わいるどぴっぐの猪突猛進

いつも疑問に思うことを書いていきます。

残酷すぎる成功法則

2018-08-14 23:48:17 | 書評
こんにちは、ピッグです。

1、本の概要
残酷すぎる成功法則
筆者:エリックパーカー
監修:橘玲

成功本は大きく2つに分かれるそうです。1つは、「私はこうやって成功した」というもの。もう1つは、歴史や宗教を根拠に「イエスはこういった」という類だそうです。しかしそれは宝くじを買ってたまたま当たった人が、「宝くじを買えばあなたも金持ちになれる」と言っているのと同じで、偶然を普遍化していて根拠が薄い。そこでこの本の目的は、すべてのことに証拠をつけることにあるそうです。

2、気になる記事
いくつかとりあげます。
1980年代から90年代に高校の成績を主席で卒業した人の追跡調査を、カレンアーノルドさんはしたそうです。アーノルドさんによると、その優秀者の中から世界に感銘を与えたり、世界を動かす人はゼロだったそうです。(Lives of Promise. Arnold Karen)そしてその理由は、「学校は基本的に、規則に従い、システムに順応する者に報酬を与える」とのことです。

私は、「これって、会社でも同じだな」と思いました。従業員としていい評価をされるとは使用者(上司)からいい評価をされるということであり、使用者から良い評価をされるとは、与えられた枠に沿うのがうまいということを意味しているからです。自発的に何かを考える必要はない。

次に、ゴータムムクンダさんは、アメリカ大統領を2つに分類したそうです。(Indispensable. Mukunda Gautum)1つは政治家になる正規コースを経たもので、定石を重視する。もう1つは、正規コースを歩まないもの。そして正規コースを歩まない方が、世にインパクトを与える成果を出すという結果になりました。
正規コースを経ていると、型破りな発想が生まれにく、さらにその過程で欠点が修正され均一化してしまうことを指摘しています。

次に興味があるのは、皆が利己主義になったらどうなるかというもの。
ルートフェーンボーンは世界幸福データベースを主催しており、そこで最も幸せから遠い国をモルドバと位置付けました。モルドバの国民性は、自分の利益にならないことは一切しない。例えば、ズルをしても咎める事にメリットがないので咎めない場合、本人のみならず他の人々も努力をしなくなるそうです。そして皆が利己的になった結果皆がズルをするようになり社会的制度が後退、結果的には取り分が減るそうです。

結局ここで言っていることは、自分にだけ有利なようにする→それに周囲が飽き飽きする→人が離れる→有利でなくなる、ということに思います。

これって会社にもあてはまるなぁと感じます。

次になぜゲームは熱心にやるのに、仕事は一生懸命でないのかについて。それはWinnable, Novel, Goals, Feedbackの4つの要素に違いがあるからだそうです。

Winnableは勝てること。ゲームには明確なルールがあり、粘り強くやれば勝てる。裏を返すと①ルールが不明確②粘っても勝てない、とやる気はなくなるわけだ。ふむふむ。

Novelは斬新さのあること。優れたゲームは新たなステージ、新たな敵、新たな功績のように、次から次へと刺激があるそうです。

Goalsは目標であること。スーパーマリオであれば、姫の救出。これぐらい単純だといいそうです。

Feedbackは反応ですね。それによって学べるということ。

このWNGFはまさにその通りと思います。

「理念型経営」って誰のためにあるの?

2018-08-01 23:20:47 | 仕事
こんにちは、ピッグです。

前回の記事にかなりの反響がありました。(コメント欄に記載はないけど)
そこで思うことを1つずつ書いていきます。

Unknownさん
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そもそもビジネスって社会の改善に繋げるべきものなんでしょうか?
「改善」というのも人によりけりなので、その部分に囚われてしまうと商売は何も出来なくなるかと思います。
答えの無い問題を取り上げ、取り敢えず会社を仮想敵にしまっているような印象を受けました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
私の発想が仮想敵の設定をしているとの指摘は別の人からも受けており、そのこと自体も考えなくてはいけないと思っています。ただ仮想敵にしているということ自体が、自覚がないので、うまく論じられません。いい考えが浮かんだ時に書きます。

