愛するココロ 作者 大隅 充
46
字幕16
ある日のこと。
五郎は、美しい娘に出会った。
峠の茶屋でお茶を飲んでいる五郎。
旅装束の父娘が通りかかる。
父は、年老いて顔の皺が深い。
娘は、まだ二十歳になったばかりの愛らしさ。
背中に三味線を背負っている。
字幕17
もしや、父と妹では?
五郎、思わず駆け寄り、娘の肩を掴む。
字幕18
何をなさいます。
びっくりして父親にしがみつく娘。
字幕19
これは、人違い。申し訳ない。
謝る五郎に父親は、どうした?と尋ねる。
字幕20
実は、父母と妹と戊辰の戦の最中に生き別れになりました。
妹は、シノといいます。
五郎、寂しそうに俯く。
字幕21
それは、お可哀想に。
娘、キラキラとした瞳で見つめる。
五郎、やっと顔をあげて微笑む。
字幕22
せん、と言います。では、
父娘、峠を降りていく。
字幕23
その父娘の旅芸人は、次郎長の宿にて五郎と再会する。そして娘せんは、
五郎と親しい仲になるのであった。
ススキの河原。五郎とせんと仲良く手をつないで歩いている。
橋の欄干の陰から次郎長の女房お蝶が苦々しく見ていた。
字幕24
次郎長の女房お蝶は、五郎に密かに想いを寄せていた。
護岸工事現場。
フンドシ一つで人夫が石を運んでいる。
字幕25
一方、焼津の端の港では、食詰めた無宿人
が日銭で働いていた。
大政の指揮にも目を盗んでは、サボってばかりいる五、六人の無宿人。
その中の頭的な者がイチだった。
字幕26
その夜。宿では、
大酒を呑んで、暴れ回るイチとその仲間。
宿の亭主、困り果てて、清水一家の手下を呼ぶが歯が立たない。
イチ、酔って刀を抜いて座敷から座敷へ。
清水の子分も逃げる始末。
そして湯場で湯上りのせんを見つける。
イチたち荒くれに忽ち取り囲まれるせん。
月の夜。
宿の亭主は、次郎長宅へ駆け込む。
応対するお蝶。
字幕27
大変です。人夫たちが酔って暴れています。
芸人の娘が・・・・
頷いてお蝶、五郎の寝床を通りすぎ、大政のところへ行く。
字幕28
翌朝。
川を流れていく赤襦袢。
土手で人だかり。
通りかかった五郎、川を覗く。
川岸に半裸でひっかかっているせんの亡骸。血に染まっている。
役人が引き上げて、莚をかける。
駆け降りる五郎、痣だらけのせんの顔に
手を合わせる。
字幕29
鍛冶屋で五郎は、錆びた紫鎖鬼丸を研がせる。
怪しい光を放つ刀。
字幕30
けもの峠。廃鉱山跡。
岩山の山賊の巣に逃げ込んだイチたち。
盗んだ着物や金品を渡して、一宿一飯を預かるイチたち五名。
そのときつむじ風ーー
振り返るイチと山賊。
洞穴の入口に光る刀。
字幕31
もう逃がさないぞ。
五郎が紫鎖鬼丸を手に立っていた。
字幕32
相手は一人だ。やっちまえー。
走りこむ五郎。
あっという間に約三十名の山賊を切り倒し、鉱山の外へイチを追い出す五郎。
峠道へ槍を捨てて、逃げるイチ。
投げられた槍を払って、イチを一太刀。血を吸う紫鎖鬼丸。
崖から落ちていくイチ。
静かに刀を拭いて仕舞う五郎。
いま、空が一転かき曇り、大粒の雨が落ちてくる。
五郎、三度笠を被り、合羽を背にかけ、
けもの峠を下る。
そのワラジの足元は、雨粒の跳ね返りで
みるみる黒くなっていった。
字幕33
五郎は、清水を後にして江戸へ向かった。
そして山本長五郎こと次郎長宅には籍を抜いた詫び状が残されていた。
映写室の映写窓からさらに光の帯がシャカシャカとつづいていた。
映し出される箱根のススキと相模湾の雄大なロケーションがモノクロの画面
に流れていた。 客席の誰もが呼吸するのを忘れていたようにふうっと大き
く息を吐いた。汗を拭うトオルとカトキチ、目頭を拭う由香、久美、そして
京子お婆さん。
ぶーんと劇場の一番後ろで静かな冷却音をさせてエノケン一号は、電球の
