台湾の民主進歩党内のごたごたをめぐり、混乱の原因となってきた游錫コン主席の辞意が了承され、陳水扁総統の主席復帰がほぼ確定した。これでやっと民進党も正常化し、落ち着きを取り戻すだろう。
游錫コン主席は5月6日の総統予備選挙党員投票で得票率3位と低迷して惨敗した後、主席であることを利用して、党綱領と同等の効力を持つ「正常国家決議文」の制定を提案。急進独立派の一部知識人を巻き込んで、「対中穏健派」とみられている謝長廷総統候補に対する闘争を挑んできた。
しかし、一度総統候補が決まった以上、総統候補を中心にして態勢を固めるべきときに、党主席がまるで自分が候補であるかのような目だったパフォーマンスを展開したことに、民進党支持層の間では游氏への嫌悪感が強まっていた。
それにも関わらず、空気が読めないのか、游氏は「急進独立路線によって党支持層の中核を固めてこそ勝利できる」と強硬に主張。それに対して党内主流は「あまり急進路線を打ち出すと対米など国際関係が緊張し、結果的に選挙戦に不利となるし、また国内状況から制憲や正名は簡単には進まないのだから、あまり大上段に構えて公約すると、結果的に進まないときに公約違反になってしまう」という判断から、急進路線には反対していた。
幹部会議である中央執行委員会が8月30日に最終的に議論した際、総統候補の謝氏系統の意見が圧勝し、游氏の主張は敗北した。
しかしその後から、游氏は急進独立派の一部の応援も得て、さらに往生際の悪い態度を取る。游氏は9月30日の党大会で急進的な修正案の提出を叫びはじめる。
この時点で、謝長廷氏は怒りが蓄積していたはずで、それが最終的に爆発して党大会当日の決起集会欠席につながる。
こうした動きに党大会が流れることを懸念した党内主流が、陳水扁の仲裁をあおいで、陳水扁の周旋により、9月27日の謝と游を含めた鳩首会談で、再び折衷案が提示され、それで意見がまとまった、かに見えた。しかし、折衷案に賛成したはずの游氏は突如、「自分の意見が受け入れられなかった」として主席の座を投げ出し、さらに「30日の党大会では独自の修正案を出す」と公言した。
自分も同意しながら、後で翻す。多くの人は游氏が尋常ではないと思った。私自身游氏と周辺を観察していて、8月末ごろからは尋常ではないと感じた。
率直にいって、「正常国家」を議論するよりも「自分自身と党内の正常化」を目指すべきだろう。
30日の党大会で、游氏系が決議文草案に対する修正案を2案も提出した。大会は激論となった。一つは党支部長を通じたもので、「新憲法を制定して、国名を台湾に正名し、国際社会にたいして台湾が主権独立国家であることを正式に宣言すべきだ」とするもの。またもう一つは湯火聖氏ら党代表(代議員)の提案で「一日も早く国家を台湾と正名すべきだ」とするもの。しかし採決の結果、游氏の二つの修正案はそれぞれ代議員328人中、43人(13%)および30人(9%)の支持しか得られず否決され、最終的には27日の折衷案でまとまった。
ところが、ここでゴタゴタに嫌気がさした主役、謝長廷・総統候補の怒りは爆発した。謝氏は心理性から来る腹痛・下痢などの症状を併発したようで、「これほど党内が団結しないのなら、決起集会は開けない。私も怒りと病気が重く出席できなくなった」と宣言し、当初予定していた決起集会はお流れになった。
游氏の主張は、党の主要基盤である急進独立派の一部を盾にしたものだっただけに、民進党関係者なら正面きって反対できない「正論」を含んではいた。しかし、問題は予備選挙で3位に終わった人間が主役である総統候補を差し置いて、目だって主張してもいいのかということだ。また、謝長廷氏は穏健派と見られがちだが、実際には急進独立の信念を強く持っている。ただし高雄市長や行政院長も務め、次期総統になるかもしれない為政者として責任を持って実行できることだけ言う必要がある。急進独立論は民進党の魂であるが、国内の半数が急進独立論に賛成しない国民党支持層であるという現実を見れば、いたずらに急進独立論を掲げて問題が解決するわけではない。
