化は、国民党という中華右翼ファッショ体制に対する批判と変革が出発点なのだから、自然にやや左寄りの志向や思想から始まるのである(そういう意味で、独立右派である台連や台湾独立建国連盟がいつまでも少数者にとどまっているのは自然の摂理である)。それに反していた自由時報のかつての路線は、本土派・民主派から強く指弾され、修正を迫られたのは当然であろう。
もう一つは、リンゴ日報に自由時報本来の市場の一部が奪われたことが関係しているのかもしれない。リンゴ日報は、香港系で、本質的には大中国や宋楚瑜の臭いがあるものの、論説陣にはリベラルもしくは本土寄りの人も多数起用したり、また写真を多用したりして、本土派の若者の興味を引き付けたことで、自由時報が本来持っていた浅緑、緑系若者の読者層が一部取られてしまった。そうすると自由時報としては、市場を台湾日報が持っていた部分に開拓せざるを得ないので、左シフトせざるを得ない。台湾日報はもともと部数が少なかったこともあって、その煽りを受けたと見られるのだ。

私個人としては、本土派という以外にもそのリベラル寄りの路線と、コクのある読者投稿や識者コラムで贔屓にしていた台湾日報がなくなってしまったことは残念である。本土派新聞が、自由時報だけというのも、不安が残る。独占は良くない。競争や切磋琢磨がなくなるからである。そういう意味では、自立晩報にせよ、台湾日報にせよ、そのままではなくても、なんらかの形で復活して欲しいものである。


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