ようなふたつの目で画面を見つめていて、そのブルーの目玉がさらに色を無
くして薄い白に近い色に和らげ出力していた。
何かをエノケン一号は、蓄積されたメモリーから今呼び出している。
それは、一気に海を越え、アメリカ大陸のサンフランシスコ港の雨の港と低
く垂れ込めた黒い雲の映像となって現れてきた。
「あんたは、女が嫌いなの。」
顔にシルクのショールを巻いた年の割には、赤い唇の形が厚くて色っぽい
白人の中年女が涙をブルーの瞳に溜めたまま云った。
「おれは、もう爺さんだぜ。エルザ。」
白髪の前髪が雨に濡れて、皺の深い眉間に張り付いたエノケンがボストン
バッグを桟橋の石畳に置いてぽつりと云った。
「ずっとあんたの世話をしてベットも一緒で一度も私を抱いてくれなかった。」
「・・・・・・」
「日本に待っている女がいるんでしょ。エノ。」
汽笛がぼおーと出航準備の合図を鳴らした。
「いや、待っている人がいないから、アメリカに来た。そして待っている
人がもういないって、はっきり堪忍したから日本に帰るんだよ。」
「どうしても帰るの?」
「もう年だからね・・・・」
「キスして・・・」
エノケンは、背伸びして細いエルザの口にキスをした。
2回目の汽笛が鳴った。
タラップを上っていくエノケンにエルザは、下向いたまま動かなくなった。
エノケンが客船のデッキに辿りついて、雨風にコートの前ボタンを留めながら、
桟橋を振り返ると、エルザは、傘も差さずにうつむいて歩き出していた。
「おれは、人殺しなんだ。」
と日本語でエノケンは叫んだが、エルザは、一度ハイヒールを捻って堪えきれ
ずに立ち止まったが、再び肩を震わせながら振り返らずに走り去った。
*注:松島五郎は、天田愚庵がモデルになっていますが、多少の設定を変えていす。
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字幕16
ある日のこと。
五郎は、美しい娘に出会った。
峠の茶屋でお茶を飲んでいる五郎。
旅装束の父娘が通りかかる。
父は、年老いて顔の皺が深い。
娘は、まだ二十歳になったばかりの愛らしさ。
背中に三味線を背負っている。
字幕17
もしや、父と妹では?
五郎、思わず駆け寄り、娘の肩を掴む。
字幕18
何をなさいます。
びっくりして父親にしがみつく娘。
字幕19
これは、人違い。申し訳ない。
謝る五郎に父親は、どうした?と尋ねる。
字幕20
実は、父母と妹と戊辰の戦の最中に生き別れになりました。
妹は、シノといいます。
五郎、寂しそうに俯く。
字幕21
それは、お可哀想に。
娘、キラキラとした瞳で見つめる。
五郎、やっと顔をあげて微笑む。
字幕22
せん、と言います。では、
父娘、峠を降りていく。
字幕23
その父娘の旅芸人は、次郎長の宿にて五郎と再会する。そして娘せんは、
五郎と親しい仲になるのであった。
ススキの河原。五郎とせんと仲良く手をつないで歩いている。
橋の欄干の陰から次郎長の女房お蝶が苦々しく見ていた。
字幕24
次郎長の女房お蝶は、五郎に密かに想いを寄せていた。
護岸工事現場。
フンドシ一つで人夫が石を運んでいる。
字幕25
一方、焼津の端の港では、食詰めた無宿人
が日銭で働いていた。
大政の指揮にも目を盗んでは、サボってばかりいる五、六人の無宿人。
その中の頭的な者がイチだった。
字幕26
その夜。宿では、
大酒を呑んで、暴れ回るイチとその仲間。
宿の亭主、困り果てて、清水一家の手下を呼ぶが歯が立たない。
イチ、酔って刀を抜いて座敷から座敷へ。
清水の子分も逃げる始末。
そして湯場で湯上りのせんを見つける。
イチたち荒くれに忽ち取り囲まれるせん。
月の夜。
宿の亭主は、次郎長宅へ駆け込む。
応対するお蝶。
字幕27