しかも游氏は思い込みが激しすぎた。「選挙に勝つには中核的な支持層を固める必要がある」といって、日本の7月の参議院選挙で自民党が支持層を固められず惨敗した例を挙げていた。しかし、これは間違いだ。自民党は基礎票が日本で最も多い政党であって、それが基礎票を固められずに敗北したからといって、基礎票がより少ない民進党が同じとは限らない。
そもそも自民党には組織はあるが、民進党にはない。自民党はそれほど理念ははっきりしない保守政党だが、民進党は理念が明確なリベラル政党だ。同じ与党だからという点で幻惑されているのだろうが、ぜんぜん彼我の条件が異なる。
私も游氏にも呼ばれて、この問題で意見交換したことがあるが、游氏の立論には正直いって辟易させられた。
游氏の敗北について、一部の急進独立派の知識人や海外支持層は、民進党や謝氏の「弱腰」を批判している。
しかし、それは筋違いであり、台湾の政治生態を正しく理解していない妄言である。
台湾独立は台湾人の願望だ。これは実は国民党本土派も含む、今の台湾の主流だ。しかし問題はその方法、戦略、訴え方にある。
国民党本土派は最終的な台湾独立には賛成しているが、それを最大優先課題に見做しているわけではないし、国際関係への影響も懸念している。
民進党穏健派は優先課題と見做しているが、同時に国際関係への影響も考慮に入れざるをえない。
確かに現在の台湾の民意は数年前とは違って、米国がいかにレファレンダムに反対しようが、米国の顔色などうかがわない強い民意が多数になっているのは事実だ。だからといって、台湾のような小国の為政者が、米中さらにはっきりしない日本の立場や出方を完全に無視して民意に従って突っ走って、本当に台湾を守ることができるのか、という一抹の不安も存在していることもまた事実である。しかも、いくら最終的な独立に賛成していても、国民党本土派もあまり急進的な表現方法には二の足を踏む。これでは独立派が温度差から分裂してしまうだけで、逆に中国に介入させる隙を与えるようなものだ。
小国台湾の政策決定は、日米中および国内のさまざまな独立派の温度差を考慮して、綱渡りで進めて行く必要があるのである。謝長廷氏は弱腰なのではなくて、空気を正しく読んでいるだけだ。
事実、游氏が「正論」で党内をかき回した結果、党の団結が乱れ、それを尻目にして相手陣営の馬英九陣営が浮動票取り込み工作に動いているのである。結果的に「戦略のない盲目的な急進派」の行動は、民進党を傷つけ、相手陣営を有利にした。
今後も急進派が戦略のない盲動を続けたら、本土政権は敗北してしまうだろう。いつの時代も状況が読めない過激派が味方の足を引っ張り、敵に塩を売ってしまうものだ。
だから、政治センスのない一部台湾の知識人や、台湾の事情をよく知らない在米台湾人急進独立派(特に「台湾の声」にも書いているアンディ・チャンらの輩)が謝長廷氏の「弱腰」を攻撃するのは、それこそ利敵行為である。
そんなに偉そうに言うなら、まず在米台湾人は居住国である米国の台湾に対する抑圧的かつ侮辱的な政策を変えさせるべく米国政府に圧力を加えるのが先決だろう。居住国である米国が一番狂っているのに、それには口をつぐんで何もせずに、母国の総統候補を叩くというのは、完全に米国のイヌであって、台湾を愛するものでもなんでもない。大体、それほど台湾を愛しているというなら、アンディ・チャンら在米台湾人は一刻も早く米国籍を放棄して台湾に戻るべきだろう。米国と台湾との二重国籍、あるいは米国籍だけをもって米国という「安全地帯」にいて、ただ急進独立論だけ喚き散らす。外省人が二重アイデンティティを持っていることは叱咤するくせに自らは二重国籍。そういうのは「台湾愛国者」とは呼べない。台湾に対する態度は在台湾中国人と変わらない。まして米国が台湾に対して敵対的な態度を取っている現在、米国籍を持つ台湾人は、敵国中国に媚を売る連戦などの輩と同類だというべきだろう。中国なら悪くて、米国なら良いわけではない。現在の台湾にとって、前者は顕在敵国であって、後者は潜在敵国なのだから。
228事件や白色テロで台湾人を弾圧した武力と資金は米国起源だったことを忘れてはならない。228の元凶は蒋介石ではなくて米国である。蒋介石は米国の手先、三下に過ぎなかった。
