つれづれなるまま(小浜正子ブログ)

カリフォルニアから東京に戻り、「カリフォルニアへたれ日記」を改称しました。

中国風信27 中国の携帯電話いまむかし(『粉体技術』9-6, 2017.6より転載)

2017-09-16 07:04:58 | 日記
中国出張の際、携帯電話をどうしよう、というのは頭を悩ませることのひとつである。以前、中国の携帯を別に用意して持参していたが、そのうち便利ではなくなったので、止めてしまった。中国の携帯電話-「手机(ショウチー)(机は機の中国語の字体)」事情の変遷を振り返ってみよう。
 1990年代初頭、中国ではまだ電話は各家庭に普及していなかった。私の周囲では、学部長の教授は自宅に電話があったが、若い准教授の家にはなく、宿舎の門番に呼び出してもらっていた。経済発展には電話の普及も必要だろうが、多くの人口と広い国土を考えれば、固定電話のインフラ整備はとても大変そうで、「(まだ日本でも普及していない)携帯電話の技術進歩が希望となろう」と論じられたものである。
 予想は当たって、21世紀に入ると中国では爆発的に携帯電話が広まり、人々はいつも「手机」を片手に口角泡をとばしているようになった。口コミ情報を頼りにし、多くの人と関係(グワンシ)(コネ)をつないで世の中を渡るのを常とする中国人の気性に携帯電話はぴったり合ったようだ。携帯の出現によって変化した社会と人間関係を風刺した小説「手机」が映画化されて大ヒットしたのは2004年のことである。
 まもなく、もはや携帯を持つのが当然になっている現地の友人たちとの連絡のために、私は中国出張用の携帯を購入した。あの頃、日本円で数千円出せば機械と電話番号が簡単に手に入ったし、もっと安いものもたくさん出回っていた。中国の携帯はプリペイド式で、残金がなくなればカードを買ってチャージすればよいので、たまに訪中する私でも気楽に携帯を持てたのだ。
 ところがその後、チャージしたお金は数ヶ月で失効するようになり、さらにはしばらくチャージしないと番号まで使えなくなるなど、使い勝手が悪くなった。さらには携帯の購入には身分証の提示が必要になるなど、管理も厳しくなった。かくして私の携帯は、現在、失効したままである。
 2000年代後半の中国の携帯電話製造業の様子を、丸川知雄『チャイニーズ・ドリーム』(ちくま新書、2013年)は「ゲリラ携帯電話産業」と表現する。先進国では携帯電話を開発設計・製造するのは大手企業に限られるが、その頃の中国には大小400社程の携帯の基板・ソフト設計会社があり、深圳などでしのぎを削っていた。最小は従業員10人以下の零細企業で、なかには中古機の部品をつぎはぎして国外のメーカー品のコピーを作っているところもあった。先進国では統合されている設計と販売が垂直分裂したことに中国のゲリラ携帯電話産業の誕生の原点があり、先進国の企業が先進国の需要に応えて開発した技術を、中国の草の根資本家たちはバラバラに解体して換骨奪胎し、世界の貧困層の需要にあったイノベーションを生み出した。そうした活気に満ちながらもアナーキーなゲリラ携帯電話産業は、早晩消滅すべきと多くの人たちは考えていた。しかし中にはゲリラを卒業してブランドメーカーになりあがる企業も出てくるだろう、と丸川は予想していた。
 その後の展開は、Huawei(華為)やOPPO(欧珀)、Vivo(維沃)などの中国メーカーが、先進国のメーカーに見劣りしないハイスペックな品質と高すぎない価格でシェアを広げてゆき、2016年には世界のスマートフォンの三分の一とも5割超ともいわれるシェアを占めるようになった。同時に、たくさんあったスマートフォンメーカーは淘汰され、半分以下に減少した。
現在、中国の人々は、日本人に劣らずスマホ漬けになって暮らしている。日本でも中国でも携帯で生活が変わったのは、一見、同様である。
<写真は、映画「手机」(原作:劉震雲、監督:馮小剛)のポスター>


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