わいるどぴっぐの猪突猛進

いつも疑問に思うことを書いていきます。

発展途上国から出るか、発展途上国を変えようとするのか

2018-10-01 09:33:45 | 仕事
こんにちは。
ぴっぐです。

プロジェクト改善案を社長に出して、社長に引き継いでもらうことが決意の決め手でした。
ただそこに至る経緯も円満とは言えず、いろいろありました。
そしていま虚無感を覚えています。

私がいた会社には、私と同じようにロースクール卒で、正社員としての経験がなく、同じような年齢の方がいました。Aさんとします。Aさんは休職してから、その後は寡黙に過ごしていました。

そんなAさんがこんな趣旨のメールをくれました。
××社での実績を棚卸しし、他社でも通用する経験・スキルを取捨選択・整理して次のステップとなる「やりたい仕事」の会社へスライドさせて、高く売り込むということです。

次のステップへ、高く売り込める実績がないうちは、無駄に敵を作らず、現職を辞めないということでもあります。

私の場合は、××の間に、仕事を選ばず引き受けましたので、雑用全般から社内システムを用いた業績管理やM&A等の特命案件まで幅広く手掛けましたけれど、そのなかでも商事法務や適時開示全般の経験・スキルは普遍性のある評価を各所で受けました。雛型で対応できないため、契約書をゼロから起案したことも何度もありますし、並行して、会計系資格を取得し、××へ昇格もしていたので、事実を淡々と書くだけで、エージェントが「魅力的で、説得力がある」という職務経歴書が出来上がりました。

まぁ、気の進まない酒も付き合いましたし、やりたくない仕事で残業もたくさんしました。悔しい思いもたくさんしましたし、「騙された」と感じながら、歯を食いしばって仕事していた時期もありますよ。

精神面は、かなり鍛えられました。

ともあれ、おかげさまで、最終日は記念品を送って頂いて、拍手を受けつつ、円満退職することもできました。

個人的には、悪いことばかりでもなかったかと。

××社 は「従業員を教え育て大事にする会社」ではないので、受け身では給料泥棒の謗りを免れませんが、自らで自らを成長させるという意志ある者には、仕事の方から寄ってくる会社だったかと。

私自身は、この社風のおかげで、普通の会社であれば、10年かかるところを半分以下の期間でマスターできたと感じてます。

彼は発言通り、転職市場で評価をされる「実績」があるまでは大人しくする、つまり「サラリーマンとして市場で価値をあげるという、合理的選択」を選んだわけです。
私も実は気づいていました。

彼のやり方と同じことは以下にあります。
入社1年目の教科書

入社1、2年は「良き社畜」として騙され続けよ」 で、最後に1回だけ裏切ればいい

ここで言っているのは、
①会社から見て言うことを聞いてくれることには、それだけで価値がある
②言うことを聞いていれば、個人として信頼を得やすくなる
③個人として信頼を得やすくなれば、仕事がすすめやすくなる
④仕事がすすめやすくなれば、実績を作りやすくなる
ということです。

だから不平は一切言わず、相手が信頼してきたのを上手く利用して、最後に辞めればいいということです。

私も気づいてましたが、「組織をよくする」ことでも同様の評価は得られると思っていた。
私のスタイルは、①組織として重要な課題に②根本的解決を目指し③組織を変えること、に思います。

しかしこの「組織をよくする」の基準は私が思っているものとは違った。
記事の通り、①良いかどうかは経営者基準が決める②金に直結すること、だったんじゃないかと思います。

経営者が仮に短期的視野ならそれに合わせるし、長期的視野ならそれに合わせること。
常に他人に良い顔を見せて気に入られること。

生きやすさという意味ではそうなのかなともおもいます。
しかし、現経営以外の視点で見た際に、肯定されるものかどうかは問題にしてません。
簡単に言えば、国は滅びても、現政権のために尽くせば、評価されるということに近いかもしれません。

発展途上国から先進国にいくために頑張るか。
発展途上国を変えようとするか。
この差に思います。
発展途上国と発展途上の会社

後者は政権打倒する要素になり、現権力者にも嫌われるということでしょうか。
虚無感がすごいんですが、虚無感の正体を突き詰めたいと思います。

「理念型経営」って誰のためにあるの?

2018-08-01 23:20:47 | 仕事
こんにちは、ピッグです。

前回の記事にかなりの反響がありました。(コメント欄に記載はないけど)
そこで思うことを1つずつ書いていきます。

Unknownさん
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そもそもビジネスって社会の改善に繋げるべきものなんでしょうか?
「改善」というのも人によりけりなので、その部分に囚われてしまうと商売は何も出来なくなるかと思います。
答えの無い問題を取り上げ、取り敢えず会社を仮想敵にしまっているような印象を受けました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
私の発想が仮想敵の設定をしているとの指摘は別の人からも受けており、そのこと自体も考えなくてはいけないと思っています。ただ仮想敵にしているということ自体が、自覚がないので、うまく論じられません。いい考えが浮かんだ時に書きます。

もう1つは、「そもそもビジネスって社会の改善に繋げるものなんでしょうか?」は、素朴な疑問ですよね。なぜ社会の改善の話が出てきたかというと、50代会社役員さんもそうですが、経営者側の人に「なぜ労基法等守らないんですか?」とか「従業員のモチベーションがあがらないことをするのですか?」と質問すると、「会社は商品を売ること自体によって、社会の問題を解決している。別の言い方をすると、社会の問題を解決しないようなものは売れないから、売れるということは社会の問題を解決している」という趣旨の発言をされることが多いからです。
そこでビジネスは社会の問題を解決するのかについて、分析して書いてみました。

そして社会の問題を解決しているかという問いかけに対して、超有名新卒サイトを作る会社で働く知人は私にこう言いました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
世の中欲望で成り立っているし、欲望を満たす程度のことを社会課題解決と言っているケースも多い。
本当に社会課題に向き合う人もいるけどわずかで、会社はその錦の旗を利用しているだけに過ぎないケースが多い。
お客様の満足のためって連呼しているけど、要は稼ぎたい でしかない。 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
これは企業が「顧客」の「問題」とか「社会」の「問題」を解決していると言っているけど、それは建前に過ぎない。聞こえが良いからそうしているだけであって、本当は儲けたいだけでしょと言っています。
つまりunknown さんと異なり、この知人は「企業は社会の問題を解決すると、企業自らが言っている」と認識しているわけです。
「我々は社会の問題を解決している」と主張する人達が往々にして次に言うのが、「我々は顧客のことを常に考えている。そして社会のことを考えている。私利私欲のために会社をしてはいけないと思っている。それは利他的であり、理念的であることから生まれる」という趣旨のことです。

そこで今回は、理念を掲げる会社について、面白い本があったので考えていきたいと思います。「俺のイタリアンを生んだ男」(尾崎弘之)(p.133~)に、こうあります。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
利他主義は「人のために汗をかく」という意味で、「利他の心が自分を含めた周囲を皆幸せにする」という経営理念である。人のために働くことが発展して、「人間の一番の喜びは自分が成長していること。これを掴んだ人は一生変わらない」と坂本(注:俺のイタリアン創業者。ブックオフの創業者)は説く。
利他主義は坂本が師事する京セラ創業者の稲盛和夫が繰り返し説いてきた哲学である。稲盛が京セラを創業して3年目のことだった。若手社員が団体交渉を始め、「給料をあげてくれ、休みを増やしてほしい。そうでなければ、全員で会社を辞める」と要求してきた。組合が強かった当時はよく見られた光景である。
そこで稲盛は組合に対する拒絶や変な妥協をせずに、「この会社は経営者のためではなく、働く人が幸せになる場所にする」こと決意した。これが「京セラ経営理念」の始まりである。利他主義は社員だけでなく取引先も対象にしている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
理念型経営という時、必ず稲盛さんが出てきます。私の知る範囲では、稲盛さんにつながらない理念型経営を見たことがない。
ここで気になるのは「他人のため」といえば、すべて肯定されるのかという点です。
具体的には、いわゆるブラックと噂される企業も言っていたはずです。
例としてワタミをあげます。自殺や訴訟が提起された当時のHPでないのでフェアでないのですが、今の経営理念を上げてみます。(経営理念はそうそう簡単に変わることがないという前提が取れるなら、当時も同じ理念になります)
ワタミHP
「事業活動を通じて、社会の課題解決」に貢献

