わいるどぴっぐの猪突猛進

いつも疑問に思うことを書いていきます。

発達障害その4

2016-05-04 17:09:40 | 発達障害
今回のパートは、具体例ですね。

第1、よくある例
備瀬先生の本から、わかりやすい例をいくつか引用します。私が同じように思ったものです。

<例1>
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「君には積極性が足りない」、「この仕事は適当でいいから」と指摘されても、自分のどういう行動を見て、積極性がないと言われているのか「全く意味が分かりません」と言います。辞書に書かれているような言葉の意味としては分かっていますが、それが本当に意味しているところがイメージできないのです。
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これは理解しやすい例ですね。
積極性や適当を構成する要素が示されていないので、相手がどういう思考プロセスから、評価を下したのかわからないのです。納得です。


<例2>
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大学生学生のN君は就職面接で、最後に「営業はどうかな?」と聞かれたので「私の希望は企画部です」と答えました。希望部署はエントリーシートにも書いてあることだし、面接の最初の方でも確認したはずなのに、N君はなんだかおかしいなと思いつつも「企画部です」と答えました。
自宅に戻って家族にその話をすると、「営業だったら採用する」ということを暗に伝えていたのでないかと指摘されて初めて気が付きました。「どうかな?」などの言葉遣いには文脈によって色んな意味が派生してきます。そういう曖昧な言葉遣いが使いできないのは、発達障害の人達の特徴でもあるのです。
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これもわかりやすい例です。
「どうかな?」に含まれる意味合いが多すぎるのですね。
発した人の言葉が曖昧すぎるという、発した人の責任とおもいます。


<例3>
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問題は経験を一般化できないことにあります。
次に同じ状況にあった時に、登場人物や場面が違っていたりすると応用が利かないのです。
O君は周りの同僚とのコミュニケーションがうまくいかなくて、職場を異動することになりました。
「今度の職場では、みんなで足並みを揃えるんだよ。それが君の良くないところなんだから」と新しい上司に告げられました。
「足並みを揃える」の意味がO君に理解できません。戸惑っている様子を見て、上司は「例えば、出勤時間もあまり人より早すぎにせず、みんなと同じような時間に来るとかだよ」とつけ加えました。
そこでO君は納得してしまうのです。「あーそうか。僕はけっこう朝早く会社に来るからな」と直線的に解釈してしまいます。発達障害の人の理解のズレはこういうところに見られます。「例えば」で言われたことが全てとなってしまうからです。
N君は注意を受けたにも関わらず、職場での行動に改善がみられないと評価されてしまったのです。なぜなら、みんなと「足並みをそろえるように」と指摘されたのに、同僚と協調して仕事をやっていこうとする積極的な姿勢がみられないからです。
発達障害の人達に対する職場での評価として、「何度同じことを注意しても同じミスを繰り返す」ということがあります。しかし、本人にとっては、毎回違うシチュエーションなのに、なぜ「同じ」ミスと言われるのかがわからないということが、知的に高い人でも多くみられます。
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これもよくわかります。
「同じ」の構成要素が示されてないんですよね。
何を同じと評価するかは人によって違うのですから、どういう要素が連続して発生したから同じと判断したかを、説明する必要があると思います。
僕にとっては青も青緑も同じです。
「青」だからですね。その説明をしないで、「同じ」とだけ評価して終わりなのはずいぶん酷いなあというのが感想です。


<例4>
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「今日は、この仕事が終わるまでは残業してくれ。終われば帰っていいよ」と上司が言いました。
K君はそこでパニックに襲われます。
「仕事が終わるとはどういう意味だ?」
「この仕事を今日で終わらせる?」
「いや、それは無理だ。となると終わるまではどういうことだ?それは何時までなんだ?」と頭の中が混乱します。
その上司の曖昧な指示にイラ立つのは前にもこういうことがあったからです。
その日は自分の仕事が終わったので、さっさと机の上を片付けて帰宅しました。
翌日、上司から「周りがあんなに忙しそうにしているのに、なんで先に帰ったんだ!そういうのは良くないぞ!」と注意されました。
数日後、帰社時間になっても周りの同僚がまだ机についているので、K君は仕事がなかったのですが、パソコンを眺めながら時間を潰していました。そうしたら今度は逆に、上司から「今日は残業代つかないぞ。なんで何もしないでお前は残っているだ」と叱られました。
K君からすれば、帰ったら叱られるし残っていたら叱られるしで、どうしいいのかわかりません。次にそんなことがあったら、上司と納得いくまで対決したいと思っています。
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これもわかりやすい例です。
K君と同じことを私も考えます。
ようは、「帰っていい」という基準が不明確なんです。


