わいるどぴっぐの猪突猛進

いつも疑問に思うことを書いていきます。

ネットワークビジネスの勧誘

2016-10-23 10:25:55 | 日記
晴れて気持ちいいですね。

今を変えようと自分で本を読んだり、人にあったり、婚活パーティーにでたりすると様々な方がいます。

様々な方に会えるという意味では、受験勉強を黙々としていた時とは違います。

もちろん魅力的な人はいます。
魅力の基準は何かと言えば、やはり目標や夢を持つことに思います。
もっとも、目標や夢を持つというのはくせ者でして、「今のあなたは、××だからダメだよ」という話にいきつきます。

××だからダメだよというのは、××という選択をしてきたのだからダメだということではあるのだけども、何となく違和感があります。
では、××でないとはどういうことなのか。

例えば。
太っている人は摂取カロリーが消費カロリーを上回っているのだから、太っています。消費カロリーはよほど活発でない限りだいたいみんな予測がつきますから、摂取カロリーに問題あります。つまり食べ過ぎです。
では食べ過ぎが問題なのですが、極論すれば食べなければいい。しかし、その食べないというのが難しいから、その人は太っているわけです。

消費カロリーを変えずに痩せるには方法は2つ。

1つは、ガッツです。
もう1つは、自分にあった食べ方の模索です。

この自分にあったというのを、目標を語る人たちはすっ飛ばしている気がするのです。

さてネットワークに移ると。
ネットワークビジネスは商品の付加価値を買ってもらうのでなく、人間性による信頼を買ってもらうと思います。

人間性への信頼とは、ビジネス、恋愛と全てに重要です。そうすると一見すると、何も間違ってないようにも見えます。

ネットワークビジネス、というのはなかなか厄介に思います。

さて、信頼を基軸にしているのに、なぜかおかしいと思えるのは、なぜでしょうか。説明に苦しんでいます。

僕たちはいつまでこんな働き方をするのか?

2016-10-09 17:18:14 | 書評
「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?」(小暮太一、星海社新書)

