カジュアル・アミーガ         本ブログの動画、写真及び文章の無断転載と使用を禁じます。

ある日カッパ姉ちゃんとカメラおじさんの家に一匹の子犬がやってきた。
日々のうつろいの発見と冒険を胸に生きていこう!

高尾山に登ったよ

2011年05月06日 | めんちゃん日記
子供の日。
端午の節句。
曇り空ー。
高尾山に登ったよ。

テクテク山道を歩いて
頂上へ。
途中吊り橋を渡って
お坊さんと山伏行者の列と
出会って
パチンパチンとお参りして

曇りだったので
展望は望めなかったけれど
山のいい空気と野生のキツネや猪の
気配にドキドキしながら
たのしかったよ。

またケーブルカーに乗って行きたいなア。
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薫風よ。

2011年05月05日 | めんちゃん日記
さつきの風が
心地よく吹いて来たよ。
うれしくてワンワン・・・

森の木にのぼって
ぼくは、吠えたよ。

早く降ろして~~~~~~~~~と。
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明るいナショナル 1980

2011年05月04日 | お宝テレビ館


そういえば「ナショナル・キッド」という
ヒーローもののドラマもあった。
もうナショナルという会社はなくなり、Panasonic。
近所にナショナル自転車の看板のある
自転車屋さんがあるがあれはどうなるのだろう。
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最高齢のオラウータン、死す

2011年05月03日 | めんちゃん日記
ぽっぽ通信。
オラウータンのモリーさんが亡くなったよ
世界最高齢だったそうじゃ。
59才。哲学者の風貌だのう。
動物園が最後まで看取った。

野生のジャングルだったら
どうじゃろ?
もっと長生きしたかのう?
まあ、にんげんに愛されて幸せだったんじゃないかのう。
めんちゃんも、余震にビクついて
押し入れに逃げ込んでばかりいずに
長生きしよう。

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ー迷宮への入り口ー

2011年05月02日 | めんちゃん日記
地下鉄の入り口。
ここを降りると
おじいちゃんのいる横浜のお家へ行ける。
あるいは
連休にいつも行くおばあちゃんのいる箱根。
あるいは
鎌倉の海ーー。
とにかくここを降りるとき
ぼく、ドキドキするよ。
うれしくて・・・
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Cardごのみ151~アニバーサリー・テープ1&2

2011年05月01日 | 食玩小物
西荻窪にあるグロスマン・ステッカー専門店の
レッドハートストアさんは、今年の3月で4周年
を迎えられました。
それを記念して作られたマスキングテープを2本
頂いたので、早速カードを作りました☆
上のカードにはグロスマンのトレードマーク・
ベアが描かれたテープを使い、下は赤いハート
が弾んでいるテープをあしらいました♪
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懐かしい人への旅2

2011年05月01日 | 投稿連載
石立ドラマ 「雑居時代」 十一と夏代の恋のやりとり その1 (12話より)



懐かしい人への旅 作者大隅 充
     2
はじめて会う人なのに懐かしいと感じることがある。
それこそデジャブーのように。それが私にとってム
ーランというものがそうだったかもしれない。
 まず最初に図書館で偶然目にとまったのが窪田篤
人著「新宿ムーランルージュ」(六興出版)という
本だった。この本が出版されたのが1989年。窪田
篤人と言えば石立鉄男主演のテレビドラマ「雑居時
代」などで名前は知っていた。当時若手脚本家だと
思っていたが「七人の孫」や「だいこんの花」の脚
本家だと知ると随分若い時から活躍していたんだな
と思う。テレビドラマ「七人の孫」というと向田邦
子が有名だが彼女は後半の何本かしか書いていない。
むしろ窪田さんの方が精力的に書いていた。さらに
「だいこんの花」は主演が森繁久弥だから戦後ムー
ランの出身者がタッグを組んだことになる。
 だから「新宿ムーランルージュ」という本では窪
田さんが昭和23年にムーランに入ってから森繁や
由利徹、市村俊幸などとの交流を通して自分の青春
時代を小説風に描いていた。なぜかこれが私の心の
底に残った。
そして2000年に新宿の画廊絵夢にて「中村公彦ム
ーランルージュ展」が開催された。私は、この舞台
美術の原画や写真、資料を展示した展覧会にその関
係者の日活美術監督で撮影所長までやった土屋伊豆
夫氏の誘いで出かけて行った。ムーランルージュ新
宿座の存在がここで膨らんだがまだ独自に取材しよ
うなんて思ってもいなかった。土屋氏からは、会う
度にその後なんとかムーランの記録を映像に残せな
いかともちかけられたが、テレビ局も映画製作会社
も乗る気のところが現れず、ムーランの関係者はど
んどんいなくなって、十年が経った。あの新宿で
「ムーラン展」を開いた戦後のムーランの舞台美術
からスタートして日本映画の「二十四の瞳」や「幕
末太陽伝」の美術監督になった中村公彦さんも94
才になられた。
 時間はどんどん経っていき、これが最後のチャン
スだから中村公彦さんに話だけでも聞いておこうと
家庭用ビデオカメラをもって自宅に逢いに行ったの
が2010年の夏だった。
 よく考えてみれば窪田篤人さんと中村公彦さんと
いうこの二つのムーランルージュ新宿座についての
出会いがなければムーランにかかわることはなかっ
たのだ。しかも映画関係の知り合いが中村公彦さん
の弟子たちだったので行き先もわからない単線を走
る「新宿ムーランルージュ」という名の列車にひょ
いと乗ってしまったというか、乗せられたというか、
気がついたら走っていた。
 80年も昔の忘れ去られかけた、小さな劇場の物
語がどんなものなのかも見当もつかないまま・・・
ただ流れて行く車窓の景色に好きだった俳優の有島
一郎や左ト全、沢村い紀雄、武智豊子、若水八重子、
楠トシエ、由利徹らの顔が浮かんでは消えて行く。
 ムーランという特別の車両があってそこには喜劇
人のたまごを羽化する大きな揺りかごが設えられて
いるように思えてくる。
 とにかくムーラン行きの列車は走り出した。
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