<例5>
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本人は禁煙の場所でたばこを吸っていた人がいたので注意したら、上司に怒られたと憤慨してまくしたてるのですが、上司の話では、たばこを吸っていたお客さんをどなりつけたので、「お客さんなら黙認するしかない」と本人に説明したというのが真相で、本人は「禁煙なのにたばこを吸っている人に注意して何が悪いのか」と反論したそうです。

同僚が喫煙している場合は注意すべきだけど、お客さんが吸っているのはやむ得ないので注意しないと言った言い方はダメです。それでは、別のお客さんには注意して良いと思う人もいるし、同僚に注意するのもダメなのかと思いこむ人もいます。

物事の良し悪しの判断がなかなかできない人には、損得勘定で説明することがあります。
たとえば太っている人に対して「デブですね」などと言ってしまう人がいたとします。そういう人に「本人に向かってデブなんて言ってはダメだよ」と注意したところで、わかってもらえないことが多いです。
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これも非常によくわかります。
原則、禁煙。例外として喫煙があるのだけど、喫煙の基準が不明確。これは基準の不明確さに問題あると思います。

物事の良し悪しっていうのも思いあたる節があります。
私はむかし、友人の彼女を「ティラノサウルスに似ているね」と言ったことがあります。
また、初めて会った女性に「爬虫類みたいだね」と言ったことがあります。
両方とも悪意や害意があったわけでなく、むしろ良い意味で言っていました。
恐竜は強さの象徴ですし、爬虫類にはヘビがいますが、ヘビも強さの象徴です。
そのころの友人が私にこう言いました。
「ぴっぐちゃん、いいかい。女性に言っていいことと、いけないことがあります。その基準はディズニーになっているかです。クマは実際のところとても凶暴なんだけど、プーさんがあるから悪いイメージはない。それに対して恐竜やヘビは小学生男子は憧れるかもしれないけども、まずディズニーの主役にはなっていない。出ていたとしても、悪役です。女子はイメージで生きていて、そのイメージはディズニーなどに影響されている。だからディズニーになっているかが重要だよ。例えばカエルはケロロ軍曹があるけども、あれはディズニーにないね。だから可愛いと思うかどうかは人によって当たりはずれがあるので、カエルに例えてはダメです。」
これは非常にわかりやすい説明ですね。
恐竜等がいけない理由(イメージで生きている)、基準(ディズニー)とはっきりしています。

「大人の発達障害ってそういうことだったのか」では、「言葉を字義通りに受け取る」、「曖昧なことが許せない」について、こうも書いています。
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一概に言えないと思いますが、一般にかなり知的に高い人でも、「少しゆっくり」というのが「どの程度ゆっくり」なのかわからないようです。「目の前のことをこなしていこうね」と言ったら、「目の前に何もないじゃん!」と言った大学生がいるんですよ。
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上記の例から言えることは共通です。
基準の不明確さなんです。
積極、帰社、すべてそうですか、そのような判断をした要素がなんだかわからないので、相手の思考プロセスがわからない。プロセスがわからない以上は、こちらで判断ができないということです。


備瀬先生はこうも書きます。
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発達障害の人たちは、人と会話をしていて、相手の言ったことを「そのまま信じて」受け取ります。だから、「純粋」だとか、「素直」だと評価される反面、会話の流れや文脈の意図を理解できないため、相手が本当に言わんとしているところをくみ取ることができません。皮肉や冗談も通じないので、「馬鹿正直」だと言われることもあります。
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このように、言葉を字義通りに受け取るわけです。
これは私も何度かあります。
「ぴっぐさんはどうして、そんなに素直じゃないんだ」と何度なく言われたり、「私はこれ難しいと思います」というと怒り出すひと達が沢山いるわけです。
こういう状況をつぶさに観察すると、ある特徴があります。
この「素直」と他人に使う人というのは、小さな子供に対して「素直ですね」と思ったことウソ偽りなくいうという意味では使ってない。だいたい社会的地位があって、年配の男性が使う。これは自分のいったことをそのまま「はい、わかりましたとどうして言わないのか」という意味で使っている。
 「難しい」の場合は、だいたい「できません」という意味で受け取っている。お断りの連絡で就職などでも「ご縁がなかった」という遠まわしの言い方をしますね。これと似ていて、できない=難しい、という言葉の使い方をする人が圧倒的に多いので、私が「難しい」というと、できないという意味だと即座に反応して怒るわけです。
 このことをわかるのにだいたい30年かかりました。