1つの指標としてですが、「2017年ブラック企業大賞」であった株式会社引越社(アリさんマークの引っ越しセンター)にはこうあります。
引越社 社長挨拶
「私どもは、「引越」を単なる荷物の運搬とは考えず、お客様の生活そのものの移動であり、お客様おひとりおひとりのご要望に応じたきめ細かなサービスが不可欠であると考えております。…今後も、孫の代まで愛される引越社グループであるよう、「お客様本位」をモットーとして安心と喜びと満足を提供して参ります。」

「社会のため」とはたしかに一言も書いてないけど、「単なる引っ越し」ではなくて、「孫の代まで愛される」とあるので、なんだか永続的に誰かのために役立ちそうですね。
*ブラック企業大賞について、実行委員会の見解の引用はこちら

つまり、「他人のため」とか「利他」という時、それは顧客=クライアント=お金を払うひと、だけを指していることが多いように思います。「他人のため」=顧客のため=顧客が喜ぶため=顧客がお金を払って買うため=労働者は自己犠牲しろ、という構図になってしまっているようなのです。

もし仮に「利他的」であることを徹底すれば、ぜんぶ無料で提供するという方法があります。
そうすると反論で、「バカ言え無料にすると、それまで商品開発にかけたお金を回収できない」とあります。それなら商品開発や先行投資以外は、全部顧客が従業員に還元するという方法もあります。結局それはいいサービス(商材)を提供するためにはそのための費用(開発、営業、生産コスト等)が必要であり、その費用分を確保する必要がある。もっとも、その費用をどの程度までならば「確保」と言えるかで争いがまずある。さらに、費用とは別に、経営者がどの程度会社に残しておきたいか、自己の給与にするかという問題もあります。

そしてもう1つ別の問題として、どの程度の利益を留保しておくことが利他的として許されるかということに関しては、
「(仮に社会と結びつけて)社会をよくする」=「その判断をするのは俺だ」=「俺が経営者であるから判断権利者である」=「俺の決定はすべて意味がある」=「だから肯定される」
という価値観が潜んでいるように見えるのです。
雑に要約すると、「一番偉いオレが利他的と思って決めたんだから、利他的に決まっているだろう」ということです。だから理念型経営というのはある種のうさん臭さを感じます。

先の新卒サイト作成会社の知人に聞いたのと同じ質問を、塾の経営者の知人に聞きました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「理念」と「数字」ですが、基本的には「どちらが先」というものではないのかなと思います。「理念」みたいなものが全くない経営者はいないと思いますし(理念が崇高かどうかは別として)、数字を気にしない経営者もいないでしょう。
現実的には、中小企業の経営者が考えることの8割以上は「お金」ですからね(笑)
稲盛さんも「理念が先」というよりは、「理念なき経営はダメ」くらいの感じだと思うのですよね。
そして、「理念」は抽象的であるために、どうしても「数字」の前に来るように考えられているだけで、実際は、特に創業当初などは同時進行だと思います。
もっとも、大企業になると、「数字」の部分は専門的な知識を持つ者に委ねられるので、 経営者はより理念的になっていくのでしょうね。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
この知人が言っていることは、「理念なき経営はダメ」という意味で、理念がないのもダメだということですね。
それを私の言葉で整理すると、
①たしかに会社は株主に承認されればなんでもいい。
②そして株主は、利益剰余金と株価ばかり見ることが多い。もっと言えば、自分が先行投資した株式の値段が、譲渡した時に損をしないかに注視する傾向がある。
③よって、会社はそこに特化する傾向がある。
④特化すると(労基法とか)従業員がないがしろにされることが多いので、理念も大事にしないといけない。

しかし、理念を語れば何でも肯定されるわけでもない、という側面もある。それは、
「他人のため」=顧客のため=顧客が喜ぶため=顧客がお金を払って買うため=労働者は自己犠牲しろ
という場合です。これを理念の濫用と感じてしまうのです。

理念は従業員が勝手に行ってくれる分にはいいけども、それをしないといけないかのようなにするのはよくない。本来、気遣いとか配慮とかそういうものは相手に請求できるものではないのに、「あんた気遣いないよね、失礼ね」と請求権的に使うもどかしさに似ている。自己犠牲を進んで行う分にはいいけども、それをしないかのような仕組みにするのは、実質的に無休や無給で働かせることに近くなる。

同時に、理念といっても坂本さんにしろ稲盛さんにしろ、自分の考える経営に反する人は排除するのだと思う。そういう意味でも「利他」の適用の仕方は問題になる。

結論として、理念といっても、「利他」=顧客のため、としている場合、それは従業員をだまして使っている方向に機能しやすい気がする。
さらに言えば、利他=顧客、従業員、その他の人々と広くとらえた時に、結局は経営者としての自我や決定が第一順位に来るならば、それに反する意見は排他する傾向になり、利他と言い切れるかわからなくなるという問題もあります。

坂本さんが俺のイタリアンを設立するに至った理由をこの本から判断すると、設立したいから設立しただけであって、イタリアンが増えることで社会の問題、顧客の問題を何か解決したいと思ったわけではない。
例えばイタリア留学経験からイタリアンの良さに気づいた。しかし現実は値段が高く、庶民に広まらない。そこで顧客1人あたりの単価を下げ、来やすくした。これならよくわかる。
しかしこの本を読む限りでは、もともと起業自体に面白みを見出していたり、事業を行うことに面白みを見出したりしているのであって、問題解決にフォーカスがあるのでない。

これって結局、「したいから、する」となんら変わらない。
問題の解決というのは、それを売れることで、どんな便利さがあるか、どんな需要があるかを分析して後付けしたに過ぎない(ようにも思える)。

となると、
①会社の原理的形態の理解。
②それを補うための理念
③しかし、理念=顧客のため、従業員のため、として、誰かに行動を強制する理由として濫用してはいけない。
に落ち着くのでないか。

①②について、面白い例を見つけた。
「俺のイタリアンを生んだ男」p.163-164
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
1999年に米国で、ザッポスという通販会社が設立された。靴をネット販売する会社など他にお目にかかることができない。何故なら、靴は何足も試し履きをして買うかどうかを決めるものだからだ。…そこで創業グループは、「返品はいくらでも自由、しかも無料配送にする」というアイディアを考えた。これなら、色違い、サイズ違いの靴を10足頼んで全部試し履きして、不要な9足を返品すれば良い。…実際にこの方法を実行してみると、ビジネスは大成功だった。商品の何と40%が返品されたが、これはマーケティング費用とみなすことができる。返品が多いお客はリピーターとなってくれ、客単価も高いからだ。
ユニークなザッポスという会社はコールセンターの社員に大幅な裁量を与えるところに特徴がある。ザッポスのコールセンターは普通のコールセンターと違う。通常はオペレーターがお客ひとりあたりと会話する時間を削るよう指示されるが、ザッポスではそういう指標がない。「顧客満足を得るためにはひとりの顧客と何時間話しをしても構わない」という裁量を本当に与えるのだ。
 お客に驚きを提供する逸話も多い。海外から米国に来たお客がザッポスに靴を注文した。ところが、靴が帰国予定日までに届けられなかった。やむなくお客は一日滞在を延長したのだが、お詫びの印にザッポスは買った靴を無料進呈して、航空券の変更手数料を払い、ついでにクーポン券まで渡した。
 この会社は、単に靴を売るのでなく、それに付随するサービスを売る。『ザッポス伝説』という本には、「ザッポスを最高の顧客サービスができるブランドにするには、会社の一部門ではなく、会社全体を顧客サービスそのものにする必要があった」と書かれている。ザッポスは急成長を遂げ、2009年、アマゾンに12億ドルを超える金額で買収された。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
従業員が利他と考える行為をするときに、従業員に給与以上の待遇を与えるか、裁量を与える。こうすれば経営者と意見が対立しても、その裁量の範囲内では自由にできるから、利他も守れる気がします。
もし仮に飛行機で靴を届けにいくという選択をした場合は、その移動時間も賃金も払うなら、奉仕の心自体を強制しているとも言えないと思います。

