わいるどぴっぐの猪突猛進

いつも疑問に思うことを書いていきます。

得点力を鍛える

2018-06-23 19:46:14 | 書評
筆者 牧田幸裕

1、概要
 筆者は大学受験時代、画板を電車の中で広げて勉強するほどの努力派だった。大学合格後まったく勉強しなくなり、単位を落とす。しかし要領のいい同級生は単位をゲット。試験前日の3時間しかないのは同じなので、何が同級生と私を分けたのかというところからスタート。その後に筆者は京大大学院にすすみ、さらにアクセンチュアグループのコンサルタントになり、今は信州大学経営大学院の教授
 得点力とは、ちょうどよい努力で結果をだすことと定義しています。つまり投資対効果の見合う努力を指す。受験や試験と呼ばれるものは一発型の試験なので、その試験合格を結果と定義しやすい。そこでその合格に多くの受験生は特化しているに過ぎないというもの。この「結果を出す」ことにコミットする姿勢そのものを試験勉強で学び、仕事でも人間関係でも一緒で活きるというもの。
 ただ試験と仕事の大きな違いは、
・受験勉強の場合、やらなければならないこととやらないことの区別は、試験にでるか出ないかなので簡単である。しかしビジネスの優先順位つけは、判断基軸が複数で画一的なスタンダードがない。
・従業員の場合、仕事の全体像は示してもらえずパーツのタスクを振られているに過ぎないので、何に重要性があるかわからず順位付けができない ということにあるそうです。

 その対策はマネージャーなどの会議に参加をさせてもらい、理解ができないにしても、何度も出てくる語を覚えることだそうです。それがマネージャー=判断権利者にとって、重要だからです。

 結局、「やらなければならないこと」と「やらなくていいこと」の仕分けをするのが大事なのであるが、その仕分けをするという発想自体は、試験勉強を通して学ぶということでもあるようです。

 しかし判断基準が画一的でないし、判断基準がこちらに見えないことがある。そこでやらなければならないことの見極めには、判断権利者=相手、と似たような発想をする人を探して情報を得れば、判断の仕方を推測できるようになると言います。

これらをまとめると、
1、判断権利者は誰か把握する
2、判断権利者が求めていること、判断基準を理解する
3、判断権利者の求めていることを提供する過程において、自分の価値を信じ、自分が素晴らしいと思うものを自信と信念を持って提供すること。判断権利者に合わせるだけではない。

ただこれにも段階があるそうです。

ステージ1 利己的な「個」
 自分勝手な個やオリジナリティでも顧客が受け入れてくれる段階。相手の度量が大きかったり、余裕があったりする状態。圧倒的に自分の方が市場で強い状態と言ってもいいです。


ステージ2 相手を理解
 相手が求めていることを分析して、それに従う状態。迎合ともいう。市場で圧倒的に相手が強い状態。市場成長期。具体例があったので引用することこうなる。
大学入試の試験も、「傍線①の主人公の心情は、どのようなものか。以下の4つの選択肢から正しいものを1つ選び、記号で答えよ」などと出題され、問題出題者の思考の枠組みに則って、その意図をくみ取り解答することになる。あなたの考えを述べるのでなく、問題出題者の思考パターンを理解することが日本の試験では求められてきた。
でも決してこれは悪いことではなかった。当時の日本の国勢を考えると極めて合理的な試験だった。というのも、当時の日本は高度成長期であり、言われたこを正確に理解し、言われた通りに行動する、ルーティンワークを正確にこなせる人材を量産することが求められていたからである。個性などいらない。あなたの考えなどいらない。ごちゃごちゃ言わず、経営者や上司がいったことを、正確に理解し、従順に行動してくれればそれでよかった。(p.168)


ステージ3 求められる「個」
 相手の要求に合わせる人が多いので、どんぐりの背比べになる状態。そこで自分の信念に沿ったうえで、相手の基準を満たす。具体例は瞬足という靴。
「瞬足」は2009年度に600万足以上を販売した。ファーストターゲット顧客は小学生であり、2010年には639万人いた。したがって、小学生のほぼ全員が2009年に1足「瞬足」を購入していることになる。
…瞬足の成功は、アキレスの営業担当者、開発担当者の顧客ニーズ把握力にある。「瞬足」の開発担当者は、自分の子どもの運動会を中心に子どもたちが履いているシューズの写真を撮り続けていた。そこで、都会の小学校の校庭の狭さを実感していた。また、営業担当者も、運動会のトラック競技でバランスを崩したり、転倒する子どもが多いことを発見していた。そこで明らかになったのは、運動会のかけっこやリレーでは、コーナーで、
1.コーナリングで踏ん張り切れず、転倒する
2.遠心力に負けてコースをはみ出し、順位を落とす
3.転倒しないように注意して走るため、スピードが落ちる
という問題が多く発生していることだった。
…そこで求められているもの。それはカーブを駆け抜けられる学童用運動靴である。…左回りのコーナーを早く駆け抜けるという、ある特定のシーンに特化した、ソールの開発が行われた。…しかし左右非対称なので、その機能性は左カーブ以外では発揮されない。
多くの企業では「直進でも速く走れるように!」とか、「右カーブはどうする?」といいったような意見が出され、せっかくの「個」「オリジナリティ」が失われることが多い。でも、アキレスは違った。(P.175-178)

