わいるどぴっぐの猪突猛進

いつも疑問に思うことを書いていきます。

己を利するってどうなの?

2016-05-15 23:53:47 | 仕事
こんばんは、ぴっぐです。
実はですね、このブログを好評価してくれる医療機関の方がいまして、ちょっとこれから広め方を考えたいと思います。

さて仕事ですが、まずはボーナスをもらうことを目標にします。
そこまでは続けたい。

今回はその話題はおいといて、気になることを1つ。
私はクレイジージャーニーという番組が好きです。テレビで見る数少ない番組です。

公式HP
TBS 毎週木曜日深夜00:10から
http://www.tbs.co.jp/crazyjourney/#midokoro

簡単に言うと、世界の変わったところに行く人に同行する番組です。
今までは世界のスラム街を紹介する丸山ゴンザレス
世界の変わった自然現象などを写真に収める佐藤健寿 などなど。

特に私のお気に入りは丸山ゴンザレスです。
そのゴンザレスが、先週あたりメキシコの麻薬カルテルの取材をしていました。
メキシコの麻薬カルテルは、わりと有名ですね。アメリカに輸出するために、住民を拉致したり、見せしめに殺したりしている人達です。
本当のところすべての街で危険なのか、一部の街だけなのかはわからないです。

外務省によると、
・殺人件数は増加傾向
・警察官が関与したと疑われる事件が地方都市で発生するなどしているため,一般的に治安機関に対する国民の信用は低く,2014年9月にゲレロ州イグアラ市で発生したアヨチィナパ教員養成学校生徒襲撃及び行方不明事件では,イグアラ市長が襲撃事件を指示したと見られており地方政府、地方治安機関、犯罪組織の繋がりが明るみに出た。
・メキシコにおける誘拐発生件数は,2015年の公式統計では1,053件で,タマウリパス州230件,メキシコ州163件,ベラクルス州97件,ゲレロ州81件,タバスコ州78件

そうです。
行政が信用できないわけですね。

デイスカバリーチャンネルでは、麻薬をアメリカが購入→他の作物よりもうかる→農家を誘拐、脅す→麻薬を作らせる→麻薬のマーケットをめぐりギャングが対立→市民巻き添え、だったと思います。

そこで住民は自警団というのを作る訳です。
もっとも、ここからがポイント。
普通の市民からすると、自警団も必ずしも歓迎されてない。その理由まではテレビで詳細にやってませんでしたが、こんなやりとりがあります。

ゴンザレス「カルテルについてはどう思いますか?」
市民「どっちのカルテル?」(苦笑い)

そうです。
市民にとっては自警団も麻薬カルテルも、同じ「カルテル」でくくられているということです。つまり、自警団も悪い人と認識されている可能性がある訳です。

番組後半で、自警団のメンバーが警察に銃の不法所持で逮捕されていました。
番組の最初では、「自警団は警察から許可をとって銃を所持している」とゴンザレスは聞いていました。
つまり今まで放置していたけども、急に取り締まったということです。

なぜ急に取り締まったのか?
自警団を取り巻く政治的な動きがあったんでしょうね。

この中で最後にゴンザレスがこう言います。
「どの組織が正義ということはない。みんな己を利するために動いているだけであり、自警団のメンバーが隠れてカルテルをしていたり、警察が自警団を利用することもある。何かが正しいという価値観で見ていると理解できないと思う」

私はこれを見て、ドーンと来ました。

長くなりましたが、ここからが本題です。
私はいま生産品質管理部で部長に保護されています。しかしそんな部長の行動が、数日前に変わりました。

なんで変わったのかなと思うと、思う理由は1つ。
社長の私に対する風あたりが変わってきたのだと思います。
社長のコネで入った以上、社長は私を気にかけていた。しかし組織の矛盾点ばかり指摘する私は、扱いにくい存在。それゆえにもめ事も沢山おこす。
そこで少し距離を置くことにしたんでしょう。従業員からは「恐怖政治」と揶揄される社長ですから、みんな社長の動向に敏感です。
そんな社長が距離を置いたということは、「ぴっぐを保護しても己を利するものがない」と部長が判断したと思われます。

実際に部長がどう考えていたかは分かりません。
しかし部長というか役職についている人の殆どは社内ではイエスマンと言われていることからすると、社長の動きに敏感なのでしょう。
つまり、「組織の将来」という判断基準は、各々の役員にないのでないか。
あるのは「評価者の評価基準」という基準のみ。
評価者が組織の将来を考えているならば、組織の将来=評価者の基準となります。
しかし実際はそうは見えない(本当はそうかもしれないが、平社員の私にはわからない)

私の部長を見ていて、ふとクレイジージャーニーの麻薬戦争が思いついたわけです。

<参考>
外務省海外安全渡航情報「メキシコ」


疲れた

2016-05-10 15:11:46 | 仕事
家に変えると疲れて何もやる気がでないのです。
家に帰らないときには、足りない法律をブラッシュアップしたりして。

皆さんがどう思うかは別にして、私は基本的に悪気ないのです。
「こいつはおかしい!」と思うことだけ、おかしいといい続ける。
その過程で相手の方が先に感情情的になり、だいたいこじれる。

