曠野すぐりBLOG 「小説旅日記」

「途中から読んでも内容の分かる連載小説」をいくつか、あと日記を、のんびりと載せていきます。
 

小説・立ち食いそば紀行 立ち食いそばの心得(後編)

2014年02月20日 | 立ちそば連載小説
 
《主人公の「私」が、各地の立ち食いそば屋を食べ歩く小説です》 
 
 
立ち食いそばの心得(後編)
 
わたしはトレーを受け取り、代々木駅の改札が見える窓側の席に座る。そしていつものように基本どおり、肩を丸めて食し始める。この肩を丸めるというのは立ち食いそばにおいての基本中の基本スタイルで、食べ歩きをする人間であれば必ず身に付けていなければならない心得の一つだ。
この肩を丸めるスタイルというもの、味を引き立てる役にも立っている。このスタイルで食すと、どういうわけかそばがより美味しく感じるのだ。
立ち食いそば屋は街中にたくさんあるので、いついかなるときに入店するかも分からない。だから基本スタイルをサッと取れるよう、街を歩いている段階から肩を丸めているのがベストだ。わたしは何時いかなるときも肩を丸め、クセをつけている。
 
なので、わたしは季節の中で冬が好きだ。なにしろ寒いので、肩を丸める姿勢が不自然に映らない。肩が凝るということが難点ではあるが、酷寒の時期はおおっぴらに肩を丸めることができるのだ。
いやいや待てよと、そこでわたしは思う。肩を丸める格好は「おおっぴら」という言葉にそぐわないので、これはヘンな言い方というものだ。
ということで、頭の中で言葉を置き換える。そうそう、「誰はばかることなく」と言った方がいいかもしれない。しかし、これも待てよと思う。肩を丸くするのは本人の勝手なので、もとより誰はばかる必要はないはずだ。じゃあなんと言えばいいのだ、とわたしは悩んでしまった。日本語のなんとむずかしいことか。そして考えた末、そうか、「肩を丸めて歩いてもおかしく見えない」とすんなり言えばいいだけのはなしか、と気付く。そう、これでいい。安堵したわたしは、再びそばに集中する。
 
ミニ豚しょうが丼もなかなかだが、寒いのでそばの進みが速い。このままでは汁まで飲み干しても、丼が余ってしまいそうだ。
そこで食指を誘うために、丼にも唐辛子をかける。たっぷりと。寒い時期は、やはり辛味だ。
 
店内に機械音声の番号が流れる。外の券売機で誰かが購入したのだ。比較的若い番号だったので、入店してくる客はシンプルなメニューだろう。
わたしは丼を食し終え、次いでそばも片付ける。さぁ、残るはそばの汁だ。
汁そのものでも美味しいが、少し固形物があればそれに越したことはない。そこでわたしは、食しているときにちょっとした細工を施すことにしている。ほんの少しだが、プチプチとそばを切っておくのだ。そうすることによって、汁に切れ端が多く沈殿する。最後に汁を味わう段になって、その切れ端が生きてくることになる。
 
わたしは軽くかき回し、ネギと唐辛子とそばの切れ端が泳ぐ汁を、腹におさめていったのだった。
 
(立ち食いそばの心得・おわり)
 

小説・立ち食いそば紀行 立ち食いそばの心得(前編)

2014年02月19日 | 立ちそば連載小説
《主人公の「私」が、各地の立ち食いそば屋を食べ歩く小説です》
 
 
立ち食いそばの心得(前編)
 
ここのところ、わたしは歯医者にかかっていた。子供の頃から苦手なので多少問題があろうとも足を遠ざけていたが、このところ右下の奥歯の痛みが増してきていた。これはもう行かざるを得ないということで、泣く泣く通い始めたのだった。
何十年も歯医者から逃げていたせいで、痛みの出ているところだけでなく全体的にボロボロになっている。レントゲンを取ると、まもなく神経に到達! という進捗状況の虫歯が数本あるというのだ。よく今まで痛まなかったなぁと、歯科医にヘンな感心をされたほどだった。
 
8020運動などとっくに縁がなくなっているが、それでも片っ端から治すしかない。総入れ歯などということになれば飲食の味も大きく変わってしまうことになる。これからも立ち食いそばを味わうためには、最低限、口腔内のケアをしておくことは心得として重要なことだ。
 
