わいるどぴっぐの猪突猛進

いつも疑問に思うことを書いていきます。

読書だけ武器にしろ

2020-01-13 17:04:24 | 書評
筆者 堀江貴文
情報だけ武器にしろ(ポプラ新書)

私は堀江さんの本を何冊も読んでいますが、今回は感想をまとめます。
堀江さんは「今の常識はフィクションでしかない」(p.13)として、その意味は「国家や宗教、貨幣など社会にはルールがあって、皆その枠の中で生きているが、それらはすべて人間が作り出した思い込み」(p.15)とします。「たとえば、昔は宗教の力が強くて、皆宗教が決める戒律にしたがって生きてきた。だが、時代が進むにつれて宗教の根拠が危うくなって力を失った。…だから、社会が与えるルールや常識なんていうものは、そのまま受け入れず、いちいち疑ってかからなくてはならない」(同ページ)としています。つまり既存のルールは時代とともに変わる可能性があるし、自分で変えられることもできるので、ルールに従うことだけを考えるのはやめようと続いていきます。そして「自分の強みを活かせる市場を選ぶ」(p.16)には、「情報を高速で取捨選択する力」(p.21)が必要だという展開になります。そのためには、
① 興味のある人等にSNSでフォローしたり、実際にあったりして、情報を収集する段階
② その情報が正しいか自分で考える段階
③ 最後に、発信する段階 とあります。

ここで今までの私なら(というか今でも思っているけど)、「情報収集が面倒くさい」、「発信するときは気を遣うよね」と思っています。その点について堀江さんは以下のようにも述べます。
1、情報収集が面倒くさいについて
使える情報を手に入れるには、情報の選択眼を養うことが必要だ。そのためには、「質より量」。前提として「圧倒的な量の情報」のインプットが大切になってくる。…極論をいうと、取り入れた情報は、すぐに忘れてもかまわない。本当に大事な情報は脳の片隅で待機してくれている。脳はよくできている。一言一句、丸暗記はできなくても、「そういえば、△△について□□さんが面白いことをいっていた」などと、大体の情報のしっぽをドンピシャのタイミングで引っ張り出してきてくれる。必要に迫られたとき、情報の端緒さえ思い出すことができれば、あとは検索するだけでいい。(p.25-)

なるほど情報そのものに沢山触れる機会を作ることで、だんだんと選球眼が養われていくわけですね。では、情報そのものを大量に処理することが面倒な人は、どうすればいいのでしょうか。

「やりがいってなんだ?」「人生にて幸福とは何だ?」「努力って何だ?」こんなことにいくら頭を使っても、残念ながら何も生まれない。本当に没頭できる「仕事」と「遊び」で自分の時間を埋め、さらに情報のシャワーを浴びれば、抽象的な問答に悩まされることはなくなる。
このように、大量のインプットをし続けてみてほしい。情報の取捨選択が飛躍的に上手くなっていく。同時に、インプットの方法までが最適化されていく。(同p.27-28)

逆説的なんですが、大量の情報をこなそうとした結果、すでに見たことがある情報が多くなって、結果的に処理が早くなると言っています。つまり経験することで何となくやり方がわかり、なんとなくわかってきたので処理が早くなると言っています。残念な気持ちであると同時に、そうかもなあと思います。

では新しいことが苦手なASDの人はどうするか。
それは小まめに休む、「まあ、しょうがないか」と休み休みにいくことだと思います。
結局、情報量と情報の新規性ゆえに疲労はたまりますから、緊張感の解除には休むしかありません。そこで大量に処理するということは、大量に休むことと思います。

同時に、これは同じ考えだと思ったのは「自分の意見に近い情報だけを優先して集めない」という部分です。
自分の考えに近い情報(意見)ばかり集めれば、誰だって心地いいし、安心できる。けれどもそんな情報ばかりにひたりきっていたら、批判性や批評性や、巧みに反論するような論理性は育ちにくい。…「明らかに意見が合わない人」の文章を意図的に読んだり…。もちろんそんなことをしていると、カチンとくることはある。ストレートにむかつくこともある。ただ、部分的には「何だ、いいこといってるじゃん」と素直に思えたりする。自分自身のバイアス(偏見)を修正できることだってある。(p.45-46)


2、発信するときは気を遣うよねについて
一般の人が文章を書こうとするとき、次のようなことを考えはじめると、ますますアウトプットから遠ざかってしまう。「誤字や脱字があったら、恥ずかしい」「固有名詞を間違えたら、バカと思われるんじゃないか」「事実関係の記述をミスったら、大変な問題になるんじゃないか」…。もちろんアウトプットの完成度は高いに越したことはない。でも、「仕事」じゃなければ100点満点を目指す必要はないだろう。万一誰かから指摘を受けたら、むしろ「ありがたい」。注目されていることに感謝すればいい。間違いについては後から直せばいいし、リカバリーなんていくらでも可能だ。(p.158)

失敗そのものを前提にして、そこでかく恥なんて気にしないことですね。

他にもいろいろありますが、今回は久々なのでこの程度にしておきます。