最後に。
塾経営の知人はこうも言いました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「競争に勝つ」とか「儲ける」というのは、一種の麻薬なのだと思います。
極端に言えば、年収の〇が一つ増えれば、楽しいに決まっているわけです。
でもそれは、宝くじとかではあまり意味がなく、自分なりに「仕事」をした成果として得られることが前提ですが。
ダライ・ラマみたいな解脱者でもない限り、ほぼ万人にこれは当てはまってしまうのではないかと思います。
ただ、「競争」である以上、万人が勝つことはあり得ず、というか基本的に上位20%程度に「勝利」が終結してしまいがちな側面は否めません。
ですから、疲弊してしまったり、うまくアジャストできないケースが出てきてしまうのでしょう。

基本的に経営者と言うのは、「成功体験」を保持していて、その成功体験をシェアしようという人種なのだと思います。それは、会社規模とか、NPOとか関係なく。
ただ、「成功体験」は属人化している面があることは否めませんし、完璧であることはあり得ない。
ということで、どこの企業であっても「歪み」は出てくるのは必然でしょう。
その「歪み」がピッグさんの抱く「違和感」なのだと思います
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「歪み」に気づく・・・ですか。

しかしですね、じゃあ会社の方から働くことを規定したという凄い会社を見つけてしまった。それはまた次回に書きます。私が到達してる結論の何歩も前にいます。同じような境遇だったのに。。

ビジネスって本当に問題を解決するの?

2018-07-15 13:44:03 | 仕事
こんにちは、ピッグです。
ついに転職応募企業数が650社目前になり、気づいてくることがありました。
今回は50代会社役員さんに真っ向からぶつかるお話をします。ぜひ建設的な議論をできればと思っています。

ドラッガーは、こう言います。
・マネジメントとは、我々の「事業」とは何かを定義づけることから始まる。
・「顧客」によって「事業」は決定される。
・「顧客」を満足させることが「事業」である。
(「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」)

50代会社役員さんがよく言う、「現実から始めよ」とは、「現実の環境、状況を前提として、顧客を満足させることは何か考えよ」という意味に思います。そして顧客を満足というところから、顧客の「問題」を解決するとビジネスになるという意味を含んでいると思います。

でも僕はここに疑問があります。
そもそも本当に顧客の問題を解決しているのか。
顧客の「満足」≒顧客の「欲望」を満たす、に過ぎないのでないか。
つまり問題の解決とまで言わず、単に欲望を満たしただけで、顧客の問題はもちろん、世の中の問題まで解決したことにはならないのではということです。つまりビジネスはそれほど素晴らしいものでもなく、本質的には欲望を充足するだけと思うのです。

顧客を満足させるとは、言い換えると、顧客が「お金を払ってもいいものを生み出す」ということに思えます。そしてリクルート出身者はじめ企業で成功する人達は、「人々が何に金を払うか」を探す能力を習得するのにたけている。つまり今の時代では、自分のページが検索上位になるようにSEO対策をすること。また、価格ドットコムのように比較サイトを作ること。
そこには歯医者のような機械を買う必要もないし、在庫もない。あとは比較サイトの対象を変えるだけなのです。家電の比較ではなくて、老人ホーム比較サイトとか、保育園比較サイトとか。だからお金を得やすく経費も少なくなりやすい。
しかしそこで満たすのは、
顧客の満足=依頼会社の欲望を満たす、と思うのです。
それによって依頼会社、例えばホテルの欲望は満たされるけど、そのサイトの目的自体はホテルにお客を入れることだから、ホテルの改善などはしなくてもいい。まして今度は比較サイトに取り上げられないと一般人が見つけられないという状態、さらに数値化しにくいことを捨象しているだけに思います。
単に商品の値段だけが勝負の時に比較サイトはわかりやすい。しかし、1つの電化製品を何十年も使おうとしている人は市場に多くないように分析されて、そのような情報は捨象される。

つまり、売れるから何なのさと思うのです。
売れたら顧客の「欲望」をみたしただけで、それで「顧客の問題」も解決してないように思えるし、まして「社会」を良くしているのかまで必ずしも詰めてないように見えるのです。もちろんそんなこと詰めなくても、それを規制する法律がなければ法的責任もないし、誰も責めないからですね。
インドネシアにいったときから感じていた違和感ですが、超競争社会はそうやって自分の利益を最大化すれば、社会が良くなると思い込まされているのではないか。
以前の渋滞の話を出せば、バイク便によって、「早く移動したい人」の「欲望」は満たしたかのように見えるけど、社会的に渋滞がなくなるわけでないし、むしろバイクによって増えるから何も解決してない。もっと言ってしまえば、顧客は「早く移動すること」を求めているのでなく、「渋滞の解決」を求めているとすると、問題(=渋滞)すら解決していないのです。

それに対して、警察、消防、福祉、それに医者や法律家たちは、モデルが古いとは言え、その分野の体系的な専門的知識、理念(あるべき姿)を先に描き、それに近づくことを考えているんだと思う。だから売れるかどうか、今の時代を生きている人の「欲望」を満たすか考えるのが苦手で、イマイチな人達は沢山いるわけです。

以前に50代会社役員さんに私が書いた、「現実からスタートするというのは、法律家や教育者にないこと」とは、きっとこのこと意味していて、「現実の欲望」からスタートするのでなくて、まずは体系や理念から始めるのだと思います。

いま社会で必要なことは、どっちをベースにしてもいいから、サブとしてもう1つの立場取れることだと僕は思っています。そしてそれが僕のやりたいことだと思っています。

つまり、売れないことにはお金にならないけど、売れたということは買った人の「お金を払ってもいい」という欲望を満たしただけで、それによって顧客の問題、社会の問題まで解決するとは限らないということです。

生計を立てられるほど人々がお金を払うことかはわからない。しかしお金を払ってくれさえすれば、それ自体で「顧客の問題」、「社会の問題」を解決してるという考え自体はもはや否定すべきではないのか。「顧客の満足」とは、「買った人の欲望が満たす行為」程度のもので、そこに顧客の問題の解決も、社会的効果は原則として入ってこない。

身近な例です。
お腹が減るから、お菓子を食べる。
これはおかしを食べることで太る原因になることやトランス脂肪酸を取ることになるので、さらに太る可能性もある。だからお腹が減る場合、
お菓子を食べる≒お腹いっぱいになる≒欲望を満たす≒顧客の欲望を満たす

