カジュアル・アミーガ         本ブログの動画、写真及び文章の無断転載と使用を禁じます。

ある日カッパ姉ちゃんとカメラおじさんの家に一匹の子犬がやってきた。
日々のうつろいの発見と冒険を胸に生きていこう!

白いサンゴ礁-別れの朝 1969

2011年05月19日 | お宝テレビ館

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渋谷に犬のスポーツカー

2011年05月18日 | 街角探検
渋谷のセンター街の先
ハンズ前に停まったスポーツカー
乗っているのは、ワンちゃん。
かっこいいね!! って
みんなが写真を撮ってる。
でもワンちゃん、動ぜず。
ゆうゆうとしている。
ただ
ここ駐車違反ですから!!
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チューリップよ、チューリップよ、文学なめんちゃん

2011年05月17日 | めんちゃん日記
犬のくせに花園って好きなんだ。
犬のくせに「たまに乙女チック」も好きなんだ。
略してタマオト。
犬のくせに花見て短歌でもなんて思うんだ。

花々の、咲き乱れてし、花びらを
カミカミチキン だったら食べる

お粗末でした。
(お粗末すぎ)
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雨の次は、夏の日

2011年05月16日 | めんちゃん日記
雨がつづいて
もう梅雨かと思ったら
またまた夏のような暑さ。
寒くなったり
暑くなったり
日本っていうか
東京っていうか
いつの間にか
亜熱帯になっちゃったの?
どっちにしてーも
五月のさわやかな風と
ここちよい青空は、
もう終わりなの。
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懐かしい人への旅4

2011年05月15日 | 投稿連載
懐かしい人への旅 作者大隅 充
       4
中村公彦さんは、救世軍病院で七夕の日に94才
で亡くなられた。
半月ほどの闘病の末ドイツから帰って来られた長
女のくみさんや長男の公治さんの家族・親類。そ
れから映画美術の弟子達など数々の知人たちの見
舞いを受け簡単な会話を交わすことができ、最後
は肺炎が引き金になって老衰による長寿を全うさ
れた。
 私は、三輪画伯や土屋さんと入院されて早い時
期にお見舞いに行き、「ムーランの映画をつくり
ます」と挨拶して手を握ってもらった。先生は、
枯れた声で「ああ」と言って細くなった瞼の中の
瞳にはっきりとした光を放って頷かれた。先生の
手は大きくてしっとりとしていて思いの外、力強
がった。
「ムーランを頼むよ」と言われたように感じた。
まさかこの瞬間がその後の長いムーランルージュ
新宿座への旅立ちの第一歩になるとは夢にも思わ
なかった。先生が倒れてからムーランの取材と企
画はもう無理だと回りからも囁かれていたし、ど
のプロダクションもプロデューサーもそんなもう
誰も知らないモノをやったってショウバイになら
ないし、個人的につくっても誰が見るの?と言う
声が圧倒的だった。そんな中私は、正直なことを
言えばほっとした部分があった。これでムーラン
の記録映画製作がやめられる。自分としては、自
主制作するとしても資金があるわけでもないし、
ムーランと言っても中村先生以外に伝手もなく、
どういう風に取材をしていけばいいのか皆目見当
もつかなかったので、その肝心の先生の取材がで
きないということはこの企画がそもそもみんなの
言うように無謀なものでこの先の途方もない苦労
を考えるとできなくてよかったと安心する気持ち
があったのは、事実である。
 ところが病室のベットで先生と手を握った時何
かが変ったような気がした。そのときは全くそれ
が何かはわからなかったけど、今思ってみるとそ
れは、先生のムーランに対する意思だったように
思う。
 本当にこんなことってあるんだなとびっくりす
る。それもこの後不思議なことが次々と起こって
くるのだからあの先生のムーランに対する情熱と
思いのこもった握手が最初のはじまりだったのだ
とつくづく思う。人の一生とその生き抜いてきた
その人間の意思というものがどれだけ大きな力を
もっているのかがまさしく実感させられた。人っ
て強い思いがあればそれはその人の死後も受け継
がれるのだ。それが偉大な人であればなおさらそ
の伝播力は強いのかもしれない。
 あの病室の見舞いのとき先生の看病に来ていた
中村先生の亡くなった奥さんの妹さんの下林智子
さんが「ムーランの戦前の踊り子さんがわたしの
知り合いでまだいますよ。」
と教えてくれた。
「戦前のムーランを知っている人」がいる。こち
らは、藁をもつかむ気持ちで「是非紹介してくだ
さい」とその場で連絡先を聞いた。
それが大空千尋さんという戦前数年いて戦争と終
戦で一時途絶えて戦後また復帰して女優として活
躍した人だった。この出会いが不思議のはじまり
の第二歩だった。
 そして中村公彦さんの葬儀は、7月8日。調布
メモリアルホールで行われて多くの映画関係者や
故人をしのぶ人たちが集まった。
 花輪で目立ったのが「二十四の瞳小豆島」とい
う木下恵介監督の名作の地元のものと急遽朝届い
た「吉永小百合」という献花だった。
 