そもそも、台湾主体性意識が主流となっている現在の台湾で、游氏のようにただ「独立建国」を叫ぶだけでは、意味がないのである。台湾が国連に加盟したり、国際的に認知されるためには、台湾自身の努力やスローガンだけではなくて、相手先である国際社会に台湾とはどういう国を目指すのかという中身の提示と説得が必要なのである。
それをただ「台湾は中国ではない」と念仏のように繰り返していても、ほとんどの国は台湾も中国も興味がないのだから、「ああそうですか」で終わりだろう。
台湾が中国と違う国だというなら、どのように違うのか、人類の将来にとってどんな斬新なアイデアを提示できるのかが問われているのであって、スローガンだけ叫べば良いのではない。
その点では民進党が掲げ、進めてきた中道左派、多文化主義、環境主義、社会自由主義路線は、台湾がアジア、あるいは世界に喧伝してゆくべき先進的な価値であるし、謝長廷総統候補が提示している「和解と共生」も、軍拡と人権蹂躙を進める中国との文化的・哲学的な違いを際立たせる意味で、非常に強い武器となるのである。
「和解共生」を「弱腰」と批判しているアンディチャンのような輩は、単に軍備の強弱で国力を計れば良いという19世紀の遺物だろう。中国が軍拡に狂奔しているからといって、中国よりもサイズが小さい台湾が同じ土俵で勝負しても勝ち目があるわけがない。台湾が目指すべきものは、中国と根本的に価値観が異なることを示すことにある。その点では「和解と共生」は優れている。これは、「和解と共生」に反した中国のあり方に対する根源的な批判につながるからである。
チェコのハヴェルは、ソ連共産帝国主義に対抗するという目的で、チェコの国防力増強を主張したことはない。ハヴェルもまたソ連とチェコとの違いを示すために人道・人権など崇高な理念を掲げた。それが結果的には世界からの理解と支持を得たのである。
台湾はリベラルな民進党政権であることによって、反動そのものの中国との理念・哲学・文化・価値観の違いが際立っている。その点、「和解と共生」を掲げ、環境保護や人文・本土教育を強調する謝長廷氏は、民進党および台湾の強みを熟知しているといえる。それをただ単に「独立のスローガンが弱い」というだけで攻撃するアンディ・チャンらは、それこそ哲学が貧困で、知恵がないだけである。
游錫コン主席は5月6日の総統予備選挙党員投票で得票率3位と低迷して惨敗した後、主席であることを利用して、党綱領と同等の効力を持つ「正常国家決議文」の制定を提案。急進独立派の一部知識人を巻き込んで、「対中穏健派」とみられている謝長廷総統候補に対する闘争を挑んできた。
しかし、一度総統候補が決まった以上、総統候補を中心にして態勢を固めるべきときに、党主席がまるで自分が候補であるかのような目だったパフォーマンスを展開したことに、民進党支持層の間では游氏への嫌悪感が強まっていた。
それにも関わらず、空気が読めないのか、游氏は「急進独立路線によって党支持層の中核を固めてこそ勝利できる」と強硬に主張。それに対して党内主流は「あまり急進路線を打ち出すと対米など国際関係が緊張し、結果的に選挙戦に不利となるし、また国内状況から制憲や正名は簡単には進まないのだから、あまり大上段に構えて公約すると、結果的に進まないときに公約違反になってしまう」という判断から、急進路線には反対していた。
幹部会議である中央執行委員会が8月30日に最終的に議論した際、総統候補の謝氏系統の意見が圧勝し、游氏の主張は敗北した。
しかしその後から、游氏は急進独立派の一部の応援も得て、さらに往生際の悪い態度を取る。游氏は9月30日の党大会で急進的な修正案の提出を叫びはじめる。
この時点で、謝長廷氏は怒りが蓄積していたはずで、それが最終的に爆発して党大会当日の決起集会欠席につながる。
こうした動きに党大会が流れることを懸念した党内主流が、陳水扁の仲裁をあおいで、陳水扁の周旋により、9月27日の謝と游を含めた鳩首会談で、再び折衷案が提示され、それで意見がまとまった、かに見えた。しかし、折衷案に賛成したはずの游氏は突如、「自分の意見が受け入れられなかった」として主席の座を投げ出し、さらに「30日の党大会では独自の修正案を出す」と公言した。
自分も同意しながら、後で翻す。多くの人は游氏が尋常ではないと思った。私自身游氏と周辺を観察していて、8月末ごろからは尋常ではないと感じた。
