わいるどぴっぐの猪突猛進

いつも疑問に思うことを書いていきます。

第3 回発達支援セミナー

2022-11-26 12:42:00 | 発達障害
発達支援セミナー第3回の感想です。

・ASDと判定された男児で、学習障害があった。
・そこで子供にタブレットで学習させるようにすると、できるようになった。
・母親の懸命の努力により、学習障害には高次の学習障害と低次の学習障害があることがわかった。
・低次の学習障害とは勉強そのものはできるものの、文字そのものが読めないために起きるもののようだ。
・学校側の理解も最初は得られなかった。しかし子供は中学で微分や積分がわかるくらい賢いので、慶應に高校から進学した。
・慶應はかなり柔軟に対応してくれたり、先生自身が1年間の留学で発達障害について学んできてくれている。
・慶應から大学に行き、現在はアパレルブランドを経営している。

タブレットを与えることにより解決してしまっているため、人間関係そのものでつまづいている印象はなかった。そのため私には参考にならない気がしました。
彼の場合は勉強ができるため、問題になりにくい。

彼のコメントによると、今後は一般就労は考えていない。会社の中で合理的配慮を得る戦いをしなくてすむため、それでは普通の勤労者には参考に残念ながらならない。

#ASD #発達障害

図書館でのバトルを通して

2022-10-05 16:15:00 | 発達障害
こんにちは、ぴっぐです。
昨日、図書館で叫んでいる年配のおじさんがいました。叔父さんの言い分としては閉館間近で善意でノートパソコン電源を切って蓋を閉じたようです。しかし図書館としては勝手に電源を切られ、フタは閉じない運用なので困ったようです。そこで図書館から何か一言あったようですが、おじさんは善意を蔑ろにされたと思いブチギレたようです。なぜそこまで私にわかるかといえば、見かねた私がおじさんに話しかけ、おじさんの話を聞いたからです。おじさんは自らを善良な市民といい、司書をいじめてるわけでもないといい、私のような第三者がはいってくれることで中立的に見てくれる人がいて良かったと言いました。

おじさんが「私の味方がいてよかった」とはいわなかったところがポイントで、中立云々というので、普段は理性的な人なんだろうことを伺えます。しかしそんなおじさんが司書の上司に大声で怒鳴り続けるのをみると、おじさんは違法行為に近づいてることを認識できなくなっています。そんなおじさんは生きづらさを抱えているようで、何か私を見ているようでした。

私はおじさんの話を全部聞くと同時に、現場の人になにかいっても組織的改善は難しいので、市長、館長、部長などしかるべき人に意見書を書き、今度時間をとってもらうのはどうかとの提案をしました。

そうやって揉め事を解決した時に非常にやりがいを覚えました。同時に、私のやり方を突き詰めると、おじさんのように「正義を振りかざして無下の弱い人をいたぶるにすぎないことになるのか」という思いもあります。難しい選択を私は迫られているなと感じます。

おかしいことはおかしいと声を大にして叫ぶマインドがあると、世間は烏合の衆と思いつつあり、他人に対して排他的です。本当はそのような排他性はよくないのですが、多数派が変わらない限りは、多数派に主張し続けるしかないのかもと思います。ただその主張が違法であると取り締まられるだけで、違法でなければ裁判等で覆える可能性がある。鋼のマインドを持つことは、思いやりを捨てるということかなと思う面も残念ながらあるからです。

光トポグラフィー検査を受けました

2022-09-02 16:29:00 | 発達障害
こんにちは。ぴっぐです。
今回は光トポグラフィー検査をうけました。
光トポグラフィー検査とは

脳の血流量の変化パターンからうつ病がわかる検査です。これにより、うつ病か、うつ病としても躁うつ病か判断する資料になります。あくまで判断する一資料に過ぎず、これだけでうつ病と断定できるほどの正確性はいまのところないとされます。同時に、光トポグラフィーによる検査は、精神科医の問診によるうつ病判定と70%程度、統合失調症に関しては90%一致するとのデータもあります。
つまり、うつ病かそうでないかの判断には、一定程度使えるとのこととになります。

自費診療とされ病院により幅はありますが、1万3000円から2万5000円前後が多いと思います。

これによりうつ病の可能性はないと言われました。しかし脳の特徴が①過敏で②切替が苦手、としてきされました。うつ病かどうかの判定資料になることに医学的コンセンサスはありますが、過敏さや切替の苦手さがわかることまで医学的コンセンサスがないように思います。

ただ光トポグラフィー推進派の医師の意見を要約すると以下のようになります。
1.脳が過敏であるとは、他人と同じ刺激量を受けても、そこから得られる情報量が莫大に多いこと。つまり仮に1という刺激をうけて普通の人が1という情報しか得られなくとも、私の場合は10という情報量を得るそうです。
2.切り替えが苦手とは、自分の着眼点に固執したり、うまくいかない時に心の切り替えが苦手ということになります。
1と2の特徴をプラスの方から見ると、洞察力が鋭く、他の人が気がつかないところに気づき、ユニークな着眼点を持ちます。そして粘り強く、根気があり、最後までやり遂げると言えます。
1と2の特徴をマイナスの方から見ると、あまりに多くの情報を受け取るために疲れやすく、処理に時間がかかる。そして1つのことにこだわりがちで、全体を見て進むことや妥協が苦手と言えます。また不安に対して、切り替えが苦手で気分転換が不得手と言えます。
これを水とバケツに例えていうと、過敏性があるとは水が大量に蛇口からでている状態だそうです。そして切り替えが苦手とは、バケツが満杯になってもなかなか捨てられない状態だそうです。そのためバケツから水が溢れ、常に本人が疲れてしまうとのことです。

そしてまさに、この①過敏で②切替が苦手が発達障害の特徴だとのことです。発達障害にはADHD、ASD、LD、トゥレット症候群がありますが、これらの共通項が①②のようです。
(ここは調査が必要)

