水の丘交通公園

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鉄道路線紹介 京王電鉄井の頭線

2010-07-09 21:30:36 | 鉄道事業者・路線紹介
京王電鉄井の頭線は渋谷と吉祥寺を結ぶ鉄道路線である。
沿線に渋谷、下北沢、吉祥寺の繁華街を持ちながら、一方で松原や代田、
三鷹台などの閑静な住宅街を有する。
創業時は京王とは別の鉄道会社であった。

■基本データ
営業運転区間:渋谷~吉祥寺 営業距離:12.7km
軌間:1067mm 複線区間:全線 
架線電圧:直流1500V 閉塞方式:自動閉塞 保安装置:京王ATS
最高速度:90km/h

■駅一覧(()内は乗り換え路線。☆は急行停車駅)
渋谷☆(JR山手線・埼京線・湘南新宿ライン、東京メトロ銀座線・副都心線・半蔵門線、
 東急東横線・田園都市線)

神泉

駒場東大前(☆:東大入試・国家公務員一種試験時に停車)

池ノ上

下北沢☆(小田急小田原線)

新代田

東松原

明大前☆(京王電鉄京王本線)

永福町☆

西永福

浜田山

高井戸

富士見ヶ丘

久我山☆

三鷹台

井の頭公園(☆:花見シーズンの休日のみ停車)

吉祥寺☆(JR中央線)

■列車種別
・急行:渋谷・下北沢・明大前・永福町・久我山・吉祥寺に停車する。所要時間16分(最短)。
 ラッシュ時は運行されない。永福町で各駅停車に接続する。
・各駅停車:全駅停車。日中は永福町で追い抜かれるものと追い抜かれないものが交互に
 発車する。ラッシュ時はこの種別のみ2分間隔で運行される。所要時間24分(最短)。

■歴史と年表
元々は東京山手急行電鉄という山手線の外に環状線を作ることを計画した鉄道会社の
支線として計画された路線である。
世界恐慌の影響で同社の経営が立ち行かなくなり、当時、小田原急行鉄道の経営に
携わっていた鬼怒川水力電気の利光鶴松がこれを引き取る。
このうち、収益の見込める支線であった渋谷線を開業させることになり、
帝都電鉄として昭和8年~9年にかけて全通した。
東京近郊を走る私鉄路線としては後発の開業であり、掘割や高架が多く、車両は鋼製、
女性の車掌が乗務するなど、「東京一モダンな電車」と呼ばれた。
その後、戦局に向かい、小田急、東急との合併で路線名も帝都線から井の頭線になる。
昭和20年5月25日の山手大空襲では在籍車両の大半を焼失し、壊滅的被害を受けた。
これを受けて、小田原線との連絡線である代田連絡線を急遽、敷設。急場を凌いだ。
戦後は大東急解体時に京王電気軌道の路線となり、社名も京王帝都電鉄になった。


昭和8年8月1日:帝都電鉄渋谷~井の頭公園間開通。
昭和9年4月1日:帝都電鉄井の頭公園~吉祥寺間開通。
昭和10年2月8日:西松原駅を明大前駅に改称。
昭和10年8月10日:西駒場駅を一高前駅に改称。
昭和12年:東駒場駅を駒場駅に改称。
昭和15年5月1日:帝都電鉄が小田原急行鉄道に吸収され、小田原急行鉄道帝都線になる。
昭和16年3月1日:小田原急行鉄道が鬼怒川水力電気と合併し、小田急電鉄となる。
昭和17年5月1日:小田急電鉄が東京横浜電鉄などと合併し、東京急行電鉄(大東急)発足。
 小田急電鉄帝都線は東京急行電鉄井の頭線に改称される。
昭和20年5月25日:東京(山手)大空襲により、在籍29両のうち23両を焼失。
昭和20年6月:上記空襲を受け、補充車両の搬入のため、代田連絡線を井の頭線
 代田二丁目駅(現・新代田駅)と小田原線世田ヶ谷中原(現・世田谷代田)間に敷設。
昭和23年6月1日:大東急解体。井の頭線は京王帝都電鉄の路線になる。
昭和26年12月1日:一高前駅を東大前駅に改称。
昭和27年:代田連絡線廃止。
昭和37年:3000系電車就役。京王で最初のステンレスカー。
 現在のレインボーカラーの奔りとなる。
昭和40年7月11日:駒場駅と東大前駅を統合して駒場東大前駅開業(旧駒場駅が廃止)。
昭和41年:永福町検車区が富士見ヶ丘検車区に移転。
昭和45年4月1日:永福町工場廃止。富士見ヶ丘工場に移転。跡地は京王バスの車庫になる。
昭和46年12月15日:永福町駅に待避線完成。急行運転開始。
昭和47年3月15日:環八通り開通に伴い、高井戸駅高架化完成。
昭和57年3月19日:三鷹台駅が踏切を挟んで渋谷側に移設。
昭和59年3月21日:全車両冷房化完成。関東の私鉄路線では初めての冷房化率100%達成。
 旧型の「グリーン車」が引退し、全車3000系となる。
平成7年9月28日:神泉駅改築完成。18m車×3両対応から20m車×5両対応になる。
平成8年1月8日:1000系電車営業開始。
平成9年12月28日:渋谷駅改築に伴い、営業距離が0.1km短縮。
平成10年7月1日:社名が京王電鉄になり、「帝都」の名が消える。
平成17年11月:明大前駅下りホームの売店が改築のため閉鎖。
 昭和30年ごろに作られた「無事湖」もなくなる。
平成18年4月21日:吉祥寺駅でオーバーラン事故。軽傷者数名を出す。
平成19年3月18日:京王全線で「PASMO」使用開始。
平成19年5月24日:明大前駅下りホームと直結する駅ビル「フレンテ明大前」完成。

