曠野すぐりBLOG 「小説旅日記」

「途中から読んでも内容の分かる連載小説」をいくつか、あと日記を、のんびりと載せていきます。
 

『駅は物語る』 17話

2012年03月31日 | 鉄道連載小説
 
《主人公の千路が、さまざまな駅を巡る話》
 
 
生々しい駅名の駅へ 後編
 
前橋中央を出た電車はたいしてスピードを出していないのに、すぐに次の駅に着いた。
まるで都電の駅のような、すべてにこじんまりとした単線駅。短いホームに小さい待合室、そして簡単な屋根。当然無人駅で、駅前に店などない。民家と路地だけ。乗降客はなかった。
 
次の駅は島式ホームにこそなっているが、乗降はまったくなし。その次はまたも単線駅で、ここでも乗降なし。
 ――おいおい上毛電気鉄道さん、大丈夫か?
千路はおおいに心配する。平日の昼近くではあるけれど、いくらなんでも乗降がなさすぎじゃないか。
群馬にJR以外の路線はわたらせ渓谷鉄道、上信電鉄、ここ上毛電気鉄道と3つあるが、この路線は景観において他の2つより格段に落ちる。山奥へと向かっていく路線ではないので車窓は終始、寂れた住宅地だ。生い茂る木々も渓谷もない。沿線に温泉もない。
山奥へと向かわない路線なので、始発も終点も接続駅となっている利点もある。しかし前橋、桐生と、そのどちらも両毛線の駅。沿線住民ならともかく、一般的には両毛線の方を使ってしまうだろう。上毛電気鉄道、廃止の怖れはないのか。
 
5つ目の駅が赤坂というのがまた泣かせる。東京ど真ん中のそれと違ってこちらは単線のホーム。2両の電車がギリギリ停まれる短いホームに、客の姿はなし。降りる客もなし。うーん、乗って残そう、なんだけどなぁ。
 
そして次が、目的の駅。
千路は降りてすぐ、駅名標の画像を撮った。千路の知る限りでは、内臓が駅名に付いているのはこの駅だけだ。
 
生々しい駅名だなぁと、誰もいないホームでぼんやり思う。冬の渇いた青空に浮かぶ心臓の文字。この駅は少し高台になっているので駅の南側に広く畑と林が広がっているが、そこに建つトタン屋根の掘っ立て小屋が、心臓の文字と重なってシュールな演出をしている。
せっかくなのでホームを離れて病院の方まで歩く。そし30分後に到着した下り電車に乗り込んだ。赤城で東武線に乗り換えるのが東京への最短時間だが、千路はそこで降りず、桐生球場前というこれまた無人駅で降りて、10分ほど歩いてわたらせ渓谷鉄道に乗り換えたのだった。
 
 




『駅は物語る』 16話

2012年03月25日 | 鉄道連載小説
 
《主人公の千路が、さまざまな駅を巡る話》
 
 
生々しい駅名の駅へ 中編
 
上毛電気鉄道の中央前橋駅、入口と改札部分が吹きさらしだが、それでも建物内に入れば外より格段に暖かい。ロータリーを突っ切るように流れの速い広瀬川が流れているのでこの辺りの風はことさら寒いのだ。
 
千路は切符を買って、改札に差し出す。それを女性駅員が受け取ってパチンと鋏を入れてくれる。なんだかとても懐かしい。
残念なのは切符が軟券ということ。同じ群馬の上信電鉄が硬券なだけに、こちらもそうであってほしかった。そのことをおずおずと駅員さんに言ってみると、ちょっと待ってと言って木箱を持ってきた。なんとそこには数年前の使用済み硬券がぎっしり入っていて、いくつか持っていっていいと言う。千路は恐縮しながら、3枚抜き取った。
 
ホームに入った千路はレトロ感たっぷりの車両を数枚写し、電車に乗り込んだ。
2両編成の車内には桜が咲き乱れていた。といってもすべて造花で、網棚部分からつり革上部にかけて取り付けられていた。
電車は千路の他に数人乗せて、静かに出発した。
 