相手の基準に合わせる面はあるものの、その基準の中で自分の個性を出すと言ってもいいですね。


 判断権利者と判断基準は、出したい結果が決まると決まる。そしてこの結果は現実の解決したい問題から始まることが多いとも言います。これをマッキンゼー系は、「イシューから始めよ」、ボストンコンサルティング系は、「論点思考」、アクセンチュア系は「最少投資で最大効果を求めよ」というらしい。おそらく50代会社役員さんが引用する、ドラッガーのいう「現実から始めよ」という意味何じゃないかと思います。

 この本を読んで、なるほど、ははーんとわかってきました。
一言でいえば、結果を出すということは、結果を出すことだけに特化しているのです。大学受験でいえば合格することだけ。実際に学んだ学科科目がその後も理解しているかどうかは、正直どうでもいいのです。(結果をだす過程で習得したものが、終わった瞬間に消えてなくなるのかは別の議論が必要)
 つまり結果とされるものに、何を取り込むかを考えた際に、現実から始めよ派の人は、とりこんでいる範囲が私より狭いんだと思います。

 ははーん。なるほどね。
 この本はここ数年で1番インパクトがありました。
こんなの当たり前だとみんな思うかもしれないけど、私にとっては全然あたり前ではありませんでした。

会社は従業員のことを考えているってどういうこと?

2018-06-13 18:02:07 | 仕事
その3です。
5、ユニクロは従業員のことを考えてないか
今回はユニクロの例でいきましたが、以下本の引用をして別の例にします。
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「ブラック企業とは何か、定義があいまいなのに、なんでもブラック呼ばわりされては迷惑」。企業からはよく、そんな不満が聞こえてきます。ブラック企業をめぐる集会で、社会保険労務士あという聴衆から、「非正規労働者を雇っていたり、残業が多かったりするだけでブラックと呼ばれてしまうようだが、今の情勢では非正規や残業なしでは経営は難しいのでは」という質問が寄せられたことがあります。…「ブラック企業」として問題にされている事例には、はっきりした特徴があるからです。ひとつは、違法、または法の趣旨に反した違法すれすれの労務管理があること。次に、その労務管理によって働き手の健康を害したり、過労死・過労自殺に追い込んだりする人権侵害があること。そして、そのような行為によって収益を上げる、または上げようとしていることです。
…たとえば今回「ブラック企業大賞」にノミネートされたワタミフードサービス株式会社では、授業員の過労自殺をめぐり、原因究明を求める両親との面会を、グループ企業トップである渡邊美樹氏が拒否しました。たまたま極端な長時間労働によって従業員がなくなったのなら、企業は再発防止のために両親の訴えにも真摯に向き合ったはずです。それを避けているということは、従業員の過酷な労働がその企業の収益の源泉であるため、変えられない、変える気がない、と考えていることがわかります。
…こうしたブラック企業の根には、「日本的経営」の特徴である、会社への滅私奉公、従業員に対する高い拘束性、会社の裁量権の極端な強さがあります。
「マンガでわかるブラック企業」ブラック企業大賞実行委員会 p.126-128
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これは明らかに違法であった例ですが、違法な行為であったとしても、従業員とその家族のことは考えなかったのだと思います。
ユニクロの例で増田さんが本で取り上げているのは、ユニクロの過酷労働や非正規を沢山つかっている例で、必ずしも違法だからダメだとは書いていません。もっとも、ユニクロでパワハラがあったとき、ユニクロは迅速に対応しなかったとも思います。その時のパワハラは定義上明らかだったと思いうので①の例です。
他の従業員からの暴行などが不法行為にあたると判断された事案

そういう意味で①違法か適法かで最初の線引きがあり、②適法であったとしてもなんでも許されるのかという段階わけが必要と思います。
 違法な場合であっても是正することを考えていないことは弊社でもあるわけで、まずそこからと思います。その上で正社員雇用を減らすとか、地域正社員としているけど正社員とは言えないんじゃないかとかいうのは、次の問題と思います。
 もし②の段階で「資本主義とグローバリゼーションしか考えてない」場合などないというのなら、まだわかるのです。
 もし①の段階ならば、それは国会議員に働きかけて立法することに思います。ここは普遍の真理みたいな争いをしているのでなくて、法規に反しているかを争っているからです。