その「おかしい」というのは私独特の価値観だったり、私独特の言葉遣いだったりきっとするのでしょう。
だから周囲に伝わらない。

実はいま会社の仕組みが変わりそうなんです。
それは先日私がキレことを受けて、三者面談。そこでいろんな意見がやっとでて、少しだけ前進しそうなのかな。

でもね、私は毎回こんなことを小学校のときから繰り返して、疲れてしまったのです。
みんなあとから気付くのです。「ぴっぐの言ってたこと、合ってたよな」って。
でも、そこに気付くまでに、だいたい大きな激突があり、そして私は常に1人なのです。
もちろん、そこで捨て台詞履いていなくなる人の方が多い。

小学生の頃は「周りは烏合の衆だから」と思ってたから気にならなかった。
高校、大学と海外にいけばよかったけど、まずは日本のトップになろうと思った。
でも、日本のトップになれなかったし、大人になっても周りは大きく変わらなかった。

先日、「スティーブジョブス」という映画を見ました。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%96%E3%82%BA-DVD-%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC/dp/B00FYJS6ZS

ジョブスは信念で描かれるけど、ようは周囲の思い、基準が自分の中に入ってこない。
自分の基準しか見えない。あれは完全に知的障害のないASDだと思う。

ただジョブスが生きられたのは2つの理由。
1つは、こだわり思考を、アメリカ社会では否定的なものと捉えられなかったこと。協調=善、という価値観がアメリカにはなかったんだと思う。
もう1つは、私がジョブスほど私が賢くなかったってことなんです。

日本にいたのが失敗だったのかな。
会社辞めようと思います。

会社でおきていること(その6)

2016-05-04 20:52:09 | 仕事
発達障害5部作が終わったので、今回は会社の現状を書こうと思っています。
以前に、同じ部署の登場人物にA-Fまでふりました。
今回はBさんにしましょう。いまBさんと問題になっています。

Bさん(40代後半男性)とは定例業務である、「一定規模の取引案件の会議に参加して、法務的観点から意見すること」をしています。
会社でおきていること(その2)

Bさんとは少し話をしましたが、話を理解できません。まず会話だと何を言っているのかわからない。メールになると少し整理されます。Bさん自体が説明を不得手としているようです。「思われます」と書いているのは、この数か月の間に社内の様々な部署の人に話を聞いた結果、以前に私と揉めたAさん、今回のBさんと人間関係に難ありな人物と複数人の証言を得たからです。
また、Bさんは部署の中で、特定の人Cさんといつも話をします。Cさんに相談をするのですが、CさんがBさんと異なる意見を言うとだんだん興奮してきます。つまり意見を求めているように見えて、実は意見を肯定してほしいだけだったりします。
 
これは余談ですが、この部署はわけがわからないことが沢山あります。
私は「Cさんは建前上ここに座っているだけで、他の部署の人だから聞いてはいかん」と課長以下、Bさんは言うのですが、何かあるとみんなCさんに聞きます。
会社でおきていること(その4)

要はですね、この部署は社内の問題児の集まりのようです。

さて本題に戻ります。
Bさんに聞いても理解できない。かといって理解できないことを全面に出すと、感情を高ぶらせる。そこで私は何も話をしないことにしています。
そんな状況をおぎなうために、週1回部長と面談をして部長から直接指示をうけることにしていました。しかしここ数か月、部長は別の仕事があり、私のプライオリティは低いため、面談は中止となっていました。

こういう時に問題は起きます。
BさんはBさんの考えがあるようで、色々と言ってきます。

事例1、
例えば部長からは、「会議で問題を感じたら逐一指摘をしろ」と言われています。
それに対して、Bさんからは「その場の指摘でなくて、何度も指摘している通り総合的な提案をしてほしい」と言われています。
しかし部長から聞いていることと異なることが沢山あります。もっとも、その間に私とBさんの双方の間で不満が溜まっていったのも事実と推測されます。
まず私としては、「総合的な指摘」というのが何をイメージしているのかわかりません。だから「何度も」と言われても、(・・?と思うわけです。
かといって、「総合的な指摘とはなんですか?」と聞けば、怒る訳です。だから私としては「申し訳ありませんが、いずれ3人で話し合いをしましょう」と言って様子を見てきました。

事例2、
もう1つの定例業務である、「毎週発表される売上等の集計をすること(定例)」でおきます。私は作成の手続きを理解しなくていいので、まずは作業だけやってほしいと指示を受けています。
その結果として出てきた書類をBさんに渡していますが、その中にBさんのほしい情報がありませんでした。
Bさん「これぴっぐさんがやっていますか?」
P「はい、わたしです」
Bさん「なんで××が入ってないの?」
P「(作業指示しか受けていないのでわからないというと怒るんだろうなあ)私が指示を受けているのは××ということでして、そこから考えると・・・」
Bさん「している作業の説明はいいのでできない理由は?」
P「できない理由とはどういう意味ですか?」
Bさん「質問に質問を返してふざけているの?」
P「どこを、どうふざけていますか?」
Bさん「ぴっぐさんはわかるの?わからないの?」
P「わからないです。どこがどうなって、今のものになっているか仕組みはわかりません」
Bさん「誰にきけばわかるの?」
P「(前に揉めた)Cさんだと思います」
Bさん「そうか」
P「よろしいですか?」
Bさん「よろしくないよ」
P「私には説明できません」

という具合ですね。
私の心理としては、「できないものはできない」ので、「できない」という言葉がぴったり来ます。しかしBさんとしては「できない」と言われると否定された気がするのでしょう。それを見越して私は作業説明をしたのですが、Bさんは遠まわしと感じたようです。
ここでもわだかまりが生まれます。