 



『駅は物語る』 15話

2012年03月25日 | 鉄道連載小説
 
《主人公の千路が、さまざまな駅を巡る話》
 
  
生々しい駅名の駅へ 前編
 
東武東上線というのは名前と違ってひたすら北西に向かうが、池袋からそれの急行に1時間半揺られて終点の小川町へ。そこから八高線に乗り換えて今度は1時間北上していく。
 
鉄道好きの千路でも乗り疲れを感じ、たかべんの立ち食いそば屋で休憩を兼ねた栄養補給をした。これから新幹線に乗り込むというのなら駅弁でもいいのだが、両毛線ではなんとなく持ち込みづらい。全部が全部ボックス席ではないし、たとえボックス席に座れても4人ぎゅう詰めのところでは食べるのが困難だ。ということで、ホームで食事を済ますことにしてしまった。
 
乗った両毛線はボックス席だったものの、座席がすべて埋まっていた。やはり駅弁にしなくて正解だ。両毛線は都内に暮らす人々から見ればローカル線の部類に入るだろうが、ローカル線というもの、本数も車両も減らしているので意外と混みあい、ガラガラの車内でのんびり車窓を楽しむというローカル線の持つイメージ通りにはなかなかいかない。
 
千路はドアの横に立ってぼんやり車窓を見る。単線の信越線が左に離れていき、追いかけるように新幹線も離れていく。乗っているのは両毛線だが、新前橋までは上越線の区間を進むので高架の複線。だからローカル色は漂わない。
以前は井野までまっすぐ4キロ突っ走っていたのが、平成4年に高崎から2、8キロの地点に高崎問屋町が新設された。大宮から下ると駅間はぐんと広がってどこも3キロから4キロ相当だが、高崎問屋町~井野間は1、2キロと地方としては不自然な近さ。まっすぐなので隣駅が肉眼で見えてしまう。
 
新前橋で上越線と離れて、しばらく走って前橋に到着。県庁所在地なのだけど、どう見ても高崎や新前橋の方が栄えている。ビルこそ建っているが賑わいはまるで感じられない。
 
本日目的の上毛電鉄は前橋で乗り換えるのだが、前橋駅に接続しているわけではない。ここから10分程度歩かないといけないのだ。これまた不自然なところ。もっとも、不自然を見つけるのが旅の楽しみの一つでもある。
ビジネスホテルに隠れるように、駅前旅館がある。泊まるなら断然こっちだなぁと千路は思う。
 
国道50号の歩道橋を渡ると、繁華街というか、ネオン街の佇まいになる。通りだけでなく、路地にも飲み屋が並んでいる。そんな道を少し進んだところに、上毛電鉄の始発駅、中央前橋があった。
上州の風に押されるように、千路は駅舎に入っていった。
 
 


小説・「文庫の棚を、通り抜け」 (3)

2012年03月20日 | 連載小説
 
《毎日のように書店に通う本之介が、文庫、新書以外の本を探すというお話》
 
 
本之介は久々に買った大判の本がおもしろく読めたので、俄然本屋が楽しくなった。
これまで偏っていた自分自身に反省だ。なにも文庫本が悪いというわけではないというのに、勝手に視野を狭くして食傷気味になっていた。本屋で楽しむことを欲しているのに楽しめないというヘンな状況だったのだ。そうそう、美味しいものだって毎日毎日食べてれば飽きるんだよなぁ。本之介はそう思った。
 
