フランソワ・ジョゼフ・ナヴェ
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女性は本来、このようにまで激しく男性を求めません。
そういうあくなき欲望というものに似た熱い衝動は、男性の本質にあるものです。
時に女性が激しく男性を求めるような現象が起こるのは、たいてい男性が女性にとりついてやらせていることです。
真実の天使を一度でも馬鹿にしたことがあるものは、わたしたちのブログに来てはなりません。
出ていきなさい。
二度と来てはならない。
かのじょを馬鹿にしたことがあるものは、天使と全く関わりのない人生を歩みなさい。
わたしたちにかかわってはならない。
出ていきなさい。
もう二度と、来てはならない。
かのじょを馬鹿にしておきながら、この記事を無視して明日もわたしたちのブログに来るものには、
大きな罪が発生するでしょう。
ムジカ
コンスタンティン・アルタチーノ
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イスラム圏の女性が、このような厚いスカーフのようなものをかぶらなければならないのは、苦痛です。
女性は自分の美をことさらにひけらかしてはいけないというのは本当ですが、きついものに閉じ込めてもいけない。
女性が自分の美を表現できなければ、それは男性の心にも影響するのです。
美しい女性を見れば、男性も心が安らぐでしょう。
相手にスキがないと盗塁はむずかしいのですが、
スキさえあればいくらでもできます。
負けているなかでも粘りが見えてこないと、可能性も見えてきません。
鈴木一朗
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北辰制をこの世界に打ち立てるためには、まず人類社会の中に、その人格と愛を見抜ける高い精神性を持った人間の集団を作らねばならない。
深い人生経験を積み、高い教養を積み、国をまことに愛する人間を、恒常的に機能させることのできる、何らかの形がなければならない。
その人間たちは、馬鹿に政治を任せておけばどうなるかということを、身に染みてわかっているものでなければならない。
この何千年かの人類の苦しみはただ、馬鹿が嘘と盗みで神の位を強引に我が物にし、高い人格の仮面をかぶって為政者となり、人類社会からあふれるほど血を吸ってきたからだ。独裁主義というものは、自分だけが楽に生きられればいいという、獣の自己保存欲に根差した、暗い境地なのである。愛を知らない馬鹿だけが、それをやれる。人の苦しみなど、ほとんど感じることができないからだ。
そしてその無明の野獣は、巧みにレトリックを弄して、民主主義社会の中にも黴菌のように生き抜くことができるのである。
その害はあまりにも大きい。
人間社会の政治の中心に座すべき精神は、高い愛の真実を自分の中に見出し、すべてを愛の元に幸福に導く、神の心を素直に表現できるものでなければならない。その瞳は澄んでまっすぐに人を見る。口から出る言葉は品よく、人の心にするすると入っていく。表情は落ち着き、整っている。気高さゆえに、会うものの心をも引き締める。そういう高く正しい人格が中心に座せば、政治から悪は浄化され、自然に何もかもがよくなっていく。
今の世界は、全く光の見えない、絶望が永遠に勝利するかに見える世界だ。馬鹿が世界で最も高い為政者になり、人間を堕落の底に突き落とそうとしている。
だが、希望を見失ってはならない。何かをやれるはずだ。まごうかたなき絶対の暗闇の中からも、人間は何かを始めることができる。
裏切ってはならない自分を、決して裏切らず、まっすぐに自分ができることをやればよい。真実の姿とは何なのかをつかめば、やらねばならないことはおのずとわかって来る。
粘りというものは、人間の骨の中で生きている。やればよい。北辰は真っ暗闇の中にも存在している。それを信じてやればよい。
そこからすべては始まる。
アルトール・マルクス・ヘーラールツ(子)
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この女性は、この顔が自分だと勘違いしているのです。
人から美を盗んで、何も努力しなくても美しくなれてしまったので、自分は他とは違う特別なものだと思っているのです。
それでとても、愚かなことになっています。
こんな人が、まじめに勉強している人を馬鹿にしてしまうので、たくさんの悲しいことが起こるのです。
オロフ・ヨーアン・セーデルマルク
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魅力的な女性に見えますね。
でもこの人が美しい女性に見えるのは、見えない良い女性がカヴァーしてくれているからなのです。
それがないと、この人はまだ女性には見えない。
勉強が足りない女性のために、女性の美を、誰かが添えてくれているのです。
きれいなショールをかぶせるように。