もう1つは、「そもそもビジネスって社会の改善に繋げるものなんでしょうか?」は、素朴な疑問ですよね。なぜ社会の改善の話が出てきたかというと、50代会社役員さんもそうですが、経営者側の人に「なぜ労基法等守らないんですか?」とか「従業員のモチベーションがあがらないことをするのですか?」と質問すると、「会社は商品を売ること自体によって、社会の問題を解決している。別の言い方をすると、社会の問題を解決しないようなものは売れないから、売れるということは社会の問題を解決している」という趣旨の発言をされることが多いからです。
そこでビジネスは社会の問題を解決するのかについて、分析して書いてみました。

そして社会の問題を解決しているかという問いかけに対して、超有名新卒サイトを作る会社で働く知人は私にこう言いました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
世の中欲望で成り立っているし、欲望を満たす程度のことを社会課題解決と言っているケースも多い。
本当に社会課題に向き合う人もいるけどわずかで、会社はその錦の旗を利用しているだけに過ぎないケースが多い。
お客様の満足のためって連呼しているけど、要は稼ぎたい でしかない。 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
これは企業が「顧客」の「問題」とか「社会」の「問題」を解決していると言っているけど、それは建前に過ぎない。聞こえが良いからそうしているだけであって、本当は儲けたいだけでしょと言っています。
つまりunknown さんと異なり、この知人は「企業は社会の問題を解決すると、企業自らが言っている」と認識しているわけです。
「我々は社会の問題を解決している」と主張する人達が往々にして次に言うのが、「我々は顧客のことを常に考えている。そして社会のことを考えている。私利私欲のために会社をしてはいけないと思っている。それは利他的であり、理念的であることから生まれる」という趣旨のことです。

そこで今回は、理念を掲げる会社について、面白い本があったので考えていきたいと思います。「俺のイタリアンを生んだ男」(尾崎弘之)(p.133~)に、こうあります。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
利他主義は「人のために汗をかく」という意味で、「利他の心が自分を含めた周囲を皆幸せにする」という経営理念である。人のために働くことが発展して、「人間の一番の喜びは自分が成長していること。これを掴んだ人は一生変わらない」と坂本(注:俺のイタリアン創業者。ブックオフの創業者)は説く。
利他主義は坂本が師事する京セラ創業者の稲盛和夫が繰り返し説いてきた哲学である。稲盛が京セラを創業して3年目のことだった。若手社員が団体交渉を始め、「給料をあげてくれ、休みを増やしてほしい。そうでなければ、全員で会社を辞める」と要求してきた。組合が強かった当時はよく見られた光景である。
そこで稲盛は組合に対する拒絶や変な妥協をせずに、「この会社は経営者のためではなく、働く人が幸せになる場所にする」こと決意した。これが「京セラ経営理念」の始まりである。利他主義は社員だけでなく取引先も対象にしている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
理念型経営という時、必ず稲盛さんが出てきます。私の知る範囲では、稲盛さんにつながらない理念型経営を見たことがない。
ここで気になるのは「他人のため」といえば、すべて肯定されるのかという点です。
具体的には、いわゆるブラックと噂される企業も言っていたはずです。
例としてワタミをあげます。自殺や訴訟が提起された当時のHPでないのでフェアでないのですが、今の経営理念を上げてみます。(経営理念はそうそう簡単に変わることがないという前提が取れるなら、当時も同じ理念になります)
ワタミHP
「事業活動を通じて、社会の課題解決」に貢献

1つの指標としてですが、「2017年ブラック企業大賞」であった株式会社引越社(アリさんマークの引っ越しセンター)にはこうあります。
引越社 社長挨拶
「私どもは、「引越」を単なる荷物の運搬とは考えず、お客様の生活そのものの移動であり、お客様おひとりおひとりのご要望に応じたきめ細かなサービスが不可欠であると考えております。…今後も、孫の代まで愛される引越社グループであるよう、「お客様本位」をモットーとして安心と喜びと満足を提供して参ります。」

「社会のため」とはたしかに一言も書いてないけど、「単なる引っ越し」ではなくて、「孫の代まで愛される」とあるので、なんだか永続的に誰かのために役立ちそうですね。
*ブラック企業大賞について、実行委員会の見解の引用はこちら

つまり、「他人のため」とか「利他」という時、それは顧客=クライアント=お金を払うひと、だけを指していることが多いように思います。「他人のため」=顧客のため=顧客が喜ぶため=顧客がお金を払って買うため=労働者は自己犠牲しろ、という構図になってしまっているようなのです。

