曠野すぐりBLOG 「小説旅日記」

「途中から読んでも内容の分かる連載小説」をいくつか、あと日記を、のんびりと載せていきます。
 

115系満喫の旅(TSUBAMEツアー) その15

2013年10月09日 | 電車のお話
【その15】
 
箱根ヶ崎を出ると、列車は埼玉県へ。
 
この辺りは平坦で住宅が少ない。多摩川を渡ってからの五日市線だって同じなのだが、県境だからだろうか、それともお茶畑がそう感じさせるのか、なんとなくこちらの方が雑然としているように思わせるのだ。ほったらかし、という印象を受ける地域だ。
しかし撮影には適しているようで、カメラがたくさんこちらに向けられている。八高線内に115系という状況を撮りたいということもあるだろうし、時間も昼近くと手頃な感もある。とにかく箱根ヶ崎を出てしばらく走ってからは、ずらりとカメラが並んでいるといった様相なのだ。
 
乗客たちはぼんやり眺めたり手を振ったり。思い思いだ。私はちょうどよい頃合いなので、弁当を食べながら車窓を見ていた。
 
ツアーのパンフレットには時刻表の他にもいろいろと書かれていて、そのなかに「115系について」というページもある。そこには以下のように書かれている。
「寒冷地・山間部・急勾配路線に対応するように設計され1963年から1983年まで、1921両製造されました。
113系と基本的な部品を共通化し、耐寒・耐雪構造と勾配対策を施したのが115系です。
改良を重ねたため同一形式でありながら多くの車種が存在しています。
国鉄からJR東日本、JR東海、JR西日本へと継承され、一部はしなの鉄道、伊豆急行へ譲渡されました。JR東海と伊豆急行所属車はすべて廃止となっています。
JR東日本エリアでは八王子支社、長野支社、高崎支社、新潟支社エリアで活躍中です。
みなさまが乗車いただいている豊田車両センター所属の115系は3両編成が基本ですがM40編成は6両貫通編成で他の編成とは異なっています。基本的に定期運用には用いられず波動輸送中心で運行されていましたが2013年9月をもって使用終了となる予定です。
編成に組み込まれているサハ115-319は現存する唯一の300番台サハという特徴をもっている編成です」
 
中央線沿線で毎日のように見ていた白と紺のツートンカラー。あんまり意識したことはなかったのだが、なくなっていくと、ひしひしとさびしさを感じる。
 

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