大変です。人夫たちが酔って暴れています。
芸人の娘が・・・・
頷いてお蝶、五郎の寝床を通りすぎ、大政のところへ行く。
字幕28
翌朝。
川を流れていく赤襦袢。
土手で人だかり。
通りかかった五郎、川を覗く。
川岸に半裸でひっかかっているせんの亡骸。血に染まっている。
役人が引き上げて、莚をかける。
駆け降りる五郎、痣だらけのせんの顔に
手を合わせる。
字幕29
鍛冶屋で五郎は、錆びた紫鎖鬼丸を研がせる。
怪しい光を放つ刀。
字幕30
けもの峠。廃鉱山跡。
岩山の山賊の巣に逃げ込んだイチたち。
盗んだ着物や金品を渡して、一宿一飯を預かるイチたち五名。
そのときつむじ風ーー
振り返るイチと山賊。
洞穴の入口に光る刀。
字幕31
もう逃がさないぞ。
五郎が紫鎖鬼丸を手に立っていた。
字幕32
相手は一人だ。やっちまえー。
走りこむ五郎。
あっという間に約三十名の山賊を切り倒し、鉱山の外へイチを追い出す五郎。
峠道へ槍を捨てて、逃げるイチ。
投げられた槍を払って、イチを一太刀。血を吸う紫鎖鬼丸。
崖から落ちていくイチ。
静かに刀を拭いて仕舞う五郎。
いま、空が一転かき曇り、大粒の雨が落ちてくる。
五郎、三度笠を被り、合羽を背にかけ、
けもの峠を下る。
そのワラジの足元は、雨粒の跳ね返りで
みるみる黒くなっていった。
字幕33
五郎は、清水を後にして江戸へ向かった。
そして山本長五郎こと次郎長宅には籍を抜いた詫び状が残されていた。
映写室の映写窓からさらに光の帯がシャカシャカとつづいていた。
映し出される箱根のススキと相模湾の雄大なロケーションがモノクロの画面
に流れていた。 客席の誰もが呼吸するのを忘れていたようにふうっと大き
く息を吐いた。汗を拭うトオルとカトキチ、目頭を拭う由香、久美、そして
京子お婆さん。
ぶーんと劇場の一番後ろで静かな冷却音をさせてエノケン一号は、電球の
ようなふたつの目で画面を見つめていて、そのブルーの目玉がさらに色を無
くして薄い白に近い色に和らげ出力していた。
何かをエノケン一号は、蓄積されたメモリーから今呼び出している。
それは、一気に海を越え、アメリカ大陸のサンフランシスコ港の雨の港と低
く垂れ込めた黒い雲の映像となって現れてきた。
「あんたは、女が嫌いなの。」
顔にシルクのショールを巻いた年の割には、赤い唇の形が厚くて色っぽい
白人の中年女が涙をブルーの瞳に溜めたまま云った。
「おれは、もう爺さんだぜ。エルザ。」
白髪の前髪が雨に濡れて、皺の深い眉間に張り付いたエノケンがボストン
バッグを桟橋の石畳に置いてぽつりと云った。
「ずっとあんたの世話をしてベットも一緒で一度も私を抱いてくれなかった。」
「・・・・・・」
「日本に待っている女がいるんでしょ。エノ。」
汽笛がぼおーと出航準備の合図を鳴らした。
「いや、待っている人がいないから、アメリカに来た。そして待っている
人がもういないって、はっきり堪忍したから日本に帰るんだよ。」
「どうしても帰るの?」
「もう年だからね・・・・」
「キスして・・・」
エノケンは、背伸びして細いエルザの口にキスをした。
2回目の汽笛が鳴った。
タラップを上っていくエノケンにエルザは、下向いたまま動かなくなった。
エノケンが客船のデッキに辿りついて、雨風にコートの前ボタンを留めながら、
桟橋を振り返ると、エルザは、傘も差さずにうつむいて歩き出していた。
「おれは、人殺しなんだ。」
と日本語でエノケンは叫んだが、エルザは、一度ハイヒールを捻って堪えきれ
ずに立ち止まったが、再び肩を震わせながら振り返らずに走り去った。
*注:松島五郎は、天田愚庵がモデルになっていますが、多少の設定を変えていす。
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