中国のことわざ-277 刮目して相看る(かつもくしてあいみる)
刮目はかっと目を見開くこと。相手の変わり様に、その顔をしっかりと見直すこと。
良く変わる、進歩することのたとえである。
原典は三国志で「士、別れて三日なれば即ちまさに刮目して相待つべし」から生まれている。
これの意味するところは“男たる者別れて三日経ってみると、その進歩の大きさに目を見張るものがある”である。
関連するコトバとして以前紹介した「呉下の阿蒙」があります。下記をご参照ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/moguma1338/30626081.html
http://blogs.yahoo.co.jp/moguma1338/30513870.html
話は呉の孫権の勇将呂蒙にまつわる。呂蒙は、十五歳にして野戦に参加、しばしば奇計をもって戦功を上げ、野戦軍の副将軍に昇進した。
だが、彼の生家は貧しく、為に勉学の機会がなかったため、文字の読み書きができず、孫権に対する報告も口頭でしかできなかった。
ある日、孫権は呂蒙に言った。「君は軍事を管掌しているからには勉強しなければいけない。そうしてこそ、見識が増え思案、作戦にも筋が通る」
だが、孫権は答えた。
「軍事多忙で、時間がありません」
すると孫権は
「なんだと!君は私より忙しいというのかね。わしは若いときにも勉強したが、今日、統率者になってもなお「史記」「漢書」などの史書や「孫子」など兵法を読んで勉強している。君はそんなに若いのに、どうして勉強しないのか」
こうして呂蒙は大いに発奮し、日中はむろん、しばしば深夜に至るまで読書に励んだ。
数年して知謀の名将とうたわれた魯粛(ろしゅく)が呂蒙の営地を過ぎるとき、一日立ち寄って互いに蜀将関羽対策について語り合った。すると呂蒙は関羽と自軍の形勢について明確に分析し、見事な対策を提案したのである。
呂蒙はもはや武勇一辺倒の武将ではなく、一人の知謀にたけた将軍になっていたのである。魯粛はかっと目を見開いて、呂蒙の顔を改めて見直し、驚嘆の声を上げた。
「吾れ謂うに(おもうに)大弟はただ武略あるのみと。今に至れば、学識英博にして、また呉下の阿蒙に非ず」阿蒙の阿は若いときの呂蒙に対する愛称で、呂蒙ちゃんというニュアンスである。魯粛のコトバに対する呂蒙の発言が
「士、別れて三日なれば即ちまさに刮目して相待つべし」であった。
やがて呂蒙は関羽を麦城で大いに破り荊州を回復するという功績をあげている。
魯粛に対する呂蒙のコトバから「刮目相看」という四字成語が生まれ、現代中国でも使われているそうだ。意味は全く日本と同じである。
出典:田川純三。中国名言・故事人生篇、日本放送出版協会、1990年6月20日
刮目はかっと目を見開くこと。相手の変わり様に、その顔をしっかりと見直すこと。
良く変わる、進歩することのたとえである。
原典は三国志で「士、別れて三日なれば即ちまさに刮目して相待つべし」から生まれている。
これの意味するところは“男たる者別れて三日経ってみると、その進歩の大きさに目を見張るものがある”である。
関連するコトバとして以前紹介した「呉下の阿蒙」があります。下記をご参照ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/moguma1338/30626081.html
http://blogs.yahoo.co.jp/moguma1338/30513870.html
話は呉の孫権の勇将呂蒙にまつわる。呂蒙は、十五歳にして野戦に参加、しばしば奇計をもって戦功を上げ、野戦軍の副将軍に昇進した。
だが、彼の生家は貧しく、為に勉学の機会がなかったため、文字の読み書きができず、孫権に対する報告も口頭でしかできなかった。
ある日、孫権は呂蒙に言った。「君は軍事を管掌しているからには勉強しなければいけない。そうしてこそ、見識が増え思案、作戦にも筋が通る」
だが、孫権は答えた。
「軍事多忙で、時間がありません」
すると孫権は
「なんだと!君は私より忙しいというのかね。わしは若いときにも勉強したが、今日、統率者になってもなお「史記」「漢書」などの史書や「孫子」など兵法を読んで勉強している。君はそんなに若いのに、どうして勉強しないのか」
こうして呂蒙は大いに発奮し、日中はむろん、しばしば深夜に至るまで読書に励んだ。
数年して知謀の名将とうたわれた魯粛(ろしゅく)が呂蒙の営地を過ぎるとき、一日立ち寄って互いに蜀将関羽対策について語り合った。すると呂蒙は関羽と自軍の形勢について明確に分析し、見事な対策を提案したのである。
呂蒙はもはや武勇一辺倒の武将ではなく、一人の知謀にたけた将軍になっていたのである。魯粛はかっと目を見開いて、呂蒙の顔を改めて見直し、驚嘆の声を上げた。
「吾れ謂うに(おもうに)大弟はただ武略あるのみと。今に至れば、学識英博にして、また呉下の阿蒙に非ず」阿蒙の阿は若いときの呂蒙に対する愛称で、呂蒙ちゃんというニュアンスである。魯粛のコトバに対する呂蒙の発言が
「士、別れて三日なれば即ちまさに刮目して相待つべし」であった。
やがて呂蒙は関羽を麦城で大いに破り荊州を回復するという功績をあげている。
魯粛に対する呂蒙のコトバから「刮目相看」という四字成語が生まれ、現代中国でも使われているそうだ。意味は全く日本と同じである。
出典:田川純三。中国名言・故事人生篇、日本放送出版協会、1990年6月20日