お菓子を食べる≒健康を損なう≠健康を維持したまま、お腹を満たす≠顧客の問題を解決または健康的な国民を増やすという問題の解決

という気がします。

僕は今回、
欲望と問題を、使い分けました。
さらに、「顧客の」欲望、「顧客の」問題、「社会の」問題と使い分けました。
使い分けをまだ意識できてないけど、私が言いたいのは、
ビジネスは直接的に、問題を解決するものでもなんでもなく、単に顧客の欲望を満たすだけが本質ということです。
欲望以外の要素が入る時は、そのような要素を入れようとしているから入るだけであって、経営者が入れようとしなければ、単に欲望を満たすだけということです。

裁判も原則は一緒。
訴訟は当該問題を解決するだけ。でも法令解釈において一貫しなくてはならないいうルールがあるから、過去の判例との整合性を考えながら判断される結果、当該事件以外の要素も入ってくる。その結果として、社会的な規範を作るに至るように思います。

経営者なら必ずそうだとは言いませんが、50代会社役員さんのように、「会社は雇用を支えたり、商品によって社会の問題を解決したりしてるのだから、批判するのはあたらない」という理屈は、飛躍していると思うのです。
もちろん、使用者が儲ける以上にビジネスに意味を持たせて手厚い保障をしたり、問題の解決まで含んでいれば別です。しかし含んでいない場合には、欲望充足をしているだけなのですから、「社会を改善しているから●●(例えば労基法、最高裁判例)を満たしてなくても許される」という理屈は成り立たないのではないでしょうか。

こだわりの人は、どうやって金を稼ぐか

2018-07-02 15:02:25 | 仕事
いきづらさを抱える人がどうやって金を稼ぐか(201800702)

こんにちは。
ピッグです。

今日は皆さんに相談です。
どうやって、①自分を活かし②金を稼ぐか、です。
転職活動をする中で、アメリカでも人材紹介をしていたというエージェントに会いました。
そんなエージェントと話をしました。

何でも言語化するアメリカでも①相手を予測する能力②予測したものに合わせる能力がいるそうです。

まず、確かに言語化されることは多いものの、面接等のオフィシャルの場では必ずしも言語化されない。多民族国家と言え、言語以外による予測能力もいるそうです。
次に、採用の場面では建前もあるそうです。雇用を必ずしも、「求める能力」と「提供する能力」の一致だけに着目しただけの契約と考えず、「応募企業が商品を通じて私の生活を便利にしているという点で、私の価値観からして魅力だ」というような理由がいるとのことです。
これは結構難しい。以下詳しく書きます。

1、相手を予測する能力
まず1つ目の、予測という部分が難しい。
ASDは一般に他人マインドの予測能力が低いが、これを企業に置き換えるともっと難しい。企業が喜ぶ質問、具体的には質問の判断基準がわからないからです。
例えば。
女性と男性の場合、女性が男性に「あなたはお金もあるし、結婚後の生活も安定だと思う。だからあなたを選びました」と言ったとします。「自分の基準からみて、相手の魅力ある点」を誉めているけども、相当割り切っている男性でない限り、率直に受け入れられないと思います。なぜなら、「財産を持っている人ならだれでもいいわけでなく、私の個性のどこかを見てほしい」と思っているからです。これは結婚の合意に、「提供する能力」と「ほしい能力」のような能力値の一致だけでなく、属人的な個性が入るからです。
(逆に、「あなたは若くて出産能力もあるから」とか「胸が大きいから」とかいう理由を男性が述べたとしても、相当割り切っている女性でない限り、率直に受け入れられないはずです。その女性の個性に着目してないからです)

では翻って企業の場合。
どの程度、企業は「企業の個性」を見てほしいのか。それとも成果主義が広がりつつあるので、就労者の提供する能力と、賃金だけを基準とした、契約とみるのかがまず不明確です。その上で、企業が考えている「認めてほしい個性」とは何なのかわからないからです。
例えば、電子部品会社の経理や法務が電子部品のことを知って応募するケースは多くないと思うけど、それでは部品(商材)以外でいう、相手が認めてほしいと思っている個性とはなんなのか。
就職活動にしてもそうですけど、「予測が上手くいかない」ことを前提とした、予測の修正の仕方という策は聞いたことがない。
これは社内で働きだしてからも一緒です。自分の基準を、人は必ずしも言語化しない。しかしながら、予測が上手くいかないことを前提にした仕組みも、会社にはできていない。

2、予測したものに合わせる能力
次の問題。運よく予測できた、相手が説明してくれたとして、それに合わせたくないと思ってしまった場合にどうするか。
先日、不合格になった企業から、こんな理由つけがきました。
「納得しないと行動できなさそうな頑固な印象を受けること、 弊社の法務は(法務に限らず全職種に言えることですが) バランス感覚が求められるため」

理解を重視することを思わせる事実(例:1つのことをやり続ける)があったとします(事実A)
それに対して、この会社は「頑固」という評価をした(A’)
頑固と評価する会社の価値観は、おそらく「意思決定までを早く」とか「突き詰めたくない」と思います。
この「意思決定までを早く」とか「突き詰めたくない」という方針に従いたくない場合、どうするか策がないのです。
これも会社の中ではよくあります。目指すべき目的に対して合理的かよりも、今までやってきたから、人間関係、上司との関係、他部署との関係等から、その合理的手段以外を取ることが沢山ある。
単純に言えば、新卒面接ではリクルートスーツを着る、新卒採用をする、スーツのジャケットを暑いのに着る、着ないのに持っていくなどもそうです。
(個人的には「お世話になります」とか「いつも大変お世話になっております」とかメールの最初に毎回書くとか書くのもいらないと思っている)

私は目的との関係で合理的でない例として説明したけども、合理的であるけども、私が単に受け入れたくないということもあるかもしれない。自分のやり方に拘りを持つのもASDの特徴の一つにあります。

3、対策
上記ことからすると、組織の歯車になることが、難しいと思うのです。
それとも630社応募したように、630社ほど経験すれば何か見えてくるのでしょうか。

もっと直接的なのは、企業に属さないで、お金を得る道ではないでしょうか。
企業に属さなければ、従わなければいけないルールの数が減ると思うからです。
ではしかし、こだわり症を活かし、組織に属さないとは何か。

1ついい例を見つけました。
Sho fitness
この方はボディメイクで一定の成績を残していることを武器にして、パーソナルジムトレーナー、youtube配信、プログラマーをもとに、生計を立てているようです。
配信動画を見る限り、もともとトレーナーの教育を学校で受けているようにも見えないし、システムエンジニアっぽさもない。自分の興味を武器にしているようにも見えます。
最近ではクラウドファンディングで数百万集め、九州にジムを作っています。

顧客の需要、問題解決をすることでお金を得るという面はある。
ただ、自分の特徴を活かすためには、何をしていけばいいのか。これが今ぶつかっている問題です。

追伸
昨日、ドーピング講習会に参加しました。
JBBFというボディビル団体に参加する場合、オリンピック並みの厳しい検査基準をしています。その会場にて、とある主催者の偉い人から、「君はふくらはぎが大きいけど、何をやっていたの?」と聞かれました。どうやらふくらはぎが大きいそうです。
また以前、ボディビルチャンピオンから、「胸筋が大きい。どうやって鍛えるのか」と聞かれたこともあります。
私のギフトは、こだわり力と筋トレなんだろうか。それとも社労士をとって、ADRでバンバン個人活動をすることか。

会社は従業員のことを考えているってどういうこと?