これらのことを踏まえたうえで、ある会議の終了後にBさんに質問をしました。
P「このシステムテスト時の工数では足りないとは、どういう意味ですか?」
Bさん「もともと見込んでいる工数が少ないので、終わらないかもという意味です」
P「それはテストという検査そのものが終わらないという意味ですか?」
Bさん「瑕疵が出た場合の改修が終わらない可能性があるので、そこをどうするかという意味です」
P「システムテストの中には、検査という概念と、瑕疵担保という概念と双方含むのですか?」
Bさん「瑕疵は瑕疵担保で、検査はテストで・・」
P「ということは、テストが終わらないって意味ですか?」
Bさん「何度も言っているだろう。あっちいけよ!」(怒鳴って手で払うフリをする)

Bさんはマンツーマンの時にはだいたい態度が大きくなります。
自分より下手に出る人にも同様に態度が大きくなります。
私はここでキレました。

P「お前はいつもそうだな。マンツーマンになったり、目下の人間にはそうやって横柄な態度に出る。今は検査の話をしているだけだろう?何を怒鳴るんだ。怒鳴る理由を説明してみろ!」
Bさん「お前とはなんだ?」
P「ほー、お前が気に食わないのか?じゃあ、あんたと言おうか。さあ、あんたと同じように私も怒鳴ろう。ここで問題にしているのはテストの話だろう?何度も説明というが、そもそもいつといつに「テスト」という用語を使って説明したか?言ってみろ。」
Bさん「私はもう説明しません」
P「そうか。そうやって終わりにする気か。何度も説明したと言ったのはそちらで、どなりだしたのもそちらだ。じゃあ、どちらが正しいか、皆の前でやるか。あんたは人がいないところでは態度を変えるからな。その方が話もスムーズだろう」
Bさん「俺はもうやらん!」
P「そうやっていうのか。私はいつでもみんなの前で言えるぞ。」

という具合です。
そこで部屋に戻って、
P「さあ、再開しよう。あんたの言いたいことをはっきり言ったらどうだ」
Bさん「どうしてみんなの前でやらなくちゃいけないんだ。迷惑かけるなよ!」
P「ほー、どんな迷惑だ?このまま曖昧にしている方が会社の損失で迷惑じゃないのかね?さあ、どなったらいいじゃないか。さあ!」
という類の流れだったと思います。

そこで課長が止めに入ります。
初めてのことですね。

別室にいって、課長とマンツーマンで話をします。
課長「ぴっぐさんはどうしてみんなと揉めるんだ?ぴっぐさんが来る前は静かだった」
P「私が揉める原因を作りだすというより、コミュニケーションの苦手な人が集まって問題が生じているだけと思います」
課長「ぴっぐは周りを受け入れてないよなあ」
P「私は思うことは率直に伝え、言われたことをいつも考えています。今回怒鳴ったのも、向こうが怒鳴ったので怒鳴り返しただけです。そもそも受け入れるとは、どのような行為をいうのでしょうか?」
課長「それは説明が難しいなあ」
P「私は誰とも分け隔てなく、私なりにですが敬意を払って説明しています。しかしそこで私の思考のクセなりをうけて、邪見な態度、辞め指すぞ等の暴言を吐いてくるのは向こうです。これ以上、どう受け入れればいいのかわかりません。攻撃されたので、攻撃をし返しただけです」
課長「攻撃を受けても攻撃しなきゃいいんじゃないの?」
P「私がかつて課長と揉めた時、課長は攻撃をしてきましたよね。だから攻撃をしないというのはなかなかむずかしいのではないでしょうか」
課長「うーん」
P「私には私の気づいてない思考のクセがあるんだと思います。それを周囲は面倒だと思うのでしょう。それに付き合い切れないのであれば、あとは私が資料等をみて自分でやっていくしかないと思っています。

この事件を受けて、部長、Bさんと話しもします。
部長「できるだけ感情はおいといて、どうしたら問題解決できるか考えよう」
Bさん「何度も説明しているのですが、ぜんぜんぴっぐには伝わらないのです」
P「何度も説明されたとの認識がありません」
Bさん「何度も説明しただろう!」
P「このように、だいたい先に感情を高ぶらせてくるのはBさんだったり、以前に揉めたAさんだったりします。もっともすべての人と揉めるわけではありませんので、結局、私を含めてコミュニケーションの下手な人達がそろうと揉めるのだと思います。」
Bさん「私は下手ではない!」
P「仮に下手でないにしても、だんだん興奮してくるので、基本的には話をしないようにしています。」
P「私をこの会議から外しても構いませんが、誰か優秀な人をこの会議に入れてください。そうしないと訴訟になるような事件は定期的に起きると思います。Bさんは忙しいせいもあるかもしれませんが、Bさんにはそのような社内の問題を解決するインセンティブがないと思うからです。インセンティブがないと思った理由について説明する必要があれば、お話ししますが・・・」
部長「ぴっぐは採用ありきでこの会社にきたので、ぴっぐ以外にやる人はいないのです。ほかにできることもなかろう」
P「それでは、コミュニケーションをどうやって取るか考える必要があると思います」

