四条大宮ジャーナル

この度の東北太平洋沖地震にて被災された方々へ
お見舞い申し上げます

別れの美学

2011-01-20 12:26:15 | 旅行
藤圭子 - 新宿の女


私は学生時代聴いていた歌の影響で
去っていく、別れる時の潔さにこだわる若者やった。
五木寛之のエッセイに憧れ金沢へ行く時は
フォークルの「青年は荒野をめざす」を口ずさみながら。
完璧にスノビズムに酔いしれて
今の私ならこの歌を27年前の私に捧げるやろう。
「バカだな~バカだな~だまされちゃって~~」
以降、ド貧乏の学生時代に突入する。

学生時代、インドへ卒業旅行したとき
あちらでも日本人学生と沢山であって
寝食を共にした。
東京のT美大のにいちゃんは、現地で見つけた
地元民のフンドシにアートを見出し
大量に土産用で買っていた。
(ただ安かったからだけなんやけど)
沖縄のR大のにいちゃんは、女買いに行って
ポンビキのオバハンにヤラれそうになった。

かく言う私も、デリーの競馬場に競馬好きの学生と
行き、直前ストライキ競馬中止の暴動に巻き込まれて
石や牛糞を投げられたり、ストリップ小屋では
カブリツキにメガネを忘れ、以降は半ボケの眼で旅をした。

彼ら(私ら)に共通してたのは、ベタベタと
互いの連絡先など交換しなかった。
二度と会うことはないんでしょうけど
それでよかった。
一生の旅の通過点でのオモロイ人々として
心に残るでよろし。

「他人のまま」でも孤独ではなかったし
怖くもなかった。

昨今は携帯で簡単にアドレス交換出来るので
逆にそんな付き合い、孤独になるほうが難しいのかも
知れないが、さっと去る或いは別れる
楽しい日々を過ごして散会する。
引き際のよさは肝心かと思う。
今でも行きずりに会ったおねえちゃんには
それを望む(アホか)。

楽しい酒の引き際
政治家、権力者の引き際
女(男)との引き際
人生の去り際、引き際
なかなかCoolにいきませんよね。

失うもの(家族)の無かった頃には
全く去る、引くのが惜しくなかったことが
未練がましくなってしまったことに
歳をとったと実感する。
孤独に対して怖れを持ち出したのかもしれない。

しかし人間、何かに固執することがたとえ
醜態と言われようとも、守るためなら
這いずり回る、それも仕方ないことかと
思う、許せるようになった気がする。

あの頃みたいに、暇があって旅行をすることは無いが
心の奥底ではふつふつと、いつかは・・・と旅の夢見る。