2018-06-13 18:02:07 | 仕事
その3です。
5、ユニクロは従業員のことを考えてないか
今回はユニクロの例でいきましたが、以下本の引用をして別の例にします。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------
「ブラック企業とは何か、定義があいまいなのに、なんでもブラック呼ばわりされては迷惑」。企業からはよく、そんな不満が聞こえてきます。ブラック企業をめぐる集会で、社会保険労務士あという聴衆から、「非正規労働者を雇っていたり、残業が多かったりするだけでブラックと呼ばれてしまうようだが、今の情勢では非正規や残業なしでは経営は難しいのでは」という質問が寄せられたことがあります。…「ブラック企業」として問題にされている事例には、はっきりした特徴があるからです。ひとつは、違法、または法の趣旨に反した違法すれすれの労務管理があること。次に、その労務管理によって働き手の健康を害したり、過労死・過労自殺に追い込んだりする人権侵害があること。そして、そのような行為によって収益を上げる、または上げようとしていることです。
…たとえば今回「ブラック企業大賞」にノミネートされたワタミフードサービス株式会社では、授業員の過労自殺をめぐり、原因究明を求める両親との面会を、グループ企業トップである渡邊美樹氏が拒否しました。たまたま極端な長時間労働によって従業員がなくなったのなら、企業は再発防止のために両親の訴えにも真摯に向き合ったはずです。それを避けているということは、従業員の過酷な労働がその企業の収益の源泉であるため、変えられない、変える気がない、と考えていることがわかります。
…こうしたブラック企業の根には、「日本的経営」の特徴である、会社への滅私奉公、従業員に対する高い拘束性、会社の裁量権の極端な強さがあります。
「マンガでわかるブラック企業」ブラック企業大賞実行委員会 p.126-128
---------------------------------------------------------------------------------------------------------
これは明らかに違法であった例ですが、違法な行為であったとしても、従業員とその家族のことは考えなかったのだと思います。
ユニクロの例で増田さんが本で取り上げているのは、ユニクロの過酷労働や非正規を沢山つかっている例で、必ずしも違法だからダメだとは書いていません。もっとも、ユニクロでパワハラがあったとき、ユニクロは迅速に対応しなかったとも思います。その時のパワハラは定義上明らかだったと思いうので①の例です。
他の従業員からの暴行などが不法行為にあたると判断された事案

そういう意味で①違法か適法かで最初の線引きがあり、②適法であったとしてもなんでも許されるのかという段階わけが必要と思います。
 違法な場合であっても是正することを考えていないことは弊社でもあるわけで、まずそこからと思います。その上で正社員雇用を減らすとか、地域正社員としているけど正社員とは言えないんじゃないかとかいうのは、次の問題と思います。
 もし②の段階で「資本主義とグローバリゼーションしか考えてない」場合などないというのなら、まだわかるのです。
 もし①の段階ならば、それは国会議員に働きかけて立法することに思います。ここは普遍の真理みたいな争いをしているのでなくて、法規に反しているかを争っているからです。


でも私のこだわりは、①とまた違うのかもしれないけども。

叩くについて/仮想敵国について/パターン化について

2018-06-13 17:59:27 | 仕事
その2です。

2、叩くについて
叩くということがいじめと同じように、負のイメージで捉えられているかに思います。
今回の叩くは、そのような法外なことをするための意味で使ってはいませんが、叩く対象について思いれのある人にとっては、攻撃されたと思うのかもしれません。

僕は競争もその単語そのものに含む、プラスとマイナスの評価に大差ないと思っています。

3、仮想敵国について
これは自分を肯定するために、他人に対する優越性で代替しようとしたのだと思います。この点に気づかせてくれて、通行人さんや50代会社役員さんに感謝しています。同時に、仮想敵国としないにしても、是正、された方がいいことはあるのではとも思います。
次に書きます。

4、パターン化
パターン化が問題なのでなくて、分析したパターンがずれていたから問題なのでは。
今回の50代役員さんは「すべて」という言葉にひっかかっていることが多いので、当てはまらない例を認識できればすぐ理解できると思います。

パターン認識は私にとっての生命線であり武器です。
ASDの人は柔軟な対応が苦手なので、それを補うために過去の経験、知識をパターン化して、現実に対処します。ASDについて学ぶ前から自分で意識して行っていました。
もっとも数学をパターンで解くように、多くの人も物事を捉える時は過去の経験や知識から推測して行動しているので、敢えて言えばパターンの修正が容易にできるかできないかの違いにも思います。
他にいい解決策があれば教えてください。

現実からスタートとは?

2018-06-13 17:57:51 | 仕事
こんにちは。ぴっぐです。
前回、とてもいいコメントを50代会社役員さんと通行人さんからもらいました。そこで何がかみ合ってないのか、違うのか考えていて、こんなに時間がたちました。少し整理できたので書きます。3回に分けて書きます。

1、理想を持つことについて
私は「現実からスタートするというのは、法律家や教育者にないこと」と書きました。
それに対して、50代会社役員さんはそんなことないとコメントしました。
現実からスタートに込められた意味が異なって、かみ合ってないと感じました。
私が就職して法律家と会社員で大きく違うと感じたのは、現実の捉え方です。

法律家の場合、多くは法律の適用、すでに前提となっている価値観(例:人権)から始めるので、最初に既存の価値観の体系は何か考えると思います。そして次に、現実がその体系からずれている場合、その価値観の序列を考えながら、現実を序列に合わせようとします。
例えば、社内で殴るといったパワハラが横行していたとします。パワハラを法的に解決するには民事系か刑事系に思います。
<体系>
民事系なら不法行為(民法709条)や債務不履行(民法415条)。刑事系なら、暴行罪(刑法208条)や傷害罪(刑法204条)に思います。
<序列>
 殴る行為が上記の民事、刑事どちらにあたるのも確実なので、殴る行為を止めさせる行動の1つとして法律を使うなら、あとは現実の事実を法律に合わせるだけに思います。

もしここでまだ法律のできてない分野(例えば、かつてのドローン規制)、または、法律はあるけど揺らいでいる分野(例えば、立ち小便を規制した軽犯罪法)の場合、その法の序列は低いものとされて、現実を適用しないかもしれません。

確立された規範かどうかを重視して、確立している時はそれを使って現実を直すという言葉でも結構です。

それに対して会社員の場合、確立された規範が何かを考えていない気がします。
正確には売上目標や自己の成績評価に関わる目標は「確立されたもの」と認識しますが、それ以外は確立されたものが何か把握して体系化しようとしていないように思います。

50代会社役員さんを責めているわけではないのを意識したうえで読んでほしいのですが、役員さんとはインドネシアの渋滞で、渋滞という問題を解決するために会社がバイクタクシーを編み出して移動を速めている。だから会社は問題解決をして人々に貢献している。それに対して、バイクタクシーがはやっても渋滞は解消するわけではないし、結果的にバイクタクシーが飽和になれば、もっと渋滞になるだけであって会社は必ずしもいいことばかりでないという話だったと思います。
私と役員さんの相違は、以下に思います。

私…渋滞を解消したい(理想)を体系化しようとする+それにあうように現実を変える。
50代会社役員さん…渋滞(現実)を認識+バイクを使って個人レベルで移動が速くなる(現実にできることだけする)(理想を体系化する必要はない)

これは役員さんと話をしたときだけでなく、会社の上司と話をしたときにも感じます。
会社で生産性という言葉は多いのですが、生産性を上げる意味。そして1人の生産性があがっても組織としては、思ったほど効果が出てない時について考えていない。

しかしこれが給与の話だったり起業の話だったりするならば、最初に理想状態を強く描く人は多い。そうすると、興味のある分野かどうかの差なのでしょうか。

自分を変えると、その先に何があるの?

