下関から門司まで乗った私は、乗り換えて門司港に向かった。
機関車と貨物と入り組んだ線路の中、普通列車は西日を受けながら進んでゆく。
この旅行で私は極力写真を撮らないようにしていたが、ここで撮影を控えてしまったのは失敗だった。この景色を残したかったと、後にずいぶんと後悔した。でも当時は、写真ではなく頭の中に見たものを刻むことこそが、旅の味をより深めると考えていたのだから仕方がない。
私は、当時走っていた、西鹿児島までの夜行急行の指定席券を押さえると、港に向かった。
途中、弁当屋で弁当を買い、夕日で赤く染まった道を歩いていった。
コンテナが積まれている、ひとけのない港に着き、私は海に向かって座った。
うしろに手を付いて、ちょっとそっくり返るようにして港全体を眺める。夕方で作業を終えているのか、周囲に動いているものはなかった。コンテナ、倉庫、フォークリフト、トラック……。
なんか、ここで汗みずくになって働いて、ここの景色だけを目に焼きつけながら一生をすごす人もいるんだろうな、とぼんやり考えた。「どんづまり」、という言葉も想起させた。
当時の門司港は、ひょろひょろの高校生にも人生の悲哀というものを感じさせてくれる、そんな圧倒的な景観を持っていた。
私は気だるさの中、もそもそと弁当を食べた。
駅に戻り、私は夜行急行に乗り込んだ。昼間寝たから、私は熊本辺りまで寝ないでじっと車窓を見ていた。
(続く)