30代後半の若手の方ですね。資本論と、金持ち父さん、貧乏父さんから着想を得て今に至るそうです。
この本の重要な部分をまとめると、こうなります。

1、給与の決まり方
(1)そもそも給与はどうやってきまるか、その方式には2種類ある。必要経費方式と利益分前方式である。日本企業は一般に、必要経費方式を採用している。
(2)必要経費方式とは、労働者が労働力を回復するのに必要な程度の給与(=労働再生産コスト)である。そして「資本主義の中で、労働者は豊かになれない」なぜなら、会社は労働再生産コストしとして給与を出すからである。
 成果主義を導入している日本企業もあるが、ベースは必要経費方式である。なぜなら、売上を2倍にしたからといって、給与が2倍になるわけではないからである。
(3)労働再生産コストである給与は、そもそもどうやって決まるか。それは価値と使用価値によって決まる。
価値とは、それを作るのにかかった労力から決まるものである。
使用価値とは、それを使ってどの程度役に立つか、有益かによって決まるものである。
原則として価値によって最初の相場が決まり、次に使用価値によって多少の前後が出る。
 例えば、ビル1棟と鉛筆1本で値段が違うのは、ビル1棟建築にかけるコストが違うからである。原材料、鉄筋、コンクリの費用、安全設計、安全第一、関わる人の人数などによって、建築そのものにかかる費用が膨大だからである。
 介護士と医師で給与が違うのも、同じ仕組みである。介護士の需要は高い。しかし介護士になるためにかける費用は、医師になるためにかける費用よりも少ない。医師の場合は、医学部にいく必要があり、その後に研修もある。その費用がそのまま給与に反映している。
 発展途上国の方が給与は低いのも、同じ仕組みである。発展途上国と先進国で弁護士をとった場合、基本的には仕事の内容は変わらないにも関わらず給与が大きく違う。それは発展途上国は生活費が安いために、毎日の食事、住居、衣服、娯楽などの費用が相対的に安くなるため、同じ労働を生み出すのにかける費用が小さいからである。
 労働で説明すると、
価値とは、その人が明日も労働者として働くために必要な費用である。
使用価値とは、その労働力を使ってその人がどれだけ成果をあげたか、企業にメリットがあるかである。
(4)労働再生産コストは、一般的な社会通念を基準にしている。したがって、20代男性独身、40代女性既婚子供あり等、ここ10年単位以上のスパンで、労働者の年齢、属性、職種、業種などを元に、一般的にこのような生活スタイルをしているので、労働力回復には一般的にこれだけの費用がかかるということが基準にされている。
 例えば、新卒の給与が大企業も零細企業も20万円前後なのは、20代前半の一般的な新人の労働力は、業界を問わず変わらないと考えられている。したがって、その回復にかかる費用も同じと考えられているといえる。
 年功序列が成立しているのは、従来は年齢を経るごとに家庭を持ち、子供を持ち、家を持つのが当たり前であったために、そのような補償まですることが、労働力回復するのに一般的と考えられていたためである。
 逆に、価値はあるが使用価値のないものは、クマの木彫りなどである。木彫りをするまでに職人になる訓練期間は長いかもしれないが、需要がない。
 価値はないが使用価値のあるものは、観光地のジュースである。100円のジュースが300円で売られていると思うが、山頂などでは需要が高くなり役立つので、実際の価値である100円よりも高くなっている。
(5)労働再生産コストは、地位や給与が高くなるほど高くなる。したがって、せっかく転職して給与があがっても、一般に高給とりは仕事で多大なプレッシャーが発生するので、労働力を回復するためのコスト(体力、精神力が回復するためのコスト)は高くなる。結果、手元に残るお金は多くならない。
(6)また商品は当初は革新的技術であっても、すぐにコモディティ化(一般大衆化)する。したがって、商品自体にかける労力が小さくなるので、労働者の労力も小さくなる。結果、労働の価値は下がりがちになるので、給与を高くするのが難しくなる。
(7)労働再生産コストの見直しが図られないのは、労働者がその会社を辞めないからである。その会社を辞めないということは、会社からすると、そのコストを支払えば労働を買うことができることを意味している。

2、会社の利益の出し方
(1)労働再生産コストが、固定費として会社から毎月出ていく。
(2)そこで会社は利益を出すには、労働再生産コスト以上の売り上げを出さないといけない。
(3)売上をだすための方法の一つは、大量生産か、労働生産性の向上である。会社は雇用契約によって、労働者を1日働かせる権利を買い取っているので、できるだけ労働者を使用して労働生産性をあげた方が利益はあがる。
(4)こうして、革新的技術を常に求めて労働者を酷使する、ラットレースが完成する。

3、労働者が生きやすくするために
(1)給与は、価値を元に原則として判断される。
(2)会社は、できるだけラットレースをして労働生産性をあげたい。
(3)しかしラットレースには、労働者から見ると、問題がある。より利潤を獲得しようとして努力をする訳であるが、利潤の元となるパイは市場ごとに決まっていることが多い。自社、己の利潤最大化を目指して努力をするわけであるが、その利潤(市場規模、分配できる給与)は業界、会社で決まっていることが多い。となると、パイは変わらないのに努力しあうことになり、努力をする前と取り分は変わらないのに、努力だけ増すということがありうる。つまり、自己の利益を最大化しようとした結果、自己の利益は最大化しないという囚人のジレンマと同じことが起きうる。
(4)給与は、原則として労働力の価値できまる。次に、需要と供給の関係から、使用価値によって微調整が行われる。そこで、

 ア、労働力の価値を高めることをする
 具体的には、努力の積み重ねによって、専門性を獲得する。残業代、一時の賞与(一時、会社に役立ってはいるが、己の成長に加味していない労働)などを目指すのでなく、獲得するのに労力のかかる技術をマスターするようにする。

