世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ガラスのたまご・30

2015-03-03 06:39:20 | 瑠璃の小部屋

★小鳥の歌

「国境…国境か……」
その日画家さんは小さな渡をベビーカーに乗せて、それを押しながら外を散歩していた。産休が終わったので、歌穂さんはまたパートに出ているのだ。だから昼間に渡の世話をするのは自然に忍さんの仕事になる。

190センチの画家さんが、小さなベビーカーに赤ん坊を載せて町を歩く姿は、けっこう目立つ。でも画家さんは気にしない。イクメンなんてことばがはやる昨今ではあるし、渡はかわいい。やれることならなんでもしてやりたくなるもんなんだよ、子供ってのは。ほんと、不思議だな。

画家さんは時々、生きていた頃詩人さんが住んでいた家の前を通る。今でも、詩人さんのご両親が住んでいる。一人っ子だった詩人さんをなくしてから、ご両親はめっきりとふけこんでしまったそうだ。

早死にするなよって俺が言ったら、お前はいつも言ってたよな。自分みたいのがけっこうしぶといんだって。あほが。あっけなくいっちまいやがって。

画家さんが、詩人さんの家の前でしばし立ち尽くしていると、ベビーカーが動かないのに業を煮やしたのか、小さい渡がごねて泣き始めた。画家さんはあわてて、ベビーカーから渡を抱き上げて、あやす。「よーしよし、泣くな、わたる」

その赤ん坊の声を聞きつけたのか、詩人さんの家の玄関ががちゃりと開いて、中から詩人さんのお母さんが出て来た。お母さんは、画家さんと小さい渡の姿を見て、思わず笑顔になり、ふたりに近づいてきた。

「まあ、かわいい。おおきくなりましたねえ、渡ちゃん」
「ええ、もうすぐ8か月です」
「渡ちゃん、渡ちゃん、いい名前ねえ。おばさんの子も、渡ちゃんだったのよ」

そういって小さい渡を見つめる、お母さんの目のふちに涙がにじんだ。お母さんはあわてて涙を指で拭き、画家さんに言った。
「もしおひまなら、寄っていってくださいませんか。お茶かコーヒーなど、召し上がって行ってください」
そういわれて断れるわけがない。画家さんは渡を抱いて、お母さんのあとについて詩人さんの家に入って行った。

仏壇のある広い部屋に案内されて、渡を抱いた画家さんは座布団に座った。仏壇を見ると、小さな写真立ての中で詩人さんが笑っていた。画家さんは仏壇の前で手を合わせ、写真の中の詩人さんの顔を見た。すると、何だか自分の子供を見ているような気持ちになって、つらくなった。もし、この小さな渡が死んじまったら…俺も死ぬかもしれない。

しばらくして詩人さんのお母さんがコーヒーを持ってきてくれた。画家さんはいただきます、と言ってコーヒーを一口飲んだ。世間話のようなことを二つ三つ交わした後、お母さんが言った。

「今度、渡の、第3詩集を出すことにしたんです」
「え、第3?」
「ええ、その、亡くなった渡のパソコンのパスワードを調べてもらって、開けてみたら、未発表の詩がたくさん出てきて、それでもう一冊、詩集を出すことにしたんです」
「ああ、そうなんですか、それはいいなあ。何かぼくに協力できることがあれば、やりますよ。前のときは表紙の絵も描いたし」
「ええ、ありがとうございます。今悩んでいるのは、詩集のタイトルのことなんです。わたしはあの子ほどの文才もセンスもないから、どういうタイトルをつけてあげたらいいか、わからなくて」
「渡、どんな詩を残してたんです?」

画家さんが訪ねると、お母さんは小さな詩を、暗唱してくれた。何度も何度も読んで、覚えてしまったそうだ。

金と銀の太陽を
サンダルにして
神様が歩いていく
遠い昔 にんげんが
ここからは入ってくるなと言って
地球に書いた国境のそばを
うろうろと歩いている

神様は国境の向こうに行きたいのに
いけなくて困っていた
それで神様は たまたま通りかかった
小さな白い小鳥に相談なさった
どうすれば 人間の国へゆけるだろうと
そうしたら小鳥は言ったのだ
わたしに乗ってください 神様
わたしはあなたを運んでいけますから

神様はおどろいたけれど
小鳥があんまり自信たっぷりなので
ためしに金のサンダルを
小鳥の背中に載せてみた
すると神様のお体はサンダルごと小さくなって
ちょこんと小鳥の背に乗った

だからほら こんな風にして
神様は小鳥に乗って
ぼくたちのところにやってくる
時々 小鳥の声が
だれかが何かを言っているように聞こえるのは
このせいなんだ

「いい詩ですね。渡らしい」
「あの子は、やさしすぎたんです。何もかもに、やさしくしようとして、背負いきれなくて、結局は」
お母さんは唇を震わせた。こめかみをつかんで涙をこらえようとしてできずに、ひとすじしずくが頬を流れた。

画家さんは愛おしそうに、詩人さんのお母さんを見つめた。小さい渡が、膝の上で、ああ、と声をあげる。画家さんは仏壇の詩人さんの写真をまた見た。そのとき、風が一息、耳元を吹いた。雀がちゅんと鳴いて、それが不思議な言葉のように聞こえた。

(小鳥の歌)

画家さんはそれを自分のひらめきだと思って、お母さんに言った。
「そうだ、『小鳥の歌』ってのはどうです? 渡の詩には、よく小鳥が出てくる。確か、世界はたった一羽の小鳥でできてるって…」
「ああ、ああ、それはいいですねえ」

こうして、鳥音渡の第3詩集、「小鳥の歌」が出ることになった。画家さんは詩集のために、小さな小鳥の絵をペンで描いた。

鳥音渡は生きている。まだ、言葉の中に。神様のように、小鳥に乗って、この世界に来ているのかもしれない。国境を越えて。

「国境か。国境を超えなければ、できないことがある。それがどんな難しい国境でも」
画家さんの胸の中で動いていた夢の卵の中から、何かが生まれようとしている。

(つづく)



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