こちら、自由が丘ペット探偵局 作者古海めぐみ
44
子供に語るお話の中では、オオカミ少年は、最後は本当のことを言っていたの
に誰ももはや信用しなくなってしまったために起こる悲劇の教訓の逸話だった。
ハルさんの息子夫婦の語っていたハルさん像は、北海道から一歩も出たことの
ない貞淑な母親としての姿だった。
春や健太や祐二に水野ハルさんが訪ねて来て語った春ちゃんのお祖父ちゃん猫田
半次郎との物語は、本人から聞いていた胸躍るようなラブストーリーだと思って
誰もが半次郎という画材店主を見直していたにも関わらず、実はそれがみんな
ハルおばちゃまの虚言だったと息子の水野正さんに暴露され裏切れたとガッカリ
して、やっとハルおばちゃまはオオカミ少年だったのだと無理やり納得した
ばかりだった。
どこで手に入れたか、あの若いハルさんの洗足池での半次郎さんが描いた
という油絵は、実のところ虚しい小道具だとその正体を知って、春はやり
きれない悲しい気持ちになっていた。
すべては、おばちゃまの老齢による病いのせいだと心のけじめをつけて一応
は一段落していた。
それが今またひっくり返ってしまった。
ハルおばちゃまは、哀しいオオカミ少年と思っていたのが本当は可愛らしい
恋に生きた追憶の羊だった。
どういう経緯かハルおばちゃまは、若い頃東京に遊びに来ていた。
その証拠にその写真の裏には、万年筆で
「S36年。夏。ハル嬢。洗足池にて。」
と書かれていた。
これは動かしようのない真実だった。
健太も祐二もツルさんが出してきたその油絵と全く同じ構図の写真を奪い
合うように手にとって隅から隅まで見直した。
同じもの。
どう見てもあのハルおばちゃまが持っていた油絵は、洗足池で若いハルさん
を写真に撮って、それから絵に描いたものに間違いない。
この事実のあらましをハルおばちゃまにどういう事情で北海道から東京へ来
て半次郎さんと付き合っていたのか訊こうにも、もはやハルおばちゃまも
半次郎さんもこの世にいない。
向こうの世界で目出度く二人が結ばれたかどうかも想像するしかないが、
とにかくハルおばちゃまは、アルツハイマーで記憶が不確かであったが、
昔半次郎さんと交わしたラブストーリーは本物だった。
春は、ワイングラスに映った自分の歪んだ顔を見つめて、ザラザラした罪悪
感に捉われた。なんで自分は、おばちゃまを信じてやれなかったのか。
見えない穴が開いていくら息を吹き込んでも膨れない風船のように自らの
心が萎んでいるのを春はどうしようもなく情けないなと思った。
屋上での快気祝いの会も終って夜。春は、誰もいないスタジオでハル
さんを描いた油絵とハルさんを映した写真とをテーブルに並べて独りで
ソファに横になり、毛布をかぶって見つめた。
すぐ下の自由が丘駅の電車の音もとっくにしなくなり、静かな深夜の
デパートの中のスタジオでは小さな冷蔵庫のブーンという機械音だけが
響いていた。
ふたりのハルさんは、白のホリゾントをバックに同じように微笑んでいた。
もし自分が同じだけ歳をとって人生を積み重ねたとしても、ハルおばちゃ
まのように人を愛する情熱を持ち続けられるだろうかと自問してみた。
「おばちゃまが羨ましい。」
絵心はわからないが、写真を一応勉強した者として、その池の前で映った
ハルさんの少し戸惑って、その裏返しにわざと意地悪に微笑んだ表情は
お互いに愛を共有していないと撮れない写真である。
もしかしたら愛する人たちが一生で一度しか持てない初々しい至福の表情
ではないだろうか。春はそんなことを考えていると何時までも寝ることが
できずに結局朝を迎えた。
それから一週間ほどして春は、ハルおばちゃまの墓参りに出かけた。
はじめ健太も祐二も一緒に行くと言っていたが、当日の朝になって二人
とも仕事の用で来れなかった。
春は、花をツルさんから買って墓に手向けると、息子さんにも誰にも
お祖父ちゃんとのラブストーリーは語らず黙って祈りをささげた。
そして春は八王子のその霊園の門を出るとき、ハルおばちゃまの眠る墓石
の方をふりかえってニコリと笑った。
「おばちゃま。あのことは、内緒にしとくね。」
と心の中で呟いた。