ではこの過敏性と切り替えの苦手さに対して、何か対処法はあるのでしょうか。
まず過敏性に対しては、非定型精神病薬というのが使われることが多いそうですが、副作用としてアカシジアの確率が高くあまり推奨されないようです。また、人により効くか個人差がありすぎるそうです。

切り替えの苦手さに対して効く薬は見つかっておらず、TMS推進派と慎重派にわかれます。TMSとは頭に電流を流す治療です。自費診療で20-40万円ほどします。保健治療もありますが、保健適用の条件は厳しく自費診療が殆どです。

医師の話をまとめるとこれは脳の異常や疾患と呼べる程度のものでないため、先天的な性質であり個性と医学的にはされるそうです。そのため医学的な観点からするとその個性を社会がうけいれるか、個人が諦めて社会生活をやめるかという2択になるそうです。

さてさて。
話は見えて来ました。社会が変わるか、本人が諦めるかということです。つまるところそれは、社会がどの程度の個性まで受け入れるかという問題に思います。



ASDとは生き方音痴

2021-06-12 20:10:43 | 発達障害
こんばんは、ぴっぐです。
いまひらめきました。

ASDつまり自閉症スペクトラムとは、生き方音痴という表現がぴったりに思うのです。
人生にはいろんな場面があり、
学校生活には学校生活のルールや技術(水泳)
受験には受験のルールや技術(野球)
異性には異性とのルールや技術(サッカー)
同じ異性でも年齢によって変わるルールや技術(クリケット)
仕事には仕事のルールや技術(卓球)
普通には夫婦のルールや技術(アーチェリー)

という具合に、場面によって要求されるルールや技術が異なるスポーツに思います。
運動神経がいい人はどんなスポーツもちょっと練習すればいいのですが、運動神経の悪い人は何をしてもスポーツが苦手ということがありますよね。
このように人生の様々な場面によって切り替わるスールや技術の習得が増えてなのが、ASDなんじゃないなでしょうか。
そう考えると納得するのです。
1つのスポーツを身に着けるだけでも大変なのに、一定のスポーツに慣れてくると次のスポーツに自動的に切り替わるようなものです。
それは疲れますね。

生き方音痴、という説明を次ぎからしたいと思います。

自閉症スペクトラムの専門医との会談その2

2020-03-19 15:23:01 | 発達障害
こんにちは、ピッグです。

医師との対談(診察)を10回ほどしてわかってきたのですが、私の問題は他人を巻き込むことにあるようです。多くの成人の発達障害者は成長過程において周囲から面倒くさいとして否定されるため、他人とかかわることに躊躇するようになってきます。その結果として、自尊心も低くなり引きこもりへとつながって行きます。

しかし私の場合どういうわけかそのようにはならず、周囲と積極的にかかわりを持とうとします。それゆえ周囲としては「面倒くさい人がこりもせずにかかわってくる」ということになり、問題が増えるということのようです。

私の主治医は元民間会社の方であり、現在も民間会社と兼業しながら医師をしています。それゆえ医学面以外も交え、話をしてくれます。そんな医師の言葉をまとめると、こうなります。
・人々は、バリュー選択の自由がある。
・人々は、バリューのあるもの(に限り)を選択する。(A)
・バリューとは、金銭、名誉、社会的地位であることもあるが、可愛さなどのこともある。(インセンティブ(誘因)=メリット=バリュー、と理解しています。僕は「インセンティブ(誘因)=メリット=バリュー=心地よさ」と定義しています。)
・仕事だけでなく日常生活でも、バリュー理論に基づいて人々は行動する。(B)

その結果、
(バリューの基準は仕事、日常生活で異なるが)バリューのないものは選択されない。つまり事実上、他人の基準を満たさないものは排除される。(C)と「論理的に出される」ことになります。

アスペルガーの人は①価値の見出しポイントが独特で②さらにそこへのこだわりがあるため、他人が持つ基準と一致しないことが多くあります。
例えばよくある例ですが、以下のものがあります。
「発達障害でつまずく人、うまくいく人 (ワニブックスPLUS新書)」(備瀬哲弘)
問題は経験を一般化できないことにあります。
次に同じ状況にあった時に、登場人物や場面が違っていたりすると応用が利かないのです。
O君は周りの同僚とのコミュニケーションがうまくいかなくて、職場を異動することになりました。

「今度の職場では、みんなで足並みを揃えるんだよ。それが君の良くないところなんだから」と新しい上司に告げられました。

「足並みを揃える」の意味がO君に理解できません。戸惑っている様子を見て、上司は「例えば、出勤時間もあまり人より早すぎにせず、みんなと同じような時間に来るとかだよ」とつけ加えました。

そこでO君は納得してしまうのです。「あーそうか。僕はけっこう朝早く会社に来るからな」と直線的に解釈してしまいます。発達障害の人の理解のズレはこういうところに見られます。「例えば」で言われたことが全てとなってしまうからです。

N君は注意を受けたにも関わらず、職場での行動に改善がみられないと評価されてしまったのです。なぜなら、みんなと「足並みをそろえるように」と指摘されたのに、同僚と協調して仕事をやっていこうとする積極的な姿勢がみられないからです。

発達障害の人達に対する職場での評価として、「何度同じことを注意しても同じミスを繰り返す」ということがあります。

しかし、本人にとっては、毎回違うシチュエーションなのに、なぜ「同じ」ミスと言われるのかがわからないということが、知的に高い人でも多くみられます。

これもよくわかります。
「同じ」の構成要素が示されてないんですよね。
この「同じ」の構成要素を示すことに意味があると周囲の人が思わない場合、周囲の人から放置されるか排除されることになります。