もし仮に「利他的」であることを徹底すれば、ぜんぶ無料で提供するという方法があります。
そうすると反論で、「バカ言え無料にすると、それまで商品開発にかけたお金を回収できない」とあります。それなら商品開発や先行投資以外は、全部顧客が従業員に還元するという方法もあります。結局それはいいサービス(商材)を提供するためにはそのための費用(開発、営業、生産コスト等)が必要であり、その費用分を確保する必要がある。もっとも、その費用をどの程度までならば「確保」と言えるかで争いがまずある。さらに、費用とは別に、経営者がどの程度会社に残しておきたいか、自己の給与にするかという問題もあります。

そしてもう1つ別の問題として、どの程度の利益を留保しておくことが利他的として許されるかということに関しては、
「(仮に社会と結びつけて)社会をよくする」=「その判断をするのは俺だ」=「俺が経営者であるから判断権利者である」=「俺の決定はすべて意味がある」=「だから肯定される」
という価値観が潜んでいるように見えるのです。
雑に要約すると、「一番偉いオレが利他的と思って決めたんだから、利他的に決まっているだろう」ということです。だから理念型経営というのはある種のうさん臭さを感じます。

先の新卒サイト作成会社の知人に聞いたのと同じ質問を、塾の経営者の知人に聞きました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「理念」と「数字」ですが、基本的には「どちらが先」というものではないのかなと思います。「理念」みたいなものが全くない経営者はいないと思いますし(理念が崇高かどうかは別として)、数字を気にしない経営者もいないでしょう。
現実的には、中小企業の経営者が考えることの8割以上は「お金」ですからね(笑)
稲盛さんも「理念が先」というよりは、「理念なき経営はダメ」くらいの感じだと思うのですよね。
そして、「理念」は抽象的であるために、どうしても「数字」の前に来るように考えられているだけで、実際は、特に創業当初などは同時進行だと思います。
もっとも、大企業になると、「数字」の部分は専門的な知識を持つ者に委ねられるので、 経営者はより理念的になっていくのでしょうね。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
この知人が言っていることは、「理念なき経営はダメ」という意味で、理念がないのもダメだということですね。
それを私の言葉で整理すると、
①たしかに会社は株主に承認されればなんでもいい。
②そして株主は、利益剰余金と株価ばかり見ることが多い。もっと言えば、自分が先行投資した株式の値段が、譲渡した時に損をしないかに注視する傾向がある。
③よって、会社はそこに特化する傾向がある。
④特化すると(労基法とか)従業員がないがしろにされることが多いので、理念も大事にしないといけない。

しかし、理念を語れば何でも肯定されるわけでもない、という側面もある。それは、
「他人のため」=顧客のため=顧客が喜ぶため=顧客がお金を払って買うため=労働者は自己犠牲しろ
という場合です。これを理念の濫用と感じてしまうのです。

理念は従業員が勝手に行ってくれる分にはいいけども、それをしないといけないかのようなにするのはよくない。本来、気遣いとか配慮とかそういうものは相手に請求できるものではないのに、「あんた気遣いないよね、失礼ね」と請求権的に使うもどかしさに似ている。自己犠牲を進んで行う分にはいいけども、それをしないかのような仕組みにするのは、実質的に無休や無給で働かせることに近くなる。

同時に、理念といっても坂本さんにしろ稲盛さんにしろ、自分の考える経営に反する人は排除するのだと思う。そういう意味でも「利他」の適用の仕方は問題になる。

結論として、理念といっても、「利他」=顧客のため、としている場合、それは従業員をだまして使っている方向に機能しやすい気がする。
さらに言えば、利他=顧客、従業員、その他の人々と広くとらえた時に、結局は経営者としての自我や決定が第一順位に来るならば、それに反する意見は排他する傾向になり、利他と言い切れるかわからなくなるという問題もあります。

坂本さんが俺のイタリアンを設立するに至った理由をこの本から判断すると、設立したいから設立しただけであって、イタリアンが増えることで社会の問題、顧客の問題を何か解決したいと思ったわけではない。
例えばイタリア留学経験からイタリアンの良さに気づいた。しかし現実は値段が高く、庶民に広まらない。そこで顧客1人あたりの単価を下げ、来やすくした。これならよくわかる。
しかしこの本を読む限りでは、もともと起業自体に面白みを見出していたり、事業を行うことに面白みを見出したりしているのであって、問題解決にフォーカスがあるのでない。