という具合でいったん終了です。

さて今週6日(金)に再度話し合いの予定ですが、どうなることやら。

発達障害その5

2016-05-04 18:49:38 | 発達障害
発達障害その5
今回は対策のパートですね。

第1、医学的な対策
これはもう医学的に答えが出ているのです。
「環境調整」なのです。つまり、周囲が変わることです。

「大人の発達障害ってそういうことだったのか」ではこう言います。
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本人に改善させるのは無理でしょうか?
全く無理ではないです。でも、比率的には8:2や7:3くらいの割合で環境に働きかけた方がいいと思っています。大人の場合はまず、できるだけ働きやすい職場を探す、適応しやすい環境を作ることが大事です。
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今まで述べてきたことの中にヒントがある気がします。特にこの部分です。
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しかしもっとも深刻なのは、想像力、イマジネーションの部分です。
「発達障害でつまづく人、うまくいく人」(備瀬先生)ではこう続きます。
定型発達の人達は、成長の過程で「こういうことはやっちゃダメ」、「そういうことを言ってはいけない」という注意を受けると、「これがダメだということは、どうふるまえばいいのか」と想像して、社会的に受け入れられる行動を学習していきます。
日本では「こういうことをやってはいけない」という言動によって教育されることが殆どで、「こういう風にしなさい」と適応的な言動を教えるような教育法は主流ではありません。想像力のズレの問題がない定型発達の人の場合は、それでも「なぜ叱られたか」と理由を推測しながら常識をみにつけていきますし、また「ああいう言葉は相手を傷つけてしまい、怒らせてしまうのか」というように類推して考えていき、その経験の蓄積と応用で社会性や問題とならないコミュニケーションの能力を獲得していきます。しかし、想像力に問題がある発達障害の人は、「こうしなさい」と明確に教えてもらえないと、「なぜ叱られているのかわからないけど、私ばかりが怒られると考えてしまい、中には「自分はバカだからだ」、「自分はダメな人間なのだ」と自己否定感ばかり強くなってしまったりして、性格傾向に影響が及んでしまいます。
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言葉通りなんでも受け取るので、曖昧なことが許せない、言葉の裏がわからない、自分に正直なのです。だったら、そうならないようにするだけなのです。

「こういうことをやってはいけない」という言動によって教育されることが殆どで、「こういう風にしなさい」と適応的な言動を教えるような教育法

これです。
ここにつきます。

細分化すると、こうなります。
・説明はできるだけ言葉で尽くす。
(例:「周りに足並みをそろえよう」という場合、足並みを構成する要素をあげて説明する。出社時間、仕事の内容、食事の時間、背広の色等。ありとあらゆる構成要素をあげていく)
・論理を尽くす。

こうすることで、本人が見えてない視点を与えることができます。

先の50代会社役員さんはこう言いました。
・「自分の言動は一貫した正当性があるので、それを理解または賛同して行動を変えない自分以外の「周り」に誤りまたは認識不足がある」というものすごく強固な意志
・Pの課題は圧倒的に相手への配慮、いやもっと言うと「愛とリスペクト」

この指摘は周囲の香水等を注意することから始まりました。
会社で起きていること(その1)

先の対策にあてはめると、
・50代会社役員さんはどのような判断基準から、「自分以外の「周り」に誤りまたは認識不足」と思ったのか。
・「圧倒的に相手への配慮、いやもっと言うと「愛とリスペクト」」の「配慮、愛とリスペクト」とは具体的にどのような行為なのか。どのような要素から成り立つものなのか。

ここがわかれば、理解できるかもしれません。
結局、外国人に説明するのと同じくらい丁寧に説明してくれれば、理解できる可能性を秘めている訳です。

第2、ぴっぐの考える対策
1、丁寧に説明する
思考方法には2種類あると言われています。それは1本の木を書くことを例にして説明されます。
・木の全体像をとらえて、最後に細部の枝、幹などに行く。
・細かい枝、葉などから書き、最終的に木になる。

発達障害の人は細部へのこだわりが強いので、後者です。
後者のメリットは、細部にこだわるので緻密なものができることです。
デメリットは、最後までいかないと何を書いているのが自分でも全体像を認識できないことです。

先の「こういう風にしなさい」と適応的な言動を教える」とは、木の全体像を先に伝える方法の1つと思います。そうすれば、自分が何を書いているのか、全部書き終わる前に認識できる可能性を秘めているわけです。

2、自由にやらせる
そこまで手をかけられないということであれば、あとは自由にやらせることに思います。
細部から書いているので時間はかかりますが、時間をかければ完成に近づく可能性を秘めています。
ここで重要なことは、途中で情報を制限したり、やり方に口を挟まないことです。そうすると細部が書けなくなってしまうので、戸惑ってしまいます。

第3、ぴっぐの活かし方
今行っているジムのトレーナーがこう言いました。
「ぴっぐさん。私はスペインでサッカーをしていましたが、スペイン人は努力や忍耐が先に来るとは考えません。努力するくらいなら、まず少ない努力で自分を活かせるところは何かを考えます。そして平均的な人よりも、デコボコでもいいので特徴的な人を好みます。
ぴっぐさんは細かいわけですが、例えば細かくて心配性な人がいるから、世の中には侵入禁止の立て看板ができたり、トレーニングで補助バーというのが生まれたのだと思います。
コミュニティーへの適応は大事ですが、それが一番大事とも限りません。自分を活かせる道、コミュニティを探すことが一番大事だと思います。」
これを聞いてなるほどと思いました。

ぴっぐは普通の会社員、向いてないと思います。
会社員とは良い部品として組織に合わせることが求められるのであって、相手の求める形をした部品にならないといけないからです。
この細かさを活かせる何かをしたいと思っています。

