MT MANIAX

苦難の時にこそ、われわれは隣人に対して寛大であらねばならない。そうしていれば世界はわれわれにとって寛大なものになるはず。

スポーツに期待するな

2006年03月03日 | 日記
 「4代続けて同じ誕生日 横浜の一家、ギネスが認定」という新聞記事を目にしました(共同通信、2006年3月3日)。ちょっと、ひいてしまいました(笑)。
 さて、もっとひいてしまった新聞記事は次の記事です。3年生の野球部員らが飲酒、喫煙をして補導されたことに関することです。

--------------------
無関係の現役部員ばかりに痛み 駒大苫小牧

 「今回のことは選手に関係はない」。昨夏、不祥事が起きた時、こう言って香田監督は再発防止を誓った。だが、今回の問題を起こしたのは当時、「優勝取り消し」の危機を味わった3年生部員。その上級生が1、2年生の甲子園出場の扉を閉ざす結果となった。
 部を離れた3年生の不祥事では、過去には84年にひき逃げ事件で函館有斗(北海道)、87年に負傷者が出たけんか事件で東海大浦安(千葉)が、それぞれ次代のチームがセンバツ出場を辞退している。04年に部員登録の規定を改正。手続き的に3年生は卒業日まで監督に指導責任を負うことになった。日本高野連によると、その後、3年生の不祥事で、新チームが対外試合禁止処分を受けた例はないが、「卒業するまで部員」の考え方は変わっていない。
 その点で、「不祥事を起こしたのは、卒業生だったのに」という同情論には納得できない。今回3年生部員が起こした軽率な行動の裏には、「部にいる間は、不祥事は起こさない」との発想があったからではないか。だが、高校野球の目的は「選手を自らを律する社会人に育てる」ことにもあるはずだ。(以下略)
(毎日新聞、2006年3月3日)
--------------------

 スポーツの世界は、私には理解できない点が多いです。“高校野球の目的は「選手を自らを律する社会人に育てる」ことにもあるはずだ”というところが、特に理解できません。
 財団法人日本高等学校野球連盟が出している「大会参加者資格規定」には、自らを律することのできない人は出場してはならない、という条文はありません。部員が補導された際に関する条文もありません。ましてや連帯責任についても言及されていません。この「大会参加者資格規定」を満たしていれば1年生・2年生の方々は出場できると思います。もし、この規定が高校野球関係者のコンセンサスを得られないような内容ならば、精神的な参加資格や、連帯責任に関して盛り込むべきです。
 昨日のブログの記事に続くのですが、スポーツについてもう少し考えてみたいです。次の文章は西部邁氏が、『本日の雑談(1)』(飛鳥新社、2004)で述べられている解説です(pp.139-140)。

--------------------
「スポーツ」というのは調べてみると「ディスポルト」なんですね。「ポルト」というのは態度とか役柄という意味で、「ディスポルト」というのは、そこからはずれているという意味なんです。要するに、「スポーツ」という言葉に、「変な振る舞い」という意味が込められているわけですよ。
そういう意味では、元来、「スポーツ」というのはマイナスイメージのある言葉なんですね。たとえば、make sports of you--「お前をスポーツにする」というのは、お前をからかうという意味なんです。だから、大の大人が、本日のニュースの五番目に挙げるべき問題ではないし、スポーツなんていうものは本当はヒマつぶしのタネでしかないんですよ。
--------------------

 スポーツには変な振る舞いという意味があり、昨日書いたように気分転換という意味もあります。このようなスポーツを通して“自らを律する社会人に育てる”ことを期待するなんて、目的と方法の選び方を間違っているとしか思えません。

<今日の一言>
こうしえん【甲子園】
兵庫県西宮市の地名。甲子(きのえね)の年にあたる1924年(大正13)に完成した甲子園球場は高校野球全国大会で知られる。
(三省堂「大辞林 第二版」)