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Cardごのみ153~ミュシャ風イラスト1&Flower Thanks1

2011年05月15日 | 食玩小物
今日はいつもより乙女チックな雰囲気のカード2枚です♪
上は輸入菓子パッケージのミュシャ風イラストを切り取って、
グロスマン・シールとコラージュ。
下はフォト・エッセンスのお花を組み合わせて、
フェミニンに仕上げました。
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番ねこちゃーん

2011年05月14日 | 街角探検
番犬ならぬ
番猫。
招待客には、にゃーんと愛嬌。
泥棒には、キーと威嚇。
ただし
心地いい風と日当りのいい時間のみ。
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銀座は、タイムマシン!

2011年05月13日 | 街角探検
東銀座。
工事中の歌舞伎座が道を隔てて向こうに見える。
銀座は、裏に入ると
そこだけ時間が止まったように
レトロな建物が、意匠が残っている。

この刀剣屋さんも凛として建っていた。
生きているなあ、となぜか嬉しくなる。
銀座は、路地のタイムマシン。
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雨もよう

2011年05月12日 | 写真コラム
もう五月も中旬
町で桜もおわり
つつじも散りかけている
雨期は、すぐそこ。
果たして
散った花の顔を見たか
よもや
季節を忘れていないだろうね
きみ
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花の季節

2011年05月11日 | めんちゃん日記
花咲く
花ちる
キラキラひかる

ぼく、そろそろ冬毛を脱いで
夏毛になろうかな。
パチパチ散髪やって!
おじさん!
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ぼくは、世界のどこにいるか

2011年05月10日 | めんちゃん日記
風の音が聞こえるよ。
太陽の声も聞こえるよ。
大昔の森の匂いがするよ。
なくなってしまった木の香り。
それも
一本じゃなくて
かあちゃん、とうちゃん、
じいちゃん、ばあちゃん、
おにいちゃん、おねえちゃん
みんなの
叫び声が聞こえるよ。
ここに大きな木の親子がいたんだと。
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ディズニーランドは、液状化せず

2011年05月09日 | めんちゃん日記
浦安・舞浜・ディズニーランド。
地震で休園していたけれど
4月に再開。

このあたりは、埋め立て地。
液状化が心配されたけれど
しっかり基礎工事していたみたい。
大丈夫だったって。

夢の国の中へは入れないけど
まわりではしゃいでも結構楽しいっ。
またぼく、行きたい。
今度は、カメラおじさんもつれてってやろうよ。
ねえ!
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Cardごのみ152~バタフライ&フルーツ・パラダイス

2011年05月08日 | 食玩小物
今日は春らしく色鮮やかなカード2枚です。
上は昆虫をいっぱい、
下は果物のステッカーをたくさん使って仕上げました☆
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懐かしい人への旅3