ここでも鈴木さんを引用です。
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私が感じる日本と海外の一番の違いは、「失敗してもいい」という前提があるかないかなんです。海外では、たとえ失敗しても、それは次の成功につながるものとして前向きに評価されますが、日本では「失敗は絶対に許されない」という表現をよく使いますよね。自分が失敗したら、社会や世間に多大な迷惑をかけてしまうと思って萎縮しているように見えます。
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失敗してもいいじゃない。

<参考文献>
「大人の発達障害ってそういうことだったのか」(宮岡等、内山登紀夫)

「発達障害でつまずく人、うまくいく人」(備瀬哲弘)

日本の「失敗は絶対に許されない」文化は新たなチャレンジを阻む

発達障害その4

2016-05-04 17:09:40 | 発達障害
今回のパートは、具体例ですね。

第1、よくある例
備瀬先生の本から、わかりやすい例をいくつか引用します。私が同じように思ったものです。

<例1>
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「君には積極性が足りない」、「この仕事は適当でいいから」と指摘されても、自分のどういう行動を見て、積極性がないと言われているのか「全く意味が分かりません」と言います。辞書に書かれているような言葉の意味としては分かっていますが、それが本当に意味しているところがイメージできないのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――--
これは理解しやすい例ですね。
積極性や適当を構成する要素が示されていないので、相手がどういう思考プロセスから、評価を下したのかわからないのです。納得です。


<例2>
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大学生学生のN君は就職面接で、最後に「営業はどうかな?」と聞かれたので「私の希望は企画部です」と答えました。希望部署はエントリーシートにも書いてあることだし、面接の最初の方でも確認したはずなのに、N君はなんだかおかしいなと思いつつも「企画部です」と答えました。
自宅に戻って家族にその話をすると、「営業だったら採用する」ということを暗に伝えていたのでないかと指摘されて初めて気が付きました。「どうかな?」などの言葉遣いには文脈によって色んな意味が派生してきます。そういう曖昧な言葉遣いが使いできないのは、発達障害の人達の特徴でもあるのです。
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これもわかりやすい例です。
「どうかな?」に含まれる意味合いが多すぎるのですね。
発した人の言葉が曖昧すぎるという、発した人の責任とおもいます。


<例3>
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問題は経験を一般化できないことにあります。
次に同じ状況にあった時に、登場人物や場面が違っていたりすると応用が利かないのです。
O君は周りの同僚とのコミュニケーションがうまくいかなくて、職場を異動することになりました。
「今度の職場では、みんなで足並みを揃えるんだよ。それが君の良くないところなんだから」と新しい上司に告げられました。
「足並みを揃える」の意味がO君に理解できません。戸惑っている様子を見て、上司は「例えば、出勤時間もあまり人より早すぎにせず、みんなと同じような時間に来るとかだよ」とつけ加えました。
そこでO君は納得してしまうのです。「あーそうか。僕はけっこう朝早く会社に来るからな」と直線的に解釈してしまいます。発達障害の人の理解のズレはこういうところに見られます。「例えば」で言われたことが全てとなってしまうからです。
N君は注意を受けたにも関わらず、職場での行動に改善がみられないと評価されてしまったのです。なぜなら、みんなと「足並みをそろえるように」と指摘されたのに、同僚と協調して仕事をやっていこうとする積極的な姿勢がみられないからです。
発達障害の人達に対する職場での評価として、「何度同じことを注意しても同じミスを繰り返す」ということがあります。しかし、本人にとっては、毎回違うシチュエーションなのに、なぜ「同じ」ミスと言われるのかがわからないということが、知的に高い人でも多くみられます。
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これもよくわかります。
「同じ」の構成要素が示されてないんですよね。
何を同じと評価するかは人によって違うのですから、どういう要素が連続して発生したから同じと判断したかを、説明する必要があると思います。
僕にとっては青も青緑も同じです。
「青」だからですね。その説明をしないで、「同じ」とだけ評価して終わりなのはずいぶん酷いなあというのが感想です。


<例4>
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「今日は、この仕事が終わるまでは残業してくれ。終われば帰っていいよ」と上司が言いました。
K君はそこでパニックに襲われます。
「仕事が終わるとはどういう意味だ?」
「この仕事を今日で終わらせる?」
「いや、それは無理だ。となると終わるまではどういうことだ?それは何時までなんだ?」と頭の中が混乱します。
その上司の曖昧な指示にイラ立つのは前にもこういうことがあったからです。
その日は自分の仕事が終わったので、さっさと机の上を片付けて帰宅しました。
翌日、上司から「周りがあんなに忙しそうにしているのに、なんで先に帰ったんだ!そういうのは良くないぞ!」と注意されました。
数日後、帰社時間になっても周りの同僚がまだ机についているので、K君は仕事がなかったのですが、パソコンを眺めながら時間を潰していました。そうしたら今度は逆に、上司から「今日は残業代つかないぞ。なんで何もしないでお前は残っているだ」と叱られました。
K君からすれば、帰ったら叱られるし残っていたら叱られるしで、どうしいいのかわかりません。次にそんなことがあったら、上司と納得いくまで対決したいと思っています。
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これもわかりやすい例です。
K君と同じことを私も考えます。
ようは、「帰っていい」という基準が不明確なんです。


<例5>
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本人は禁煙の場所でたばこを吸っていた人がいたので注意したら、上司に怒られたと憤慨してまくしたてるのですが、上司の話では、たばこを吸っていたお客さんをどなりつけたので、「お客さんなら黙認するしかない」と本人に説明したというのが真相で、本人は「禁煙なのにたばこを吸っている人に注意して何が悪いのか」と反論したそうです。

