朝ドラ、トト姉ちゃんをを見ていて思ったが、アメ横の場面が良く登場する、何か描き方に違和感を覚えるのだが。
当時はお金があってもものが手に入らない時期であった、アメ横で進駐軍の兵士が毛布を売りに来る、そこに大勢群がるわけだが、うちのおふくろが自慢げによく話すにころによると、女ではとても前のほうに行けないしそれでも毛布は欲しい、そこで一応十文字女学校出ていましたから、プリーズギブミーとのたまわったらスッと1枚売ってくれた、他にはチョコレートを買う時もそれを言ったらまた手に入った。英語を話すにはとっさのとんちみたいな柔軟性が必要なんだな、かっこなんかつけていたら会話など出来ない。
毛布は姉のオウバーになって寒さをしのぐことができた。
アメ横でイワシをバケツで買ってきて千早町の借家の前に置いておいたらどこぞの男の方がこれを少し分けてもらえませんかと言われた、それがきっかけで浦安に魚を仕入れに行って売るようにした、そうしているとお米はないのかとかいろいろ言われて、だんだん色々なものを売るようになった。おふくろの後日談では自分の家まで運ばないでアメ横でさばいたほうが良かった、店も持てたかもしれない。
食糧難の時期交換してもらう着物もないが、この俺小学1年生を連れて農家に飛び込み米を分けてもらうわけだがその時にあせもだらけのこの俺が役に立つわけです、同情してくれたようだよ。トト姉ちゃんの買い出し描写などはよく描けてないよ、当時の事あまり知らないのでは。
夏の暑い日に食券があるので並んでやっと雑炊にありついたのだがなんだかまずい汁に少しだけふわふわするものが浮いている代物で、暑いところを並んで損したなと思ったよ。
何回も聞かされた話としては俺がまだおんぶしてもらうような時期に買い出しに行って満員電車のドアに俺が後ろ向きになってしまったそうな、このままドアが開いたら後向きに倒れてしまいそうだった、そこで電車の揺れるたびに向きを少しずつ変えて何とか横向きになって倒れないで済んだそうだ。またある時は電車が止まってくれてみんなが立ちしょんするのだが、おふくろはたちしょんとわいかず、大声でその缶を取ってくださいと言って何とか用を足すことができた。
親父は読売新聞に勤めていたが薄給だったのでそれだけでは食えないので、鶏を飼って卵を売ったりしていた、魚のあらをもらってきて糠やフスマに混ぜてやると喜んで食べていた、しかしそういうものを食べさせると卵を産まなくなってしまい、なれちゃんという名前のめんどりをある時鶏肉にする人に締めてもらった、名人芸とでも言いましょうかちょっと首をなぜていたかと思ったらもう終わっていた、さばいてみたら卵の周りに脂肪がついてしまっていたこれでは卵を産めないのだな。
苦労した割にはもうからず鶏糞を乾燥させて売った分だけがもうかったのであった、次は うずらの卵が高く売れるというのでそれを飼った;うるさいのとすり餌なので口の周りにつく餌を払い落とすので首を振って周りは餌だらけになり汚かった、ピョンピョン跳ねるので頭は剥げてしまう、これも軌道に乗るころには値段が下がって赤字になった。
今思えば親父は器用だったな、鶏を孵すふ卵器をつくたったしヒヨコを育てる箱も作った秋葉原でヒーターになるものを買ってきて作ったのだ。
アメの作り方も知っていてガスで長いことにて水あめを作るんだできる頃はいいにおいがするんだ、外にも当然匂いはする、鍋いっぱいの水あめを柱に取り付けた木のアームに晒し粉か上新粉だったかをつけて水あめをそこでひっかけて引っ張って空気を入れて白くする、ピーナツを刻んで混ぜるとヌガーアメが出来上がる、それを伸ばしてカットしてアメ横で買ってきたアメをくるむきれいなものにくるんで出来上がり、あまりのうまさに近所のお金持ちが良く買いに来た、姉と二人で学校から帰るとついそれを食べすぎてしまい赤字になってしまい駄目になった、そのころになると森永ミルクキャラメルなども出てきたし、もっとまずいヌガーアメも出回ってきた、欠点は暑くなると柔らかくなってしまうので寒い時期しか商品にならなかったかな。長年生きてきたがこれより美味いアメにはついぞお目にかかっていない。
甲東出版にいる社員及川光博は柴田錬三郎であるそうだ、顔のイメージが違うが。