2018-03-03 13:48:25 | 仕事
こんにちは、ぴっぐです。
今回は1年ぶりですね。

この1年間何をしていたかというと、感覚を失う練習をしていました。
つまり、会社で違和感や変だなと思うことも、何も感じない練習をしていました。


私は「クライアントファースト」という言葉が嫌いです。クライアントはお金をはらうことが多いので、お金のためにはクライアントに選ばれないといけない。そこでクライアントがいい気分をするように、クライアントに合わせるという考えです。
ではクライアントでない人にはどうするかというと、自分が目上になった時は、往々にして「私が部下であるお前のクライアントだから、私に合わせろ」という発想になるようです。

ここで考えます。
はて、クライアントを重視するのはいいですが、クライアントだけがファーストでなきゃいけないのでしょうか。
家庭と仕事のどっちが大事かと同じでして、私もクライアントもファーストなんだと思うのです。
特定の誰かをファーストにするので、それ以外の人にしわ寄せがくる仕組みができていくのだと思います。
例えばクラアイントファーストにして、クライアントが金銭でしか評価しないなら、こちらの社内の従業員は全員奴隷にした方がいいんじゃないですかね。その方が商材が安くなりますから。

では、ここでも問題になるのは、そもそも会社は何のためにあるのかです。
もし会社が経営者のプライドのためにあるなら、奴隷制度を会社は目指し、それに対抗して労働法を遣えばいいだけなのです。

そこで今日ふと思ったのですが、今日は50代会社役員さんのコメントもとにかいていきます。
「他人を変えるより、自分の未来を変えていく方が愉快で楽しいと思うよ」
https://blog.goo.ne.jp/msms2020/e/4630fc99142d3accdbd7bacc5a9cd58e

これは何も、役員さんに限らずよく言います。
はて、ここで考えます。
もし自分が変わったとして、それで環境や仕組みは変わるのでしょうか。
自分が変わることで感じ方が変わり、その結果として従来疑問に感じていたことに対して、疑問を感じなくなるということはあると思います。
その結果として愉快なことはあるかもしれませんが、環境条件等はそのままではないのでしょうか。

先の奴隷に話を戻すと。
奴隷あることを変えようとするのでなく、奴隷で居続けるけども、感じ方を変えようという話に思うのです。

それとも私が気づいていないだけで、自分が変わると、環境条件を変えることにも影響を与えるのでしょうか?

私は自分を活かすことが大事だと思っています。
それはつまりクライアントファーストではなく、クライアントも自分もファーストということです。

イブラヒモビッチから見る、周囲との連携

2017-03-05 13:17:25 | 仕事
こんにちは。ぴっぐです。
今回はサッカーを見ていて感じたことをまとめていきます。
スウェーデン人のサッカー選手にイブラヒモビッチという人がいます。彼が行ったチームはヨーロッパどこでも優勝します。でもとってもワガママで、同僚をスパイクで蹴ったりします。

https://www.youtube.com/watch?v=uyyJyW3Si5A

なんでそんな彼が活躍できるか考えたんです。
活躍できる←なぜならパスがくるから←なぜならゴールできるから。
ゴールできる→いっそうパスがくる。

つまりゴールできれば好循環。ゴールできないと悪循環なんですね。
そんな彼も最初は有名クラブでなく、マイナークラブからスタートするわけです。つまりひどい環境でチームの哲学、連携、各々のレベルも低いところから始まったと思います。
しかしその中でゴールをすることで、周囲が認めざるを得なくなり、他のクラブも認めざるを得なくなったとも言えます。
つまり、「イブラヒモビッチに与えられたミッション=ゴール」なので、ゴールすることで評価が高くなるということに思います。
もっと言えば、ゴールをしなければ、仮に彼の影響でチームメンバーにプロ意識などが芽生えでも、彼自身の評価が高くなることはなかった可能性があります。

これを私に置き換えると、
「法務的対策をやってほしい=裁判にならないようにする、赤字プロジェクトが出るリスクを減らす」
とすれば、とりあえず裁判やコストオーバーさえでなければいいのです。例えばプロジェクトマネージャーを陰から罵倒してばれないようにしつつしごいて、その結果半分やめてしまってもいいわけです。手段が何であれ、ゴールさえできればいいということになります。なぜなら、経営者のゴールが裁判、リスク管理であって、他の基準を有していないからです。

そう考えると組織が腐ってようが、組織の腐りは赤字や裁判の原因になることはあっても、その原因が必ず裁判等に結び付くわけではないですから、組織の改善などどうでもよくなるのです。法律的に書くならば、組織の腐敗は裁判等の直接の原因になるとは限らないので、良いという考えにシフトします。
そこでぴっぐの評価をあげるには、ゴールの達成でしょう。
しかし、そうやってゴールあげている限り、経営者は裁判になる根本原因(直接原因ではないものの、紛争発生に相当の影響を与える原因)の解決に目を向けず、組織は変わらないことになります。なぜなら、結果的に紛争が予防できているからです。仮に組織が腐っていても。
これを他の例で言えば、麻薬取締のためには、入管を規制しようという方法に似ています。麻薬を取引とする団体の撲滅には目を向けていないので、延々と問題は起きる可能性を秘めているけども、入管規制によって取り締まることさえできれば、結果的に国に麻薬が入る確率が減るからです。
ダイエットでいえば、摂取カロリー<消費カロリー だとやせます。そこで「何がなんでも食うな」ということに似ています。
太る直接原因=食べ過ぎ
太る間接ではあるが有力な原因=仕事等のストレスの発散活動として、食べ過ぎ

直接の原因にしか目を向けていないわけです。問題の根本解決に目を向けてないのです。

あとはそこでどうするかという私の価値観の問題と思います。
私は、評価基準=ゴールが、1つしかないのが問題と思っています。
直接原因以外にも、人を評価する基準はあっていいのでないかと思います。

一番最初のイブラヒモビッチに話を戻すと、イブラヒモビッチがいなくなると、その分の得点が落ちます。なぜなら、イブラヒモビッチという個人の能力に依存したゴールでしかないからです。
ゴールさえすれば、組織としてよしと考えるのか。
ゴールをする仕組みを作るのが、組織として良いと考えるのか。
この違いと思っています。

まずは
1.ミッションが何か確定する。そのミッションを自分が担えそうか判断する
2.自分の能力で果たせるミッションのある組織にいく、つくる

だと思います。
わたしは追求型なので、ミッションに合わせて能力獲得や発揮はできないと思われます。となると。2.ですね。

悩み

2016-07-26 19:28:45 | 仕事
1、仕事の先が見えないこと
チャレンジと思って開始した今の仕事は、当初より数年でやめる予定でした。もっとも、その間に、何かスキルをつけて、多少なりとも次に繋がることを想定していました。
しかし現実に入社してみると、いきなりバングラデシュに放り込まれたようなもので、バングラデシュ語の文法も分からない私は一向に仕事が分かりません。
せめて文法書、体系書があれば別ですが、ありません。
同時に、仕事は給与を払う以上はアウトプットすべきとの会社の方針なので、誰かに教えてもらうことは期待できません。

2、付加価値
学生期間が長いからか、日本のマイルドな仕組みだからか、今まで物事はギブアンドテイク、付加価値で成立していることという発想がありませんでした。言い換えるとそれは、他人が求めるものを提供しないといけない、ということです。
従来の私は正義とは何かを考えてばかりいたので、他人にあわすとの価値観を有していません。同時に、私の発達障害的要素のせいか、他人の価値観を察することが苦手です。
このようなことから生じる問題として、2つあります。
1つは異性の問題です。
ここ最近もそうですが、音信不通になった人が何人か居ます。
もう1つは仕事の問題です。
先の話とつながりますが、付加価値を提供しないと金銭は得られない→しかし相手の求める付加価値が今の私になさそうだ→それを助力してくれる人はいないということです。
負のループと言ってもいいと思います。

3、人間関係の悪化
別のフロアにいた部長が、同じ部屋におりてきました。一見すると改善です。でも、部長にこういわれました。「ぴっぐのことをみんなが迷惑と思っている」と。迷惑だといわれてきたのは小学校以来ですから、それ自体はどうでもいいです。もっとも、何が迷惑か、その迷惑を構成する要素がなんだか分からないのです。素直、謙虚も同じです。
でもいくらその話をしても、誰にも通じない。それに疲れます。

敵を倒したら、その先には何があるの?

