大分に行ってる間に母からの電話が相次ぎあって昨日は帰りのバスを30分早めて実家に戻って来た。
夕飯まではショートステイにお願いしているので19時までに迎えに行けばいいと思ってたが、大分に行く日に電話があり、どうして自分がここにいるのかわからない様子。
家には誰もいないからショートステイしてるんだよ、と説明すると理解してくれてるような返答がある。それで一安心した感じになっている自分がいる。
また土曜日の夜にも電話がある。家に帰りたいが暗いので迎えに来てくれって言うような内容。「日曜日の夕飯まではそこにいるんだよ」と話すと『わかった』と落ち着いてくれる。
翌朝9時過ぎにまた電話がある。前日の電話の後にも母に電話をしていて「わかった」と言ってくれるが、新たに言ってる内容は前と同じ事。
2年前の4月末頃に一人じゃ危ないと病院に入れたことがある。妹から対応しきれないと言われたが、その時も同じように何度も電話があり、家に帰りたいと言われたことがあった。
自宅に帰って、妹に電話を掛けた。その時に母が「一時帰宅です」と・・・
やはり、病院に入れられてると思っていたことがはっきりした。妹の電話の後に、もう一度説明すると理解したような素振りは見せるが怪しい感じ あの時は本当に怒ってたものね。(じぶんではどうもないのに病院に入れられたことに対して)
今日はデーサービスの日だけどお休みして病院に行くことにした。
昨夜、2時頃から再び痰が絡む咳が出始めた。
そんな暑くもないのに汗をかくようで熱いといいながらパジャマを自分で脱いでいる。
少しするとまた自分で着なおして・・・多分、寝不足にもなってるだろう。
18日の検診で咳を改善する薬とテープが処方から外れた。具合もよいと言ったからだけどまだ完全ではなかったのかも。
受診したら18日の血液検査の結果が出てて、先生も心不全の数値はかなり良くなってるが、白血球が増えててまだ完全ではないので今日来てくれてよかったと。薬を処方してもらい家に帰って横になる母。
これまでになくかなりきつそうな感じ、に見える。
昼はうどんを食べて処方された薬を飲んで横になっている。
夕飯は何にしようと相談するがいつものごとく、「なんでんいい」とのご返事。
シチューをしようとお肉を買いに行って今仕掛けている。
18時には温かいシチューが待ってるからね~元気を出してね。
人は何時、どんな形で別れることになるのかはわからないこと。今こうしてても僕の方が先に逝ってしまう可能性もある。
出会った数だけの別れがあると言う。誰しも最後は独りで逝くことになるからだ。
ただ、いなくなった後に誰かの心の中に生きることが出来ることが出会いの素晴らしさなのかもしれない。と孫が生まれたことと母のことを見ながら感じる日でした。
まだ、逝かないでね~~~ また、元気復活してね~~~ と願いつつシチューを見に行くのであった。