moving(連想記)

雑文(連想するものを記述してみた)

サトラレを偶然見て思ったこと

2005-05-10 | エッセー(雑文)

サトラレを偶然深夜見た。
自分の思念波が他人に漏れ、読まれてしまうという
超能力というか、異能力の持ち主、面白い発想だ。
嘘がつけない、正直ものを、運命づけられた存在。

それは、意識を記憶の想起、保持というシステムとして
展開した場合のテクノロジーの問題として展開されるのかも・・・。

意識あるいはテクストは、いまだくみ上げられない未決定な内容を、
未来に従属させることで、操作可能なものに変容させる。
言語の無限の組み合わせという原則でありながら、
実際は自分も含め、書き込まれるものを選別するという構造に左右される。
感じる、解釈するという消費の構造は、共同体が、歴史的地理的に
(空間と時間を)組織化した情報記憶装置に変換され、操作メカニズム
として組み込まれ、ある意味自由の代償として、消費されるシステムに、
自分自身を滑り込ませなくてはならない。そして一般的な展開として、
人間の意識は、消費されるというメカニズムに沿う限定条件の中で、
本質的に「サトラレ」という状況に巻き込まれるじゃないかと・・・
(操作と消費というメカニズムから生み出される意識かもしれない。)
そして、そのコードから逸脱した場合(自由という代償に見合わない状況に陥った場合)
は精神的衰弱とか、狂気と呼ばれると思った。
 

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