この日の治療は犬歯ということで、根っこが長いのでかなり強い麻酔を打った。なのでかなりの時間、麻酔が切れない。治療が済んだら書店に入って時間をつぶし、その後に立ち食いそばとパターンを決めているわたしだが、この日はそうはいかなかった。麻酔の効いている間は食べてはいけないと注意を受けている。感覚がないので、噛んで血が出たりしても分からないという危険があるからだ。
 
そこでわたしは山手線に乗りこんだ。土曜の昼間ということですいていて、大きなターミナル駅に着く直前にがらがらになった。そこですかさずロングシートの端に座り、目をつぶった。しばらく眠って麻酔を切らし、目覚めた駅で立ちそばを食べようというハラなのだった。
このところの寝不足でぐっすり寝込んだようで、起きたら麻酔のあの曖昧な感覚が消えていた。これなら食せると思い、わたしは次の駅でさっと降りた。
 
歯の痛みはないが、今度は首が痛い。電車での眠りは首が前にたれ、それが固まってしまうのだ。普段から肩を丸めているわたしにはより負担となる。
降りたのは代々木だった。駅前に立って見渡すと、左側に富士そばと吉そばがあった。しばし迷い、富士そばがすいていたのでそちらを取った。
空腹だったので、珍しくセットにする。
 
富士そばの優れているところは、券売機が発券と同時に作り手に番号を伝えることだ。その機械の発する音声を元に、作り手はそのメニューにすぐ取り掛かる。客が食券を手渡すまでの時間的ロスを省けるということで、これは地味だが大きな効果を上げているのだ。すばやく、ということに価値を置く立ち食いそば屋ならではの、見事な改革だとわたしは評価していた。
 
(つづく)
 

小説・立ち食いそば紀行  駅ナカ店舗にて

2014年02月11日 | 立ちそば連載小説
《主人公の「私」が、各地の立ち食いそば屋を食べ歩く小説です》
 
 
この日は、わたしには珍しく駅ナカのそば屋で食していた。
 
 
最近の鉄道構内の立ち食いそば屋には目をみはるものがある。立ち食いそば屋に目をみはる人生というのも悲しいものではあるが、しかし実際に、以前の店舗とは見ちがえているのだからしょうがないところだ。
もうパッと見た感じ、きれいでスペースもゆったり取ってあるのが分かる。おススメの一品がカラー写真で貼られていたり、内装が木目調だったりと、お客さまを丁寧に扱いますよという意識がしっかり感じられる。それまで駅そばに持たれていた、とりあえず腹になにかつめ込むための場所、というイメージは完全に払拭されてしまっているのだ。
 
ということでわたしはその日、喫茶店と見まごうばかりの店舗で、座ってゆっくりと食していた。
休日の昼前ということで客はまばらだ。せっかくそんな状況なので、わたしは4人掛けのテーブル席で七味唐辛子をたっぷりかけて味わっていた。
そこに、問題の男が来た。
その男は入って来て券売機で暫時悩み、食券を買った。そして購入したそれを、受付でおばちゃんに「そば」と言いながら差し出した。ここまではなんということもない。普通だ。
ややあってそばができあがり、おばちゃんはトレーに乗せて「どうぞごゆっくりお召し上がりください」と言いながらずいっと前に出した。
すると男はそれを手に取りながら、
「いやぁ、ゆっくりはしたいんですけどな、そうもいかないんですわ。電車があと10分で出ちゃうもんでねぇ」
と、おばちゃんにはっきりと伝えた。
唖然とするおばちゃん。しかし男は構うことなく、トレーを持ってわたしのとなりの4人席についた。
 
男の言葉は正答である。ゆっくりと勧められて、できない旨を伝える。とても律儀である。しかしなにぶんここは立ち食いそば屋。おばちゃんの言葉はあくまでマニュアルに沿った慣用句なのだ。真に受けずに無言でトレーを受け取るのが一般的というもの。おばちゃんが固まってしまうのも分かろうというものだ。「じゃあ今度ね」と言ったら「今度っていつでしょうか?」と聞き返されるようなものだからだ。
 
からかったのかなと思い、わたしは横目で男を観察する。しかしおばちゃんに目を向けることもなく、表情も崩していない。いたって普通の表情で水を飲んでいる。なにごともなかったかのように…。
しかし男は今度、箸を咥えると「プチン」と呟いた。そして食べだす。これまた不思議だ。呟くのも不思議だが、問題はそこではない。こういったチープな店ではよくある割り箸の割り方であろうが、この店舗、割り箸ではなくプラスチックの箸なのだ。
男は箸のパフォーマンスのあともわたしを見るでもなく表情を崩すわけでもない。ずり落ちたメガネをときおり直しながら淡々と食している姿は、いっぷう変わったそれらの行為をごく自然なことのように思わせてしまう雰囲気があった。言ってみれば「天然」ということなのかもしれない。
 