これって結局、「したいから、する」となんら変わらない。
問題の解決というのは、それを売れることで、どんな便利さがあるか、どんな需要があるかを分析して後付けしたに過ぎない(ようにも思える)。

となると、
①会社の原理的形態の理解。
②それを補うための理念
③しかし、理念=顧客のため、従業員のため、として、誰かに行動を強制する理由として濫用してはいけない。
に落ち着くのでないか。

①②について、面白い例を見つけた。
「俺のイタリアンを生んだ男」p.163-164
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
1999年に米国で、ザッポスという通販会社が設立された。靴をネット販売する会社など他にお目にかかることができない。何故なら、靴は何足も試し履きをして買うかどうかを決めるものだからだ。…そこで創業グループは、「返品はいくらでも自由、しかも無料配送にする」というアイディアを考えた。これなら、色違い、サイズ違いの靴を10足頼んで全部試し履きして、不要な9足を返品すれば良い。…実際にこの方法を実行してみると、ビジネスは大成功だった。商品の何と40%が返品されたが、これはマーケティング費用とみなすことができる。返品が多いお客はリピーターとなってくれ、客単価も高いからだ。
ユニークなザッポスという会社はコールセンターの社員に大幅な裁量を与えるところに特徴がある。ザッポスのコールセンターは普通のコールセンターと違う。通常はオペレーターがお客ひとりあたりと会話する時間を削るよう指示されるが、ザッポスではそういう指標がない。「顧客満足を得るためにはひとりの顧客と何時間話しをしても構わない」という裁量を本当に与えるのだ。
 お客に驚きを提供する逸話も多い。海外から米国に来たお客がザッポスに靴を注文した。ところが、靴が帰国予定日までに届けられなかった。やむなくお客は一日滞在を延長したのだが、お詫びの印にザッポスは買った靴を無料進呈して、航空券の変更手数料を払い、ついでにクーポン券まで渡した。
 この会社は、単に靴を売るのでなく、それに付随するサービスを売る。『ザッポス伝説』という本には、「ザッポスを最高の顧客サービスができるブランドにするには、会社の一部門ではなく、会社全体を顧客サービスそのものにする必要があった」と書かれている。ザッポスは急成長を遂げ、2009年、アマゾンに12億ドルを超える金額で買収された。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
従業員が利他と考える行為をするときに、従業員に給与以上の待遇を与えるか、裁量を与える。こうすれば経営者と意見が対立しても、その裁量の範囲内では自由にできるから、利他も守れる気がします。
もし仮に飛行機で靴を届けにいくという選択をした場合は、その移動時間も賃金も払うなら、奉仕の心自体を強制しているとも言えないと思います。

最後に。
塾経営の知人はこうも言いました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「競争に勝つ」とか「儲ける」というのは、一種の麻薬なのだと思います。
極端に言えば、年収の〇が一つ増えれば、楽しいに決まっているわけです。
でもそれは、宝くじとかではあまり意味がなく、自分なりに「仕事」をした成果として得られることが前提ですが。
ダライ・ラマみたいな解脱者でもない限り、ほぼ万人にこれは当てはまってしまうのではないかと思います。
ただ、「競争」である以上、万人が勝つことはあり得ず、というか基本的に上位20%程度に「勝利」が終結してしまいがちな側面は否めません。
ですから、疲弊してしまったり、うまくアジャストできないケースが出てきてしまうのでしょう。

基本的に経営者と言うのは、「成功体験」を保持していて、その成功体験をシェアしようという人種なのだと思います。それは、会社規模とか、NPOとか関係なく。
ただ、「成功体験」は属人化している面があることは否めませんし、完璧であることはあり得ない。
ということで、どこの企業であっても「歪み」は出てくるのは必然でしょう。
その「歪み」がピッグさんの抱く「違和感」なのだと思います
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「歪み」に気づく・・・ですか。

しかしですね、じゃあ会社の方から働くことを規定したという凄い会社を見つけてしまった。それはまた次回に書きます。私が到達してる結論の何歩も前にいます。同じような境遇だったのに。。