で、今日も文庫の棚を通り過ぎた。この日訪れたのはワンフロアのお店だったので、文字どおり通り過ぎたのだ。
 
ゆっくり歩きながら眺めるように見ていって目が止まったのが、小寺祐二氏編著『イノシシを獲る』。表紙にはイノシシ親子の写真と、副題で「ワナのかけ方から肉の販売まで」。本之介は立ち止まって手に取った。
目次をざっと見ると、イノシシという動物の説明とこれまでの人間との関わり、捕獲する理由などに捕獲方法が続く。そして捕獲したイノシシの活用法とくる。中でも捕獲方法は極めて綿密に書かれていて、この本のとおりに実行すればシロウトでも捕獲できるのではないかと思えるほどだ。引用文献で締めくくられるまでのページ数は131。載っている図やデータが分かりやすく、写真も満載。文章も平易でのみ込みやすい。これ一冊読めばイノシシについての理解がかなり深まりそうだ。裏表紙には、「ホームセンターで入手できる資材だけで作れる箱ワナ」まで写っている。まったくイノシシ関係者には至れり尽くせりだ。
 
本之介の人生においてこれまでイノシシとの遭遇はなく、今後もないであろう。しかしこの本を購入することに決めた。なんとなく手元に置いておきたい雰囲気を醸し出す一冊なのだ。
 
こういった本を見つけられるのが、文庫棚を通り過ぎた効果だ。この本はいくら待ち続けようとも後々文庫になることはあるまい。
本の出だしは編著者の「はじめに」で、そのあいさつ文の終わりに、身重でありながら執筆活動に協力してくれた妻に感謝し、本書を捧げるという旨の言葉があった。本之介は反射的に、本を買って帰るたびに「置き場もないのにどうするのよ!」とツノを生やす自分の妻の顔を思い浮かべた。そして、今しがた文庫になることはあるまいと思ったばかりだが、この本、編著者の奥さんのためにもぜひ売れて欲しいものだと願った。
 
しかしもしこの本が文庫であったら、ここまでのインパクトは自分に与えなかっただろうということも、本之介は思うのであった。
 
 

小説・「文庫の棚を、通り抜け」 (2)

2012年03月19日 | 連載小説
 
《毎日のように書店に通う本之介が、文庫、新書以外の本を探すお話》
 
 
鉄道書籍のコーナーで買った本は、鉄道カメラマンの山崎友也氏著『僕はこうして鉄道カメラマンになった』。本之介は混み合う帰りの電車内では読むのを断念し、帰ってからじっくり読んだ。表紙のきれいな本なので、うっかり落としたりして汚してしまうのを怖れたからだ。この辺りが文庫と違う。もちろん文庫だって汚したくはないが、今回はその思いがひときわ強い。
 
今まで文庫と新書ばかりを買っていたのは、本を読む場が電車内だったからだ。家ではほとんど読むことはない。時おり大判の本を買っても持ち運びが不便で外に持って行かないので、読まずにお蔵入りになることが多かった。お蔵入りが増えてしまったので、余計文庫と新書に偏ってしまったのだ。
 
この本もお蔵入りで高い買い物で終わるのか、という懸念もあったが、興味ある内容なので数日で読み終えてしまった。
本之介も子供の頃は、よく鉄道写真を撮りに行ったものだ。日曜朝、一番の電車に乗って、上野や東京に向かった。その当時はブルートレインが何本も走っていて、今は新幹線のために潰されてしまった東京駅13番線、14番線ホームをカメラ小僧が駆け回っていたのだ。
 
鉄道カメラマンになったということは、相当鉄道一筋だったのだろうと本之介は思っていた。しかし山崎氏はマニアと言われることを嫌って学生時代に鉄道から離れている。え、自分と同じじゃないか。本之介はその部分を読んでびっくりした。彼も高校時代、表向き鉄道好きということを出さないように努めたのだ。
 
この本はブルートレインを追っかけていた世代には、特におもしろく読めるだろうと本之介は思った。ほぼ同時代だからか、ものすごく共感できるところが多々あるのだ。
「あ~、なんだか久しぶりに、ポーンと東京から飛び出してみたくなっちゃったなぁ」
 
本之介はとりあえず明日、時刻表を買ってこようと思ったのだった。