でも私のこだわりは、①とまた違うのかもしれないけども。

叩くについて/仮想敵国について/パターン化について

2018-06-13 17:59:27 | 仕事
その2です。

2、叩くについて
叩くということがいじめと同じように、負のイメージで捉えられているかに思います。
今回の叩くは、そのような法外なことをするための意味で使ってはいませんが、叩く対象について思いれのある人にとっては、攻撃されたと思うのかもしれません。

僕は競争もその単語そのものに含む、プラスとマイナスの評価に大差ないと思っています。

3、仮想敵国について
これは自分を肯定するために、他人に対する優越性で代替しようとしたのだと思います。この点に気づかせてくれて、通行人さんや50代会社役員さんに感謝しています。同時に、仮想敵国としないにしても、是正、された方がいいことはあるのではとも思います。
次に書きます。

4、パターン化
パターン化が問題なのでなくて、分析したパターンがずれていたから問題なのでは。
今回の50代役員さんは「すべて」という言葉にひっかかっていることが多いので、当てはまらない例を認識できればすぐ理解できると思います。

パターン認識は私にとっての生命線であり武器です。
ASDの人は柔軟な対応が苦手なので、それを補うために過去の経験、知識をパターン化して、現実に対処します。ASDについて学ぶ前から自分で意識して行っていました。
もっとも数学をパターンで解くように、多くの人も物事を捉える時は過去の経験や知識から推測して行動しているので、敢えて言えばパターンの修正が容易にできるかできないかの違いにも思います。
他にいい解決策があれば教えてください。

現実からスタートとは?

2018-06-13 17:57:51 | 仕事
こんにちは。ぴっぐです。
前回、とてもいいコメントを50代会社役員さんと通行人さんからもらいました。そこで何がかみ合ってないのか、違うのか考えていて、こんなに時間がたちました。少し整理できたので書きます。3回に分けて書きます。

1、理想を持つことについて
私は「現実からスタートするというのは、法律家や教育者にないこと」と書きました。
それに対して、50代会社役員さんはそんなことないとコメントしました。
現実からスタートに込められた意味が異なって、かみ合ってないと感じました。
私が就職して法律家と会社員で大きく違うと感じたのは、現実の捉え方です。

法律家の場合、多くは法律の適用、すでに前提となっている価値観(例:人権)から始めるので、最初に既存の価値観の体系は何か考えると思います。そして次に、現実がその体系からずれている場合、その価値観の序列を考えながら、現実を序列に合わせようとします。
例えば、社内で殴るといったパワハラが横行していたとします。パワハラを法的に解決するには民事系か刑事系に思います。
<体系>
民事系なら不法行為(民法709条)や債務不履行(民法415条)。刑事系なら、暴行罪(刑法208条)や傷害罪(刑法204条)に思います。
<序列>
 殴る行為が上記の民事、刑事どちらにあたるのも確実なので、殴る行為を止めさせる行動の1つとして法律を使うなら、あとは現実の事実を法律に合わせるだけに思います。

もしここでまだ法律のできてない分野(例えば、かつてのドローン規制)、または、法律はあるけど揺らいでいる分野(例えば、立ち小便を規制した軽犯罪法)の場合、その法の序列は低いものとされて、現実を適用しないかもしれません。

確立された規範かどうかを重視して、確立している時はそれを使って現実を直すという言葉でも結構です。

それに対して会社員の場合、確立された規範が何かを考えていない気がします。
正確には売上目標や自己の成績評価に関わる目標は「確立されたもの」と認識しますが、それ以外は確立されたものが何か把握して体系化しようとしていないように思います。

50代会社役員さんを責めているわけではないのを意識したうえで読んでほしいのですが、役員さんとはインドネシアの渋滞で、渋滞という問題を解決するために会社がバイクタクシーを編み出して移動を速めている。だから会社は問題解決をして人々に貢献している。それに対して、バイクタクシーがはやっても渋滞は解消するわけではないし、結果的にバイクタクシーが飽和になれば、もっと渋滞になるだけであって会社は必ずしもいいことばかりでないという話だったと思います。
私と役員さんの相違は、以下に思います。

私…渋滞を解消したい(理想)を体系化しようとする+それにあうように現実を変える。
50代会社役員さん…渋滞(現実)を認識+バイクを使って個人レベルで移動が速くなる(現実にできることだけする)(理想を体系化する必要はない)

これは役員さんと話をしたときだけでなく、会社の上司と話をしたときにも感じます。
会社で生産性という言葉は多いのですが、生産性を上げる意味。そして1人の生産性があがっても組織としては、思ったほど効果が出てない時について考えていない。

しかしこれが給与の話だったり起業の話だったりするならば、最初に理想状態を強く描く人は多い。そうすると、興味のある分野かどうかの差なのでしょうか。