うちの本棚には、論語や聖書や仏典があります。若いころ、自らの存在意義や人生を見出すために、人が一度や二度は触れてしまいたくなるもの。
この中では、論語が一番易しいです。人として実生活の中で実行しやすい教えが書いてある。
「過ちて改めざる。これを過ちという」
わかりやすくて、はいりやすい。まさにそのとおりだと思う。
そのつぎは聖書かな。
「野の花を見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」
これは、みんな神様に愛されているよっていう意味のことば。やさしさが身にしみてくる。
仏典はどうでしょう。手元にあるのはダンマパダ、ウダーナヴァルガ。これは難しい。数多くの語句があるのですが、一般に、人間として実行に移すのは難しいのではないかと思うことが多い。
「愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生じる。愛するものから離れたならば憂いは存在しない。どうして恐れることがあろうか」(ウダーナヴァルガ)
要するに、愛するものがあるから憂いや恐れがある。だから愛するものから離れたらそんな苦しみは味わわずにすむ。目覚めた人は愛するものから離れていく。という意味でしょう。要するに、愛してはならないってこと? でも、これは、人間にはとても難しい。実際わたしは、子供を捨てて出家するなんてとってもできない。子供がいれば憂いも恐れもあるけれど、離したくない。普通の人間ならそう思う。
でも、えらい釈尊はそう言ったという。悟りの人になるには、こんな苦しい思いをしなければならないのか。それはとても常人には無理だと思う。
仏教の教えをすべて実行しようとすれば、人生は苦しいことばっかりになってしまう。
でも仏教ではこういうことも言われている。般若心経や浄土教などでは、この世は苦界だという。美しい浄土、彼岸の世界はすばらしい。あっちが本当なんだよっていう。おもしろいね。この世界はみんな幻なんだよ、て、仏典が教えている。そして、この教えだって幻なんだよ。ほんとはね、嘘なんだよ。「真如の教えなり」。ほんとみたいに見えるだろ。実は嘘なんだ。あっちがほんとなんだ。
苦しくはないんだよ。すばらしいんだよ。浄土は真実の岸なのだ。こちらの岸は嘘なんだよ。
あふれるほどの仏典には、たぶん後世の捏造が山ほどあるんじゃないかなって、わたしは推測しています。3000年も人の手を触れてきたものですから、そりゃ、悪い人が改ざんするチャンスはいくらでもあったでしょう。釈尊が言ったなんていって、アホなことを言った人はいっぱいいるはず。だから、仏典は読むとすごく苦しい。
どう考えたって、こんなの自分にはできないってことが、大方なんです。
でもね、「真如の教えなり」で、みんなひっくり返るの。こんなの全部嘘だよ。ほんとはね、反対なんだよ。愛するものは、大切にしてあげなさい。怖がる必要はないよ。憂う必要はないよ。みんな愛なんだよ。
おもしろいね。あほみたいでしょ。だって、「この世は幻だ、みんな嘘なんだよ」って仏典は言ってる。ということは、その仏典だって嘘になるでしょ。ということは、「この世界は幻じゃない。真実なんだよ」ってことでしょ。これだと、孔子やジーザスとほぼ同じことを言ってることになる。愛なんだよ。すべては愛なんだよって。
仏教はすごいな。
この中では、論語が一番易しいです。人として実生活の中で実行しやすい教えが書いてある。
「過ちて改めざる。これを過ちという」
わかりやすくて、はいりやすい。まさにそのとおりだと思う。
そのつぎは聖書かな。
「野の花を見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」
これは、みんな神様に愛されているよっていう意味のことば。やさしさが身にしみてくる。
仏典はどうでしょう。手元にあるのはダンマパダ、ウダーナヴァルガ。これは難しい。数多くの語句があるのですが、一般に、人間として実行に移すのは難しいのではないかと思うことが多い。
「愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生じる。愛するものから離れたならば憂いは存在しない。どうして恐れることがあろうか」(ウダーナヴァルガ)
要するに、愛するものがあるから憂いや恐れがある。だから愛するものから離れたらそんな苦しみは味わわずにすむ。目覚めた人は愛するものから離れていく。という意味でしょう。要するに、愛してはならないってこと? でも、これは、人間にはとても難しい。実際わたしは、子供を捨てて出家するなんてとってもできない。子供がいれば憂いも恐れもあるけれど、離したくない。普通の人間ならそう思う。
でも、えらい釈尊はそう言ったという。悟りの人になるには、こんな苦しい思いをしなければならないのか。それはとても常人には無理だと思う。
仏教の教えをすべて実行しようとすれば、人生は苦しいことばっかりになってしまう。
でも仏教ではこういうことも言われている。般若心経や浄土教などでは、この世は苦界だという。美しい浄土、彼岸の世界はすばらしい。あっちが本当なんだよっていう。おもしろいね。この世界はみんな幻なんだよ、て、仏典が教えている。そして、この教えだって幻なんだよ。ほんとはね、嘘なんだよ。「真如の教えなり」。ほんとみたいに見えるだろ。実は嘘なんだ。あっちがほんとなんだ。
苦しくはないんだよ。すばらしいんだよ。浄土は真実の岸なのだ。こちらの岸は嘘なんだよ。
あふれるほどの仏典には、たぶん後世の捏造が山ほどあるんじゃないかなって、わたしは推測しています。3000年も人の手を触れてきたものですから、そりゃ、悪い人が改ざんするチャンスはいくらでもあったでしょう。釈尊が言ったなんていって、アホなことを言った人はいっぱいいるはず。だから、仏典は読むとすごく苦しい。
どう考えたって、こんなの自分にはできないってことが、大方なんです。
でもね、「真如の教えなり」で、みんなひっくり返るの。こんなの全部嘘だよ。ほんとはね、反対なんだよ。愛するものは、大切にしてあげなさい。怖がる必要はないよ。憂う必要はないよ。みんな愛なんだよ。
おもしろいね。あほみたいでしょ。だって、「この世は幻だ、みんな嘘なんだよ」って仏典は言ってる。ということは、その仏典だって嘘になるでしょ。ということは、「この世界は幻じゃない。真実なんだよ」ってことでしょ。これだと、孔子やジーザスとほぼ同じことを言ってることになる。愛なんだよ。すべては愛なんだよって。
仏教はすごいな。