わたしは男がさらになにかやるかと思い、完食後も楊枝を使ったり水を汲みに行ったり時間を稼いだが、それ以降不思議な行為はなかった。
トレーを返却口に置いた男はガラス戸を開けて店を出て行った。わたしは男の背中を見ながら、またどこかでお目にかかろうと心の中で囁いたのだった。
 
 
(駅ナカの店舗にて おわり)
 

小説・立ち食いそば紀行  ジャパンカップの日(3)

2012年12月16日 | 立ちそば連載小説
《主人公の「私」が、各地の立ち食いそば屋を食べ歩く小説です》
 
 
ジャパンカップの日(3)
 
 
広い府中競馬場のこと、場内には数ヶ所、立ちそば屋がある。
最も辺鄙な場所にあるのは東門からすぐのところにある店舗で、府中本町駅と繋がっている西門からだと1キロ近く歩かされる。
この店舗は、おそらく遠いからだと思うのだが、ずっと昔は他の店舗より100円安かった。当時は立ちそばに味の差などなかったので、金額に惹かれて歩いていったものだ。
 
わたしは久しぶりにその東門へ行ってみようと足を向けたが、途中気が変わって、パカパカ「夢Q舎」の前で立ち止まった。
以前はこのアミューズメント施設が馬券売り場だったので人の流れもあったが、今は閑散とした場所となっている。メインスタンドの混雑ぶりでちょっとぐったりなっていたことから、ここの空きようが心地好く感じた。ここなら気持ちよく食せそうだと思い、「夢Q舎」の前の店舗にチケットを出し、肉そばを注文した。
肉そばは490円。おつりは出ないという店員に構わないと告げ、わたしは渡された肉そばに七味をかけて立ち食い用のテーブルに移動した。
 
小諸や富士を食べなれた身にはとてもとてもチープに感じる味。しかしこのシチュエーションではなぜかピタリとくる。麺のボソボソした感じが心地好い。
遠くで第1レースのファンファーレが聞こえる。この僻地感もまたいい。わたしはそばがつゆを吸い込んでしまう前にと、急いで食していったのだった。
 
 
(ジャパンカップの日 おわり)
 
 

小説・立ち食いそば紀行  ジャパンカップの日(2)

2012年12月12日 | 立ちそば連載小説
《主人公の「私」が、各地の立ち食いそば屋を食べ歩く小説です》
 
 
(2)
 
 
わたしは買った入場券をじっと見つめた。タダで入れるところを、なんてもったいないのだろう。わたしはうなだれながら入場する。と、そこで一枚のチケットを手渡された。なにか宣伝のたぐいだろうと気にしなかったのだが、ミニ牧場まで行ったところでよく見てみると、これがビックリ、500円の無料券だった。場内のほぼすべての店で使えると記載してある。
 
なんと! これならタダで立ち食いそばを食せることになる。さすが最高賞金額レースの日。なんとも太っ腹の特典だ。無料入場券を忘れてきたことの悔しさが、多少なりとも薄まった。捨てる神あれば拾う神あるというものだ。いや、例えがおかしいか。棚からぼた餅か。いやいや、それでは忘れた悔しさの方が表現されていない。なんと表せば……。泣きっ面に蜂蜜、というのがいいかもしれない。造語だが。
 
それにしても、まだ第1レースの前だというのにかなりの混みようだ。混雑する前に食さねばと思い、4階まで上がって「馬そば」に行くと、すでに列ができていた。並んでもたいした時間はかからないだろうが、しかしこれではそばを手渡されたあとテーブルが空いていないにちがいない。
500円のチケット効果でより混みあっているのかも知れない。たしかにうれしいサービスではあるが、美味しい店舗で食したい者にはありがた迷惑なのかもしれない。もっともここまで濃いサービスをしてこんなこと言われちゃ、中央競馬がかわいそうというものなのだが。
 
わたしは「馬そば」を断念して、すいているそば屋に向かうことにした。目指すは東門だ。
 
 
(ジャパンカップの日 つづく)