このバリュー理論は、「経済学の10原則」(People Respond to Incentives)に基づいているように思います。ビジネスパーソンならば当たり前のことなんでしょう。ここでいうインセンティブは経済的価値に限られませんので、宗教、趣味等も「本人が重きを置いている」という点においてバリューがあるという説明になるはずです。
会社でのバリューは「経営者の意に沿う(生産性が高い、都合がいい等)」と思います。会社でバリューを提供できなかった人が、別フィールドでバリューを提供できればそれは問題ありません。しかし他人が欲するバリューを日常生活でも持っていない場合、他人から選択されませんので、会社だけでなくコミュニティから排除されることになります。
バリューに対する好みが十人十色なら良いのですが、現実は似たり寄ったりと私は思っています(もし似たり寄ったりでないなら、アスペルガーの人を否定する人がいないのでは)。そうすると結局、個性的な人は社会に関わりながら生きていく場が、現状ではないとも思うわけです。
それはつまり、「(社会つまり他人である)俺には関わらず、ひきこもっていろ」ということと同義に思えます。

次回、医師からの回答を待ちます。

自閉症スペクトラムの専門医との会談その1

2020-03-19 15:20:44 | 発達障害
こんにちは。ぴっぐです。
久々の更新です。

今日はいつも通院している成人の発達障害外来でのことを書きます。
発達障害は知名度が広がっていますが、成人の発達障害専門医はまだそれほどありません。そこで最初予約をとる時は月末の指定された日に予約の電話をしますが、まずなかなかつながりません。つながるまで半年ほどかかりました。

発達障害で問題が生じる時は2段階となっています。
1つは、発達障害そのものによる問題(1次障害)
もう1つは、発達障害によって精神的にストレスを抱えてうつ病等になる問題(2次障害)です。

専門医とそうでない人の差はどこにでるかというと、1次障害の対応部分にでます。
1次障害と2次障害の違いは、火事に例えるとわかりやすいです。1次障害は火事が起きやすい状況で、2次障害は火事そのものです。火事そのものを消すことはできます(うつ病に対する投薬)が、火事がおきやすい状況は続いているのですぐに火事が起きてしまいます。つまり薬を飲んだところで、根本的な解決にはならないということになります。

成人の発達障害科の大きな特徴は、デイケアにあります。
デイケアは集団で行われることが多く、ソーシャルスキルの開発を目標とします。具体的には、ケーススタディによって典型例を学ぶことにあります。週1回や隔週ということが多いと思われます。

例えば、「アサーション(自分の意見を相手の立場を尊重しながらもしっかり伝えるコミュニケーションスキル)」があります。
「どうして○○してくれなかったのか。ひどいんじゃないか」と指摘される状況にて、常に叱られ慣れているアスペルガーの人達は「(とりあえず)すいません」となることが多い。そこで自分の意見を言えるように、①相手の基準の割り出し②あてはめ、と練習をしていくわけです。

具体的には、
<基準の割り出し>
どうして○○してくれなかったのか。→理由・謝罪を求めている
ひどいんじゃないか→謝罪を求めている

<あてはめ>
すいません。→謝罪
忙しかったので、しませんでした。→理由 という具合ですね。

これがデイケアです。
デイケアの効果報告は以下にあります。
平成 26 年度厚生労働省障害者総合福祉推進事業
「成人期発達障害者のためのデイケア・プログラム」に関する調査について



成人の発達障害専門科があり先進的なところです。

発達障害その5

2016-05-04 18:49:38 | 発達障害
発達障害その5
今回は対策のパートですね。

第1、医学的な対策
これはもう医学的に答えが出ているのです。
「環境調整」なのです。つまり、周囲が変わることです。

「大人の発達障害ってそういうことだったのか」ではこう言います。
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本人に改善させるのは無理でしょうか?
全く無理ではないです。でも、比率的には8:2や7:3くらいの割合で環境に働きかけた方がいいと思っています。大人の場合はまず、できるだけ働きやすい職場を探す、適応しやすい環境を作ることが大事です。
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今まで述べてきたことの中にヒントがある気がします。特にこの部分です。
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しかしもっとも深刻なのは、想像力、イマジネーションの部分です。
「発達障害でつまづく人、うまくいく人」(備瀬先生)ではこう続きます。
定型発達の人達は、成長の過程で「こういうことはやっちゃダメ」、「そういうことを言ってはいけない」という注意を受けると、「これがダメだということは、どうふるまえばいいのか」と想像して、社会的に受け入れられる行動を学習していきます。
日本では「こういうことをやってはいけない」という言動によって教育されることが殆どで、「こういう風にしなさい」と適応的な言動を教えるような教育法は主流ではありません。想像力のズレの問題がない定型発達の人の場合は、それでも「なぜ叱られたか」と理由を推測しながら常識をみにつけていきますし、また「ああいう言葉は相手を傷つけてしまい、怒らせてしまうのか」というように類推して考えていき、その経験の蓄積と応用で社会性や問題とならないコミュニケーションの能力を獲得していきます。しかし、想像力に問題がある発達障害の人は、「こうしなさい」と明確に教えてもらえないと、「なぜ叱られているのかわからないけど、私ばかりが怒られると考えてしまい、中には「自分はバカだからだ」、「自分はダメな人間なのだ」と自己否定感ばかり強くなってしまったりして、性格傾向に影響が及んでしまいます。
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言葉通りなんでも受け取るので、曖昧なことが許せない、言葉の裏がわからない、自分に正直なのです。だったら、そうならないようにするだけなのです。

「こういうことをやってはいけない」という言動によって教育されることが殆どで、「こういう風にしなさい」と適応的な言動を教えるような教育法

これです。
ここにつきます。

細分化すると、こうなります。
・説明はできるだけ言葉で尽くす。
(例:「周りに足並みをそろえよう」という場合、足並みを構成する要素をあげて説明する。出社時間、仕事の内容、食事の時間、背広の色等。ありとあらゆる構成要素をあげていく)
・論理を尽くす。

こうすることで、本人が見えてない視点を与えることができます。

先の50代会社役員さんはこう言いました。
・「自分の言動は一貫した正当性があるので、それを理解または賛同して行動を変えない自分以外の「周り」に誤りまたは認識不足がある」というものすごく強固な意志
・Pの課題は圧倒的に相手への配慮、いやもっと言うと「愛とリスペクト」

この指摘は周囲の香水等を注意することから始まりました。
会社で起きていること(その1)