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しかしもっとも深刻なのは、想像力、イマジネーションの部分です。
「発達障害でつまづく人、うまくいく人」(備瀬先生)ではこう続きます。
定型発達の人達は、成長の過程で「こういうことはやっちゃダメ」、「そういうことを言ってはいけない」という注意を受けると、「これがダメだということは、どうふるまえばいいのか」と想像して、社会的に受け入れられる行動を学習していきます。
日本では「こういうことをやってはいけない」という言動によって教育されることが殆どで、「こういう風にしなさい」と適応的な言動を教えるような教育法は主流ではありません。想像力のズレの問題がない定型発達の人の場合は、それでも「なぜ叱られたか」と理由を推測しながら常識をみにつけていきますし、また「ああいう言葉は相手を傷つけてしまい、怒らせてしまうのか」というように類推して考えていき、その経験の蓄積と応用で社会性や問題とならないコミュニケーションの能力を獲得していきます。しかし、想像力に問題がある発達障害の人は、「こうしなさい」と明確に教えてもらえないと、「なぜ叱られているのかわからないけど、私ばかりが怒られると考えてしまい、中には「自分はバカだからだ」、「自分はダメな人間なのだ」と自己否定感ばかり強くなってしまったりして、性格傾向に影響が及んでしまいます。
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これもよくわかりますね。
要はですね、怒った基準が不明確なんですね。
怒るっていうのは主観です。私は怒った本人ではないのですから、なんで怒ったか必ずしもわからないわけです。
そういう怒る基準というのを自ら明確に説明もしないのに、怒っても次に活かしようがないのです。
私からすると、これは怒った方の説明義務違反です。怒った方の怒り方に問題があるのです。これも普通の人はそう思わないのかなあ!?


第2、まとめ
「大人の発達障害ってそういうことだったのか」こう締めくくります。
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反省という言葉も難しくて・・・。僕に言わせれば、定型発達の人は反省した振りが上手いです。例えば、裁判を有利にするために「反省した」とは言いますが、実際には反省していない人がたくさんいます。でも、アスペルガーの人はそんなウソがつけないので、反省を上手に表現することが苦手です。だから「刑務所からでたらまたやりますか?」と聞かれると、「冷静に考えれば、またやっちゃうと思います。やりたくないとは思いますけど」とか言っちゃって。
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ここでも、とてもよくわかる例がでましたね。
「僕に言わせれば、定型発達の人は反省した振りが上手」、ここなんです。
定型発達とは正常に発達した、いわゆる普通の人です。
普通の人は自分の基準で動いてない。世間の評価=基準、です。
だから世間の評価によって自分が受ける損得、プラスマイナスと、自分の行動による損得を比較考量しているだけです。
 それに対して、発達障害の人は世間の評価をそもそも理解できない、想像できないので、判断基準の中に世間の評価は入り込まないのです。
 さらにどういうわけか正直な傾向があるので、「冷静に考えれば、またやっちゃうと思います。やりたくないとは思いますけど」と言ってしまうことがあるのですね。
今回はかなりわかりやすい例を挙げました。
どの例も、同じ状況になれば私も同じことを考える例ばかりです。

もっとも、ここで注意してほしいのはASDにはグラデーション、濃淡があるということです。
上記の例で私は「そうだなあ、言っていることよくわかるな」と思う反面、「でも私も過去の経験から、面接で聞かれると何か暗示しているに違いないと推測できるようになったな」という具合に、成長をするわけです。
つまり人によって、どこで躓くかがバラバラだということです。

<参考文献>
「大人の発達障害ってそういうことだったのか」(宮岡等、内山登紀夫)

「発達障害でつまずく人、うまくいく人」(備瀬哲弘)

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