■運行されている車両。
3000系:昭和37年登場。鉄道友の会ローレル賞受賞。正面上部にFRPのカバーを設置して、
 編成ごとに色を変えるレインボーカラーを最初に採用した。
 井の頭線のATC化完成と共に引退予定。
1000系:平成7年登場。レインボーカラーはそのまま引き継いでいる。現在の主力車。

なお、レインボーカラーは、ブルーグリーン、アイボリーホワイト、サーモンピンク、
ライトグリーン、ラベンダー、ベージュ、スカイブルーの7色である。
なお、ベージュについては色味がハッキリしないことから、平成22年以降、
オレンジベージュに変更される。

■管理人の主観で紹介する沿線名所・旧跡・見所
1・渋谷マークシティのグリーン車
今から5年ほど前だったと思うが、渋谷駅ホームの電光案内板にグリーン車のドット絵が
流れていた。先日見たら3000系になっていたが、今後も変わっていくのだろうか?
2・レールの幅が違います
井の頭線のレール幅は1067㎜だが、京王本線系統は1372㎜である。
同じ鉄道会社ならレール幅を統一したほうが合理的だが、年表に記したとおり、
そもそもの生い立ちが異なるのが、その理由である。
他に近鉄が同じ理由でレール幅の異なる路線を有している。
3・東京山手急行電鉄の遺跡?
明大前駅は東京山手急行電鉄との乗換駅になる予定だった場所である。
ちょうど、JR御茶ノ水駅の様に井の頭線の両脇に線路を敷設する予定だったようで、同駅の
渋谷側と吉祥寺側には、それを裏付けるかのようにトンネルの穴が空けられている。
なお、現在渋谷側のスペースはエレベーターの設置などに役立てられている。
4・永福町車庫跡
現在は京王バスの永福町営業所となっており、保線車両の留置スペースが残るのみと
なっているが、今でも車両の搬出入はここで行われている。
ここには帝都電鉄時代からの航空機の格納庫のような車庫があり、長年親しまれたが、
昭和60年ごろ解体された。
5・代田連絡線
年表でも触れたとおり、空襲で車両の大半を喪失した井の頭線の復興を急ぐため、
急遽敷かれた連絡線である。
車両の整備や修理は小田急線経堂駅近くにあった工場で行われた。
元々井の頭線は小田急系の会社が持ってた路線だったこともあり、別会社となった後も
車両のやり取りをしばらく続けた。
なお、この線は戦中の物資不足から、かなりの劣等品を使用しており、車両が走るたびに
架線やレールから火花が散っていたそうである。
廃線跡は宅地化され、その痕跡は残っていない。
6・レインボーカラー
井の頭線の電車は7色あることで知られている。カラーパターンは車両の項目を参考のこと。
7・最混雑車両は先頭車
井の頭線は吉祥寺側か渋谷側のどちらか先頭に改札口のある駅が多く混み合う。
最近は駅舎の改築が進められており、徐々に解消されてきてはいるものの、
依然この傾向は強い。座りたければ2両目より後を利用することをお勧めする。
8・お花見電車
井の頭線は都内を走る路線の中でも緑の中をおおく走る路線で四季折々の植物を
楽しむことが出来る。
春は井の頭公園や高井戸の桜並木、夏は東松原のアジサイなど。
東松原のアジサイはシーズン中、ライトアップされる。
9・無事湖
昭和30年ごろ、明大前駅ホームに作られた小さな湖(というか池)のことである。
井の頭線の安全を見守ってきたが、平成17年にフレンテ明大前の建設に伴い、
取り壊された。その後、吉祥寺駅でのオーバーラン事故など細かい事故が
頻発するようになり、無事湖を潰した祟りではないかと、
一時、ファンの間で話題となった。
10・生まれ変わる吉祥寺駅
長年親しまれた吉祥寺LONLONが閉店し、アトレに変わったのが記憶に新しいが、
京王も井の頭線の耐震補強に合わせてフレンテ吉祥寺、京王吉祥寺ビル(ユザワヤ吉祥寺店)を
全面改築する。
現在、駅ホームは仮設で井の頭線側の店舗も全てへ移転し、廃墟の様になっているが、
間もなく取り壊しが行われる。
完成は平成24年度を予定。


○ベージュからオレンジベージュになった1000系第13編成。

○アジサイの咲き誇る沿線。

○編成ごとに色が異なる。手前は第13編成の塗装変更前の姿。

○廃車となり永福町駅から搬出される3000系電車。搬入もここから行う。


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