2016-06-27 00:21:17 | 仕事
こんにちは、ピッグです。
先週、親会社の株主総会がありました。それに連動して、私のいる子会社の代表取締役が交代しました。

わたしに縁のあった社長は、子会社の社長から隠居して会長になりました。

実はその裏で、経営企画部長も退職しました。経営企画部長は年明けに心筋梗塞で倒れ、その後に復帰。そしてせっかく生き延びたんだから、「神様にお前はまだやることあると言われた」と感じたそうで、退職して新たなことに取り組むようです。

経営企画にあのまま我慢していればよかったかもしれませんが、あのときは今の経営企画部長なんて想像もできませんでしたからね。

経営企画部長の退任、反社長の営業部長の退任を見ると、今の会社の問題は何か訳分からなくなります。
経営企画部長、いまいる生産品質管理部長は、部長以下の従業員から「典型的な社長イエスマン」と見られています。典型的なイエスマンでさえ心筋梗塞を引き起こすストレスを抱え、そして退任。この会社の闇というか、組織的な問題が一考に見えません。

原因はひとつでないと思うけど、せめて2つくらい見つけたかった。
でも全く見えません。

経営企画部長の退任、社長隠居、そして精神疾患で悩みながらも進む友人を見て思います。

私は今まで目標達成の努力、敵を倒すことで成長を実感してきました。
経営企画部長や社長を説得しようとしているけど、説得の先に何があるんだろうか。
そこに敵がいなくなったらどうするのだろうか。

そもそもそれが私のしたいことなのか。

違うよね。
そんなことを思っていました。

私は小学生の頃、学童保育に居ました。体は大きかったですが、大人しいのです。動きもドン臭い。
だからいつも苦労してたし、周りとも上手くいかない。
だから1人で、学童の庭でゆれている竹を見ているのがすきでした。または1人で穴を掘ったり、物を作ったり、考えて空想の世界にいるのがすきでした。

中学生の頃は、農家になって自給自足の生活をしたいと思っていました。
また、父はいつも「学問の真髄はテストではかれない」と言っていたので、学問の真髄とは何かも知りたいと思っていました。同時に、学問の重要性を語る大人や教師は多いけども、現実はテスト主義になっている教育は一体なにを目指しているのかもずっと疑問に思っていました。

そんな私は成績がよいわけでもなかったのですが、中学2年に勉強を初めて学年で5番前後になりました。そうなると今度は、農業高校への進学がなくなるわけです。

公立レベルの進学校では、学問の真髄を見れるチャンスなどありませんでした。みんな上手くテストを乗り切るだけです。

とまあ、テスト主義と真髄の間でさまよい、テスト=敵とみなしてやってきたのでしょうか。

さて、敵がいなくなったらどうなるのでしょうか。

今の会社にいても未来を感じられないのは、今の会社に哲学がないからです。もっとも、せめて私に哲学があれば今の会社を上手く使えたんでしょうが、きっと私にもないのです。だから今の会社に振り回されてしまう。

社会的地位、経済的地位が成功なのか。生きていける程度のお金を得られればなんでもいいのでないか。
その生きていけるだけの金銭を得るのも難しくなっている世の中でですけども、ニッチな何かあるのでないか。

ジョブスはこう言いました。
Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life. Don’t be trapped by dogma ―which is living with the results of other people’s thinking. Don’t let the noise of others’ opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.

特にここです。
"Don’t let the noise of others’ opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. "

他人の意見という不協和音に惑わされるな。自分の直感に従う勇気。

そう思ってグルグル考えています。

発展途上国と発展途上の会社

2016-06-12 12:58:52 | 仕事
こんにちは。扇風機フル稼働です。
今の会社の問題点と自分の進むべき道を、この記事を通して整理したいと思います。

第1、 疑問
 会社の変革には、どの手段が適当か?
1.住民(社員1人1人を)エンパワーする。力をつける
2. トップを崩す或いは共存する
3. 第三者による圧力をかける
4、国(会社)を出る

第2、 発展途上国と会社の共通点
1、 発展途上国の現状
発展途上国と発展途上の会社は類似性があると思うので、発展途上国について触れるところから始めます。
 発展途上国では、行政が組織たっていないため、出産から死に至るまで、完備されてないところがままあります。国民健康保険がないので医療費が高く、簡単に医師にかかれない。また、行政自体もわいろを要求することが多く、責任感がない場合もあります。それは警察にも言えることでして、国民を守るという責務を感じているよりも、給与の低さなどから、国民にたかるということも間々あります。
そこで一般に、以下のような構図がみられます。
行政、警察を信頼できない→代わりに家族との関係が密にして乗り切ろうとする→政治や警察に期待しなくなる→税金の支払いを延滞したり、福祉に安心してお金を預けない→政府も予算が減る→海外投資を受け入れる→国力が減るという悪循環と考えます。

2、 発展途上の会社
 発展途上の会社、中小、零細企業では以下のことが言えることが多いと考えます。
・業務に対して人員が足りない
・各々役割が不明確
・1人の人に負担がかかりやすい
・社長、創業者のワンマンになりがち
そこでこう言えると考えます。
業務に対して人員が足りない→できるだけ沢山の仕事をこなそうとする→各々役割が不明確→仕事のできる人に負担が来やすい→仕事のできる人が中心になり威張る/過重負担になって退職する→仕事が属人的になる→仕事のできる人のワンマンになる/できる人が抜ける回らなくなる→ワンマンに権力が集まる→権力者の評価しか他の人が気にしなくなる→責任は下に下に、弱い人に弱い人にと押しつける→いつまでたっても組織として成長しない

3、 両者の共通点
・国家でいうところの行政、会社でいうところの経営層への信頼がない。
・信頼がないので、個々人で何とかしようとする。
・個々人で何とかしようとする際、特定の小集団でまとめる。
・小集団でまとまりだすと、会社を無視しだす。
・自分の集団はファミリーとして守るが、他の集団はファミリーでないので敵視する。
・力の強くなった小集団が、幅を利かせるようになる。
・力の強くなった小集団に権力が集まり、人による政治が始まる。
・仕事は一層、属人的になる。
・組織として発展しない。

第3、 対策
 発展途上国の場合、大きく選択肢は4つに分かれるようです。
1.住民(社員1人1人を)エンパワーする。力をつける
2. トップを崩す或いは共存する
3. 第三者による圧力をかける
4、国(会社)を出る

会社にあてはめると、
1. 住民(社員1人1人を)エンパワーする。力をつける
 経営者が口を大にしていうことです。もっとも、各々の力をつける政策つまり教育に力を入れないので、最終的には各々の力量はつかない。一部の人間が自力で大きくなり、その大きくなった人間によるワンマンがまた始まる。

2. トップを崩す或いは共存する
クーデターですね。
これは戦略と時間が必要

3. 第三者による圧力をかける
 労基署による36協定違反、役員による横領など、外部権力を使い、経営層への圧力をかけるということですね。

4、 国(会社)を出る
 転職です。多くの発展途上国の人も同じ選択すると思います。その結果、国家は相変わらず、そのままです。

第4、 私のしたいことはなにか
・私は経営者のコネで入社しているので1つは恩返ししたい
・人のいい従業員も助けたい

この2つの要素を満たす策を考えたい。
ただ、思いつかない。
ヒントあればください。

今後の目標

2016-06-05 12:50:14 | 仕事
1、 blogと書籍化
 発達障害の記事は、おおむね好評でした。
ここにジョブスの分析をして、
・ジョブスの発達障害の特徴
・自分の特徴
・共通項 という形にしていけばいいと助言を受けました。

書籍を目指すにあたって、次は目次が重要なんだそうです。
目次を考えます。

2、 会社
 結局、何がなんだかわかりません。
先週、裁判の打ち合わせありました。でも、相変わらず統率取れていません。
裁判が数年に1度だとして、20年に1回とします。
そうするとその裁判で負けて2億払うとしても、1年あたりは1000万円に過ぎない。
年間コスト1000万円と、そのためにかける年間コストを比較して、年間コストが1000万円以上なら、リスク管理しないと思うのです。
経営者的発想だとこうですよね。

そうなると、法務的な研修を社内にする場合、いったい何を目的にすればいいのか。
そのモチベーションのおきどころがわかりません。

己を利するってどうなの?

