わいるどぴっぐの猪突猛進

いつも疑問に思うことを書いていきます。

イブラヒモビッチから見る、周囲との連携

2017-03-05 13:17:25 | 仕事
こんにちは。ぴっぐです。
今回はサッカーを見ていて感じたことをまとめていきます。
スウェーデン人のサッカー選手にイブラヒモビッチという人がいます。彼が行ったチームはヨーロッパどこでも優勝します。でもとってもワガママで、同僚をスパイクで蹴ったりします。

https://www.youtube.com/watch?v=uyyJyW3Si5A

なんでそんな彼が活躍できるか考えたんです。
活躍できる←なぜならパスがくるから←なぜならゴールできるから。
ゴールできる→いっそうパスがくる。

つまりゴールできれば好循環。ゴールできないと悪循環なんですね。
そんな彼も最初は有名クラブでなく、マイナークラブからスタートするわけです。つまりひどい環境でチームの哲学、連携、各々のレベルも低いところから始まったと思います。
しかしその中でゴールをすることで、周囲が認めざるを得なくなり、他のクラブも認めざるを得なくなったとも言えます。
つまり、「イブラヒモビッチに与えられたミッション=ゴール」なので、ゴールすることで評価が高くなるということに思います。
もっと言えば、ゴールをしなければ、仮に彼の影響でチームメンバーにプロ意識などが芽生えでも、彼自身の評価が高くなることはなかった可能性があります。

これを私に置き換えると、
「法務的対策をやってほしい=裁判にならないようにする、赤字プロジェクトが出るリスクを減らす」
とすれば、とりあえず裁判やコストオーバーさえでなければいいのです。例えばプロジェクトマネージャーを陰から罵倒してばれないようにしつつしごいて、その結果半分やめてしまってもいいわけです。手段が何であれ、ゴールさえできればいいということになります。なぜなら、経営者のゴールが裁判、リスク管理であって、他の基準を有していないからです。

そう考えると組織が腐ってようが、組織の腐りは赤字や裁判の原因になることはあっても、その原因が必ず裁判等に結び付くわけではないですから、組織の改善などどうでもよくなるのです。法律的に書くならば、組織の腐敗は裁判等の直接の原因になるとは限らないので、良いという考えにシフトします。
そこでぴっぐの評価をあげるには、ゴールの達成でしょう。
しかし、そうやってゴールあげている限り、経営者は裁判になる根本原因(直接原因ではないものの、紛争発生に相当の影響を与える原因)の解決に目を向けず、組織は変わらないことになります。なぜなら、結果的に紛争が予防できているからです。仮に組織が腐っていても。
これを他の例で言えば、麻薬取締のためには、入管を規制しようという方法に似ています。麻薬を取引とする団体の撲滅には目を向けていないので、延々と問題は起きる可能性を秘めているけども、入管規制によって取り締まることさえできれば、結果的に国に麻薬が入る確率が減るからです。
ダイエットでいえば、摂取カロリー<消費カロリー だとやせます。そこで「何がなんでも食うな」ということに似ています。
太る直接原因=食べ過ぎ
太る間接ではあるが有力な原因=仕事等のストレスの発散活動として、食べ過ぎ

直接の原因にしか目を向けていないわけです。問題の根本解決に目を向けてないのです。

あとはそこでどうするかという私の価値観の問題と思います。
私は、評価基準=ゴールが、1つしかないのが問題と思っています。
直接原因以外にも、人を評価する基準はあっていいのでないかと思います。

一番最初のイブラヒモビッチに話を戻すと、イブラヒモビッチがいなくなると、その分の得点が落ちます。なぜなら、イブラヒモビッチという個人の能力に依存したゴールでしかないからです。
ゴールさえすれば、組織としてよしと考えるのか。
ゴールをする仕組みを作るのが、組織として良いと考えるのか。
この違いと思っています。

まずは
1.ミッションが何か確定する。そのミッションを自分が担えそうか判断する
2.自分の能力で果たせるミッションのある組織にいく、つくる

だと思います。
わたしは追求型なので、ミッションに合わせて能力獲得や発揮はできないと思われます。となると。2.ですね。