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子供に語るお話の中では、オオカミ少年は、最後は本当のことを言っていたの
に誰ももはや信用しなくなってしまったために起こる悲劇の教訓の逸話だった。
ハルさんの息子夫婦の語っていたハルさん像は、北海道から一歩も出たことの
ない貞淑な母親としての姿だった。
春や健太や祐二に水野ハルさんが訪ねて来て語った春ちゃんのお祖父ちゃん猫田
半次郎との物語は、本人から聞いていた胸躍るようなラブストーリーだと思って
誰もが半次郎という画材店主を見直していたにも関わらず、実はそれがみんな
ハルおばちゃまの虚言だったと息子の水野正さんに暴露され裏切れたとガッカリ
して、やっとハルおばちゃまはオオカミ少年だったのだと無理やり納得した
ばかりだった。
どこで手に入れたか、あの若いハルさんの洗足池での半次郎さんが描いた
という油絵は、実のところ虚しい小道具だとその正体を知って、春はやり
きれない悲しい気持ちになっていた。
すべては、おばちゃまの老齢による病いのせいだと心のけじめをつけて一応
は一段落していた。
それが今またひっくり返ってしまった。
ハルおばちゃまは、哀しいオオカミ少年と思っていたのが本当は可愛らしい
恋に生きた追憶の羊だった。
どういう経緯かハルおばちゃまは、若い頃東京に遊びに来ていた。
その証拠にその写真の裏には、万年筆で
「S36年。夏。ハル嬢。洗足池にて。」
と書かれていた。
これは動かしようのない真実だった。
健太も祐二もツルさんが出してきたその油絵と全く同じ構図の写真を奪い
合うように手にとって隅から隅まで見直した。
同じもの。
どう見てもあのハルおばちゃまが持っていた油絵は、洗足池で若いハルさん
を写真に撮って、それから絵に描いたものに間違いない。
この事実のあらましをハルおばちゃまにどういう事情で北海道から東京へ来
て半次郎さんと付き合っていたのか訊こうにも、もはやハルおばちゃまも
半次郎さんもこの世にいない。
向こうの世界で目出度く二人が結ばれたかどうかも想像するしかないが、
とにかくハルおばちゃまは、アルツハイマーで記憶が不確かであったが、
昔半次郎さんと交わしたラブストーリーは本物だった。
春は、ワイングラスに映った自分の歪んだ顔を見つめて、ザラザラした罪悪
感に捉われた。なんで自分は、おばちゃまを信じてやれなかったのか。
見えない穴が開いていくら息を吹き込んでも膨れない風船のように自らの
心が萎んでいるのを春はどうしようもなく情けないなと思った。
屋上での快気祝いの会も終って夜。春は、誰もいないスタジオでハル
さんを描いた油絵とハルさんを映した写真とをテーブルに並べて独りで
ソファに横になり、毛布をかぶって見つめた。
すぐ下の自由が丘駅の電車の音もとっくにしなくなり、静かな深夜の
デパートの中のスタジオでは小さな冷蔵庫のブーンという機械音だけが
響いていた。
ふたりのハルさんは、白のホリゾントをバックに同じように微笑んでいた。
もし自分が同じだけ歳をとって人生を積み重ねたとしても、ハルおばちゃ
まのように人を愛する情熱を持ち続けられるだろうかと自問してみた。
「おばちゃまが羨ましい。」
絵心はわからないが、写真を一応勉強した者として、その池の前で映った
ハルさんの少し戸惑って、その裏返しにわざと意地悪に微笑んだ表情は
お互いに愛を共有していないと撮れない写真である。
もしかしたら愛する人たちが一生で一度しか持てない初々しい至福の表情
ではないだろうか。春はそんなことを考えていると何時までも寝ることが
できずに結局朝を迎えた。
それから一週間ほどして春は、ハルおばちゃまの墓参りに出かけた。
はじめ健太も祐二も一緒に行くと言っていたが、当日の朝になって二人
とも仕事の用で来れなかった。
春は、花をツルさんから買って墓に手向けると、息子さんにも誰にも
お祖父ちゃんとのラブストーリーは語らず黙って祈りをささげた。
そして春は八王子のその霊園の門を出るとき、ハルおばちゃまの眠る墓石
の方をふりかえってニコリと笑った。
「おばちゃま。あのことは、内緒にしとくね。」
と心の中で呟いた。