先の対策にあてはめると、
・50代会社役員さんはどのような判断基準から、「自分以外の「周り」に誤りまたは認識不足」と思ったのか。
・「圧倒的に相手への配慮、いやもっと言うと「愛とリスペクト」」の「配慮、愛とリスペクト」とは具体的にどのような行為なのか。どのような要素から成り立つものなのか。

ここがわかれば、理解できるかもしれません。
結局、外国人に説明するのと同じくらい丁寧に説明してくれれば、理解できる可能性を秘めている訳です。

第2、ぴっぐの考える対策
1、丁寧に説明する
思考方法には2種類あると言われています。それは1本の木を書くことを例にして説明されます。
・木の全体像をとらえて、最後に細部の枝、幹などに行く。
・細かい枝、葉などから書き、最終的に木になる。

発達障害の人は細部へのこだわりが強いので、後者です。
後者のメリットは、細部にこだわるので緻密なものができることです。
デメリットは、最後までいかないと何を書いているのが自分でも全体像を認識できないことです。

先の「こういう風にしなさい」と適応的な言動を教える」とは、木の全体像を先に伝える方法の1つと思います。そうすれば、自分が何を書いているのか、全部書き終わる前に認識できる可能性を秘めているわけです。

2、自由にやらせる
そこまで手をかけられないということであれば、あとは自由にやらせることに思います。
細部から書いているので時間はかかりますが、時間をかければ完成に近づく可能性を秘めています。
ここで重要なことは、途中で情報を制限したり、やり方に口を挟まないことです。そうすると細部が書けなくなってしまうので、戸惑ってしまいます。

第3、ぴっぐの活かし方
今行っているジムのトレーナーがこう言いました。
「ぴっぐさん。私はスペインでサッカーをしていましたが、スペイン人は努力や忍耐が先に来るとは考えません。努力するくらいなら、まず少ない努力で自分を活かせるところは何かを考えます。そして平均的な人よりも、デコボコでもいいので特徴的な人を好みます。
ぴっぐさんは細かいわけですが、例えば細かくて心配性な人がいるから、世の中には侵入禁止の立て看板ができたり、トレーニングで補助バーというのが生まれたのだと思います。
コミュニティーへの適応は大事ですが、それが一番大事とも限りません。自分を活かせる道、コミュニティを探すことが一番大事だと思います。」
これを聞いてなるほどと思いました。

ぴっぐは普通の会社員、向いてないと思います。
会社員とは良い部品として組織に合わせることが求められるのであって、相手の求める形をした部品にならないといけないからです。
この細かさを活かせる何かをしたいと思っています。

ここでも鈴木さんを引用です。
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私が感じる日本と海外の一番の違いは、「失敗してもいい」という前提があるかないかなんです。海外では、たとえ失敗しても、それは次の成功につながるものとして前向きに評価されますが、日本では「失敗は絶対に許されない」という表現をよく使いますよね。自分が失敗したら、社会や世間に多大な迷惑をかけてしまうと思って萎縮しているように見えます。
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失敗してもいいじゃない。

<参考文献>
「大人の発達障害ってそういうことだったのか」(宮岡等、内山登紀夫)

「発達障害でつまずく人、うまくいく人」(備瀬哲弘)

日本の「失敗は絶対に許されない」文化は新たなチャレンジを阻む

発達障害その4

2016-05-04 17:09:40 | 発達障害
今回のパートは、具体例ですね。

第1、よくある例
備瀬先生の本から、わかりやすい例をいくつか引用します。私が同じように思ったものです。

<例1>
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「君には積極性が足りない」、「この仕事は適当でいいから」と指摘されても、自分のどういう行動を見て、積極性がないと言われているのか「全く意味が分かりません」と言います。辞書に書かれているような言葉の意味としては分かっていますが、それが本当に意味しているところがイメージできないのです。
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これは理解しやすい例ですね。
積極性や適当を構成する要素が示されていないので、相手がどういう思考プロセスから、評価を下したのかわからないのです。納得です。


<例2>
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大学生学生のN君は就職面接で、最後に「営業はどうかな?」と聞かれたので「私の希望は企画部です」と答えました。希望部署はエントリーシートにも書いてあることだし、面接の最初の方でも確認したはずなのに、N君はなんだかおかしいなと思いつつも「企画部です」と答えました。
自宅に戻って家族にその話をすると、「営業だったら採用する」ということを暗に伝えていたのでないかと指摘されて初めて気が付きました。「どうかな?」などの言葉遣いには文脈によって色んな意味が派生してきます。そういう曖昧な言葉遣いが使いできないのは、発達障害の人達の特徴でもあるのです。
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これもわかりやすい例です。
「どうかな?」に含まれる意味合いが多すぎるのですね。
発した人の言葉が曖昧すぎるという、発した人の責任とおもいます。


<例3>
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問題は経験を一般化できないことにあります。
次に同じ状況にあった時に、登場人物や場面が違っていたりすると応用が利かないのです。
O君は周りの同僚とのコミュニケーションがうまくいかなくて、職場を異動することになりました。
「今度の職場では、みんなで足並みを揃えるんだよ。それが君の良くないところなんだから」と新しい上司に告げられました。
「足並みを揃える」の意味がO君に理解できません。戸惑っている様子を見て、上司は「例えば、出勤時間もあまり人より早すぎにせず、みんなと同じような時間に来るとかだよ」とつけ加えました。
そこでO君は納得してしまうのです。「あーそうか。僕はけっこう朝早く会社に来るからな」と直線的に解釈してしまいます。発達障害の人の理解のズレはこういうところに見られます。「例えば」で言われたことが全てとなってしまうからです。
N君は注意を受けたにも関わらず、職場での行動に改善がみられないと評価されてしまったのです。なぜなら、みんなと「足並みをそろえるように」と指摘されたのに、同僚と協調して仕事をやっていこうとする積極的な姿勢がみられないからです。
発達障害の人達に対する職場での評価として、「何度同じことを注意しても同じミスを繰り返す」ということがあります。しかし、本人にとっては、毎回違うシチュエーションなのに、なぜ「同じ」ミスと言われるのかがわからないということが、知的に高い人でも多くみられます。
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これもよくわかります。
「同じ」の構成要素が示されてないんですよね。
何を同じと評価するかは人によって違うのですから、どういう要素が連続して発生したから同じと判断したかを、説明する必要があると思います。
僕にとっては青も青緑も同じです。
「青」だからですね。その説明をしないで、「同じ」とだけ評価して終わりなのはずいぶん酷いなあというのが感想です。


