MT MANIAX

苦難の時にこそ、われわれは隣人に対して寛大であらねばならない。そうしていれば世界はわれわれにとって寛大なものになるはず。

ドラマ西遊記の魅力

2006年03月07日 | 日記
 昨日、フジテレビのドラマ『西遊記』を観ました。じつは毎週、観ています。自分で自分のことを「幼稚やなあ」と思うのですが、ついつい観たくなります。シリーズは、すでに後半に入っています。「牛魔王」「羅刹女」「紅孩児」「混世魔王」など、有名な妖怪たちも出揃ってきたようです。あとは「金角」「銀角」「竜王(東海竜王だったかな?)」などが出てくるかもしれません。ドラマ版のために、どのようにアレンジされて登場するのか楽しみです。
 テレビドラマの『西遊記』は、堺正章らが出演していた日本テレビ版から大きなスタンスは変わっていないように思えます。それが『西遊記』の世界で描ける魅力なのだと思います。『西遊記』で描ける魅力とは、私が思うに・・・・・・

 「人間」と「妖怪」
 「信頼」と「疑い」
 「親」と「子」
 「男」と「女」
 「民衆」と「権力者」
 「心」と「金」
 「善人」と「悪人」などなど

 様々な対立軸をバランスよく詰め込まれていることが、ドラマ『西遊記』の魅力であると思います。そして、現代劇や時代劇では登場人物にしゃべらせることの出来ない青臭いセリフや、恥ずかしくなるようなくさいセリフを、孫悟空や三蔵法師たちが声でしゃべり、ときには叫び、ときには泣くことによって、対立軸たちがうまく絡み合い、まとまりあってきます。
 これらの対立軸は、どちらかが白、どちらかが黒というような図式にはなっておらず、灰色になっています。そこが物語に深みを加えており、魅力的なのだと感じます。
 昨日の『西遊記』では、次のようなセリフが出てきました。

「四本足であった人が二本足で歩くようになり、手を使うようになった理由は、『持って帰る』ためだ。どんなに美味しい食べ物を採っても、一人で食べるのは美味しくない。自分にとって大切な人のために持って帰って、一緒に食べるために手を使うようになったのだ」

「俺がお師匠さんを守っているわけではない。俺がお師匠さんに守られているんだ」

 恥ずかしくなるようなセリフですが、『西遊記』の世界ではマッチしてしまいます。これらのセリフ、私は好きですねえ。次回はどんな話が待っているのでしょうか。楽しみです。

<今日の一言>
マッチ[match]
(名)スル
(1) 勝負。試合。
 「タイトル-―」「リターン-―」
(2) 調和がとれていること。ぴったり合っていること。
 「洋服と靴がよく―している」
(三省堂「大辞林 第二版」)