今日は所用で信州大学旭町キャンパスに行ってきました。
ついでに、国の有形文化財に登録されることになった「旧松本歩兵第五十連隊糧秣庫(きゅうまつもとほへいだいごじゅうれんたいりょうまつこ)」を見てきました。
新聞などのデータによると、糧秣庫は広さ330平方メートルで赤れんが造り。
第五十連隊は徴兵された若者が戦地に行くまでの間、訓練を受けた部隊との事ですので、私の父もここでしばらく訓練を受けたのかもしれません。
戦争に関しては多くを語らなかった父です。
戦争に関しては多くを聞かなかった私です。
屋根に被さる様に咲く桜が平和な日本を象徴しているようでした。
今の我が住まいの近くには、かつて侵略した日本軍が建てた昭南神社がありました。今はジャングルに埋もれてしまっていますが、かつで探検したときには立派な石段が残っていました。
侵略は悪ですが、あの時代の日本人は凄いなあと思います。
この国は、戦跡をちゃんと残して教育しています。こないだも英国軍の司令基地だった地下壕に社会見学に来ていた小学校低学年の子供たちに出くわしました。
市内には里山辺地下工場跡もあるようです。
大学を卒業してから一年間、信州大学キャンパス内にいたのですが、その時はこのレンガ造りの建物には全く気が付きませんでした。
どんな歴史が刻まれているかは別として、このような建築物が残るという事はいいことだと思います。
大きさからして相当入るように思うのですが、
軍馬だけの餌なのでしょうか?
ヒョットスルト兵隊の食事の原料も馬のえさ並みの扱いでは?
赤紙一枚でつれてきていますので、馬並みの扱いを受けていたのかもしれません。
私の父は最後はシベリアへつれて行かれてしまいました。
何とか無事日本へ戻ってきましたので、私がいます。