2016-05-15 23:53:47 | 仕事
こんばんは、ぴっぐです。
実はですね、このブログを好評価してくれる医療機関の方がいまして、ちょっとこれから広め方を考えたいと思います。

さて仕事ですが、まずはボーナスをもらうことを目標にします。
そこまでは続けたい。

今回はその話題はおいといて、気になることを1つ。
私はクレイジージャーニーという番組が好きです。テレビで見る数少ない番組です。

公式HP
TBS 毎週木曜日深夜00:10から
http://www.tbs.co.jp/crazyjourney/#midokoro

簡単に言うと、世界の変わったところに行く人に同行する番組です。
今までは世界のスラム街を紹介する丸山ゴンザレス
世界の変わった自然現象などを写真に収める佐藤健寿 などなど。

特に私のお気に入りは丸山ゴンザレスです。
そのゴンザレスが、先週あたりメキシコの麻薬カルテルの取材をしていました。
メキシコの麻薬カルテルは、わりと有名ですね。アメリカに輸出するために、住民を拉致したり、見せしめに殺したりしている人達です。
本当のところすべての街で危険なのか、一部の街だけなのかはわからないです。

外務省によると、
・殺人件数は増加傾向
・警察官が関与したと疑われる事件が地方都市で発生するなどしているため,一般的に治安機関に対する国民の信用は低く,2014年9月にゲレロ州イグアラ市で発生したアヨチィナパ教員養成学校生徒襲撃及び行方不明事件では,イグアラ市長が襲撃事件を指示したと見られており地方政府、地方治安機関、犯罪組織の繋がりが明るみに出た。
・メキシコにおける誘拐発生件数は,2015年の公式統計では1,053件で,タマウリパス州230件,メキシコ州163件,ベラクルス州97件,ゲレロ州81件,タバスコ州78件

そうです。
行政が信用できないわけですね。

デイスカバリーチャンネルでは、麻薬をアメリカが購入→他の作物よりもうかる→農家を誘拐、脅す→麻薬を作らせる→麻薬のマーケットをめぐりギャングが対立→市民巻き添え、だったと思います。

そこで住民は自警団というのを作る訳です。
もっとも、ここからがポイント。
普通の市民からすると、自警団も必ずしも歓迎されてない。その理由まではテレビで詳細にやってませんでしたが、こんなやりとりがあります。

ゴンザレス「カルテルについてはどう思いますか?」
市民「どっちのカルテル?」(苦笑い)

そうです。
市民にとっては自警団も麻薬カルテルも、同じ「カルテル」でくくられているということです。つまり、自警団も悪い人と認識されている可能性がある訳です。

番組後半で、自警団のメンバーが警察に銃の不法所持で逮捕されていました。
番組の最初では、「自警団は警察から許可をとって銃を所持している」とゴンザレスは聞いていました。
つまり今まで放置していたけども、急に取り締まったということです。

なぜ急に取り締まったのか?
自警団を取り巻く政治的な動きがあったんでしょうね。

この中で最後にゴンザレスがこう言います。
「どの組織が正義ということはない。みんな己を利するために動いているだけであり、自警団のメンバーが隠れてカルテルをしていたり、警察が自警団を利用することもある。何かが正しいという価値観で見ていると理解できないと思う」

私はこれを見て、ドーンと来ました。

長くなりましたが、ここからが本題です。
私はいま生産品質管理部で部長に保護されています。しかしそんな部長の行動が、数日前に変わりました。

なんで変わったのかなと思うと、思う理由は1つ。
社長の私に対する風あたりが変わってきたのだと思います。
社長のコネで入った以上、社長は私を気にかけていた。しかし組織の矛盾点ばかり指摘する私は、扱いにくい存在。それゆえにもめ事も沢山おこす。
そこで少し距離を置くことにしたんでしょう。従業員からは「恐怖政治」と揶揄される社長ですから、みんな社長の動向に敏感です。
そんな社長が距離を置いたということは、「ぴっぐを保護しても己を利するものがない」と部長が判断したと思われます。

実際に部長がどう考えていたかは分かりません。
しかし部長というか役職についている人の殆どは社内ではイエスマンと言われていることからすると、社長の動きに敏感なのでしょう。
つまり、「組織の将来」という判断基準は、各々の役員にないのでないか。
あるのは「評価者の評価基準」という基準のみ。
評価者が組織の将来を考えているならば、組織の将来=評価者の基準となります。
しかし実際はそうは見えない(本当はそうかもしれないが、平社員の私にはわからない)

私の部長を見ていて、ふとクレイジージャーニーの麻薬戦争が思いついたわけです。

<参考>
外務省海外安全渡航情報「メキシコ」


疲れた

2016-05-10 15:11:46 | 仕事
家に変えると疲れて何もやる気がでないのです。
家に帰らないときには、足りない法律をブラッシュアップしたりして。

皆さんがどう思うかは別にして、私は基本的に悪気ないのです。
「こいつはおかしい!」と思うことだけ、おかしいといい続ける。
その過程で相手の方が先に感情情的になり、だいたいこじれる。

その「おかしい」というのは私独特の価値観だったり、私独特の言葉遣いだったりきっとするのでしょう。
だから周囲に伝わらない。

実はいま会社の仕組みが変わりそうなんです。
それは先日私がキレことを受けて、三者面談。そこでいろんな意見がやっとでて、少しだけ前進しそうなのかな。

でもね、私は毎回こんなことを小学校のときから繰り返して、疲れてしまったのです。
みんなあとから気付くのです。「ぴっぐの言ってたこと、合ってたよな」って。
でも、そこに気付くまでに、だいたい大きな激突があり、そして私は常に1人なのです。
もちろん、そこで捨て台詞履いていなくなる人の方が多い。

小学生の頃は「周りは烏合の衆だから」と思ってたから気にならなかった。
高校、大学と海外にいけばよかったけど、まずは日本のトップになろうと思った。
でも、日本のトップになれなかったし、大人になっても周りは大きく変わらなかった。

先日、「スティーブジョブス」という映画を見ました。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%96%E3%82%BA-DVD-%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC/dp/B00FYJS6ZS

ジョブスは信念で描かれるけど、ようは周囲の思い、基準が自分の中に入ってこない。
自分の基準しか見えない。あれは完全に知的障害のないASDだと思う。

ただジョブスが生きられたのは2つの理由。
1つは、こだわり思考を、アメリカ社会では否定的なものと捉えられなかったこと。協調=善、という価値観がアメリカにはなかったんだと思う。
もう1つは、私がジョブスほど私が賢くなかったってことなんです。

日本にいたのが失敗だったのかな。
会社辞めようと思います。