2011年05月08日 | 投稿連載
懐かしい人への旅 作者大隅 充
     3
 黒澤明監督の名作「生きる」という映画をいま
見返して、この死期を悟った市役所の役人がどう
生きたかという地味な内容であるにもかかわらず、
映画の中身は、ミュージカル映画としての貌をも
っているということを発見することができる。
 末期の胃がんを知った志村喬が小説家の伊藤雄
之助とパーッと生の享楽を味おうとキャバレーや
ストリップ劇場を渡り歩く。そして役所を辞めた
若い女とカフェや映画館をめぐる。ここで流れる
音楽。ジルバからジャズ、アメリカンポップ、大
正歌謡、クラシック・・何でもありでそれぞれが
その主人公の心のアリ様に刺激を与えて休むこと
がない。
ぐいぐいと物語の核心へ引きずり込まれる。
 この大事なシークェンスでキャバレーのピアノ
弾きがブーちゃんこと市村俊幸だ。そして後半の
葬式の場面で役所の同僚が左ト全、藤原鎌足。私
は、大好きなこの映画のこの三人の俳優がムーラ
ンルージュ新宿座の出身だったと知ったのは、最
近のことだった。他にも「用心棒」の岡引の沢村
い紀雄や「酔いどれ天使」の千石規子などもムー
ラン出身で黒澤映画の常連である。調べると黒澤
明は、戦前のムーランに助監督時代から通ってい
たという。「野良犬」では、戦後のムーランの楽
屋まで行き、淡路惠子に決まる以前にムーランの
踊り子を使いたかったという。
 また黒澤と同じくムーランに通った映画監督が
川島雄三で「幕末太陽傳」では、ラストで市村俊
幸が出てくる。この映画も私の生涯ベストテンに
入る映画である。
 実は、この「幕末太陽傳」の美術監督をしたの
が中村公彦さんであった。日活時代の川島雄三や
今村昌平、浦山桐郎のほとんどの作品を手がけて
「ロケマッチ」の名手といわれた日本映画美術屈
指のデザイナーだった。その中村公彦さんの美術
監督になるきっかけが戦後ムーランルージュ新宿
座だった。晩年特にそのムーラン時代の青春を講
演や著述で語っていた中村さんに会えるという機
会にめぐり遭った。中村公彦さんの弟子に当た
る元にっかつ撮影所所長の土屋伊豆夫氏や画家の
三輪敏雄氏から先生に一度「ムーラン」のことを
聞いたらという提案に単なるムーランって何んだ
ったのだろうという好奇心で中村先生とアポイン
トをとることになった。
 平成22年(2010)6月16日。中村公彦
さんは、94才になっていた。
 西武線の新井薬師駅から歩いて10分の哲学堂
公園の入り口の高層住宅に中村先生は、数年前に
奥さんを亡くされて独り暮らしをしていた。
 記録用に撮影をすることの許可を得て三輪さん
の案内で先生の家の呼び鈴を何回押しても誰もで
ない。一日待っても応答もなく行方がわからない。
三輪さんの話だと二日前に電話連絡したときは元
気で今日ムーランのことを聞きに来る私たちのこ
とを楽しみにしていたという。結局数日経っても
行方がわからず週何回か入っているヘルパー会社
や区役所に連絡しても個人情報なので教えられな
いの一点張り。先生の娘さんの公美さんはドイツ
にいて、これまた連絡がとれない。
 すっかり弱りかけた五日後中村先生が救急車で
病院に運ばれ入院をしていたということがわかっ
た。それはやっと連絡のとれたドイツの娘さんか
ら三輪さんへ連絡が入り、父は危篤だということ
だった。
 「ムーランルージュ」どころか先生の話も聞け
ないハメになってしまった。「ムーランルージュ
新宿座」を記録映画として残すか、劇映画として
創作するための下調査をするにしてもその肝心の
生き証人の中村公彦さんが危篤になっていきなり
大きな岩礁にぶつかり座礁してしまった。
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山の手線劇場ーその男、迷惑につきー

2011年05月07日 | 街角探検
電車の中は、劇場。
日常の風景ー。
ここに男ありて、ついウトウト。
おばちゃんには迷惑です。
でもヘットフォンの男、夢のカーニバルの最中。
コトコト、コトコトコトン・・・
テンツグテンツグ・・テンテン・・・
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