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ある日カッパ姉ちゃんとカメラおじさんの家に一匹の子犬がやってきた。
日々のうつろいの発見と冒険を胸に生きていこう!

資生堂パーラー・花椿ビスケット~シーちゃんのおやつ手帖105

2009年08月21日 | 味わい探訪
資生堂パーラーと言えば和光と並んで銀座の象徴。
大正ロマン・昭和モダニズムの時代には、ハイカラな
メニューを求めてモガ・モボが多く訪れました。
今回はその頃の銀座をイメージして、少しレトロな
アールデコ調に仕上げたつもりです。
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さすらいー地球岬 4

2009年08月21日 | 投稿連載
地球岬 作者大隅 充
     4
灰色の空が太陽のまわりだけうす明るくキラキラと霧粒
を漂わせながら、険しい気流となって流れている。オレ
は、路肩の積み雪に大の字になってそのほの明るい空を
見上げる。
何台かのトラックがオレの足を掠めて走り去っていく。
ガソリン臭い風が渦巻きとなって顔を撫でていった。
自転車もなくなった。ぐるぐると又お腹がなり出して雪
をつかんで口に入れた。冷たさが虫歯に凍みた。
オレは、一人きりで、不自由でもなく刑務所に入ること
もなく冬の冷たい空気を胸いっぱい一人前に吸っている。
オレは、あの空の霧みたいにただ漂って、誰にも気づか
れずこの世から消えて行きたいとはげしく望む。
 しばらくするとカチカチに凍ったオレの心臓に小さな
火がぽつんと灯った。それは、あの駅の待合室に捨てて
きた子犬の人なつっこい瞳がオレの中によみがえって炎
になったものだった。
どうしただろうか。
あいつは、今もひとりぼっちだろうか。いや、あんなに
可愛いんだから誰かが拾ってくれただろう。
何もオレがあいつの面倒を見ることなんかない。こんな
オレにそんな子犬を飼う資格も義務もないじゃないか。
だいたい足手まといだったし・・・
でもこの吹雪。どうしているだろう。寒くはないか。
サロベツにいたオレと同じように独りで凍えていないだ
ろうか。
すると急に涙が止まらなくなった。
悲しい。忘れてしまっていた悲しみの感情が甦った。こ
の予定外の想いが目の前にあることにオレは驚かされる。
本当に悲しい。どうして仔犬とつらいことがセットにな
ってしまうのだろう。
仔犬は、いつも人生の曲がり角にいた。
 あのときは、白いシーズーの仔犬だった。

「盗もうとしたでしょ。」
赤いグッチのメガネをした若い主婦が白いシーズーをオ
レの自転車の荷台から取り上げて金きり声をあげた。
「いえ。エサをやろうと思って・・・」
18才のオレは自転車の前カゴに入っている朝刊の束が
傾いて倒れないように太いハンドルをしっかり掴んで必
死で説明しようとした。
「どうしてウソつくの。」
「ウソじゃありません。」
「新聞店に電話しとくわ。」
「かわいかったから、パンの耳をやろうとしたんです。
本当です。」
オレは高校を中退して東京で新聞店で働いて一年も経
っていなかった。いつも配達しているバラに包まれた
一軒家の玄関にいる白い仔犬が懐いてきて、つい可愛か
ったから配達自転車の荷台でエサをやろうとしただけな
んだ。確かにすぐ先の公園の広場でいっしょに走って遊
びたいと思ったが、盗むなんてとんでもない。だいたい
四畳半のアパートで犬なんか飼えっこない。本当なんだ。
ちょっとだけ一緒にいて遊ぼうと思っただけなんだ。
 しかしその赤メガネの女は、ナイフのような一瞥をオ
レに投げかけてオーデコロンの匂いを残すと家の中へ入
ってしまった。
激しい落差が心の隅々まで直撃した。あんなに信用され
ないというか、言い訳も聞いてもらえないなんて。どう
しようもなさ、抵抗のしようのない惨めさがモロにオレ
に突き刺さった。
そう。次の瞬間。まだ半分以上配り終えていない新聞の
束をきれいにバラの花壇の飾られてた門の前に投げ捨て
ていた。
これでオレの東京生活は終わった。稚内から東京で調理
専門学校にバイトしながら通って自分の店を出そうとお
ぼろげに稚内工業高校の一年の担任だった上村先生に上
京する日旭川の空港で語った設計図が見事に崩れた。
オレは、ウソつきと言われてもなるほどウソつきに間違
いない。ガキの頃からこんなことばかりだ。
 結局一年もしないで東京から逃げ出して旭川のラーメ
ン屋で働いた。
今度北海道を出るとしたら、アメリカかオーストラリア
だと二年間働いたラーメン屋のシモネタしか言わない店
長に負け惜しみのようにウソぶいた。
 それがオヤジが病気にならなければ、この旭川も居心
地がよかったのに。
そうもいかなかった。オヤジが痛風で片足を切断した。
今までみたいに温泉客の送り迎いも浴室掃除も完全には
できなくなった。何よりも普通の生活が誰かの手伝いが
なければ困難になった。しかたなくサロベツに帰ること
になってしまったんだ。

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