率直にいって、「正常国家」を議論するよりも「自分自身と党内の正常化」を目指すべきだろう。
30日の党大会で、游氏系が決議文草案に対する修正案を2案も提出した。大会は激論となった。一つは党支部長を通じたもので、「新憲法を制定して、国名を台湾に正名し、国際社会にたいして台湾が主権独立国家であることを正式に宣言すべきだ」とするもの。またもう一つは湯火聖氏ら党代表(代議員)の提案で「一日も早く国家を台湾と正名すべきだ」とするもの。しかし採決の結果、游氏の二つの修正案はそれぞれ代議員328人中、43人(13%)および30人(9%)の支持しか得られず否決され、最終的には27日の折衷案でまとまった。
ところが、ここでゴタゴタに嫌気がさした主役、謝長廷・総統候補の怒りは爆発した。謝氏は心理性から来る腹痛・下痢などの症状を併発したようで、「これほど党内が団結しないのなら、決起集会は開けない。私も怒りと病気が重く出席できなくなった」と宣言し、当初予定していた決起集会はお流れになった。
游氏の主張は、党の主要基盤である急進独立派の一部を盾にしたものだっただけに、民進党関係者なら正面きって反対できない「正論」を含んではいた。しかし、問題は予備選挙で3位に終わった人間が主役である総統候補を差し置いて、目だって主張してもいいのかということだ。また、謝長廷氏は穏健派と見られがちだが、実際には急進独立の信念を強く持っている。ただし高雄市長や行政院長も務め、次期総統になるかもしれない為政者として責任を持って実行できることだけ言う必要がある。急進独立論は民進党の魂であるが、国内の半数が急進独立論に賛成しない国民党支持層であるという現実を見れば、いたずらに急進独立論を掲げて問題が解決するわけではない。
しかも游氏は思い込みが激しすぎた。「選挙に勝つには中核的な支持層を固める必要がある」といって、日本の7月の参議院選挙で自民党が支持層を固められず惨敗した例を挙げていた。しかし、これは間違いだ。自民党は基礎票が日本で最も多い政党であって、それが基礎票を固められずに敗北したからといって、基礎票がより少ない民進党が同じとは限らない。
そもそも自民党には組織はあるが、民進党にはない。自民党はそれほど理念ははっきりしない保守政党だが、民進党は理念が明確なリベラル政党だ。同じ与党だからという点で幻惑されているのだろうが、ぜんぜん彼我の条件が異なる。
私も游氏にも呼ばれて、この問題で意見交換したことがあるが、游氏の立論には正直いって辟易させられた。
游氏の敗北について、一部の急進独立派の知識人や海外支持層は、民進党や謝氏の「弱腰」を批判している。
しかし、それは筋違いであり、台湾の政治生態を正しく理解していない妄言である。
台湾独立は台湾人の願望だ。これは実は国民党本土派も含む、今の台湾の主流だ。しかし問題はその方法、戦略、訴え方にある。
国民党本土派は最終的な台湾独立には賛成しているが、それを最大優先課題に見做しているわけではないし、国際関係への影響も懸念している。
民進党穏健派は優先課題と見做しているが、同時に国際関係への影響も考慮に入れざるをえない。
確かに現在の台湾の民意は数年前とは違って、米国がいかにレファレンダムに反対しようが、米国の顔色などうかがわない強い民意が多数になっているのは事実だ。だからといって、台湾のような小国の為政者が、米中さらにはっきりしない日本の立場や出方を完全に無視して民意に従って突っ走って、本当に台湾を守ることができるのか、という一抹の不安も存在していることもまた事実である。しかも、いくら最終的な独立に賛成していても、国民党本土派もあまり急進的な表現方法には二の足を踏む。これでは独立派が温度差から分裂してしまうだけで、逆に中国に介入させる隙を与えるようなものだ。
小国台湾の政策決定は、日米中および国内のさまざまな独立派の温度差を考慮して、綱渡りで進めて行く必要があるのである。謝長廷氏は弱腰なのではなくて、空気を正しく読んでいるだけだ。