同僚が喫煙している場合は注意すべきだけど、お客さんが吸っているのはやむ得ないので注意しないと言った言い方はダメです。それでは、別のお客さんには注意して良いと思う人もいるし、同僚に注意するのもダメなのかと思いこむ人もいます。

物事の良し悪しの判断がなかなかできない人には、損得勘定で説明することがあります。
たとえば太っている人に対して「デブですね」などと言ってしまう人がいたとします。そういう人に「本人に向かってデブなんて言ってはダメだよ」と注意したところで、わかってもらえないことが多いです。
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これも非常によくわかります。
原則、禁煙。例外として喫煙があるのだけど、喫煙の基準が不明確。これは基準の不明確さに問題あると思います。

物事の良し悪しっていうのも思いあたる節があります。
私はむかし、友人の彼女を「ティラノサウルスに似ているね」と言ったことがあります。
また、初めて会った女性に「爬虫類みたいだね」と言ったことがあります。
両方とも悪意や害意があったわけでなく、むしろ良い意味で言っていました。
恐竜は強さの象徴ですし、爬虫類にはヘビがいますが、ヘビも強さの象徴です。
そのころの友人が私にこう言いました。
「ぴっぐちゃん、いいかい。女性に言っていいことと、いけないことがあります。その基準はディズニーになっているかです。クマは実際のところとても凶暴なんだけど、プーさんがあるから悪いイメージはない。それに対して恐竜やヘビは小学生男子は憧れるかもしれないけども、まずディズニーの主役にはなっていない。出ていたとしても、悪役です。女子はイメージで生きていて、そのイメージはディズニーなどに影響されている。だからディズニーになっているかが重要だよ。例えばカエルはケロロ軍曹があるけども、あれはディズニーにないね。だから可愛いと思うかどうかは人によって当たりはずれがあるので、カエルに例えてはダメです。」
これは非常にわかりやすい説明ですね。
恐竜等がいけない理由(イメージで生きている)、基準(ディズニー)とはっきりしています。

「大人の発達障害ってそういうことだったのか」では、「言葉を字義通りに受け取る」、「曖昧なことが許せない」について、こうも書いています。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
一概に言えないと思いますが、一般にかなり知的に高い人でも、「少しゆっくり」というのが「どの程度ゆっくり」なのかわからないようです。「目の前のことをこなしていこうね」と言ったら、「目の前に何もないじゃん!」と言った大学生がいるんですよ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
上記の例から言えることは共通です。
基準の不明確さなんです。
積極、帰社、すべてそうですか、そのような判断をした要素がなんだかわからないので、相手の思考プロセスがわからない。プロセスがわからない以上は、こちらで判断ができないということです。


備瀬先生はこうも書きます。
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発達障害の人たちは、人と会話をしていて、相手の言ったことを「そのまま信じて」受け取ります。だから、「純粋」だとか、「素直」だと評価される反面、会話の流れや文脈の意図を理解できないため、相手が本当に言わんとしているところをくみ取ることができません。皮肉や冗談も通じないので、「馬鹿正直」だと言われることもあります。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
このように、言葉を字義通りに受け取るわけです。
これは私も何度かあります。
「ぴっぐさんはどうして、そんなに素直じゃないんだ」と何度なく言われたり、「私はこれ難しいと思います」というと怒り出すひと達が沢山いるわけです。
こういう状況をつぶさに観察すると、ある特徴があります。
この「素直」と他人に使う人というのは、小さな子供に対して「素直ですね」と思ったことウソ偽りなくいうという意味では使ってない。だいたい社会的地位があって、年配の男性が使う。これは自分のいったことをそのまま「はい、わかりましたとどうして言わないのか」という意味で使っている。
 「難しい」の場合は、だいたい「できません」という意味で受け取っている。お断りの連絡で就職などでも「ご縁がなかった」という遠まわしの言い方をしますね。これと似ていて、できない=難しい、という言葉の使い方をする人が圧倒的に多いので、私が「難しい」というと、できないという意味だと即座に反応して怒るわけです。
 このことをわかるのにだいたい30年かかりました。

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しかしもっとも深刻なのは、想像力、イマジネーションの部分です。
「発達障害でつまづく人、うまくいく人」(備瀬先生)ではこう続きます。
定型発達の人達は、成長の過程で「こういうことはやっちゃダメ」、「そういうことを言ってはいけない」という注意を受けると、「これがダメだということは、どうふるまえばいいのか」と想像して、社会的に受け入れられる行動を学習していきます。
日本では「こういうことをやってはいけない」という言動によって教育されることが殆どで、「こういう風にしなさい」と適応的な言動を教えるような教育法は主流ではありません。想像力のズレの問題がない定型発達の人の場合は、それでも「なぜ叱られたか」と理由を推測しながら常識をみにつけていきますし、また「ああいう言葉は相手を傷つけてしまい、怒らせてしまうのか」というように類推して考えていき、その経験の蓄積と応用で社会性や問題とならないコミュニケーションの能力を獲得していきます。しかし、想像力に問題がある発達障害の人は、「こうしなさい」と明確に教えてもらえないと、「なぜ叱られているのかわからないけど、私ばかりが怒られると考えてしまい、中には「自分はバカだからだ」、「自分はダメな人間なのだ」と自己否定感ばかり強くなってしまったりして、性格傾向に影響が及んでしまいます。
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これもよくわかりますね。
要はですね、怒った基準が不明確なんですね。
怒るっていうのは主観です。私は怒った本人ではないのですから、なんで怒ったか必ずしもわからないわけです。
そういう怒る基準というのを自ら明確に説明もしないのに、怒っても次に活かしようがないのです。
私からすると、これは怒った方の説明義務違反です。怒った方の怒り方に問題があるのです。これも普通の人はそう思わないのかなあ!?


