わいるどぴっぐの猪突猛進

いつも疑問に思うことを書いていきます。

1つの理想系

2018-09-28 11:24:52 | 日記
こんにちは。ピッグです。
自分の考えに2つの意味で近いものを見つけました。

橋下徹さんの本です。
橋下徹の問題解決の授業―大炎上知事編―

はしがきに、こうあります。(p.2-6)
インテリたちは、頭の中で抽象論をこねくり回して、その抽象論を展開する議論を好む。保守とは、リベラルとは、グローバル化とは、ナショナリズムとは、小さな政府・大きな政府とは、国家観とは、民主主義とは、ポピュリズムとは…。・・・ところが、そんな本を読んでも、これまた目の前に横たわっている現実の問題を解決するためのヒントを見つけ出すことはできない。・・・結局、「俺たちって色々なことを知っていて、小難しい話ができて、ものすごく賢いでしょ!」という自慢話がしたいだけなんだ。
他方。弁護士やコンサルなど、現実の問題を解決する実務家は、自分が関わっている問題解決については経験的にノウハウを有するが、世の中に横たわる問題全般の解決、すなわち「政治」については経験がなく、実践的なノウハウを有しない。実務家が政治を語っても、非現実的な話となってしまう。
では、政治家が政治を語ることが一番いいのか。
たしかに、権力闘争現実や政界よもや話を語らせたなら政治家が一番だろうけど、現実の問題解決のための体系的な理論の部分、「お勉強」の部分については政治家は弱い。

1、お勉強をすること
橋下さんは政治家のところで「お勉強」と書いているけども、これは体系のことを指していると思います。具体的には、法務系でいえば、最高裁で確立している理論、法令です。
また豊洲の問題であれば、設置基準、安全基準です。それぞれの分野で科学的(自然科学、社会科学、人文科学)な知見が、長年の議論を経てあるわけです。そのような知見が間違っていることもあるけれども、それが今の指標になっている場合、それを理解することを指しています。

以前に50代会社役員さんとお話をした際に、私は「現実からスタートするというのは、法律家や教育者にないこと」と書きました。それに対して50代会社役員さんはそんなことないと言いました

たぶんここで役員さんが言おうとしていたことは、「現実に解決できる問題から、取り組む」というものだったのではと思います。
例えば、今日は雨だったので、洗濯物が生乾きです。それを例にします。

自分がすごいお金があれば、乾燥機を買って洗濯物を乾かすこともできるけど、自分にお金があれば乾燥機は買えないから陰干し用の洗剤にするとか。
自分の能力、技術、資本、他人との関係性から、「乾かす」ということについてできる範囲のことをするのを、「現実からスタートする」とおっしゃっていたのではと予測しています。
そのような発想は、実際に洗濯物を乾かす作業をしていない人は知りませんから、「完全に乾くとは、濡れてないこと、半渇きで匂いのないこと」などと理想系を作るとこから始め、現実をそれに向けて変えようとする。そのような行為を50代会社役員さんは「現実からスタートしていない」と考え、橋下さんは「インテリは抽象論」と考えているものと思われます。

しかし今ある資源(自分の能力、技術、資本、他人との関係性)から対処さえすれば、それですべて肯定されるものではないというのが橋下さんの言うことです。
実際に生乾きになってしまえば、そのシャツを着た家族は、仕事場、学校でイジメの対象になるかもしれない。そこで「乾くってのは、このくらい」という基準が(たぶん)あります。それは「汗をかいても匂わないこと/さわった瞬間に濡れてないこと」とかでしょうか。もっと科学的に言えば、●●ミクロンの××以下という類におもいます。
そのような前提を学んで、その基準をおかしいと思うなら批判していい。しかし、覆せないなら妥当な基準とみなして、乾かしていこうということに思います。

ただこの発想の弱点は1つ。
既存の体系を前提とするので、積み重ねの延長に生きるということ。①体系の理解②体系の矛盾点の指摘、を繰り返すことで議論が積み重なるので、創造的は作業を1からするわけではないということです。

2、お金を得ることと、社会を変えようとすること
ある経営者の友人から、こう言われました。
「ぴっぐさんは、お金を稼ぐという方向にストレートにいけば、お金をもっと稼げると思う。その結果として生きづらさも変わると思う。」

お金を稼ぐとは、「お金を払ってもいい」と思われるということ。
そしてお金を払ってもいいと思われるとは、お金を払う人の欲求(欲望)を満たすことでした。

これを突き詰めると、
1、お金を払う人の欲求の基準の把握
2、その欲望を満たす商品(や行為等)を提供すること になります。

そしてお金を稼ぐ手段は会社で働くことが多いことから、「お金を払う会社の基準の把握」がいります。くわえて会社はお金を得ることと失うこと(経済的な利益と損失)に大きな興味を持つ。その結果、「お金になること」について、何か商品を提供する(ことで労働者となって賃金を得る)ということになり易くなります。
会社自体がお金を得ることに価値を置いていない場合(例:環境保護を目的とした会社)、会社がお金を得ることに関係しないことを、労働者がしてお金をもらってもいい。でもそれは株式会社では、まだ亜流のようにも思えます。

それに対して橋下さんが言わんとしていることは、お金を得る、失う以外の基準から行動していることに思います。
例えば本の中で、舛添さんの問題を通して、公用車の使い方を議論しています。公用車の無駄遣いがあれば税金の支出の面があるのは事実です。しかし問題になっているのは金銭的な損害額の多寡ではなく、公用車はどのような使い方、距離ならいいかということです。
そして全国の知事は公用車規制が緩いのをいいことにどこでも使っているのを、変えようとしている。

私はお金に関しないことに、興味あるんじゃないかなと思いました。