(5)会社で利益を増やすには、売上を増やすか、費用を減らすしかない。これを個人に落とし込むと、
売上=年収、昇進等によって得られる満足感(金銭面、精神面)
費用=必要経費(肉体的、精神的労力や苦痛)
売上-費用=自己内利益

そこで自己内利益が増える方法を探す。自己内利益の増やし方は、
ア、 満足感を変えずに、必要経費を下げる
イ、 必要経費を変えずに満足感を上げる の2通りとなる。

ア、 満足感を変えずに、必要経費を下げるとは
 結論は、自分の考え、態度、仕事の選び方によって、明日も同じ労働をするために回復する、「自分にとって」肉体的、精神的労力が小さくなるものを選ぶ。つまり、自分の興味のある仕事を選ぶことである。
必要経費の基準になっているのは、年齢、性別、属性などの総合考慮による世間相場である。そこで世間相場よりも、自己の実際の必要経費を少なくすることができれば、自己内利益を増加させることができる。例えば、営業職に営業手当があるが、営業は顧客から文句を言われたり、ノルマを与えられたりして生じる大きな精神的疲労を回復するための費用という考えに基づく。
そこで自分の考え、態度、仕事の選び方によって、明日も同じ労働をするために回復する、「自分にとって」肉体的、精神的労力が小さくなるものを選ぶ。
 自分にとって、肉体的、精神的疲労が小さくなるものとは、興味の持てる仕事をするということである。得意な仕事や効率的にできる仕事を選べという意味でないのは、得意な仕事等で成果は出せるが、使用者は1日拘束する権利を買っているのだから、新たな仕事が追加でやってくるに過ぎないからである。この方法では自己の必要経費(肉体的、精神的労力や苦痛)は下がらない。
 「クライアントの課題なんて知らないよ。注文されたものを納品すればいいんでしょ」
 「他社の商品なんてどうでもいい。担当している商品が問題なく売れて、怒られなければそれでいい」
 このようなスタンスは、当該仕事に興味がないのだと思われる。

イ、 必要経費を変えずに満足感を上げるとは
結論は、自己の労働力に投資をして、将来の利益に繋がる仕事をすることである。
 ゼロから頑張って稼ぐのでなく、労働力の価値を遣って稼ぐことである。労働力の価値は、知識、経験、スキルなど、自分が積み上げてきたものが反映される。
 例えば、社外取締役、顧問、アドバイザーは、過去からの積み上げを遣って仕事をしている。
 このような積み上げを確保するならば、「自分の労働力に投資する」ことが必要になる。残業代、インセンティブなど、目先のご褒美につられることなく、将来の土台を作る仕事をすることである。 
 例えば、ITエンジニアと建設業界を比べた場合、ITエンジニアはドッグイヤーと呼ばれるように変化が激しい。したがって積み上げるものが活きにくい。
 また、損益計算書的思考から、貸借対照表思考にする必要がある。
損益計算書には、費用、売上、利益の記載しかない。それに対して貸借対照表には、資産という、利益が何によって生み出されたかという記載がある。
 例えば、
・1年間死ぬ気で頑張って、向こう10年間、毎年100万円の収入を生み出す資産を作り上げた
・1年間死ぬ気で頑張って、1000万円稼いだ
前者の場合、利益が将来も持続的に出るように「自己の労働力に投資」している。

4、私の見解
とても面白かった。
売上をあげるか、費用を下げるかは、最近意識していることである。
そして私は費用を下げることとは、精神的疲労を下げることだと思っていた。その精神的疲労を下げる、をさらに具体化すると、興味のあることをするになる。この最後の部分までいきついていなかった。
 売上を上げるに関しては、将来利益を生む可能性のある労働に投資をするという訳だ。それは専門性があるといってもいいし、他の人が身に着けられないものを身に付けるといってもいい。
 アンソニーロビンズは、「人は1年でできることを過大評価して、10年でできることを過少評価する」と言っている。
 私は約10年近く法律をやってきたけども、自分を少し過少評価しているのかもしれないと思いました。