第2、まとめ
「大人の発達障害ってそういうことだったのか」こう締めくくります。
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反省という言葉も難しくて・・・。僕に言わせれば、定型発達の人は反省した振りが上手いです。例えば、裁判を有利にするために「反省した」とは言いますが、実際には反省していない人がたくさんいます。でも、アスペルガーの人はそんなウソがつけないので、反省を上手に表現することが苦手です。だから「刑務所からでたらまたやりますか?」と聞かれると、「冷静に考えれば、またやっちゃうと思います。やりたくないとは思いますけど」とか言っちゃって。
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ここでも、とてもよくわかる例がでましたね。
「僕に言わせれば、定型発達の人は反省した振りが上手」、ここなんです。
定型発達とは正常に発達した、いわゆる普通の人です。
普通の人は自分の基準で動いてない。世間の評価=基準、です。
だから世間の評価によって自分が受ける損得、プラスマイナスと、自分の行動による損得を比較考量しているだけです。
 それに対して、発達障害の人は世間の評価をそもそも理解できない、想像できないので、判断基準の中に世間の評価は入り込まないのです。
 さらにどういうわけか正直な傾向があるので、「冷静に考えれば、またやっちゃうと思います。やりたくないとは思いますけど」と言ってしまうことがあるのですね。
今回はかなりわかりやすい例を挙げました。
どの例も、同じ状況になれば私も同じことを考える例ばかりです。

もっとも、ここで注意してほしいのはASDにはグラデーション、濃淡があるということです。
上記の例で私は「そうだなあ、言っていることよくわかるな」と思う反面、「でも私も過去の経験から、面接で聞かれると何か暗示しているに違いないと推測できるようになったな」という具合に、成長をするわけです。
つまり人によって、どこで躓くかがバラバラだということです。

<参考文献>
「大人の発達障害ってそういうことだったのか」(宮岡等、内山登紀夫)

「発達障害でつまずく人、うまくいく人」(備瀬哲弘)

発達障害その3

2016-05-04 16:49:54 | 発達障害
前回までで、発達障害の簡単な特徴を書いてきました。
今回は発達障害者の特徴、
次回は具体例
次々回は対策について書いていきます。


第1、前回までのあらすじ
・発達障害とは、「社会性の障害」、「コミュニケーションの発達の障害」、「想像力の障害とそれに基づく行動の障害(いわゆる「こだわり行動」のこと)」の3つがあり、それによって社会生活に支障がでていること
・大きくわけると、ASD、LD、ADHDと3種類ある。(アメリカ精神医学会DSM-5による)
・LDとADHDは早期発見と対策が、今の小学校ではなされている。
・社会に今いる成人で一番問題になるのは、ASDである。
・発達障害には大きな3つの特徴がある。
・2012年の文科省調査結果(小学生を対象)によると、人口の20%が発達障害である。
・日本自閉症協会の調査によると、ASDは人口の1%存在する。

・先天的な脳の機能障害で、基本的には治らない。
・アインシュタインはアスペルガー(ASD)だったといわれている。

第2、障害の一般論
「発達障害でつまづく人、うまくいく人」(備瀬哲弘)にはこんな指摘があります。
<社会性の障害>
・仕事やプライベートで周囲の人と波長を合わせて行動したり、ルールを守ったり、マナーやエチケットに配慮したりすることに困難さがある。
・例えば、空気が読めないと言われたり、明らかに不適切な発言をしたという反応を受ける。
・自分の所属する組織や地域の暗黙の了解、冠婚葬祭のマナーがわからない。
・1つの仕事に集中しているときはいいのだが、2つ、3つと仕事が重なると、どう段取りしていいかわからなくなってしまう。

<コミュニケーションの発達の障害>
・言葉を文字通りそのままうけとることが多く、「冗談が通じない」とか「遠まわしな言い方が理解できない」と指摘されたりする。
・本音と建前を使いわけられないためウソがつけない。ついてもすぐにバレることが多い。頭に浮かんだことを口に出さずにいられない。
<想像力の障害とそれに基づく行動の障害(いわゆる「こだわり行動」のこと)>
・ルールや規則を絶対と感じている自分という存在があるので、あいまいなことだらけの社会とうまくバランスをとるため、こだわった行動をする。それが周囲の人に不可解と映ったり、困った行動だという印象を与える。
・物事屋とには都合があって、突然、予定が変更になるということに納得できない。
・通勤電車では同じ場所に座れないと気持ちが悪い。
・いったん好きなことを始めると、明日の予定にかかわりなくやめられなくなる。
・たとえやらないと不利になることであっても、納得のいかないことはやらない。
・物事には決まったやり方があって、それを少しでも外れると気に入らない。

