曠野すぐりBLOG 「小説旅日記」

「途中から読んでも内容の分かる連載小説」をいくつか、あと日記を、のんびりと載せていきます。
 

〔門司港〕  枕崎へ (3)

2010年09月28日 | 電車のお話
 
下関から門司まで乗った私は、乗り換えて門司港に向かった。
 
機関車と貨物と入り組んだ線路の中、普通列車は西日を受けながら進んでゆく。
この旅行で私は極力写真を撮らないようにしていたが、ここで撮影を控えてしまったのは失敗だった。この景色を残したかったと、後にずいぶんと後悔した。でも当時は、写真ではなく頭の中に見たものを刻むことこそが、旅の味をより深めると考えていたのだから仕方がない。
 
 
私は、当時走っていた、西鹿児島までの夜行急行の指定席券を押さえると、港に向かった。
 
途中、弁当屋で弁当を買い、夕日で赤く染まった道を歩いていった。
 
コンテナが積まれている、ひとけのない港に着き、私は海に向かって座った。
うしろに手を付いて、ちょっとそっくり返るようにして港全体を眺める。夕方で作業を終えているのか、周囲に動いているものはなかった。コンテナ、倉庫、フォークリフト、トラック……。
なんか、ここで汗みずくになって働いて、ここの景色だけを目に焼きつけながら一生をすごす人もいるんだろうな、とぼんやり考えた。「どんづまり」、という言葉も想起させた。
当時の門司港は、ひょろひょろの高校生にも人生の悲哀というものを感じさせてくれる、そんな圧倒的な景観を持っていた。
 
私は気だるさの中、もそもそと弁当を食べた。
 
 
駅に戻り、私は夜行急行に乗り込んだ。昼間寝たから、私は熊本辺りまで寝ないでじっと車窓を見ていた。
 
(続く)
 
 

〔下関〕 枕崎へ (2)

2010年09月21日 | 電車のお話
 
三石から三原行きに乗り換えた私は、徹夜で話し通した疲れが出て、すぐに眠り込んだ。
初めての遠距離一人旅で、さまざまな車窓が記憶に残っているが、そのようなわけで岡山周辺の記憶はまったく残っていない。
 
 
三原で食料を調達した私は、呉線に乗り換えた。
食糧を調達したのは、山陽本線から外れれば車内もガラガラで、ゆっくり食べられるだろうと思ったからだ。
しかし結果として、私は買った食べ物をゆっくり味わうことができなかった。読みのとおり呉線はガラガラだったのだが、車窓がすばらしすぎてモノを味わうどころではなかったからだ。
 
午前の爽やかな夏の日差しの中、瀬戸内海が目の前に迫る。電車のすぐ下が波打ち際なのだ。澄んだ海がきらきら光って、直視できないほどだった。その後さまざまな鉄道に乗って車窓を楽しんだが、このときの呉線が最もきれいな眺めとして印象に残っている。
 
 
広島に着いて、駅弁を買った記憶がある。呉線内で食べているにもかかわらず、だ。きっと口に食べ物を入れただけで、食べた実感がまったくなかったのだろう。
岩徳線や宇部線にも乗りたかったが、なんとなく山陽本線を乗り通してしまい、夕方、本州の端、下関に着いた。
 
関門海峡用の気動車、EF81のステンレス型を見て、ようやく辿り着いたなぁと実感した。
 
(続く)
 
 

〔三石〕 枕崎へ (1)

2010年09月20日 | 電車のお話
 
今年の夏は長かったが、ようやく秋がやってきた。
 
暑いのがまったく苦にならず、その分寒さには極端に弱い私にとって、一年で最もさみしく感じる時期だ。あと何回夏をすごせるのだろう、などとつい考えてしまう。
 
夏、太陽がぎらぎらしているときは、高校のときに行った枕崎への旅行を思い出す。初めての一人での遠出だったので、かなり経っているが今もって強く印象に残っているのだ。
その年は枕崎だけでなく海や湖にたくさん行った記憶があるので、おそらく今年のように暑い夏だったのだろう。
 
 
その枕崎への旅行、鈍行を乗り継いで行った。夏休みのある日、東京駅から東海道線の普通列車に乗り込み、延々西へと向かったのだ。
 
静岡の辺りで、同じボックスシートに座っていた、孫を連れたお年寄りと仲よくなった。
いろいろ話をしているうちに、よかったらウチに泊まりにこないかと誘われた。旅の展開としては面白い。私も乗り気になったが、金谷から大井川鉄道に1時間乗って、さらに迎えの車で30分以上かかるという。今後の予定が大幅に狂いそうなので、残念ながら辞退した。
 
夕飯は米原で鱒ラーメンなるものを食ったが、これはまずかった。まずい予感はしたのだが、旅のノリで頼んでしまったのだ。でも、あの時勇気を出して食べたからこそ、こうやって後々まで語れるのだ。
 
姫路が終電の終着駅で、私は駅で夜を明かした。構内にはもう一人おじさんがいて、私と同じように鉄道を乗り継いで旅をしていると言う。意気投合して一晩中鉄道の話をしているうちに、すぐ朝になってしまった。
そのおじさんはシャレていて、名前も告げずにサヨナラしようと言う。私は西に、おじさんは東に、駅をあとにした。あのおじさん、今も元気に旅をしているのかなぁと、これも夏になると考える。
 
姫路始発の電車は岡山行きだったが、途中の三石で降りれば、三石始発の三原行きにすぐ接続できる。三原まで乗り換えなしで行けば楽だし、そこから呉線に乗り換えられる。私は三石で電車を降りた。
 
三石は、この駅始発の電車がけっこうあるというのに、寂びれた駅だった。乗り換えの十数分であわよくば食料調達をと思っていたが、駅前には何もなかったので駅でぼんやりしていた。
 
 
(続く)