事実、游氏が「正論」で党内をかき回した結果、党の団結が乱れ、それを尻目にして相手陣営の馬英九陣営が浮動票取り込み工作に動いているのである。結果的に「戦略のない盲目的な急進派」の行動は、民進党を傷つけ、相手陣営を有利にした。
今後も急進派が戦略のない盲動を続けたら、本土政権は敗北してしまうだろう。いつの時代も状況が読めない過激派が味方の足を引っ張り、敵に塩を売ってしまうものだ。
だから、政治センスのない一部台湾の知識人や、台湾の事情をよく知らない在米台湾人急進独立派(特に「台湾の声」にも書いているアンディ・チャンらの輩)が謝長廷氏の「弱腰」を攻撃するのは、それこそ利敵行為である。
そんなに偉そうに言うなら、まず在米台湾人は居住国である米国の台湾に対する抑圧的かつ侮辱的な政策を変えさせるべく米国政府に圧力を加えるのが先決だろう。居住国である米国が一番狂っているのに、それには口をつぐんで何もせずに、母国の総統候補を叩くというのは、完全に米国のイヌであって、台湾を愛するものでもなんでもない。大体、それほど台湾を愛しているというなら、アンディ・チャンら在米台湾人は一刻も早く米国籍を放棄して台湾に戻るべきだろう。米国と台湾との二重国籍、あるいは米国籍だけをもって米国という「安全地帯」にいて、ただ急進独立論だけ喚き散らす。外省人が二重アイデンティティを持っていることは叱咤するくせに自らは二重国籍。そういうのは「台湾愛国者」とは呼べない。台湾に対する態度は在台湾中国人と変わらない。まして米国が台湾に対して敵対的な態度を取っている現在、米国籍を持つ台湾人は、敵国中国に媚を売る連戦などの輩と同類だというべきだろう。中国なら悪くて、米国なら良いわけではない。現在の台湾にとって、前者は顕在敵国であって、後者は潜在敵国なのだから。
228事件や白色テロで台湾人を弾圧した武力と資金は米国起源だったことを忘れてはならない。228の元凶は蒋介石ではなくて米国である。蒋介石は米国の手先、三下に過ぎなかった。
そもそも、台湾主体性意識が主流となっている現在の台湾で、游氏のようにただ「独立建国」を叫ぶだけでは、意味がないのである。台湾が国連に加盟したり、国際的に認知されるためには、台湾自身の努力やスローガンだけではなくて、相手先である国際社会に台湾とはどういう国を目指すのかという中身の提示と説得が必要なのである。
それをただ「台湾は中国ではない」と念仏のように繰り返していても、ほとんどの国は台湾も中国も興味がないのだから、「ああそうですか」で終わりだろう。
台湾が中国と違う国だというなら、どのように違うのか、人類の将来にとってどんな斬新なアイデアを提示できるのかが問われているのであって、スローガンだけ叫べば良いのではない。
その点では民進党が掲げ、進めてきた中道左派、多文化主義、環境主義、社会自由主義路線は、台湾がアジア、あるいは世界に喧伝してゆくべき先進的な価値であるし、謝長廷総統候補が提示している「和解と共生」も、軍拡と人権蹂躙を進める中国との文化的・哲学的な違いを際立たせる意味で、非常に強い武器となるのである。
「和解共生」を「弱腰」と批判しているアンディチャンのような輩は、単に軍備の強弱で国力を計れば良いという19世紀の遺物だろう。中国が軍拡に狂奔しているからといって、中国よりもサイズが小さい台湾が同じ土俵で勝負しても勝ち目があるわけがない。台湾が目指すべきものは、中国と根本的に価値観が異なることを示すことにある。その点では「和解と共生」は優れている。これは、「和解と共生」に反した中国のあり方に対する根源的な批判につながるからである。
チェコのハヴェルは、ソ連共産帝国主義に対抗するという目的で、チェコの国防力増強を主張したことはない。ハヴェルもまたソ連とチェコとの違いを示すために人道・人権など崇高な理念を掲げた。それが結果的には世界からの理解と支持を得たのである。
台湾はリベラルな民進党政権であることによって、反動そのものの中国との理念・哲学・文化・価値観の違いが際立っている。その点、「和解と共生」を掲げ、環境保護や人文・本土教育を強調する謝長廷氏は、民進党および台湾の強みを熟知しているといえる。それをただ単に「独立のスローガンが弱い」というだけで攻撃するアンディ・チャンらは、それこそ哲学が貧困で、知恵がないだけである。