曠野すぐりBLOG 「小説旅日記」

「途中から読んでも内容の分かる連載小説」をいくつか、あと日記を、のんびりと載せていきます。
 

115系満喫の旅(TSUBAMEツアー) その21

2013年10月23日 | 電車のお話
【その21】
 
今はなくなった奥多摩駅の「奥多摩そば」は、機嫌の悪そうなおじいさんが一人でやっていた。
 
バスや電車は本数が少ないし、一旦乗ればバスであれ電車であれ長時間の乗車を強いられる。だからここで栄養補給と、それらの待ち時間にはいつも登山客や観光客が群がっていた。休日など、人が群がって注文するのもひと苦労という状況だった。
そんなてんてこ舞いのところに要領知らずの子どもたちが押しかけたからだろう、機嫌の悪さはこちらに容赦なく向けられた。私は子どもの頃に何度か利用したが、まず最初に、おじいさんに一喝された。「奥多摩そば」はおでんそばという、おでんの具を乗せたそばを名物としていた。その日奥多摩湖で釣りを終えてバスで戻ると、腹が減ったと皆が言い、電車も待つので立ち食いそばに寄ろうということになった。食の細かった私は寄りたくはなかったが、子ども時分に大勢の意見に背を向けられるはずもなく、一緒に狭い店舗に潜り込んでいった。
 
ここは注文が口頭だった。「おでんそば」、「あ、ぼくもおでんそば」と、皆がおでんそばを頼む中、そばまで食べ切れる自信のなかった私は壁のメニューから「おでん」というのを見つけ、「じゃあぼくはただのおでん」と頼んだ。するとおやじさんが「うちにはただの物なんてねぇ!」と野太い声で一喝。無事におでんだけ出てきたが、怖くて味など分からなかった。
 
今でも思うが、どう頼んだらよかったのだろう。「おでんのみ」だろうか。しかし「のみ」という言葉を日常で使い出したのは麻雀を始めてからで、小学校高学年では使いこなせない言葉だった。「普通のおでん」、あるいは「おでんだけ」あたりだったろうか。そう思う今日この頃だ。
 
奥多摩駅には、鉄道ファンとしても訪れたことがあった。ホームの先も採石場に線路が延び、無蓋の貨物が停まっていたり通り過ぎたり。バックは山で、これが東京かと思うような駅なのだ。しかし今は駅舎がバンガロー風になり、趣はちょっと薄くなってしまった。
 

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