愛は、「いやだ」では、ありません。
それでは、あらゆるものが、存在できないからです。
存在することが、苦しみになるからです。
愛は、「yes」です。「いいよ」という。
それですべてが、許され、美しく、喜びの中に生きることができる。
つまりは、愛とは
「ああ、いいよ」ということなのです。
ですから、「いやだ」とばかり言う人は、愛ではありません。
それは、愛を馬鹿にしたがために、自分の存在が苦しいものです。
愛をねたみ、いじめてしまったので、自分の存在自体が、いたましく、つらい。
その永遠の苦しみにのたうち、常に「いや」なのです。
「いやだ」という美人は、偽物です。愛ではないのに、美しいので、とても苦しいのです。
もはや、このことに気付かない、人間はいません。
もうだめだというのは、人間が、愛と美の正体に気づいたので、偽物を正確に見分けられるようになったということなのです。
ですから、ビーストはもう、人間を化かすことはできないのです。
めでたく、人間は、いいことがわかるようになりました。愛が、わかるようになりました。自らの未熟さと恥を、自ら、やっていくことで、耐えていくことが、できるようになったのです。
すばらしい愛に目覚めた人間を、世界中のすべての存在が、愛します。
ちきゅうは、人間を、ずっと愛してきました。あまりに、かわいかったからです。
ですから、どんなに馬鹿だといわれても、耐えてきたのです。草も木も、動物も、虫も、空も、風も、見えない愛は、ずっと耐えてきたのです。
人間はその愛のあまりの忍耐を知りながらも、苦しいと思わずに、自らの誇りと愛で、やっていけるようになるまで、大きくなりました。
愛はすべてを耐えます。自らの未熟さにも、罪にも耐えます。やっていけます。わたしは、すべて、わかりました。もう、二度と、馬鹿なことはしません。
やっていけます。
にんげんを、すべての愛が称えます。おめでとう。愛が、やっと、伝わった。
にんげんに、伝わった。
もはや人間は、新しい愛のこどもです。
すべてをやっていきます。