<例4>
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「今日は、この仕事が終わるまでは残業してくれ。終われば帰っていいよ」と上司が言いました。
K君はそこでパニックに襲われます。
「仕事が終わるとはどういう意味だ?」
「この仕事を今日で終わらせる?」
「いや、それは無理だ。となると終わるまではどういうことだ?それは何時までなんだ?」と頭の中が混乱します。
その上司の曖昧な指示にイラ立つのは前にもこういうことがあったからです。
その日は自分の仕事が終わったので、さっさと机の上を片付けて帰宅しました。
翌日、上司から「周りがあんなに忙しそうにしているのに、なんで先に帰ったんだ!そういうのは良くないぞ!」と注意されました。
数日後、帰社時間になっても周りの同僚がまだ机についているので、K君は仕事がなかったのですが、パソコンを眺めながら時間を潰していました。そうしたら今度は逆に、上司から「今日は残業代つかないぞ。なんで何もしないでお前は残っているだ」と叱られました。
K君からすれば、帰ったら叱られるし残っていたら叱られるしで、どうしいいのかわかりません。次にそんなことがあったら、上司と納得いくまで対決したいと思っています。
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これもわかりやすい例です。
K君と同じことを私も考えます。
ようは、「帰っていい」という基準が不明確なんです。


<例5>
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本人は禁煙の場所でたばこを吸っていた人がいたので注意したら、上司に怒られたと憤慨してまくしたてるのですが、上司の話では、たばこを吸っていたお客さんをどなりつけたので、「お客さんなら黙認するしかない」と本人に説明したというのが真相で、本人は「禁煙なのにたばこを吸っている人に注意して何が悪いのか」と反論したそうです。

同僚が喫煙している場合は注意すべきだけど、お客さんが吸っているのはやむ得ないので注意しないと言った言い方はダメです。それでは、別のお客さんには注意して良いと思う人もいるし、同僚に注意するのもダメなのかと思いこむ人もいます。

物事の良し悪しの判断がなかなかできない人には、損得勘定で説明することがあります。
たとえば太っている人に対して「デブですね」などと言ってしまう人がいたとします。そういう人に「本人に向かってデブなんて言ってはダメだよ」と注意したところで、わかってもらえないことが多いです。
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これも非常によくわかります。
原則、禁煙。例外として喫煙があるのだけど、喫煙の基準が不明確。これは基準の不明確さに問題あると思います。

物事の良し悪しっていうのも思いあたる節があります。
私はむかし、友人の彼女を「ティラノサウルスに似ているね」と言ったことがあります。
また、初めて会った女性に「爬虫類みたいだね」と言ったことがあります。
両方とも悪意や害意があったわけでなく、むしろ良い意味で言っていました。
恐竜は強さの象徴ですし、爬虫類にはヘビがいますが、ヘビも強さの象徴です。
そのころの友人が私にこう言いました。
「ぴっぐちゃん、いいかい。女性に言っていいことと、いけないことがあります。その基準はディズニーになっているかです。クマは実際のところとても凶暴なんだけど、プーさんがあるから悪いイメージはない。それに対して恐竜やヘビは小学生男子は憧れるかもしれないけども、まずディズニーの主役にはなっていない。出ていたとしても、悪役です。女子はイメージで生きていて、そのイメージはディズニーなどに影響されている。だからディズニーになっているかが重要だよ。例えばカエルはケロロ軍曹があるけども、あれはディズニーにないね。だから可愛いと思うかどうかは人によって当たりはずれがあるので、カエルに例えてはダメです。」
これは非常にわかりやすい説明ですね。
恐竜等がいけない理由(イメージで生きている)、基準(ディズニー)とはっきりしています。

「大人の発達障害ってそういうことだったのか」では、「言葉を字義通りに受け取る」、「曖昧なことが許せない」について、こうも書いています。
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一概に言えないと思いますが、一般にかなり知的に高い人でも、「少しゆっくり」というのが「どの程度ゆっくり」なのかわからないようです。「目の前のことをこなしていこうね」と言ったら、「目の前に何もないじゃん!」と言った大学生がいるんですよ。
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上記の例から言えることは共通です。
基準の不明確さなんです。
積極、帰社、すべてそうですか、そのような判断をした要素がなんだかわからないので、相手の思考プロセスがわからない。プロセスがわからない以上は、こちらで判断ができないということです。


備瀬先生はこうも書きます。
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発達障害の人たちは、人と会話をしていて、相手の言ったことを「そのまま信じて」受け取ります。だから、「純粋」だとか、「素直」だと評価される反面、会話の流れや文脈の意図を理解できないため、相手が本当に言わんとしているところをくみ取ることができません。皮肉や冗談も通じないので、「馬鹿正直」だと言われることもあります。
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このように、言葉を字義通りに受け取るわけです。
これは私も何度かあります。
「ぴっぐさんはどうして、そんなに素直じゃないんだ」と何度なく言われたり、「私はこれ難しいと思います」というと怒り出すひと達が沢山いるわけです。
こういう状況をつぶさに観察すると、ある特徴があります。
この「素直」と他人に使う人というのは、小さな子供に対して「素直ですね」と思ったことウソ偽りなくいうという意味では使ってない。だいたい社会的地位があって、年配の男性が使う。これは自分のいったことをそのまま「はい、わかりましたとどうして言わないのか」という意味で使っている。
 「難しい」の場合は、だいたい「できません」という意味で受け取っている。お断りの連絡で就職などでも「ご縁がなかった」という遠まわしの言い方をしますね。これと似ていて、できない=難しい、という言葉の使い方をする人が圧倒的に多いので、私が「難しい」というと、できないという意味だと即座に反応して怒るわけです。
 このことをわかるのにだいたい30年かかりました。

