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ある日カッパ姉ちゃんとカメラおじさんの家に一匹の子犬がやってきた。
日々のうつろいの発見と冒険を胸に生きていこう!

さすらいー森の王者15

2010年12月10日 | 投稿連載
森の王者 作者大隅 充
     15
 山々は、厳しく切立ってその岩肌が捨てられた鎧を
幾重にも重ねたように積み重なっていた。谷は渓谷と
していつまでもつづいた。チャータは、狭く急な崖の
カモシカ道を注意深く肉球の爪を立てながら渡って歩
いた。行く手にそびえる一番高い山が白い峰の連なっ
たノコギリ山。そのギザギザの頂がなぜかチャータを
呼んでいる気がしてただひたすらバラバラと崩れ落ち
る岩をチャータは踏み外さないようにしっかりと進ん
で行った。
 山を越え谷を渡り、冬になり又夏になりチャータは
ひとり旅をつづけた。それもあの栗毛の女神を求めて
憑かれたように歩きつづけた。山を登り峰をめぐり最
小限のエネルギーで日々を過ごすため一週間に一度大
シカを捕えて骨ごと食べて後は石清水を飲んですませ
た。
 長い長い旅の果て海峡を望む雪山に出た。鉛色の海
は、天から舞い降りてくる大粒のボタン雪をパクパク
と呑み込んで灰色の牙を剥いて荒れ狂っていた。そこ
は下北半島の突端だった。チャータは疲れきっていた。
この海峡への山越えではシカを一頭も射止めることが
できなかった。ほぼ二週間水しか口にしていない。明
らかに背中とお腹がくっ付いてアバラ骨が痛々しく突
き出していた。とうとう地の果てまで来てしまった。
チャータは低く暗い雪降る海峡の空に向かって遠吠え
をした。それは天界の淵から底の見えない暗黒へ流れ
落ちていくかなしい滝の音のように長く細い木魂とな
って響いた。ついにあの栗毛の女神に逢えなかった。
そのメスオオカミの匂いを辿ってひたすら歩いた末に
辿りついたのは、雪深い海峡の山だった。嗅覚と闘争
心と胆力との研ぎ澄まされ方から言ったらこの野生の
世界ではチャータほどの能力を身に付けた者はいない
だろう。その素晴らしい最高のオオカミとしての力を
持ってしても栗毛の足跡はこの海峡の山で止まってい
た。栗毛はどこへ消えたのか。この荒海を泳いで渡っ
て行ってしまったのか。それともあの栗毛自体が本当
は幻だったのか。とにかくここで、この雪山でぷっつ
りと栗毛の存在がなくなってしまった。
 チャータは、しばらく海を見つめて雪の中立ってい
た。雪は、横殴りの吹雪から風向きが変わって真上か
ら舞い落ちてくるぼたん雪になった。シューパロの森
で母と兄弟たちと廃墟の屋敷で遊んだ懐かしい光景が
ふわっと甦って来た。つい昨日のようでもあるし遠い
遠い太古の記憶のようでもあると不思議な感情に心が
波打った。するとチャータの目の色がみるみる変わっ
て深い深いエメラルド色になったと思うと、みるみる
胸を肩を両腕を腿を、そして反り返った喉をぶるぶる
と震わして今度は低く怒号のような叫び声を天に向か
って吠え立たせた。一瞬ぼたん雪が止まって見えた。
そして海もが沈黙した。 
 このときチャータはシューパロ湖で生まれた野良の
ヤマイヌではなく一匹のゆるぎないオスオオカミにな
った。
 それから三日三晩雪は降りつづきチャータの形その
ままに雪帽子が海峡の山にできた。そして冷たくなっ
たその姿が発見されるのは、雪解けの四月になってか
らだった。

コメント
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