日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

新しい活動様式

2020-09-11 22:02:24 | 旅日記
細々した事共には耳を貸さないつもりでいても、否応なく聞こえてくる噂はあります。現政権の唐突な退陣もその一つでした。今朝方小耳に挟んだのは、横文字混じりの振興策から一部地域を除外してきた差別的な取り扱いが、ようやく撤回されるという話です。少なくとも表面上、「不要不急」と詰られるいわれはもうありません。それどころか、お上によってむしろ奨励されるという状況に一変します。しかしながら、積もりに積もった借りを今すぐ取り返したいかというと、依然としてその意欲が湧きません。
自分がこよなく愛するのは一人旅の気楽さです。ところが今は、どこへ行っても「新しい生活様式」という名の一時的な「我慢」を求められるご時世になってしまいました。長きにわたり烙印を押されてきたことによる風評被害も残ります。それらのことに神経をすり減らせてまで、旅に出たくはないというのが本音です。
追い討ちをかける要因として天候があります。嘘か真か、連日の熱帯夜も今週限りでひとまず終わるとはいうものの、今度は秋の長雨に祟られて、来週末の四連休も今のところ全く期待できません。去年にしてもそうでしたが、地球規模での気候変動がいよいよ明白になってきたということでしょう。もはや九月は使い物にならず、棒に振るのも止むなしという判断に傾いてきました。足止めが半年以上も続くとすれば、年内に行けない地域がいくつか残らざるを得ません。全都道府県に毎年一度は足跡を残すという道楽に、終止符を打つ覚悟を固めつつあるところです。

珍記録を初めて「達成」したのは十数年前です。括弧を付すのは、始めから目指していたわけではなく、あくまで結果に過ぎなかったからです。例年になく方々へ出かけ、このまま行けば全都道府県を回れそうな情勢になったことから、残りも全て回ったのがそもそもの始まりでした。つまり面白半分、あるいは若気の至りという面が多分にあり、その時点では毎年続けていくつもりなどなかったのです。しかるに今まで続いてきたのは、いわばプロ野球のリーグ戦にも通ずる楽しみによるところが少なからずあります。
プロ野球といえば、圧倒的な技術、力と速さが注目されがちです。しかし、ノンプロと学生野球ではあり得ない、プロならではの楽しみがもう一つあると自分は思います。いや、正確には「あった」と表現すべきでしょうか。目先の試合に勝つための「戦術」だけでなく、一年を通じて戦うための「戦略」がリーグ戦には必要です。その結果、個々の試合の勝敗にとどまらず、年間の覇権の帰趨を見守るという楽しみが生まれます。それだけに、プレーオフという蛇足が加えられたことで、覇権の価値が大きく貶められたことには失望しました。その是非はさておき、同じことが自身の旅にも当てはまります。一年で全国を回るという目標を立てることにより、年間の様々な活動が全体として一つのまとまりをなすからです。そこに生まれる楽しみこそが、自分を駆り立ててきた原動力でした。
しかし、その楽しみは副作用も伴いました。最も顕著に表れたのは、年間の日程が固定化しがちになるという現象です。勤め人として、限られた休みをやり繰りしながら各地を回っていく関係上、効率を重視せざるを得ません。年間の暦と季節の移り変わりを考えて、それぞれの時期に最も適した目的地を選んでいくと、毎年同じ時期に同じ地域を旅することになりがちでした。その結果、都道府県単位で見れば全国各地を旅していても、実態としては相当程度の偏りがあったのです。毎年工夫を凝らしつつ、近年では飛騨、能登などの空白地帯を開拓し、晩秋の北海道、早春の津軽を始めとした未知なる季節の旅にも挑戦してきました。しかし、目的地が遠くなればなるほど工夫の余地も狭められ、全くの空白地帯が西日本を中心に相当数残っているという現実があります。
この現象を、国民的アイドルグループで採られる「選抜」という制度に例えることができます。実力のある者を選び抜くかのような呼称とは裏腹に、そうでもないことについてはつとに知られた通りです。しかし、一見すると不公平のように思えるこの仕組みも、商業的には必然と見ることができます。「選抜」された人気者が一同で活動していくことにより、特定の人気者同士の組み合わせが新たな商品としての価値を生むからです。そのようにして、売りやすい組み合わせが次第に確立していく結果、毎回のように「選抜」される面々と、浮かばれない面々に二分化されていくというのが実態でしょう。
自分自身、分野こそ違えど遠からぬことをしてきたともいえます。行きやすい場所には毎年行き、そうでない場所には全く行かないという二極化を事実上放置してきたからです。かような観点からすると、一年単位で続けてきた活動に区切りをつけ、より長期的な視点から、空白地帯の開拓に力を入れていくことも一考に値するといえます。

在宅勤務を始めとして、いずれは起こると言われていた変革が、一連の騒動により数年単位で早まったという話をしばしば耳にします。それに近い転機が自身に訪れたという見方も可能です。旅から旅に明け暮れていた平時には、年間の活動をどのようにして乗り切るかという構想はあっても、さらなる大局的な視点から考えるだけの余裕がありませんでした。しかし、体力的な陰りを自覚する場面が年々増えて行くにつれ、生涯の残り時間を最大限に活かすためにも、身の丈に合った「新しい活動様式」の必要性を薄々感じてはいたのです。かような観点からすると、卑劣な政策によりもたらされた半年の足止めも、長い目で見れば有益なものとなり得ます。逆境を好機に変えてやろうという心境です。
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