曠野すぐりBLOG 「小説旅日記」

「途中から読んでも内容の分かる連載小説」をいくつか、あと日記を、のんびりと載せていきます。
 

小説・死者ノ遺産ヲノムナ  (6)

2012年11月05日 | 連載ミステリー&ショートショート
《2012年秋のGⅠの日に更新していく競馬小説》
 
 
(6)
 
 
「いったいどうしてくれるんだよ」
皆の前で山浦に吊るし上げをくった時のやり取りを、いまだに夢でよく見る。日常の中でも、ふとその場面を思い出す。特に月に一度、山浦へ送金するために振り込み手続きを取る時に、鮮明に思い出してしまう。
 
もうずっと前になる。あれは何のレースだったか。前日発売があったからGIレースであったことは間違いない。当時はGIレースしか前日発売がなかったのだ。山浦だけでなく、会社の連中数人から馬券を頼まれていた亮一はその土曜、仕事が終るといつものようにまっすぐアパートに戻った。同僚などと飲みに行くより、一人で競馬新聞を眺めながらチビチビやる方がよっぽど気持ちが和らいだ。
自分の馬券はしっかり検討してからにして、まずは頼まれている分のマークカードを、あらかじめ塗りつぶした。全部を合わせるとけっこうな額になったが、ちゃんと金は預かっているので問題はなかった。
 
問題はその後起こった。といっても、その時は別段問題だったわけではなく、あとで思い返してみると、といった出来事だ。
11時過ぎに電話が鳴った。
「ごめんね、夜遅くに」
女の声が言った。
「いや、大丈夫。土曜日だから」
「でしょ、だからねえあたし、今日ノンなの」
それは、ノンアルコール、という意味だった。同じ内容の電話を何度もしているので、縮めて符丁のようになっているのだ。
女は亮一がたまに行くスナックのホステスで、ほんの時おりだが、週末に亮一をドライブに誘ってきた。
亮一を誘う日、女は客をうまくあしらってアルコールを入れない色の付いた水でごまかし、明け方のドライブに出るのだった。
それが女の、ストレス発散法だった。渋滞のない道を飛ばし、助手席の男に愚痴をこぼす。
亮一は聞き役だった。女は機知に富んだ返答など求めてなく、ただ話に頷いてくれる者で十分だった。
 
その日も女が来たのは、間もなく夜も明けようかという時間だった。少し微睡んでいた亮一は車の音に気付くと、アパートの階段を降りて行った。
「ごめんね、いつも遅くて」
「うん。仕事だったんだから、しょうがないよ」
女はもう一度謝ると、車を飛ばした。
 
中央道に入り山梨方面へ向う。女は客や同僚、店のオーナーとのさまざまな出来事を、辛辣な口調で話し続ける。亮一はその一つ一つに相槌を打つ。別に反論することもない。彼女の言い分は間違ってなどいないのだから。
それよりも亮一にとって気掛かりなのは馬券のことで、女は今日、かなり突っ走りそうな雰囲気だった。
 ――まぁいざとなったらどっかの駅で降ろしてもらって、立川の場外馬券場に駆け込めば大丈夫だろう。場合によっては石和場外でもいいし。
そう考えていた亮一だが、意外なことに女は大月のジャンクションで河口湖に進路を取った。女のドライブは飛ばしまくることが目的で、いつもは観光地を避けていたからだ。
 
女の行動に流されているうちに10時になってしまった。中央競馬の第1レースが出走する時間だ。そろそろ言わなきゃ、と思ってはいるものの、中々言い出せない。
「そろそろ、行きましょうか」
女の声に帰るような響きを感じ、亮一はホッとしながら車に乗り込んだ。混んでいたら大月で降ろしてもらおうと考えた。
 
走り出してから女は無言だった。そして、ふぅと大きくため息をついた後、急に車を小道に突っ込んだ。
小道の先にはホテルがあり、女はそのホテルに入り込んだ。エンジンを止めると、亮一の方に顔を向け、じっと目を見つめた。
けばけばしい部屋に入りながら、亮一は覚悟を決めた。頼まれた馬券を買わないで懐に収めてしまうことをノミ行為というが、亮一は、よし、ノんでしまおう、と思ったのだ。ノんでしまって、もし的中していれば自腹を切って払わなければならないが、どれも大した金額にはならなそうだった。
一番厄介そうなのは1点3万円で勝負している山浦で、いきがっている男だけに何かトラブルがあるとうるさそうだが、人気馬2頭がそれぞれ入っている枠連の大本命馬券なので、ついても3倍程で、10万くらいなら一括で補える。
 
その日アパートに戻ったのは夜9時を過ぎていた。一応ビデオをセットしておいたので、亮一は缶ビールを開けながら、レースを観てみた。
スタート直前のゲート前で馬が輪乗りをしている。そこに出走馬のテロップが映り、亮一はぎょっとして目を大きく剥いた。
マッチレースと前評判の人気両馬のうちの1頭が、出走取り消しになっているのだ。亮一は胸騒ぎを覚えながら、レースのビデオを睨みつけた。
 
こういう胸騒ぎは不思議と的中するもので、一本かぶりの人気となった馬が直線で抜け出し、混戦の2着争いは最内からするすると、取り消した人気馬と同枠の穴馬が差してきたのだった。
ゴールシーンを見た瞬間、亮一は視界が真っ暗になった。どうやら人気馬が取り消したのは今朝で、取り消された後のその枠は全く売れていなかった。当然だ。人気薄1頭だけの枠になっていたのだから。
「代用品が来やがった」
亮一は思わず吐き捨てるように呟いた。
配当は枠連で80倍。土曜の時点で3倍ちょっとの、1番人気の枠連だったのに、だ。これで亮一は明日の朝、山浦に240万円ほど払わなければならなくなってしまった。
 
それから一週間後、亮一は会社に辞表を提出した。居心地も待遇も亮一にとって申し分ない会社だったが、仕方がない。亮一は退職金から取りあえず20万を山浦に渡し、残りは月2万円ずつ振り込みますという誓約書を、その金に添えたのだった。
 
 
(つづく)
 
 

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