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しかしもっとも深刻なのは、想像力、イマジネーションの部分です。
「発達障害でつまづく人、うまくいく人」(備瀬先生)ではこう続きます。
定型発達の人達は、成長の過程で「こういうことはやっちゃダメ」、「そういうことを言ってはいけない」という注意を受けると、「これがダメだということは、どうふるまえばいいのか」と想像して、社会的に受け入れられる行動を学習していきます。
日本では「こういうことをやってはいけない」という言動によって教育されることが殆どで、「こういう風にしなさい」と適応的な言動を教えるような教育法は主流ではありません。想像力のズレの問題がない定型発達の人の場合は、それでも「なぜ叱られたか」と理由を推測しながら常識をみにつけていきますし、また「ああいう言葉は相手を傷つけてしまい、怒らせてしまうのか」というように類推して考えていき、その経験の蓄積と応用で社会性や問題とならないコミュニケーションの能力を獲得していきます。しかし、想像力に問題がある発達障害の人は、「こうしなさい」と明確に教えてもらえないと、「なぜ叱られているのかわからないけど、私ばかりが怒られると考えてしまい、中には「自分はバカだからだ」、「自分はダメな人間なのだ」と自己否定感ばかり強くなってしまったりして、性格傾向に影響が及んでしまいます。
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これもよくわかりますね。
要はですね、怒った基準が不明確なんですね。
怒るっていうのは主観です。私は怒った本人ではないのですから、なんで怒ったか必ずしもわからないわけです。
そういう怒る基準というのを自ら明確に説明もしないのに、怒っても次に活かしようがないのです。
私からすると、これは怒った方の説明義務違反です。怒った方の怒り方に問題があるのです。これも普通の人はそう思わないのかなあ!?


第2、まとめ
「大人の発達障害ってそういうことだったのか」こう締めくくります。
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反省という言葉も難しくて・・・。僕に言わせれば、定型発達の人は反省した振りが上手いです。例えば、裁判を有利にするために「反省した」とは言いますが、実際には反省していない人がたくさんいます。でも、アスペルガーの人はそんなウソがつけないので、反省を上手に表現することが苦手です。だから「刑務所からでたらまたやりますか?」と聞かれると、「冷静に考えれば、またやっちゃうと思います。やりたくないとは思いますけど」とか言っちゃって。
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ここでも、とてもよくわかる例がでましたね。
「僕に言わせれば、定型発達の人は反省した振りが上手」、ここなんです。
定型発達とは正常に発達した、いわゆる普通の人です。
普通の人は自分の基準で動いてない。世間の評価=基準、です。
だから世間の評価によって自分が受ける損得、プラスマイナスと、自分の行動による損得を比較考量しているだけです。
 それに対して、発達障害の人は世間の評価をそもそも理解できない、想像できないので、判断基準の中に世間の評価は入り込まないのです。
 さらにどういうわけか正直な傾向があるので、「冷静に考えれば、またやっちゃうと思います。やりたくないとは思いますけど」と言ってしまうことがあるのですね。
今回はかなりわかりやすい例を挙げました。
どの例も、同じ状況になれば私も同じことを考える例ばかりです。

もっとも、ここで注意してほしいのはASDにはグラデーション、濃淡があるということです。
上記の例で私は「そうだなあ、言っていることよくわかるな」と思う反面、「でも私も過去の経験から、面接で聞かれると何か暗示しているに違いないと推測できるようになったな」という具合に、成長をするわけです。
つまり人によって、どこで躓くかがバラバラだということです。

<参考文献>
「大人の発達障害ってそういうことだったのか」(宮岡等、内山登紀夫)

「発達障害でつまずく人、うまくいく人」(備瀬哲弘)

発達障害その3

2016-05-04 16:49:54 | 発達障害
前回までで、発達障害の簡単な特徴を書いてきました。
今回は発達障害者の特徴、
次回は具体例
次々回は対策について書いていきます。


第1、前回までのあらすじ
・発達障害とは、「社会性の障害」、「コミュニケーションの発達の障害」、「想像力の障害とそれに基づく行動の障害(いわゆる「こだわり行動」のこと)」の3つがあり、それによって社会生活に支障がでていること
・大きくわけると、ASD、LD、ADHDと3種類ある。(アメリカ精神医学会DSM-5による)
・LDとADHDは早期発見と対策が、今の小学校ではなされている。
・社会に今いる成人で一番問題になるのは、ASDである。
・発達障害には大きな3つの特徴がある。
・2012年の文科省調査結果(小学生を対象)によると、人口の20%が発達障害である。
・日本自閉症協会の調査によると、ASDは人口の1%存在する。

・先天的な脳の機能障害で、基本的には治らない。
・アインシュタインはアスペルガー(ASD)だったといわれている。

第2、障害の一般論
「発達障害でつまづく人、うまくいく人」(備瀬哲弘)にはこんな指摘があります。
<社会性の障害>
・仕事やプライベートで周囲の人と波長を合わせて行動したり、ルールを守ったり、マナーやエチケットに配慮したりすることに困難さがある。
・例えば、空気が読めないと言われたり、明らかに不適切な発言をしたという反応を受ける。
・自分の所属する組織や地域の暗黙の了解、冠婚葬祭のマナーがわからない。
・1つの仕事に集中しているときはいいのだが、2つ、3つと仕事が重なると、どう段取りしていいかわからなくなってしまう。

<コミュニケーションの発達の障害>
・言葉を文字通りそのままうけとることが多く、「冗談が通じない」とか「遠まわしな言い方が理解できない」と指摘されたりする。
・本音と建前を使いわけられないためウソがつけない。ついてもすぐにバレることが多い。頭に浮かんだことを口に出さずにいられない。
<想像力の障害とそれに基づく行動の障害(いわゆる「こだわり行動」のこと)>
・ルールや規則を絶対と感じている自分という存在があるので、あいまいなことだらけの社会とうまくバランスをとるため、こだわった行動をする。それが周囲の人に不可解と映ったり、困った行動だという印象を与える。
・物事屋とには都合があって、突然、予定が変更になるということに納得できない。
・通勤電車では同じ場所に座れないと気持ちが悪い。
・いったん好きなことを始めると、明日の予定にかかわりなくやめられなくなる。
・たとえやらないと不利になることであっても、納得のいかないことはやらない。
・物事には決まったやり方があって、それを少しでも外れると気に入らない。