<感覚の偏り>
・特有の音、光、匂い、模様、味などに対して、視覚、聴覚、触覚、味覚の五感に偏りがみられ、不快な刺激が現れると混乱してパニックを起こすことがある。
・周りの雑音や他人の会話している声などが、ヘッドホンで聞いているように耳に飛び込んでくるので、目の前の作業に集中できなくなる。
・特有の匂いや、人のつけている香水の匂いを嗅ぐと気分が悪くなる。


前回紹介した、「大人の発達障害ってそういうことだったのか」(宮岡等 、内山登紀夫にもこんな文章があります。

<社会性の障害>
一番わかりやすいのは、人よりも物に関心がある。お母さんと遊ぶよりも、物を並べる方が好きだとか。…なかでも、こだわり行動はいちばんわかりやすく、物をならべる、特定の物を集める、変化を嫌って、例えばお母さんの髪型が違うと嫌がる。
 <コミュニケーション>
言葉の遅れがいちばんわかりやすいのですが、高機能の場合は言葉そのものも遅れないことが多い。ただ、言葉をコミュニケーションに使用することに偏りがあります。独り言が多い、オム返しが多い。
 <イマジネーション>
普通は1歳半くらいで「ふり遊び」をします。そういったふり遊びが2~3歳までに出てこないこともあります。3~4歳で出現するごっこ遊びも非常に遅れる。
 ほかの特徴的な症状として、「感覚の過敏さ」があります。大きな音を立てると泣いてしまう。特定の音に対して過敏。
 三つ組の障害と感覚過敏、これが典型的なASDの特徴です
備瀬先生の本に書いてあることは、殆どあてはまります。
特にですね、以下の部分です。
「空気が読めないと言われたり、明らかに不適切な発言をしたという反応を受ける」
「1つの仕事に集中しているときはいいのだが、2つ、3つと仕事が重なると、どう段取りしていいかわからなくなってしまう」
「本音と建前を使いわけられないためウソがつけない。ついてもすぐにバレることが多い」「頭に浮かんだことを口に出さずにいられない」
「ルールや規則を絶対と感じている自分という存在があるので、あいまいなことだらけの社会とうまくバランスをとるため、こだわった行動をする。それが周囲の人に不可解と映ったり、困った行動だという印象を与える」
「たとえやらないと不利になることであっても、納得のいかないことはやらない」
「特有の匂いや、人のつけている香水の匂いを嗅ぐと気分が悪くなる」

香水事件なんか、まさにこれだと思います。
私は花粉症でもなんでもないのですが、特定の香水、特定の花の匂いを嗅ぐと気持ち悪くなります。小さい時からナスは苦いと思っているのですが、これも感覚過敏に影響しているかもしれません。
「普通の人であれば気づかないような匂いに対しても、敏感です。季節ごとの花の匂いにまいってしまうという人も少なくありません」(備瀬先生)との記載もあります。
ドンピシャですね。

第3、ASDの3つの特徴
備瀬先生によると、ASDには3種類あるそうです。
・積極奇異型
・受動型
・孤立型 
それでは1つずついきます。
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1、 積極奇異型
 人付き合いを自分から積極的に求めて動きます。相手に対する関心や興味がとても高いので、納得いくまで人にあれこれ質問したり、根ほり葉ほり相手のことを聞いたりします。
 相手の領域に踏み込みすぎるところがあって、その結果、人からは「変わっている」、「うるさい」などという評価を受けてしまいます。
 本来は積極奇異型であった人も、小さい頃から人間関係でネガティブな評価を受け続けてきたため、人付き合いに興味があっても、あまり自分から求めなくなるといった人も出てきます。

2、 受動型
 発達障害の典型的なタイプですが、人付き合いにはもともと積極的ではありません。ただ、求められると穏やかに人と接します。

3、 孤立型
 そもそも人付き合いが苦手で、求められても応じない傾向があります。そのため周りを拒絶している印象を持たれますが、ただ本人としては1人でマイペースをすごすことを好んでいるだけなのです。
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私は積極奇異型と思います。
というのも、人に興味があるからですね。海外に1人で旅行にいって現地の人に話しかけたり、調査をしたこともあります。また過去にアルバイトの電話をした際に、「調査かなにかですか?」と聞かれたことが複数回あります。
自分に自覚はないのですが、どうやら根ほり葉ほり聞いているらしい。

大学受験の頃の友人が私にこう言ったこともあります。
「ぴっぐちゃんは、普通の人が軽いキャッチボールしているところで、いきなり全速力で投げ込んでいるようなものだ。だから突っ込みすぎて周囲が引いてしまう」

ただ今の会社ではコミュニケーションがないのがデフォルトなので、初めて人生でコミュニケーションに躓いているんだと思います。

備瀬先生は続けます。
私のクリニックを受診される人の中で、性格の偏りのために生きづらくなっているだろうなと感じるのは、「否定感があまりに強くなっている人達」です。その中に「それでも人との関わりを求めている人」と「もう関わりはゴメンだと思っている人」がいます。どちらにしろ、自分の体験をネガティブにとらえています。
発達障害の特性があるために、周りからずっとネガティブな評価ばかり受けてきた人の中には、周囲の人に不信感を募らせている人、対人関係にとても敏感になっている人がいます。
私の正当化が強い要素の1つとして、否定感が強いことがあると思います。
50代役員さんの指摘も、私は何かピンとこないというか、的外れに思っているのも、そのためかもしれません。役員さんの指摘自体は後で書きます。

<参考文献>
「大人の発達障害ってそういうことだったのか」(宮岡等、内山登紀夫)

「発達障害でつまずく人、うまくいく人」(備瀬哲弘)