曠野すぐりBLOG 「小説旅日記」

「途中から読んでも内容の分かる連載小説」をいくつか、あと日記を、のんびりと載せていきます。
 

サラさんのこと

2011年01月31日 | 呑む・飲む・読む
 
ちょっと思い立って、今年は毎日ブログを更新してみることにした。
とりあえず、今日で1ヶ月。12分の1はクリアできた。
 
 
 
昨年1月に、通信販売のフェリシモさんから一通の手紙が届いた。それは第13回フェリシモ文学賞の入選通知で、優秀作に選ばれたとの内容が記されていた。
 
これはうれしかった。フェリシモ文学賞は原稿用紙5枚制限の短編を公募する賞で、星新一さんのショート・ショートから本好きになった私は短編に思いが強かったからだ。
賞金は大賞と優秀賞までだが、毎年出版される作品集には載るとのことだった。
 
 
フェリシモ文学賞に送ろうと思ったのは、サラさんという方のブログを見たからだった。
 
サラさんは前年の第12回の大賞受賞者で、作品を応募するところから表彰されるまで、数回に分けてブログに載せていた。サラさんのブログは絵日記で、それが実に面白く、私も同じ舞台に参加してみたいと思って作品を送ることに決めたのだ。
私はサラさんと違って大賞は取れなかったが、サラさんの翌年の作品集に載ることができてよろこんだ。
 
作品集は掲載されたということで無料で送られてきたが、私はサラさんの大賞作が読みたくて、第12回の作品集を購入した。
 
 
大賞受賞者は翌年の選考にも加わる。なので、第13回にはサラさんも選考委員の一人になっている。作品集には選考の過程や選評が載っていて、そこでサラさんに、ほんの僅かだが自作に触れていただいた。なんだかその部分を読んだときにハナマルを付けたい気分になったが、フェリシモ文学賞作品集は装丁がきれいで紙質もいいので、もったいなくて思いとどまった。
 
 
サラさんの「サラサラ絵日記」には、もずくさんというネコが出てくる。私は携帯電話でそのブログを見ることが多いが、どうにも携帯電話の粗い画像のせいだと思うのだが、サラさんの書いた絵の方が実物のもずくさんよりかわいく見えてしまう。きっとそんなことはないと思うのだが。
 
 

慈光寺探訪(5)

2011年01月29日 | 彷徨う
 
観音堂に着く。駐車場はずっと下だ。
 
今まで通ってきた施設より観音堂は大きく、その敷地も広い。山に張り付く場所で、この平地の広さはなかなかのものだ。
 
年配の女性の団体がいたが、駐車場へと直に向かえる急な階段を降りていった。
 
私は観音堂の前に立った。こんな場所に住んだら、いろんなわずらわしさから解放されてのんびりできるかもしれない。でも果たして、それが何日もつだろうかという気にもなる。酒も肴も手に入りにくいだろうし。と、こう考えてしまう時点でここに住む資格などないだろう。
 
それにしても、久々に目にする雄大な景観だ。東京に住んでいると、タワーか高層ビルにでも上らないとなかなか目にすることはできないし、それすらも住宅地の俯瞰で、自然の眺めからは一段落ちる。
 
こういったところで残念なのは山の中腹のゴルフ場で、妙に緑が目立って景観にアンバランスな感じを生じさせる。プレイしている方だって難コースだろうに。でも料金は安いのだろうな、とも思う。
 
 
冷えないように足踏みしたり歩き回ったりしていたが、寒さが体の心にまで入り込んできた。私は駐車場に帰ることにした。
 
再び石段を通る。猫はまだ日向ぼっこの最中で、さっき一度見た顔だからか、一瞥するとすぐに顔を埋めた。
 
 
一時間もいなかったのに、車の中は冷えていた。私はコートを着たまま車に乗り、山道をゆっくりと下って行った。
 
 
(おわり)
 

慈光寺探訪(4)

2011年01月28日 | 彷徨う
 
上に続く道には、石段が整備されている。少々急だが、段ごとに平地になっているので山道よりも歩きやすい。
 
以前、夏に来たときには鬱蒼としていたが、この時期は枝に葉がなく、空や周囲がよく見える。石段の両側も枯れ草で、ひんやりした空気がより寒々しく感じる。
 
 
その枯れ草のところに、一つカンバンが立っていた。「著莪群生地」と書かれている。私は草木に疎いのでどういうものか分らないが、その文字と語感が古刹に合っている。
なんとなくハスの葉のようなものを連想したが、帰って調べたらアヤメの一種とのことだった。
 
 
それにしても、この現代においてもこの地は山深くて気候が厳しい。673年に開基したと案内に書かれていたが、それ以降ここに住んだ人たちは苛酷な寒さにも耐えていたのだろう。いつもは下界でだらしなくすごしている私だが、冬にここを訪れると、さすがに日々の生活を反省してしまう。最も帰ればすぐに忘れてしまうのだが。
 
 
ここを上がりきると観音堂になる。

慈光寺探訪(3)

2011年01月27日 | 彷徨う
 
駐車場から、なだらかな砂利道を上がっていくと本堂の阿弥陀堂だ。
 
男の人がガラス戸を開けて体半分入り込み、すみませんと声を張り上げて中の人を呼んでいる。平日なので、奥の方に引っ込んでいるようだ。
 
私はそこを通り過ぎる。本堂の横は住宅になっていて、玄関に猫が日向ぼっこをしていた。踏みしめる石段の隙間には氷が張っていて、垣根の下には雪も小さく残っている。猫は寒がりだろうが、ここに住んでいると寒さに慣れてしまっているのか。でも猫の下には小さな座布団が敷かれていた。
 
こういったところで動物を見かけるのはいいものだ。いちばん馴染むのは柴犬だろうが、猫も合っている。しばらく見ていたら、もう一匹現れた。寒さのせいか、毛がもこもこになっている。
 
 
宝仏殿は閉まっている。私はいつも時期外れに来るので、ここが開いていることはない。見物ではなく、山寺の閑散とした雰囲気を味わいに来ているので、開いていなくても別に構わない。
 
私は観音堂の方へと登っていった。
 
 
(続く)
 


慈光寺探訪(2)

2011年01月26日 | 彷徨う
 
明覚駅を出た私は、県道30号を突っ切って東秩父村方面に向かう。
都幾川が寄り添ってきて、道幅がせまくなる。そして大きな三叉路をすぎると慈光寺の案内が出て、それにしたがって右折した。
 
そこからは山道になる、車線はなく、大型車同士ではすれ違いができない幅員。右側は崖になっていて、途中ガードレールが切れているところがある。急カーブの連続で見通しが悪い。私はスピードを落として慎重に進んだ。
 
かなり登ったところで、ようやく慈光寺の駐車場に着く。下の一般道からここまで、地図を見ると1、5キロほどの距離がある。曲がりくねった道なので実質2キロ以上あるだろう。車でスイスイ上がって来てしまって、なんとなく申し訳ない気持ちになる。
 
 
駐車場の案内板を見る。この慈光寺は、本堂などたくさんの施設があり、点々と山に張り付いている。何度か来ているので分っているのだが、実に奇妙な全体の構成だ。1300年の歴史があるお寺で、以前はもっと多くの施設があったとのことだ。私は案内板に携帯電話を向け、パチリと一枚撮った。
 
 
少し雲があるものの、晴れていて気持ちいい。かなり上がってきているので、遠くに街並みが見える。高いビル群は新宿かもしれないと思ったが、まぁ入間か所沢といったところだろう。
 
私は本堂に向かうべく、山道を歩き出した。
 
 
(続く)