<感覚の偏り>
・特有の音、光、匂い、模様、味などに対して、視覚、聴覚、触覚、味覚の五感に偏りがみられ、不快な刺激が現れると混乱してパニックを起こすことがある。
・周りの雑音や他人の会話している声などが、ヘッドホンで聞いているように耳に飛び込んでくるので、目の前の作業に集中できなくなる。
・特有の匂いや、人のつけている香水の匂いを嗅ぐと気分が悪くなる。


前回紹介した、「大人の発達障害ってそういうことだったのか」(宮岡等 、内山登紀夫にもこんな文章があります。

<社会性の障害>
一番わかりやすいのは、人よりも物に関心がある。お母さんと遊ぶよりも、物を並べる方が好きだとか。…なかでも、こだわり行動はいちばんわかりやすく、物をならべる、特定の物を集める、変化を嫌って、例えばお母さんの髪型が違うと嫌がる。
 <コミュニケーション>
言葉の遅れがいちばんわかりやすいのですが、高機能の場合は言葉そのものも遅れないことが多い。ただ、言葉をコミュニケーションに使用することに偏りがあります。独り言が多い、オム返しが多い。
 <イマジネーション>
普通は1歳半くらいで「ふり遊び」をします。そういったふり遊びが2~3歳までに出てこないこともあります。3~4歳で出現するごっこ遊びも非常に遅れる。
 ほかの特徴的な症状として、「感覚の過敏さ」があります。大きな音を立てると泣いてしまう。特定の音に対して過敏。
 三つ組の障害と感覚過敏、これが典型的なASDの特徴です
備瀬先生の本に書いてあることは、殆どあてはまります。
特にですね、以下の部分です。
「空気が読めないと言われたり、明らかに不適切な発言をしたという反応を受ける」
「1つの仕事に集中しているときはいいのだが、2つ、3つと仕事が重なると、どう段取りしていいかわからなくなってしまう」
「本音と建前を使いわけられないためウソがつけない。ついてもすぐにバレることが多い」「頭に浮かんだことを口に出さずにいられない」
「ルールや規則を絶対と感じている自分という存在があるので、あいまいなことだらけの社会とうまくバランスをとるため、こだわった行動をする。それが周囲の人に不可解と映ったり、困った行動だという印象を与える」
「たとえやらないと不利になることであっても、納得のいかないことはやらない」
「特有の匂いや、人のつけている香水の匂いを嗅ぐと気分が悪くなる」

香水事件なんか、まさにこれだと思います。
私は花粉症でもなんでもないのですが、特定の香水、特定の花の匂いを嗅ぐと気持ち悪くなります。小さい時からナスは苦いと思っているのですが、これも感覚過敏に影響しているかもしれません。
「普通の人であれば気づかないような匂いに対しても、敏感です。季節ごとの花の匂いにまいってしまうという人も少なくありません」(備瀬先生)との記載もあります。
ドンピシャですね。

第3、ASDの3つの特徴
備瀬先生によると、ASDには3種類あるそうです。
・積極奇異型
・受動型
・孤立型 
それでは1つずついきます。
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1、 積極奇異型
 人付き合いを自分から積極的に求めて動きます。相手に対する関心や興味がとても高いので、納得いくまで人にあれこれ質問したり、根ほり葉ほり相手のことを聞いたりします。
 相手の領域に踏み込みすぎるところがあって、その結果、人からは「変わっている」、「うるさい」などという評価を受けてしまいます。
 本来は積極奇異型であった人も、小さい頃から人間関係でネガティブな評価を受け続けてきたため、人付き合いに興味があっても、あまり自分から求めなくなるといった人も出てきます。

2、 受動型
 発達障害の典型的なタイプですが、人付き合いにはもともと積極的ではありません。ただ、求められると穏やかに人と接します。

3、 孤立型
 そもそも人付き合いが苦手で、求められても応じない傾向があります。そのため周りを拒絶している印象を持たれますが、ただ本人としては1人でマイペースをすごすことを好んでいるだけなのです。
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私は積極奇異型と思います。
というのも、人に興味があるからですね。海外に1人で旅行にいって現地の人に話しかけたり、調査をしたこともあります。また過去にアルバイトの電話をした際に、「調査かなにかですか?」と聞かれたことが複数回あります。
自分に自覚はないのですが、どうやら根ほり葉ほり聞いているらしい。

大学受験の頃の友人が私にこう言ったこともあります。
「ぴっぐちゃんは、普通の人が軽いキャッチボールしているところで、いきなり全速力で投げ込んでいるようなものだ。だから突っ込みすぎて周囲が引いてしまう」

ただ今の会社ではコミュニケーションがないのがデフォルトなので、初めて人生でコミュニケーションに躓いているんだと思います。

備瀬先生は続けます。
私のクリニックを受診される人の中で、性格の偏りのために生きづらくなっているだろうなと感じるのは、「否定感があまりに強くなっている人達」です。その中に「それでも人との関わりを求めている人」と「もう関わりはゴメンだと思っている人」がいます。どちらにしろ、自分の体験をネガティブにとらえています。
発達障害の特性があるために、周りからずっとネガティブな評価ばかり受けてきた人の中には、周囲の人に不信感を募らせている人、対人関係にとても敏感になっている人がいます。
私の正当化が強い要素の1つとして、否定感が強いことがあると思います。
50代役員さんの指摘も、私は何かピンとこないというか、的外れに思っているのも、そのためかもしれません。役員さんの指摘自体は後で書きます。

<参考文献>
「大人の発達障害ってそういうことだったのか」(宮岡等、内山登紀夫)

