つれづれなるまま(小浜正子ブログ)

カリフォルニアから東京に戻り、「カリフォルニアへたれ日記」を改称しました。

中国風信④蟻族と北漂族-北京のワーキングプアと高等遊民(『粉体技術』2013年8月号より転載)

2013-12-29 13:27:24 | 日記

 [写真は、バーで歌うミュージシャン]
 「蟻族(イーツゥ)」と「北漂族(ベイピヤオツゥ)」はともに、中国語の新語である。言葉が示している現実も近年のことだ。
 「蟻族」は、大学を出たけれど、あまりよい職に就けなくて、大都会の端っこで群れて暮らしている若者たちのことだ。2008年、北京の社会学者廉思博士はこの大卒低所得群居集団に注目し、弱い者たちが群れているのはアリのようだと「蟻族」と名付けて調査報告書を刊行した(日本語訳あり)。これは大きな反響を呼んで、「蟻族」はすっかり定着した言葉となり、2010年には続編も刊行された。
 「蟻族」の若者は、地方の、多くは農村の出身で、寮生活だった大学を卒業しても、都会に親の家などない。けれど田舎に戻るのはイヤで、都市に留まって成功のチャンスを夢見る。仕事はパソコン操作とか販売員とかセールスマンなどが多い。都市出身の学生のように親のコネで条件のいい公務員や国営企業の仕事に就くなど、彼ら彼女らには無理な話だ。なので住居費の安い都市と農村の境界地区の安普請の部屋に、数百元ずつ出してルームシェアして住んでいる。職場までバスを何度も乗り継いで通勤し、仕事は単純で長時間で疲れる。少しでも良い仕事を求めて転職を繰り返すが、時にはリストラに遭ったり職場が倒産することもある。でも転職ごとに収入が増えて、良い部屋に住み替えている人もいて、境遇は様々だ。都会でマンションを買って定着できればいいと思う。
 このような若者が出現したのには、この間の大学生の急増がある。中国の大学などの高等教育機関の在学生数は、改革開放政策の始まった1978年には十億の人口の中にわずかに85万人だった。それが1991年には204万人、2001年719万人とどんどん増えて、2008年には2021万人になり、高等教育の大衆化が起こった。大学生はエリートとして国費で養成され、就職の心配などなかった社会主義時代は遠い昔になったのである。2012年には2391万人が在学し、625万人が卒業した。これはもちろん、中国の発展には高等教育を受けた人材が大量に必要だとして、そのような政策が取られたからなのだが、個別には志を得ない大卒ワーキングプアも、多々発生しているのである。
 「北漂族」の語義は「北京の漂流者たち」である。イメージされるのは、地方出身で、高学歴でかなりの文化的素養や知識技能を持ち、ちょっとアートな仕事や新しい技術産業などを志望しているような若者で、「蟻族」といくらかは重なる。いずれも「80后(パーリンホウ)」と呼ばれる80年代生まれが中心だ。
 Kさんも、「北漂」を自認する一人である。華北の地方都市出身で、名門北京大学に合格して北京にやって来た。在学中にバンドを始めた彼は、卒業後も北京に留まり、ミュージシャンとして生きていこうと頑張っている。お店で一晩歌って、最初は100元だったギャラが、150元、200元と上がって、今は300元になった。いつかコンサートチケットの売れる歌手になりたいが、今はテレビの歌番組の編曲やバックコーラス、映画や話劇の音楽も請負って食いつないでいる。バンドの相棒の女性は昼は外資系広告会社勤務、夜は音楽活動。レズビアンをカミングアウトしているので、共感する女性ファンも多い。収入は多い時には月15000元を超えるが、少ない時は限りなくゼロに近い。知り合いのツテで安く部屋を借りているので、部屋代は1000元ですんでいるのがありがたいが、定職がないので健康保険に入っていないのが不安ではある。日本人の彼女とは、毎日のようにSkypeで国境を超えて話している。
 中国社会は、大きな矛盾を孕みながら激しく動いている。そうした中で、感性豊かな若者は感じたものを発信してゆこうと頑張っていて、それが可能なスペースも、中国の都市には拡大している。ちなみに今、中国アートは、音楽だけでなく、絵や映画などもエネルギーが沸騰していて楽しい。(滄媚)
[下の写真は、日本語版『蟻族―高学歴ワーキングプアたちの群れ』と『蟻族Ⅱ』]


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