「発達障害でつまずく人、うまくいく人」(備瀬哲弘)

発達障害その2

2016-03-21 16:30:38 | 発達障害
こんにちは、ぴっぐです。
前回、「今回の私の反省点としては、私が『不快です』と言えば、それで相手も納得すると思っていたという想像力不足ですね。じゃあなぜ想像力が足りないのかというのは、次回に書きたいと思います。それは私が医師から指摘された「発達障害」に関係するかもしれません。匂いに敏感なのも、もしかすると・・・」と書きました。

1、 そもそも発達障害とは
 「社会性の発達の障害」、「コミュニケーションの発達の障害」、「想像力の障害とそれに基づく行動の障害(いわゆる「こだわり行動」のこと)」という3つ基本的な特徴のどれかを有して、かつ、社会生活に支障をきたしている、脳の先天的な疾患です。
 大きく分けると、ASD、LD、ADHDに分かれます。具体的には、以下のようになります。

(1) ASD(自閉症スペクトラム)
・知的障害を伴う自閉症
・知的障害を伴わない自閉症(アスペルガー症候群)
(2)LD(限局性学習障害)
(3)ADHD(注意欠如多動症)
   
2、 発達障害の特徴
(1) 総論
上記のようにASD、LD、ADHDと分かれます。これごとに特徴があるのですが、いわゆる社会で困っている人々はASDが大半です。
 LDというのは学習障害ですから、しっかりと文字が書けない、読めない、暗鬼できないなどがあります。あいうえおを書けない、覚えられない等ですね。これは発見が容易で、対策も進んでいます。
 ADHDというのは注意力が散漫な傾向があり、よく出てくる例は教室で授業中にじっとしていられないということがあります。これも発見が容易であり、対策が進んでいます。
 ASDが特に問題になります。その中でも知的障害を伴わないものですね。従来は特定不能の発達障害(PDD-NOS)と言われたりすることもありました。今はすべて大くくりでアスペルガーと呼ばれます(アメリカ精神医学会DSM-Vによる)

(2) 出現率
 文部科学省により2012年に全国の公立小中学校で約5万人を対象にした調査結果で、”発達障害の可能性のある”とされた児童生徒の割合は6.5%です。つまり20人に1人は発達障害となります。
 中小企業に1人は必ずいることになります。

(3) 特徴
ここで大きく問題になるのは特徴です。
具体的には、50代役員さんの上げた以下の2つポイントがキーになります。
・「自分の言動は一貫した正当性があるので、それを理解または賛同して行動を変えない自分以外の「周り」に誤りまたは認識不足がある」というものすごく強固な意志
・Pの課題は圧倒的に相手への配慮、いやもっと言うと「愛とリスペクト」

実はこれと似たようなことを、別の人からも言われています。
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ぴっぐさんは、時間をかけてかけてかけて....納得するまで一歩を踏み出さない、慎重派といわけではなく、あくまで自分の中の基準をクリアしないと次に行かないこだわりが強すぎるという感じかな?笑
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そうなんですね。
両者はきっと同じことを言っています。
「社会性の発達の障害」
「コミュニケーションの発達の障害」
「想像力の障害とそれに基づく行動の障害(いわゆる「こだわり行動」のこと)」

これに起因しているわけです。

例えば、靴の紐は右から絶対結ぶとか。
食事は必ず納豆からとか。
会議予定は事前に聞かないと不安になるとか。

自分なりのこだわりポイントがあり、それを満たしているかが大事なのです。

(4) 原因
 よくわかっていません。ただ一説には晩婚化による精子や卵子の劣化と言われています。


(5) 補足
 発達障害の特徴は2歳までにあられると言います。
典型的な例は、赤ちゃんに右手をふった時に、どちらの手でふりかえしてくるかでわかると言われます。周囲の人間が赤ちゃんにバイバイをした時に、その発達障害の赤ちゃんは手の平を自分に向けてバイバイすると言われます。これは相手の立場に立って考えるのが苦手だからですね。

特に興味のある人は、下にある名古屋市のリンクがわかりやすいと思います。
今回はここまで。

<参考文献>
「発達障害でつまずく人、うまくいく人」(備瀬哲弘)

「大人のアスペルガーがわかる――他人の気持ちを想像できない人たち」(梅永雄二)

「大人の発達障害ってそういうことだったのか」(宮岡等、内山登紀夫)
「広汎性発達障害(自閉症スペクトラム)ってなあに?」(名古屋市発達障害者支援センター りんくす名古屋)

通常の学級に在籍する発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果について


発達障害その1

2015-08-22 10:27:53 | 発達障害
先日、発達障害の経験の豊富な個人開業医に会いに行きました。しかしながら、良い話は聞けませんでした。
通常の個人開業医と、経験豊富な開業医で、どんな異なる治療を受けられるか聞いてから判断しようと思いましたが、そのようなことを話するのは保険診療外になると言われたからですね。
そもそも見通しが私には判断できないので、その医師にかかることは諦めました。

また、今かかっている医師に、過去に受けた発達障害の検査結果を提出しました。すると今までの態度から急変して、「私は発達障害の専門家ではないので、ぴっぐさんはいづれ専門医院で検査した方がいい。その時は紹介状も書きます。また、まずは会社復帰にあたり、私の方から上司にしっかりと対応策をお話したいと思います。私は発達障害の専門家ではありませんが、その程度のことはできます。また、ぴっぐさんは今まで苦労してきたと思いますが、それはぴっぐさんの怠惰ではありません。あとは自分を変えろと周りは言うと思いますが、それはぴっぐさんには当てはまらないというか、よく準備する必要があります。それよりも環境調整といって、周りがぴっぐさんをよく理解して、変わる必要があります。」と言う趣旨のことを言いました。

むむむ、なんか急展開です。
今まで読んできた発達障害の本に書かれてることばかり、発言されました。なんだ、この変わりようは(笑)
そもそも発達障害てなに?というのは次回書きたいと思います。

今日はこれから、山手線を歩いて一周してきます。